第七十三話【〝南京大虐殺〟攻勢2  『南京大虐殺』を製造したのは欧米人、中でも特にアメリカ人・編】

 天狗騨記者の言う〝『南京安全地帯国際委員会』の一部のメンバーが遂に一線を超えた〟とはどういう意味であろうか?


「ひとつ訊きましょう。『南京で日本軍による万単位の中国人虐殺があった』と一番最初に言い出したのは誰だと思いますか?」

 人を試すような質問を天狗騨はリベラルアメリカ人支局長に対して、した。


(明らかなトラップだ!)リベラルアメリカ人支局長は直感した。彼は黙ったままである。


「誰ですか?」と天狗騨が押してきた。リベラルアメリカ人支局長は答えない。


「あなたは私の話の腰を折り、私に延々『20万人しかいないのに30万人殺せるわけがない!』という話しをさせたのですよ。答えなさい!」天狗騨がさらに強く押す!


「中国人に決まっテイル」根負けしてリベラルアメリカ人支局長は最も無難であろう〝答え〟を口にするしかなかった。誰でも普通こう考えるであろうという〝回答〟だった。

 にたりと天狗騨の髭もじゃの口が笑う。

「あなたの勤める新聞社ですよ」


「なニイッ⁉」

 ボールウォッチャーのようなセリフが思わず口から飛び出す。それくらいリベラルアメリカ人支局長の度肝を抜くような事を天狗騨は言った。それは天狗騨の同僚達も同じようでASH新聞社会部フロアに〝どよ〟、とざわめきが起こる。


「一番最初に『南京大虐殺』を言い出したのはアメリカ人。中国人はその次です」天狗騨は断言した。


「中国人が虐殺を言い出したのではナイノカ?」


「アメリカ人が言った後に言い出し始めました」


「バカナッ!」

 リベラルアメリカ人支局長がそう言ったのもむべなるかな。虐殺された当事者側がいの一番に騒がない虐殺事件など、全員が〝死人に口なしになった〟という特殊状況でもない限り普通はあり得ない。そしてむろん南京の中国人が全員虐殺されゼロになったという特殊状況は、無い。


「あなたにどれほど人の話しを注意深く聞く能力があるかは解りませんが、私が『2万——4万——6万——10万——20万』と、数字を読み上げていたことを記憶していますか?」


 確かにそのふざけたもの言いに腹を立てた記憶がリベラルアメリカ人支局長にはあった。


「それがどうシタ?」


「『南京大虐殺』の一番最初は〝2万人虐殺〟だったということです。26万じゃありません。2万です。これを言い出したのがアメリカ人というわけです」


「ウッ、嘘をつくナッ!」


「ところがです、1937年12月の南京陥落前後に中国国民党、即ち中華民国ですが、彼らは約300回もの記者会見を開き、しきりと欧米を味方につけようと活発に自らの言い分の宣伝活動をしていました。が、これらの記者会見の中に『南京における虐殺』を扱ったものはありません」


「……」


「時にあなたは『マイナー・ベイツ』、『ジョージ・フィッチ』のことを覚えていますね?」


「『南京安全地帯国際委員会』のメンバーだロウ!」


「この二人のアメリカ人が『日本軍による2万人虐殺があった』と、あなたの勤めるニューヨークのリベラル新聞に吹き込み、残念なことに貴紙はそれをそっくりそのまま記事にして紙面に載せてしまったのですよ。これが『南京大虐殺』の初出です」


 リベラルアメリカ人支局長は凍り付いた。


「思い出してみてください。ベイツ、フィッチ両名が所属していた『南京安全地帯国際委員会』という団体が日本大使館宛に送っていた抗議の文書群に書かれている犠牲者の合計は49人です。なぜ彼らは『犠牲者の数2万人』と日本大使館宛文書には書かなかったのでしょう?」


「ぐムッ!……」


「答えは簡単。日本人に言えばすぐに調査されてしまうからです。外務省の福田氏の証言がそれを示しています。彼は事の真偽を確認するためいちいち行動していました。そのようにして直ちに調査されると真実がなんであったかがすぐバレてまずいことになるから日本人には言えなかったのでしょう」


 リベラルアメリカ人支局長、ただ沈黙を続ける。


「——新聞記者の能力とはウラをとれるか否かに尽きます。さっきも言いましたが『南京安全地帯国際委員会』が日本大使館宛に送り続けている抗議文は各国外務省にも同じ物が送られています。調べようと思えば『2万人虐殺』が真実であるか否か、ウラは容易にとれた!」


「——それを検証もせずデマをそのまま記事にして書くとは、小錦関の件といい昔から不変じゃないですかお宅は。三流記者にも記事が書けるスペースを用意してくれるなんてなんとお優しい。実に素晴らしいクオリティーなペーパーですねえ!」遂に天狗騨記者の怒りが爆発した!


