第七十五話【〝南京大虐殺〟攻勢4  欧米の新聞は日本軍のために〝報道をしない自由〟を行使してくれるか?・編】

「つまりなんですか、」と天狗騨記者が切り出す。「——〝南京市内にいた中国人達は日本軍によって南京郊外まで連れ出されて、そこで殺された〟というわけですか?」


「ソウダッ!」


「話しがすっかり元に戻っていますが、南京市内の安全区内にいる中国人は20万人だと、アメリカ人も含む『南京安全地帯国際委員会』が言っています。しかも『我々は安全区内に一般市民のほとんど全体を集めました』とも言っているんです。あなたは〝南京市内から中国人30万人が連れ出された〟と言っていますが、あなたの言う30万人はどこから湧いて出たんです?」


「その証言には無理がアル!」


「はあ? すると『南京安全地帯国際委員会』は嘘つき団体ということになりますよ」


「テングダ! 確かベイツというアメリカ人は『南京では2万人が虐殺されテイル』という証言をシタと言ったナ?」


「すぐ別の所では『4万人』と言い出しましたがね」


 しかしリベラルアメリカ人支局長は天狗騨の嫌みをそのまま流し、

「要はそうイウ事ダ!」と言ってのけた。開き直るが如く。


「はあ?」さきほどとまったく同じ反応を繰り返してしまう天狗騨。心底から何を言っているのか解らなかった。


「解らナイのなら説明してヤル! いいカ、『南京安全地帯国際委員会』の設定シタ〝安全区〟は南京の全部ではナイ! 一部分ダ!」


「つまり他の部分に万単位の中国人が残っていたと?」


「そうダッ!」


「その考えは『我々は安全区内に一般市民のほとんど全体を集めました』という『南京安全地帯国際委員会』の証言に反していますが」


「彼らハ『我々22人の西洋人では色々手に負えない』とも言っテイタではナイカ!」


 天狗騨は記憶をたぐる。確かに『我々22人の西洋人では中国20万市民に給食し、そして日夜の安全を確保することはできない』、という証言を口にした記憶があった。


「手に負えないノデあるカラ、南京市内の全てヲ把握するノハ困難ダ! ソウ、22人だけで南京の全てヲ把握できる筈がナイノダ!」


「つまり安全区ではないところに『万単位の中国人はいた』、ということですか?」


「その通りダッ! 例えば2万ダ」


「4万はどこへ行きました?」


「うるサイッ! 今は2万で思考実験をしてイルのダッ! いいか! 例えば50人くらいナラ多少広めの1軒の家の中に潜メル。こうして各々のグループが南京市内に潜んでいたのナラ、その数は400軒ほどにしかナラナイ。分散して住んでイル者達を集めタラ2万くらいノ数にナルという事ではナイカ。それがベイツというアメリカ人の証言なノダ! 彼はトップのドイツ人とは対立関係にアッタと考えラレル! 当時ドイツと言えばナチスだしナ! したがって彼の意見ハ委員会トシテの主張に反映されなカッタ! それに不服従のベイツ氏が本紙に己の見立てを吐露したノダ!」


 天狗騨はなんとも不思議に感心した。アメリカ人の自己弁護能力の高さに。

(なるほど、こうこじつけてくるか)と思った。このこじつけをよりもっともらしく聞かせるには犠牲者の数はギリギリまで低めに見積もった方が説得力が出る。

(だから『2万』か)


 しかしツッコミどころは誰の目にも明らかすぎた。

(34万人も30万人も4万人すらも投げ棄てるとは……)


 現に天狗騨は〝4万〟と一度はツッコンだ。しかし効果はまるで確認できない。


(一回程度の突っ込みでは足りなかったのか?)

 天狗騨は己の思うところに従い、だから思った通りに再度突っ込んでみた。


「『南京大虐殺』の〝30万人虐殺説〟はどうなったんです?」


「黙レ、テングダ! お前のその言い分は反論とは程遠イ!」


 いつの間にかリベラルアメリカ人支局長は〔1の方法〕、即ち虐殺数を値切る方法を採っていたのだった。


(人間は追い込まれるとここまで厚顔無恥になるものか)と半ば以上天狗騨は呆れた。こうなると攻め口を全く変えるしか打開策は無い。そう、これまで誰も使ってこなかったような道を行くしかない。




「あなたは当時の欧米メディアが日本に好意的な報道をしたと思いますか?」天狗騨は訊いた。


「益々反論とは程遠イ!」当然とも言えるリベラルアメリカ人支局長の反応。


「1937年12月当時、南京にいた欧米人はなにも『南京安全地帯国際委員会』の面々だけではありませんよ」天狗騨は遠慮も怯むこともせず言った。


「なぜそんな関係の無い話シをスル?」


「あなたが『南京安全地帯国際委員会』の証言を疑い出すから、それ以外の欧米人の話しをしようとしているんです。欧米の新聞記者も南京にはいましたよ。中華民国の首都ですから駐在員くらいいても当たり前だと言えます——」そう言いながら天狗騨が手帳のページを繰る。


