第五十六話【テングダよ! A級戦犯を非難してミセロ!】

「東京裁判は半分しか終わっていません」天狗騨記者は静かだが、しかし明瞭に言い切った。


(やはり来るべきものが来たのか)リベラルアメリカ人支局長としてはそう思うしかない。

 だがASH新聞社会部フロアにいる中道キャップを始めとする大多数の記者連中の頭の中は未だ『?』である。


 突如リベラルアメリカ人支局長が絶叫するように天狗騨に問うた。まるで次に天狗騨の口から発せられることばを遮るかのように。

「お前は『東條英機』を戦争犯罪者ダト考えてイルカ⁉」と。


「もちろんA級戦犯という名の戦争犯罪者ですね」天狗騨記者が答えた。


「ハハッ! ようやく認めタカ。ならば『東條』がいかに無謀な戦争をシタカ理解していナクテハおかシイ! お前は戦争犯罪者の非難をしてイナイ! 極右ではないト言うつもりナラ、A級戦犯を非難してミセロ!」

 話しを逸らすことでこの窮地を脱しようとのリベラルアメリカ人支局長必死の試みだった。


 しかし天狗騨は一切表情を変えなかった。

「何か勘違いをしているようですが、『東條英機』はA級戦犯の戦争犯罪者として処刑されました。私はその歴史的事実を指摘しただけです」


「じゃあ早く非難をシロ!」


「非難?」


「そうダッ非難ダッ! A級戦犯を非難できないノナラ、それは!」

 リベラルアメリカ人支局長は〝極右〟を繰り返す。もはや〝ネーム・コーリング〟と言われようが構わなくなっていた。『連合国側にもA級戦犯がいるぞ』、という話しを逸らして潰すためにはどんな手段を使ってでも構わないと、そこまで開き直っていた。


 天狗騨記者は察知した。

(さては無限ループ戦術か)

 一度終わった話を蒸し返し、延々議論をループさせることで論破されることを防ぐ、ネット界隈でよく見られる誉められない言論戦術である。天狗騨は〝無限ループ〟へと誘導されている。


 天狗騨は忌々しさを感じながらも『ネーム・コーリング』という語彙を使わない反論法を思考するしかなかった。


 そして天狗騨は口を開いた。

「あなたのような人を〝思想警察〟と言うのです。特定の価値観を正義だとして他者に容赦なく押しつける人間達の中の一人があなただ。新型コロナウイルスの流行以降〝自粛警察〟、〝マスク警察〟など様々な〝警察〟が出没しましたが、あなたのしていることはそれと同じ。自発的な権力の手先なんですよ」


「ジャーナリストに向かっテ〝権力の手先〟とは何ダッ! これは名誉毀損ダッ!」


「連合国は戦争に勝った。その結果権力になったのです。連合国の価値観をそのまま喋っているだけのジャーナリストは権力の手先ではありませんか?」


「連合国は権力ではナイ! 連合国が立ち向かわなかっタラ、ヒトラーという邪悪な権力者が世界を支配してイタ!」


「それは戦争中の話しです。人の話しを聞いているようで聞いていませんね。私は戦後の話しをしているんです。連合国は戦争に勝った結果、権力になっています」


「権力に立ち向かう気骨あるジャーナリスト気取りとは笑わセル!」


「ええ、私は気取ったりはしません。私は現に気骨あるジャーナリストです。気骨が無いのがあなただ。アメリカ人のジャーナリストとはその程度ですか?」なんと、天狗騨記者はここまで言い切った!

 当然の如くリベラルアメリカ人支局長は激高する!

「ふざけるナッ! 連合国が権力を欲しいママにしてイルなどでっち上ゲもたいがいにシロ!」


「それを目に見える形で示しているのが『UN(ユナイテッド・ネーションズ)』ですよ。どういうわけか日本では『国際連合』、通称『国連』などという誤訳がまかり通っていますがね。普通に日本語訳すれば〝連合国〟です。この組織の常任理事国は第二次大戦の戦勝国で占められています。拒否権を持っていて自国に対する非難は絶対にさせない仕組みが造られている。こうした国々は権力とは言いませんか?」


「……」


「あなたはそうした連合国が持つ権力の欠片を付与されたつもりになっている尊大なだけの人間だ。紛うこと無き自発的な権力の手先なんですよ」


「……」


「『UN(ユナイテッド・ネーションズ)』では未だ〝敵国条項〟という差別ルールが存在していて日本がこれに該当する国になっています。これは『安全保障理事会も通さず軍事的制裁をしても構わない国々がある』、ということを認める条項で、明らかな差別条項だ。1971年以前のアメリカにあった種々の黒人差別法にも匹敵する差別ルールが未だ残り続けている。それもこれも連合国である国連常任理事国がこの差別ルールの廃止を認めようとしないからです。こんな横暴ができるのは権力者以外にはありません」


「……」リベラルアメリカ人支局長の沈黙は続く。


「そして特にロシア連邦や中華人民共和国に顕著に見られるように、今、かつての連合国は戦争で得た権力を最大限駆使し、その権力を権威にまで高めようとしている。そうした権威に服従し正義を振りかざして敵を攻撃する営みはさぞ快楽なことでしょうね」


「さてはA級戦犯について語れナイのダナ! ごまかしきれナイから話しを逸らシテいるのダロウ!」

 リベラルアメリカ人支局長は自分の行状を棚に上げ、天狗騨こそが話しを逸らした張本人であると断定した。


(野郎、ふざけやがって!)