 ニューヨークの自称クオリティーペーパーな新聞は散々にこき下ろされた。天狗騨自身の勤めるASH新聞のことはこの際棚に上げていた。しかしリベラルアメリカ人支局長にはそんなことに気づく余裕はもはや無い。ただ天狗騨の衝撃的言い様に呆然とするばかり。『南京大虐殺』は日本と中国の間の問題だと頭から信じ込んでいたのに、そのだったなどまったく想像の埒外だったのだ。


「日本大使館宛には『49人が殺された』と言い、その一方で同じ仲間のアメリカ人新聞宛には『2万人が殺された』と言う。こういうヤツのことを何というか知っていますか? 二枚舌と言うんですよーっ!」


 リベラルアメリカ人支局長、予想外の怒濤の展開に遭遇。天狗騨、アメリカ人を嘘つきと断定。よもやの『南京大虐殺』でアメリカ人が言論サンドバッグ状態に。


「そして中国人がさっそくこれに飛びついた。このアメリカの新聞の記事を元ネタに、国際連盟・中華民国代表は、第百回期国際連盟理事会の席上において『南京で2万人の虐殺と数千の女性への暴行があった』と演説し、国際連盟に行動を要求しました」


「——しかし賢明にも国際連盟はこの中華民国代表の要求を無視しました」


「賢明である筈がナイ! 日本が国際連盟に裏カラ圧力をかけタニ違いナイ!」


「満州国問題でこの頃日本は既に国際連盟から脱退してましたが。脱退国のかける圧力とはそんなによく効くものですか?」

 素早くかなり嫌みの籠もった天狗騨の切り返しに途端にことばを失うリベラルアメリカ人支局長。『歴史!』『歴史!』と普段から日本人を歴史攻撃をしている割に、歴史の知識が存外無いのも実にアメリカ人らしいことだった。

 天狗騨が無慈悲に先を続ける。

「ちなみに国際連盟は『日本軍の南京・広東に対する空爆』を非難する決議はしています。要するに極めて信憑性の低い案件での非難決議はしなかった、ということでしょう。賢明なる組織防衛ですね」


「こっ、コノ反米主義者メ……」絞り出すような声がリベラルアメリカ人支局長の口から漏れ出た。


「ほう」と短く返事をする天狗騨記者。


「反米主義者ではナイと言うナラ説明をしてミセロ!」これは完全なる開き直りである。彼はこれだけ天狗騨とやり合っていながら〝反米〟が切り札になると、まだ信じ込んでいた。


「なるほど、巻き添えが欲しいというわけですか」天狗騨は素っ頓狂な事を口にして、そしてやおら例の手帳のページを繰る。


「マイナー・ベイツは貴紙に語った内容を別の他者に、さらにアップグレードさせて書き送っています。なんと今度は『4万人虐殺』です。もうここで2万人が4万人になったのです! 二枚舌どころか三枚舌です!」


「そのベイツという男はアメリカ人だロウガ!」たまらずリベラルアメリカ人支局長が叫ぶように怒鳴った。


「話しはここからです。このマイナー・ベイツの『4万人虐殺』の書簡を受け取ったのがイギリスの新聞記者『ハロルド・ティンパーリー』でした。ティンパーリーはベイツやフィッチから受け取った書簡をそっくりそのまま編集し一冊の本にまとめ上げました。本のタイトルは『戦争とは何か——中国における日本軍の暴虐』。タイトルを見ただけで内容が解ってしまうようなこの本は1938年7月にロンドンで出版されました。そして著者ティンパーリーは実はオーストラリア人なのです! これで米英豪そろい踏みというわけです!」


 『英』も『豪』もアメリカの仲間みたいなものである。皆々アングロサクソンの国である。天狗騨の言い様はほとんど〝悪の枢軸〟と言わんばかりであった。リベラルアメリカ人支局長はただあっけにとられたまま。


「——こうして考えるとなぜ『南京安全地帯国際委員会』のトップがドイツ人だったか、薄々と見えてきます。自分達は矢面には立ちたくないからドイツ人を御輿にした、以外に考えられるでしょうか?」