 この手帳のページがめくられる時、それは天狗騨にはまだまだ〝隠し球〟があるという証左である。リベラルアメリカ人支局長は唾を飲み込む。


「——そうそう、貴紙の記者も当時の南京にいましたよ。ダーディン記者ですね」


「なニィ⁉」何かが来る予想は当然ついていたのだが、それがあまりに予想外だったため、またも思わずボールウォッチャーな台詞が口をついて出てしまった。リベラルアメリカ人支局長の内心に嫌な予感が濃厚に充満してきた。


「そこでもう一度訊きましょう。あなたは当時の欧米メディアが日本に好意的な報道をしたと思いますか?」


「……」


「答えるつもりが無さそうなので私が言いましょう。満州国建国を巡り日本が国際連盟を脱退してからというもの、日本に好意的な欧米メディアなど皆無です。存在しません。むしろ敵対的である、と言った方がいいでしょうか」


「なにガ言いタイ?」


「知っていてとぼけるのは悪質だと〝南京市の壁の話し〟をしていたのはあなたじゃないですか。彼ら欧米メディアは〝鵜の目鷹の目〟で日本軍を見ていた、という事ですよ」


「ウノメ?」


「『日本の落ち度は僅かでも見逃すつもりは無い』という感情を持って報道に携わっている欧米人新聞記者達がいた。彼らの監視の目が日本軍に注がれていたということです」


「〝感情〟とはなんダ!」


「報道には〝感情〟が混ざり込む。当事者にその自覚が無いというのは問題ですよ」

 サラリととんでもないことを言う天狗騨。適当な答えが見当たらず黙認するしかないリベラルアメリカ人支局長————


「——話しが少し横道に逸れました。私が指摘しておきたいのは日本軍の南京占領後、欧米人記者達は追放されるでもなく、その場にとどまり取材活動をし記事を書くことができたという事実です」


「それがどうシタ?」


「まだ解りませんか? こうした敵対勢力の監視の中、彼らに気づかれること無く南京市内に〝潜んでいる〟合計2万人の中国人達を捕らえ南京郊外まで連れて行けるでしょうか?」


「ムッ、無理ではナイ! 『南京大虐殺』の期間はおよそ二ヶ月。つまり60日。毎日毎日一日辺り6軒強の摘発に過ぎナイ。人数にして一日300数十人程度ダ」


「それはどういう意味でしょう?」


「目立たナイという事ダッ!」


「残念ながらまず百パーセント目立ちます」


「なぜソウ断言でキルッ⁉」


「それをするためには日本軍が南京中の空き家という空き家を全戸、一軒ずつ家捜ししないと見つけられないからです。つまり大規模にやらざるを得ない」


(くっ、クソッ!)


「もしそんなことを本当にやってたら日本軍による集団略奪行為にしか見えません。敵対的な欧米人記者達がこんな美味しそうなネタを見逃すとは思えませんが」


(ヌウッ!)


「まして『南京大虐殺』なんて、格好の事件があったなら、どれほど日本を叩けていたことか」天狗騨は言った。そしてさらにそこに付け加えた。「それこそ連日報道していた筈です」


「ウチの新聞ニ『2万人虐殺』が載ッタと言ったロウ! 『南京大虐殺』の報道はアッタ!」


「ほう、覚えていてくれたんですね。しかし〝連日〟とはいかなかったようですよ。確かに載ったは載ったけれども、それはキャンペーン報道としては騒がれる事は無かった」


「キャンペーン?」


「もし本当に南京で日本軍による『2万人虐殺』が起こっていたら南京駐在の貴紙の記者が取材して続報の形で記事にしていた筈ですよ、それこそ連日の筈です」


(続報が無いのか?)なにも声に出なくなったリベラルアメリカ人支局長。


「——結局これは〝スクープ〟というよりは『そういうことを言う人がいる』といった程度の記事だったという事なんでしょう。それどころか『南京大虐殺』とはほとんど正反対と言ってもいい程の記事が当時の貴紙に載っています」


「なんダトッ⁉」


「——興味深いことに現代の価値観では『歴史修正主義』と一刀両断にされてしまうような記事が、実はあなたのところの新聞、ニューヨークのリベラル系新聞に載っていたんですよ」

