第五十五話【法の遡及と毒ガス使用理論】

(別にいいじゃないか、第一次大戦にA級戦犯がいても。『一次』も『二次』もアメリカは敗けてないんだから)


 ASH新聞社会部フロアを戦場として激戦続く〝天狗騨記者VSリベラルアメリカ人支局長〟の言論バトルを聞きつつ、中道キャップはそんなことを考えていた。というのも彼は以前天狗騨記者からこんなことを言われていた。



 『第二次大戦に〝戦犯〟がいる理由、それは多数の国が参加する〝世界大戦型〟の戦争だったからです』と。


 言われたとき中道にはその意味はまるで解らなかった。しかし天狗騨の放った次の言葉で『あぁ、いつもの天狗騨ぶりだな』とは思った。


 『多数で少数をいたぶる、イジメの構造と同じなんですよ!』


 しかし〝世界大戦型〟などと言われても、いまひとつ合点がいかない。中道がその真意を問うと、天狗騨は答えた。


 『例えば第一次大戦では戦勝国各国が敗戦国のドイツに払いきれないほどの天文学的賠償を突きつけました。人間がとってしまう典型的な〝多数VS少数〟の行動です。その結果ナチスドイツが台頭してしまいました。これを反省し「第二次大戦では巨額の〝賠償〟を敗戦国に突きつけるのをやめた」ということになっています。が、人類は本当に進歩したのでしょうか? 第二次大戦においては金銭的要求の代わりに「お前の国は犯罪国家だ」というある種の人格否定が行われたんです。なんのことはない。イジメの質が変容しただけでやっていることは同じです。敗けた者をいたぶるという点で違いがまるで無い。むしろ現実のイジメの如く、より狡猾に陰湿になった。金銭的要求を伴うイジメは明らかに犯罪ですが、「お前の性格はこういうところが悪い。だから仲間に入れて欲しければ自己の悪い部分を認めて改めろ」という言い方をすれば、少なくとも犯罪にはなりません。しかしイジメ対象の全人格を否定し深い精神的ダメージを与えることができる。こういうことです』


 (なるほど)と中道は思わざるを得なかった。(確かに普仏戦争だとか日露戦争だとか一国対一国の戦争には〝戦犯〟はいないし、日清戦争では獲ることができた賠償も日露戦争では獲れなかったしな)



 多数の国が参加する世界大戦型の戦争には戦後処理にイジメ構造が付きまとうという天狗騨の指摘は実にもっともなことだった。だが中道キャップの限界はここまでだった。


 第一次大戦にA級戦犯がいても『一次』も『二次』もアメリカは敗けてないんだから、アメリカには実害は無いだろう、彼はこう考えて、そこで思考が止まってしまう現代の一般的且つ典型的、悲しき日本人だった。

 しかし天狗騨記者はそういう日本人じゃなかった。その天狗騨の発言の真の意図に気がついたのは敵であるリベラルアメリカ人支局長の方だった。



 たった今、リベラルアメリカ人支局長はこんなことを思っている。

(テングダが言った『第一次世界大戦にもA級戦犯はいるだろう』、は二つの意味を持っている。ひとつは東京裁判において遡って法を適用することを肯定してしまっている以上、第一次大戦まで遡らせない理屈が無いこと。そしてもう一つ、最大の問題は……毒ガスを使ったことを持ち出してきたことだ。これは敗けたドイツだけが使ったわけではない——勝った側も使っていた……)


 事実そうであった。誰もが知る歴史上の有名人も毒ガスの被害を受けていた。

 後のナチスドイツ総統アドルフ・ヒトラーは第一次大戦の時一ドイツ軍兵士として参戦していた。ヒトラーは1918年10月、ベルギー・イープルにおいてイギリス軍によるガス爆弾攻撃を受け、〝毒ガス・イペリットガス〟を浴びた。一時その目は失明。しかし、入院・加療の結果回復する。

 もしもこの時この人物が毒ガスが原因で死んでしまったら、あるいは死なないまでも視力が回復せず失明したままだったら、その後の世界はどうなっていたか? というのは歴史のIfである。


 リベラルアメリカ人支局長の内心に不安がとめどもなく湧き上がってくる。

(毒ガスの使用を『人道に対する罪』と定義する以上、戦争の勝敗如何に関わらず使ったこと自体が犯罪だという意味になる……こうした価値観を第二次大戦に応用されたら……)


 つまり或る人間がA級戦犯であるか否かはなにをしたかという行為によって決まるのであり、戦争の勝敗は関係が無い、と天狗騨は言っているのである。

 一方、典型的日本人中道キャップは『A級戦犯は敗戦国にしかいない』という先入観に囚われている。しかし〝天狗〟とも陰口を叩かれる極めて異質な日本人、天狗騨記者は全く違うことを考えていた。その恐るべき意図にリベラルアメリカ人支局長は気がついていた。


(東京裁判で使った〝法の遡及〟を応用し、第一次大戦にまで遡り、毒ガス使用を持ち出した上で、戦争における罪と戦争の勝敗の連動を解除、そして再び第二次大戦に戻ってくる……なんという迂回戦術だ。これは第二次大戦の戦勝国側にもA級戦犯がいるという理屈だぞ!)


 しかしこの意図に気がついてはいても悪人にならずに論破する方法が、リベラルアメリカ人支局長には思いつかない————

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