「それハ我々がドイツ人を傀儡にして裏で好き放題ヤッタという意味ではナイカ!」


 不幸にも(?)リベラルアメリカ人支局長には〝御輿〟の意味が解ってしまった。天狗騨はチラチラ手帳に目を落とし何事かの確認を続けながら話しを続ける。


「とは言えそのドイツ人もアメリカ人の同類でした。『ジョン・ラーベ』はドイツ本国宛の書簡に虐殺された人の数について『我々外国人はおよそ5万から6万人とみています』と書いてますね。アメリカ人の言う虐殺数より数が多いです。ちなみにこれが1938年6月8日付の書簡なのですが、奇妙だとは思いませんか?」天狗騨がまたも人を試すような目をリベラルアメリカ人支局長に向けた。


「そんなモノ知るカッ!」イラついて怒鳴り返す。


「ティンパーリーの本は1938年7月にロンドンで出版されました。ベイツの書簡をそのまま載せたわけですから虐殺犠牲者の数は『4万人』です。しかしラーベは『我々外国人は5万から6万とみている』と言っています。〝我々〟と複数形で書いています。どうしてこう虐殺された人の数が伸縮自在なのでしょうか?」


「誤差の範囲ダッ!」


「しかしラーベはドイツ本国宛の書簡に『中国側の申し立てによりますと10万人の民間人が殺されたということですが、これはいささか多すぎるのではないでしょうか』とも書いています。4万と10万ではダブルスコア以上です。ここまで来ると『誤差』は通じませんよ。その4万とて元々2万だったんですから。さて、いったい誰が嘘をついているのでしょうか?」


「……」リベラルアメリカ人支局長は絶句していた。彼は天狗騨が口にした『2万——4万——6万——10万——20万——30万————』の意味が初めて解った。


「とは言えラーベの本国宛書簡はしょせんは手紙。それを読むのは受け取った人だけです。広報力という点で本には及びません。一方でハロルド・ティンパーリー著『戦争とは何か——中国における日本軍の暴虐』はロンドンに次いでニューヨークでも出版。そしてほぼ同時に中国語版すらも出版されました。こうして世界中で出版した結果、『元祖・南京大虐殺本』としてその地位は不動のものとなりました。即ちこの現代に続く類似本の種本となったのです——」


「ところがです——」にわかに天狗騨の声のトーンが変わる。「——しばらくの間、この本は『南京大虐殺本』の種本としては使われなかったのです」


 天狗騨はリベラルアメリカ人支局長の反応を覗うがまだ黙ったまま。初めて聞く情報の大洪水の中に取り残され一人立ち往生しているかのようであった。


「——と言うのも〝ベイツの書簡部分〟はこの後、四冊の本に転載されるのですが、その四冊のいずれの本にも『4万人虐殺』は載っていない。これが何を意味するか、あなたには解りますか?」

 挑発するように天狗騨はリベラルアメリカ人支局長に訊いた。


「……」


「しょうがないですね。この四冊の本は日本軍の『南京占領』を非難する本ではあっても、『南京大虐殺』を非難する本にはならなかったってことです! 〝南京から虐殺が消えた〟ってことなんですよ!」


 なおも天狗騨が続ける。


「——要は単純なこと。信憑性の無い話しを載せればインチキ本となり日本を糾弾するどころか糾弾される側になりかねない。そこで出版社が『4万人虐殺』の部分を削除したんでしょう」


 しかし欧米を持ち上げるかのような発言はここまでだった。



「ところが世の中には良心の無い人間という者は、不幸なことに確実にいるものです。『エドガー・スノー』という人間が日本軍の南京占領からおよそ3年数ヶ月後の1941年春、『アジアの戦争』という本を出版します。今度はタイトルから中身が想像できないのでざっと中身を紹介しましょう。エドガー・スノーは言います。『日本民族はフィリピン奥地の首狩族と同じだ。日本軍は首狩り時代の伝統を残しながら近代医学と戦争科学をマスターしている』と。こんな調子の本なのです!」


(まさか、この男……)リベラルアメリカ人支局長には嫌な予感がしていた。

 あたかも以心伝心したが如く天狗騨が言った。


「そうそう、彼の国籍を紹介していませんでしたが、もちろんエドガー・スノーはアメリカ人です。このアメリカ人はフィリピン人を〝首狩族〟と表現し差別意識をむき出しにしている! だいたいフィリピン人の首を狩ったのはアメリカ人の方だというのになんという言い草か!」


(またこいつはアメリカ攻撃か! やはり反米主義者ではないか!)