 天狗騨は手帳に目を落とし黙読。そして声をあげ読み始める。

「——『中国兵が安全区内でかく乱工作員となって強姦や略奪を繰り返しそれを日本兵の仕業に見せかけていた』、という記事です」


「ホントウカッ⁉」


(正に今これを声に出し言ったなら『歴史修正主義』だ——というか、今言われている歴史が修正された後の歴史になってしまう————)

 しかしリベラルアメリカ人支局長としては半信半疑である。それは彼が今まで信じ込んできた価値観とはあまりにかけ離れていたためであった。

(日本を悪者に見せかけるための工作活動をしていたのが本当なら、彼ら中国人の『南京大虐殺』の被害の訴えは割引かざるを得なくなる……)



 そんなリベラルアメリカ人支局長の内心を見透かしたように天狗騨は声を掛けた。

「当時の報道に納得がいかない様子ですね」


「当たり前ダッ! それが本当ならテングダ、お前の見立ては間違ってイタことにナル! 当時の欧米人記者達はろくニ日本に厳シイ報道をしてナカッタ事にナルッ!」


「そんなことはありません。では1937年12月当時の欧米の新聞が、それを紹介しておきましょう」


 息をのむリベラルアメリカ人支局長。


「『パネー号事件』です」天狗騨は言った。


 またもリベラルアメリカ人支局長の頭の中に無い〝歴史用語〟である。


「なんダ、それハ?」と訊くのが精一杯。


「南京は揚子江近くの街ですがその揚子江に浮かんでいたアメリカの軍艦が日本軍による南京占領の前日、その日本軍の誤爆によって撃沈されたという事件です。これがどれほどの重大事件かと言えば、ニューヨークのリベラル系新聞がしたくらいです。これは相当なキャンペーン報道です」


 再び〝ニューヨークのリベラル系新聞〟などと嫌みったらしく口にした天狗騨だった。


「同じ事件について18日も続けて報道するというのは、完全にキャンペーン報道と言っていいでしょう」天狗騨はダメを押すように言った。


「ほ、他ハ無いノカ?」

 むろんリベラルアメリカ人支局長の頭の中にあるのは〝中国人虐殺〟である。


「その後南京絡みで欧米の新聞に報道された目に付く事件は、というと——」天狗騨は手帳に目を落とす。

「——1938年1月下旬の『アメリカ領事アリソン氏殴打事件』になります。これは日本軍の伍長に同氏がブン殴られたという事件です。日本軍が行う事件調査にアメリカの領事アリソン氏が同行、同領事は調査隊を率いていた中隊長の静止を無視して現場の家屋内に進入しようとしため起こった事件です。ちなみに貴紙では3日連続での報道。『パネー号事件』ほどではありませんでしたね」


「その事件ハ中国人が虐殺さレタ事件ではないノカ?」


「だったら〝ブン殴られた〟という部分に重点が置かれた報道にはならないでしょう」

 天狗騨は手帳に落としていた視線を上げる。

「この記事の重要なところは、という点にあります。『虐殺を隠蔽する』とは真逆の方針です。人をブン殴るというのはいかにも典型的な日本軍軍人といった感じで誉められませんが、この人物の行動のおかげで当時の日本軍の方針が読み取れるという思わぬ効果が生まれてしまった、というわけです」


「……」


「そしてこの後も、『多数の中国人が虐殺された』という趣旨のキャンペーン報道は貴紙を含め当時の欧米の新聞のどこを見ても見当たりません——」改めて天狗騨はそう言い渡した。


(ぬうぅ……)


「——これは『2万人虐殺』を中華民国代表が国際連盟に訴えた際に〝相手にされなかった〟こととも符合します」


 現代を生きる中国人がこのやり取りを聞いたら、『アメリカは自国民のことにしか関心が無いのだ!』『国際社会もまた同じだ!』と憤るのかもしれない。しかしリベラルアメリカ人支局長は考え得る範囲のあらゆる反論を天狗騨にしてみせたのだが、それらのどの主張にもどこかしらの無理があり、ことごとく再反論を許してきたのだった。


 こういう主張をしてきた天狗騨はむろん(ASH新聞記者なのであるが)『南京大虐殺』の存在を疑っている。


 天狗騨流の『南京大虐殺』否定論は単純明快である。時間も含めて現場にいる記者を信じる。つまり〝新聞〟を信じているのである。

 この後新聞に相手にされなくなった『南京大虐殺』は、本の方へとシフトすることになる。その本が種本となって新聞ネタになるのは戦争が終わってから後のことである。



 ちなみに天狗騨は〝本〟は〝新聞〟より少しだけ信用が無い、と少々厚かましく考えていた。なにせ仕事は新聞記者である。やはり人間には身びいきというものがある。

 それにASH新聞には『嫌韓本』をヘイト本と断定する文化があり、本はピンキリであるというのはこの社内では常識であった。右の方からは激しくツッコミが来るだろうが一般論として『トンデモ新聞』という語彙は無く『トンデモ本』という語彙だけは存在するのである。


