第五十八話【昭和天皇は〝A級戦犯〟カ? 答えろテングダ!(だがそれを公言した者は既にいた)】

「昭和天皇はA級戦犯ではありませんね」その天狗騨記者の声にはどこにも遠慮というものが無いようだった。リベラルアメリカ人支局長、この社会部フロアにいる全てのASH新聞社員は誰しも率直にそう感じるほかなかった。


「ハハッ!」どこか見下したような短く乾いた笑いをした後リベラルアメリカ人支局長は口を開く。

「ソウ。昭和天皇がA級戦犯ではないヨウニ、トルーマンもスターリンもA級戦犯ではナイ!」そう天狗騨に言い渡したのだった。




 リベラルアメリカ人支局長には、日本において『昭和天皇には戦争責任がある』などと公言すれば〝たいへんなことになるという事例〟についての知識があった。


 1988年、時の長崎市長が市議会における答弁で『昭和天皇の戦争責任はあると思う』と発言。当然の如く右翼団体が抗議をしてくるが、『撤回は政治的死を意味する』として右翼団体の求める発言の撤回を拒否し続けた。

 その結果、1990年、長崎市役所前で右翼団体幹部の銃撃を受ける。弾は左胸に命中、一命は取り留めたものの瀕死の重傷を負う。全治は一ヶ月。30年以上も昔の事件でありながら、銃社会ではない日本で起こった銃撃事件、それも思想絡みともなれば強烈なインパクトを人に与える。外国人であるリベラルアメリカ人支局長にすらこの事件は知られていた。


 しかしリベラルアメリカ人支局長は、日本においても時代は流れていることに特段の注意も払わなかった。情報のアップデートを怠っていた。30年前と20年前はもはや違う時代だったのである。


 リベラルアメリカ人支局長がまるで切り札のように持ち出してきた問いに応えた者達は既に20年も昔に現れていた。

 『女性国際戦犯法廷』。2000年から2001年にかけて起こったエポックメイキングな〝この事件〟のことなど、彼の頭の中にはまったく無かったのである。


 その『女性国際戦犯法廷』とはいったい何者か?

 『〝慰安婦問題〟を始めとする日本軍による性暴力を裁くことが目的の〝民衆法廷〟である』、と、そう参加者達の口は言っている。

 〝民衆法廷〟とは聞き慣れないことばだが、一種の〝模擬裁判〟と言えば解りやすいだろう。


 さて、その参加者達である。どこから集めたのかこの模擬裁判のために集まった人間達の国籍は、実に多種多様であった。

 韓国人、北朝鮮人、中国人、台湾人、フィリピン人、インドネシア人、日本人、各国の人権団体〝人権七団体〟が国際実行委員会を構成した。そしてアメリカ人、イギリス人などの四人の国際法学者が裁判官となり、アメリカ人、オーストラリア人の首席検事を迎え、被害各国と日本人の法学者が検事団を構成した。

ただこの模擬裁判には検事はいても被告側(日本側)の弁護人がいなかった。


 〝裁判〟は2000年に東京で行われ、結審は1年も後の翌年2001年に。しかも『オランダ・ハーグ』という場所を選んで発表するという凝りようだった。


 その判決を直球で記すとこうなる。

 『昭和天皇は戦争犯罪者だ!』

 いま少し詳述するとこうなる。

 女性国際戦犯法廷参加者達は『レイプと性奴隷制はハーグ条約や奴隷条約など各種条約に違反する〝人道に対する罪〟である』と定義。そして昭和天皇を『レイプと性奴隷制に対して有罪!』としたのである。

 この〝模擬裁判〟のエポックメイキングさはある。その当時は解らなくても時間が積み上がっていくことでできるファクトというものがある。


 『昭和天皇は人道に対する罪を犯した戦争犯罪者だ!』と女性国際戦犯法廷参加者達が公言してから早や20年余り、この間これまで誰一人関係者は右翼に左胸を撃たれてなどいない。

 件の長崎市長が発言の翌々年に撃たれたことを考えるに、これは〝隔世の感〟と言うほかない。

 また、その長崎市長は『昭和天皇には戦争責任が』という極めて遠慮がちな意見表明でも右翼に撃たれてしまったのだが、今や『昭和天皇は人道に対する罪を犯した戦争犯罪者だ!』と公言しても20年間何も起こらない。性犯罪者扱いでも、である。


 このようにリベラルアメリカ人支局長は、ここ日本においても時代は流れていることに特段の注意も払わなかった。情報のアップデートを怠っていた。30年前と20年前はもはや違う時代だったのである。



 ちょっと待て! 右翼が撃つとか撃たぬとかそういう問題じゃない! いったいどういう理屈で昭和天皇が戦争犯罪者になるのか⁉ と思う余人はいるだろう。

 彼ら女性国際戦犯法廷参加者達によるとそれはこうである。


 『部下の違法行為について知っていたか、知るべき立場にあったのに、必要な措置をとらなかった〝指揮命令責任の原則〟があるからだ』という。


 以上のような理屈で彼ら女性国際戦犯法廷参加者達は『昭和天皇はレイプ罪で有罪!』、『昭和天皇は人道に対する罪を犯した戦争犯罪者!』と堂々公言したのであった。



 しかしいくらエポックメイキングな出来事でもこの〝判決〟には問題点がある。それは『知るにあったのに』という部分である。ここには『知っていようが知らなかろうが関係が無い』、という意味がある。『知るにあった』という『べき論』で、その立場にいただけで人を犯罪者にした。