 が、さすがに〝首狩族〟は『だ』とは言えないリベラルアメリカ人支局長である。


「アメリカ人からしたらフィリピン人同様日本人も虐殺して構わない対象だ、という無意識が行間からにじみ出ている! この本が出版されたのは先ほど言った通り1941年ですが、これは奇しくも日米戦争の始まるその年です。この本は当時のアメリカ人の日本人観がどういうものだったか、現代を生きる我々に可視化して見せてくれている歴史的物証です! 当時のアメリカ人は、日本人もフィリピン人も人間だと思っていないのかもしれない!」天狗騨はオーバーアクションなほどの身振り手振りでその怒りを表現した。


(フィリピンを持ち出したのはこれを言うためだったか! テングダめ!)と奥歯を噛み込むリベラルアメリカ人支局長。

 その言い様、あたかも百手先をも読むプロ棋士の如くだが、しかしこれは完全なる勘違いだった。天狗騨に『韓国と日本』を持ち出し攻撃したら『フィリピンとアメリカ』になって戻ってきただけである。


「さてエドガー・スノー著『アジアの戦争』はこういう価値観に基づき書かれた本ですが、この本の中に、初めて登場したんです! 『30万人虐殺』が!」


「なにイ⁉」

 またもボールウォッチャーのような声を出してしまうリベラルアメリカ人支局長。


「スノーは書いています。『南京市内で4万2千人、南京郊外で30万人の民間人が虐殺された』と。これで〆て合計『34万2千人』の虐殺です」


(またアメリカ発なのか……)リベラルアメリカ人支局長は呆然とする。


「——『南京市内で4万2千人』というのはティンパーリーの種本から出てきた数字でしょう。しかし『南京で4万2千人虐殺される』と場所をハッキリ書いてしまったのは完全なミスですね。なぜなら『南京安全地帯国際委員会』の面々も南京市内にいましたから、本当に万単位で人が殺される事件があったのなら当然気づきますしそれについて日本大使館に抗議もしていたことでしょう。が、そういうことは無かった。だから完全な嘘と言えます。また『南京郊外で30万人の民間人が虐殺された』も根拠はまったく不明です」


「——しかしこんな本でも影響力だけは残る」と天狗騨は続ける。「戦後、1946年から始まる東京裁判において中華民国は初めて『南京における被殺害者確数34万人』と主張しました。この『34万』という30万でも35万でもない中途半端な数字から、この数はスノーの本に根拠があると言っても過言は無いでしょう!」


「そんな訳の解らないアメリカ人が〝一国〟に影響ナド与えるモノカッ!」


「ところがそうとも限りません」


「なぜソウ言えルッ⁉」


「このアメリカ人が毛沢東の親友だからです。『中国の赤い星』というタイトルの本に記憶はありませんか? 毛沢東の英文伝記の執筆者ですよ。これは権威になるんじゃないですかね」


 リベラルアメリカ人支局長はすっかり混乱していた。

 彼は今までの天狗騨の話しがどうであったかを反芻するように思い出す。


(一番最初は2万とアメリカ人が言い、次に同じ人物が今度は別のところで4万と言い、今度はドイツ人が5万から6万と言う一方で中国人は10万と言い始めドイツ人とは意見の違いが鮮明に。三年くらい経つと別のアメリカ人が今度は34万人虐殺と一気に桁を上げてしまう。ここまでが1941年くらいまでの出来事だ。しかも虐殺死体などの証拠が多数残っているであろう事件発生からほど近い時期に日本大使館に対しては『49人が殺人事件で死んでいる』という抗議しかしていなかった……)


(——そして肝心の中国人は、というとアメリカ人が『2万人』と言えばそのように。一時はオリジナル10万人路線を唱えるもアメリカ人が『34万人』と言えば、34万人虐殺に乗り換える……)


 リベラルアメリカ人支局長は心の中で頭を抱えた。


(被害者の筈の中国人よりアメリカ人が先に騒ぎ始める。そしてこの〝数字〟のめまぐるしい変遷。人によって言うことがてんでバラバラ、これらの数字にどれほどの根拠があるのか。しかも時間の経過とともにどんどん増え続けている——)

 リベラルアメリカ人支局長は天狗騨の顔を改めて見る。視線も逸らさず射るような視線を向けてきている。


(テングダがやけに自信満々なのも解る。ここからはどこかフェイクニュースの臭いがする……)


 実はリベラルアメリカ人支局長はそこまで苦悩せずともここぞとばかりに天狗騨に〝意趣返し〟をしてこの追い詰められたような状況を打破することもできた。

 米西戦争から派生した米比戦争。スペインの植民地継承戦争。その戦争のアメリカ軍のフィリピン人虐殺数について、である。この数について値切ることができた。

 天狗騨はいともあっさりと『アメリカ軍が150万人のフィリピン人を虐殺した』と言い切ったのであるが、これには諸説あり20万人から150万人がその犠牲者数の範囲なのである。最大値こそアメリカの方が桁外れの数値になっているが、犠牲者数のてんでバラバラさにかけては『南京大虐殺』といい勝負である。