 そこで本と新聞の比較である。


 〝本〟の場合その責任は専ら著者に集中し、出版社の責任はその次で著者を盾に致命的ダメージを回避できるが〝新聞〟の場合は『書いたヤツが悪い』では済ませられない。一般的に新聞記事とは個人の著作物ではなく、よって新聞社という全社ものの責任となる。迂闊な事を軽々に書けないのが新聞なのである。別の視点で考えるなら社員の生活がかかっている。背負う人生の数が違っているのである。このように新聞社のスクープ系キャンペーン報道には非常なリスクがある。よほど用意周到に準備を積み重ねなければ踏み切れない。(その分新聞は本より少しだけ信用がある)と天狗騨は考えるのだった。

 しかしそのリスクをまるで顧みなかった例外的な蛮勇新聞が、実は無いこともない。天狗騨が所属するASH新聞は現に『慰安婦報道』で乏しい材料でキャンペーン報道に討って出て致命的なダメージを負っていた。


 そうしたリスク回避のために編み出されたのが『誰かに代弁して貰う戦術』である。いわゆる〝鉄砲玉〟。別名『偏りコメンテーター戦術』ともいう。

 『いかに責任を負わずに言いたいことを紙面に載せられるか』というわけである。


 具体的に『日本』、で考えると解りやすい。


 ここに或る新聞社があるとする(別に新聞社に限る必要も無いのだが)。この新聞は日本を攻撃したいのだがキャンペーン報道にまでは踏み込めない。そういう時に日本に対する攻撃的な言論の期待できるコメンテーターを連れて来てその意見をコラムとして紙面に載せる。何人も何人も取り替えひっ替え似たような者の投入を続ければプチ・キャンペーン報道にもなる。もし何か間違いがあっても、それはコメンテーターの責任として処理でき、新聞社本体に対する被害を最小限に抑えることができるのだ。

 また海外の新聞の記事を引用する形で記事にする〝報道〟もこうした戦術の範ちゅうに含まれると言える。もし何か間違いがあっても、それは元記事を書いた海外の新聞の責任として処理できるのである。

 ただ、そうなると著者が全責任を負うといっていい〝本〟の方が、潔く、その分信用があると言えるのだが……



 とまれ、ニューヨークのリベラル系新聞に『2万人虐殺』を語った『マイナー・ベイツ』はこうしたコメンテーターに当たると天狗騨は考えたのだった。


(コメンテーターに喋らせているだけで本紙が勝負に出ていない)


 〝勝負〟とは〝1937年12月当時に『南京大虐殺』キャンペーン報道をすること〟を指す。


(その時間その現場にいた記者がその〝勝負〟にブレーキをかけたのだ)


 そうした記者が虐殺についての記事を書かなかったのならそうした事実は無い、と天狗騨は結論を導いたのである。


 むろん天狗騨とて〝記者〟という肩書きを持っていたなら誰でも彼でも闇雲に信じるわけではない。天狗騨は己の良心に従い当時の日本人記者の記事を根拠とはしなかった。しかし外国人記者に限っては1937年12月当時に虐殺を報道しない動機は無いのである。なおも天狗騨は語り続ける。


「——近頃ネット上では『報道しない自由』などという造語が定着し、メディアは〝報じたくない事実は報道しない〟などと言われる始末ですが、よもや欧米の新聞が『南京大虐殺』について日本軍のために〝報道しない自由〟を行使する筈も無いでしょう」


「当たり前ダッ!」


「その通りです。起こっていないことは記事にはならない」端的すぎるほどに天狗騨は言い切った。


 リベラルアメリカ人支局長は反応できない。


 しかしリベラルアメリカ人支局長はことばにこそ出さないものの、『南京大虐殺が無いなどと、そんな筈は無い』という態度を崩そうともしない。

 天狗騨が何よりも許せなかったのは当時、時間も含めて現場にいる記者を目の前のリベラルアメリカ人支局長がどうやらまったく信じていないらしいことであった。


(お前にとってジャーナリストとは『その程度のもんだ』という認識なのか⁉)天狗騨は憤りで破裂しそうになっていた。

 天狗騨は思っていることをそのまま、ずしりと口にした。


「私は当時現場にいた記者の方を信じます。戦後になって『南京大虐殺』を認定した東京裁判の主催者連中こそが人間的に疑わしい人間達だ」


 天狗騨の頭の中、散々詰め込んだその無駄とも言える『南京大虐殺』の知識の検索の結果、天狗騨はこう断定してみせたのだった。

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