 組織の構成員、中堅・末端問わず誰かが法に反したということになったなら、一気に組織のトップまで犯罪者にできる。どこかの国の秘密警察も真っ青な法解釈だった。


 会社でも組合でもなんでもいいから任意の組織を頭に思い浮かべて考えると解りやすい。

 組織とは大きくなればなるほど末端が何をしているのか、トップには分からないものである。仮にあらゆる報告をトップに上げるよう義務づけようと、膨大で殺人的な量の情報が一人の人間の元へと次々送りつけられるだけ。それら全てに目を通し一人の人間が全てを知るなど到底実行不可能である。まして不法行為をバカ正直に上に報告する人間がどれほどいるものか。しかしトップの人間はなんの報告が無くても『知るべき立場』にあったことをもって犯罪者にされるのである。


 この恐るべき〝法理〟をどんな組織にも適用できるなら独裁者は大歓喜である。政敵・邪魔者を次々この手で楽々粛正することができる。邪魔な大手新聞社やテレビ局各局にこうした〝法理〟を適用したいと密かに熱望する政治家はきっと世界のどこかにいることだろう。適用されたらそのメディア企業はもう最期、報道機関として即死である。



 とは言えこういう法理の法律が実際無いわけではない。『暴力団対策法』がこれに近い。

 『暴力団対策法』の第五章には『指定暴力団の代表者等の損害賠償責任』が定められている。


 第三十一条の二 指定暴力団の代表者等は、当該指定暴力団の指定暴力団員が威力利用資金獲得行為(当該指定暴力団の威力を利用して生計の維持、財産の形成若しくは事業の遂行のための資金を得、又は当該資金を得るために必要な地位を得る行為をいう。以下この条において同じ。)を行うについて他人の生命、身体又は財産を侵害したときは、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。


 『指定暴力団の代表者』とは一般的に言うと暴力団の組長のことである。

 『指定暴力団員』とは一般的に言うと暴力団の組員のことである。


 意訳すれば、暴力団の組員が暴力団の活動資金を獲得するため他者の生命を奪ったり危害を加えたりするなどした場合、生じた被害に対し賠償する責任が暴力団の組長にはある、ということになる。

 この法律では組員の行為を予め知っているかいないかなどは問われない。問われるのは目的である。

 こうした法律の存在が許されているのは暴力団が反社会的組織であることと、法の適用範囲が予め限定されているため他の組織に一切の危険は及ばないからである。



 これを念頭に置き、改めて『女性国際戦犯法廷』の〝判決〟を考えると、浮かび上がってくるのは女性国際戦犯法廷参加者達が日本という国を指定暴力団のように扱っている構図である。

 日本国民はまるで暴力団の組員であり、昭和天皇はまるで暴力団の組長のようである。何しろ的にするのは日本人だけなのだ。


 よって当然天狗騨記者がこの手の問題に寛容であるはずもなかった。実際過去、ASH新聞社内ですっかり黴びついていた『女性国際戦犯法廷』をわざわざ引っ張り出してきて噛み付いたことがあった。

 というのもこの〝模擬裁判〟とASH新聞には深い深い、深い因縁があった。

 過去このASH新聞は『女性国際戦犯法廷を取り上げた公共放送の番組が放送前に与党有力政治家達の圧力で改変された!』、とのキャンペーン報道を大々的に展開したことがあった。

 その原因は、女性国際戦犯法廷参加者達のアピールしたい価値観が番組内容に反映されていないことに参加者達が腹を立てたからだと云われている。

 ちなみにキャンペーン報道の結果、当該政治家達の失脚にこそ失敗したものの特定層に対してのイメージダウンの効果はあったとされている。


 しかし天狗騨記者にとってはそんなことはどうでもいいことである。

 当然彼の持つ論点はただ一つ。


 なぜこの模擬裁判は米軍慰安婦裁判を続けてやらないのか?


 20年前以上のこの事件について天狗騨記者は『本当に女性の人権を考えているのならなぜ連中に「米軍慰安婦問題で模擬裁判をやらないのか?」と、どうして誰もそうした取材をしなかったんですか⁉』と当時のASH新聞社員をやり玉に挙げ容赦なく罵倒しながら暴れ回った。会社の大先輩だろうが微塵もお構いなしだった。

 こうまで真っ正面から正論で堂々斬り込まれると却って誰しも立ち往生するしかない。ASH新聞社内にはその鋭利な問いに答えられる者などいるはずもなかった。

 そして天狗騨はひとしきり暴れ回った後こう断定したものである。『これは模擬裁判のように見せかけた日本人差別である』と。


 社会部長が今天狗騨記者にどこか甘い対応をとっているのはこの時の苦い経験からだった。当時から社内に籍があった者達の顔色は皆蒼ざめていた。

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