 努めて落ち着いて喋り続けてきたさすがの天狗騨にも途方もない憎悪が沸いてくる。


「ならば語ってみせましょう」天狗騨は言った。正に売り言葉に買い言葉である。

 リベラルアメリカ人支局長はニヤニヤと笑みを浮かべ始めた。彼の中では日本のA級戦犯は絶対悪であり、これを擁護するだけで擁護した人間も悪魔化できるという最強のカードだった。


「1938年3月、シベリア鉄道経由でナチスドイツから逃れてきたユダヤ人難民がソビエト・満州国国境のオトポール駅で立ち往生していました。北の大地の3月は酷寒で彼らユダヤ人難民は凍死の危機にありました。この危機を救ったのが満州国駐留日本軍(関東軍)の樋口季一郎少将でした」天狗騨記者が語り始めた。


「ナンダ? そいつがA級戦犯なのカ? 東條ハ?」


(コイツ、誰がA級戦犯なのか解らないで『A級戦犯を非難しろ』と言っているのか?)

 天狗騨はリベラルアメリカ人支局長のもの言いを無視して話しを続けた。


「樋口少将は『南満州鉄道総裁・松岡洋右』にユダヤ人難民移送のための列車の手配を要請。松岡総裁は要請を受諾、ユダヤ人難民を無賃輸送するよう指示しました。その後も無賃輸送は続けられました。しかしここで横槍を入れてくる国があった。他ならぬナチスドイツです——」


「——というのも1938年の前年、1937年には『日独伊防共協定』が結ばれていて『共産主義に対抗する』という名目で緩いながらも日本とドイツは協力関係にありました。おそらく抗議してきた原因はこれでしょう。要は『信頼関係を壊すな』というガイアツです。そのせいで樋口少将は満州国駐留日本軍上層部から事情聴取を受けることとなりました。その聴取担当者が『満州国駐留日本軍参謀長・東條英機』でした。東條参謀長は樋口少将の意見に同意。結果はなんらの処分も無しです。このようにナチスドイツ政府のガイアツが日本にまるで効かないためこの後もユダヤ人難民はシベリア鉄道—南満州鉄道経由でどんどん満州国へと流入し続けることになります」


「トウジョウ……」リベラルアメリカ人支局長の口からことばが漏れる。雲行きが怪しくなって来ているのを悟り始めている。


「ドイツ国外に出たユダヤ人難民の処遇にまで口出しをしてきたナチスドイツ政府がよほどウザかったのか、同年1938年12月、日本政府は或る決断をしました。内閣総理大臣、外務大臣、大蔵大臣、陸軍大臣、海軍大臣が出席する〝五相会議〟において『猶太人(ユダヤ人)対策要綱』を策定し、ユダヤ人を排斥しないことを日本政府の正式な国策として決定したのです。実は『外交官・杉原千畝』の〝命のビザ〟はこの後の出来事なんですね——」


「……」


「——さて、いったい誰がこうした要綱作成を主導したのか? それは陸軍です。先ほど名前が出た樋口少将、その部下である安江仙弘大佐という人物が陸軍大臣に意見具申したところから始まります。『陸軍大臣・板垣征四郎』はこれに共感し五相会議に提案したのです——」


「——ちなみにその後ユダヤ人難民達がどうなったかというと、その行き先は〝上海の共同疎開〟でした。入国ビザ無しで入れた特殊地域だったので難民にとっては滞在しやすい土地だったということでしょう。最終的に命が助かったユダヤ人難民の数はどれほどか? 上海共同疎開の日本の担当する警備地区の中だけでも最大で三万人ものユダヤ人がいたということです」


「——ところで、私はいくつか人名を出しましたが、このうち『東條英機』、『板垣征四郎』は東京裁判でA級戦犯として処刑されました。『松岡洋右』は戦犯容疑をかけられ東京裁判への出廷命令を受け拘置所に収監されました。が、病没。獄死です。この人物は外務大臣を務めたこともある政治家で〝日独伊三国同盟〟の推進者であり実際外務大臣在任中に同盟を結んでもいます。まあ満州国承認を巡って開かれた国際連盟臨時総会の場における大討議の末の〝国際連盟脱退演説〟の方で有名かもしれません。病気で死ななかったらきっとA級戦犯が確定していたことでしょう。さて——」と天狗騨は間をとる。


「あなたは『A級戦犯を非難できないのなら、それは極右だ!』と言いました。ではさっそく見本を見せてみて下さい」


「ぐッ!」詰まるリベラルアメリカ人支局長。


「できないようですね。あなたは極右ですか?」


「キッ、汚いゾッ! お前は非難しないノカ?」


「しませんよ」あっさり天狗騨記者が言い切った。その内心はこうである。

(こっちがするなと言っているのに堂々『ネーム・コーリング』しやがって)、である。


 開き直りには開き直りを。やられたらやり返す。教科書的な同害同復の実践だった。


「ユダヤ人難民のために尽力した人々を戦争犯罪者として扱い処刑までするとは。連合国はナチスの親戚ですね」天狗騨記者はグサリと言い渡した。


 リベラルアメリカ人支局長はもはや開き直ることもできなくなっていた。

 開き直ると正真正銘のナチスになるからである。そしてアメリカ社会ではユダヤ人を差別したら文字通り最期、社会の上流にはいられない。

 正にアメリカ人の弱点にクリティカルヒットを加えた天狗騨である。


 だがそうであってもその腸は未だ煮えくりかえっていた。己の議論の拙さに。


(『東京裁判は半分しか終わっていません』などともったいつけた喋りをするから隙を生み、つけ込まれたのだ。連合国のA級戦犯の具体的名前をとっとと出すべきだった)

 むろんその名は既にその頭の中にある。

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