 しかしリベラルアメリカ人支局長は『ハハハ、それならお前の言ったフィリピン人150万人虐殺もいい加減な数字だな!』とは言えない。それはということしか意味しないからである。アメリカ人と日本人、互いがそれぞれの国がしたと云われている虐殺数の推定値で言い争うなど『正義のアメリカ・正義の連合国史観』の崩壊を招く愚行でしかなかった。

 むしろ天狗騨の執拗な〝米軍慰安婦問題の追及〟から考えるに、そうした〝誤った戦術〟を誘引させようと、天狗騨が故意にやっているとしか思えなかった。


(アメリカは未開の日本を導いた文明国であらねばならない)リベラルアメリカ人支局長はそう考える。これはリベラル系アメリカ人の平均的思考でもある。それがどっこいどっこいの国になってしまっては終わりである。

 リベラルアメリカ人支局長は、彼がこれまでごく自然に漠然と抱いていた〝正義のストーリー〟がこのままでは消えて無くなってしまいかねないという危急切迫圧を凄まじいほどに感じていた。


 正義のストーリー、それはこういうものだ。

 悪逆無道な日本軍が南京にやって来た。残忍な日本軍は無辜の中国の人々を次から次へと虐殺していく。しかし日本のその蛮行を告発する力は中国の人々には無い。世界はそれを知らない。そこに敢然と立ち上がったのが当時南京にいたアメリカ人を始めとする正義の人々。彼らの勇気と活躍によって日本はその恐るべき犯罪を隠蔽し続けることは不可能となった————

 が、実はこの〝正義のストーリー〟は荒唐無稽であり、

 日本軍の南京占領直後からアメリカ人を始めとする南京在住の欧米人達が中国人よりも先に『南京で万単位の大虐殺があった』と、日本人に直接抗議しない形で騒ぎだし、その後に中国人達が便乗する形で『南京大虐殺があった』と言うようになった————

 というのが真実であるという。

 

 ただひとつ、確実にリベラルアメリカ人支局長が〝悟るしかない〟と直感したのは、日本が戦争に負けて、初めて〝隠蔽されてきた大量虐殺〟が明るみに出た、という類いの話しではなさそうだということ。それを証明する物証はその当時出版されていた英語圏の本である。

 『南京大虐殺』は日本軍の南京占領直後から一貫して語られ続けるが(それもアメリカ人が中心)、しかしその当時は国際連盟からすらも相手にされない〝話し〟でしかなく、日本が戦争に敗けて初めてこの〝話し〟が事実に昇格したらしいこと。


 しかしリベラルアメリカ人支局長としてはこんなものをあっさりと認めるわけにはいかない。なにしろアメリカの正義がかかっているのである。なによりも『南京大虐殺』はあった筈であり、筈なんだからこれを否定するのは歴史修正主義者のすることなのである。そういうことになっていた。




 右翼・右派・保守派陣営は、マイナー・ベイツが中華民国政府顧問だったことをもって、『背後にいて宣伝戦を仕掛けてきたのは中華民国・蒋介石』とする。却って中国を攻撃する材料とする傾向が強い。

 が、天狗騨はアメリカ人のしたことだからアメリカ人を攻撃するというド・ストレートな解釈で動く。

(中国人の命令などアメリカ人がきくわけがない)と考えるのだ。(アメリカ人は完全に自分達の意志で動いていたのだ)と。

 ここが天狗騨の天狗騨たる所以である。




 今や天狗騨によって『南京大虐殺』は、アメリカ発の〝日米戦争以前からの排日プロパガンダ〟にされかかっている。しかし(アメリカ人は関わってはいない)とは言えそうもない。

 しかもこのプロパガンダはアメリカ政府のやったことではなくアメリカの民間が率先してやっていた。即ちアメリカの新聞や出版社が関わっているとなればリベラルアメリカ人支局長の心中は穏やかではない。

 今でいうヘイト新聞、ヘイト本をアメリカ人が造っていたことになる。

 これでは絶対に『民主主義の手本・アメリカ』などにはならない。逆にその国民性が疑われる事態である。

 リベラルアメリカ人支局長はなんとかして話しを逸らす方法はないものかと、ひたすらそっちの方向で考え続け、そしてひとつ閃いた。

 それは天狗騨が言ったエドガー・スノーの本の中に書いてあるという一節。



「テングダ、『南京市内で4万2千人、南京郊外で30万人の民間人が虐殺された』と言うノハ、非常に重要な指摘ではナイカ?」


「は?」天狗騨はあからさまに不機嫌な声を出した。

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