第五十四話【第一次世界大戦のA級戦犯は誰です?】

 天狗騨記者の口が動き出した。

「新たに法を造り遡って裁くことが正しいと定義する以上、第一次大戦に戦犯がいないのはおかしな話しです。彼らが無謀な戦争を始めなければ大勢の人々は死ななくても済んだ。これには一次も二次も違いがありません。あれほど人が死んで戦犯がいないというのはあり得ない。故に私は確実に第一次大戦にもA級戦犯がいると考えます。あなたは第一次大戦のA級戦犯は誰だと考えますか?」


 訊かれたリベラルアメリカ人支局長の頭は真っ白になった。

(ここで第一次世界大戦————)




 第一次世界大戦の基本構図は『三国協商(英・仏・露)VS三国同盟(独・墺・伊)』で、メインプレイヤーはヨーロッパの白人である。1914年開戦。基本的に戦勝国は三国協商側、イギリス・フランス側である。

 〝基本的に〟、と敢えて断ったのは以下のようなめんどくさい事情があるからである。即ち、始まったもう次の年、1915年にはイタリアが〝三国同盟〟側から離脱、〝三国協商〟側に寝返っていたり、途中からアメリカや日本が〝三国協商〟側に立って参戦して来たり、逆に戦争中の1917年にはロシア革命でロシア帝国が崩壊し戦争から離脱してしまうなど同盟の枠組みは混沌。当初〝三国協商〟だったものが最終的に〝連合国〟という呼称になっている。戦争終結は1918年。敗戦国はドイツ・オーストリア側であった。




 ————リベラルアメリカ人支局長の頭の中が真っ白になるのも無理はない。彼にとってはなど想像の埒外だったのだ。いや、誰であれそうだろう。


(しかし——これは理屈の上で矛盾が無い……)リベラルアメリカ人支局長を戦慄が襲う。

(『一次も二次も違いがない』……テングダは確かに言った。そして法を遡及させた結果第一次大戦にA級戦犯がいると主張する以上はそれより後の時代である第二次大戦にもA級戦犯がいるという道理になる……)



 『現在の価値観で過去を裁く』。〝東京裁判の価値観〟と言っても過言ではないこの価値観を天狗騨は確かに否定していなかった。

 よりにもよってその価値観をさらに遡って第一次世界大戦にも使ってきたのだ。正に天狗騨である。


 東京裁判否定論者ならこの問いを切り返すのは実に容易いことである。

 〝法の不遡及〟を持ち出した上で『第一次世界大戦当時そういう罪は存在しない』と言って全部否定すればいいだけ、実に単純な反論で終わる。

 しかし東京裁判肯定論者の場合、この手は使えない。単純に法の不遡及を持ち出せば自分の口で〝東京裁判という価値観〟を破壊することになる。



 リベラルアメリカ人支局長は必死の形相となり考え続ける————



 要は新たに造った法を、第二次世界大戦前には遡らせないもっともらしい理屈をひねり出せばいいのである。

 しかしリベラルアメリカ人支局長は思いつかなかった。これは別に彼が無能だからではない。誰であれ思いつかない。

 強引に『法の遡及は日本が関与した戦争までだ! それ以前の戦争に遡及させることは許されない!』と言おうと思えば言える。

 だがこれは悪手中の悪手である。


 『それは日本人だけを犯罪者に仕立て上げる行為です』という〝手〟を相手に打たれたら最後、東京裁判肯定論者=人種差別主義者であることが、論理的に証明されるオチとなる。完全に人間失格である。もはや東京裁判を肯定することは絶対的タブーとさえなる。そして天狗騨なら確実にその手を打ってくるとリベラルアメリカ人支局長には予測できた。

 もはやこれは将棋やチェスでどのように指そうと必ず王手、チェックメイトをかけられ続けるという詰みの状態に限りなく近くなってきていた。



(だめだ、普遍性を思いつかない……)

 リベラルアメリカ人支局長は棋士さながらの長考状態に陥っている。


 こうした〝間〟を天狗騨がみすみす見逃すはずもない。これは将棋やチェスではないので〝交互に打つ〟というルールは存在しない。


「日本人だけを裁くために都合の良い年代までしか遡らないとしたら東京裁判は正に人種差別裁判です。あなたは人種差別主義者ではないと信じています。ならば第一次大戦にもA級戦犯がいると言わねばなりません」天狗騨は言った。


(やはりそう来たか)予測通りの手をうたれてもリベラルアメリカ人支局長は答えられない。苦しそうな表情をしたままだ。天狗騨の攻勢が続く。

「——もし現代の価値観を第一次大戦に当てはめず遡及させず『第一次大戦にはA級戦犯はいない』ということにする人間がいたなら結局『白人は白人を裁きたくないのだ』ということになります。黄色人種を裁くための人種差別裁判には何らの正当性もありません」とさらにそう言い渡した。

 これにリベラルアメリカ人支局長はつい反射的に反応してしまった!

「ナチス構成員はドイツ人、白人ダ! 白人だって裁かれてイル!」

 しかし天狗騨は言った。

「ならいっそう第一次大戦のA級戦犯を裁くことに問題が無いですね」

(うっ、うぬっ!)

 ナチスを持ち出せばなんとかなるというアメリカ人の悪癖だった。


「——第一次大戦では毒ガスが初めて戦争で使われました。その犠牲者の数は計り知れません。正に毒ガス使用は『人道に対する罪』です。この残虐な兵器を使った国の指導者はA級戦犯であるとしか言いようがありません。法を遡及させるべきでしょう。あなたは毒ガス使用者はA級戦犯だとは考えませんか?」

 天狗騨のことばを聞いたその瞬間、リベラルアメリカ人支局長は〝ハッ〟とした。

(それだけじゃない! これは〝二重のトラップ〟になっているぞ!)


「——毒ガスを使った国の指導者は誰であれ人道に対する罪を犯したA級戦犯です。判断の基準はむろん毒ガスを使ったか使わないか、これ以外にはありません」立て続けに天狗騨は言った。


(やはりそう来たか!)とリベラルアメリカ人支局長。


 二重のトラップ——リベラルアメリカ人支局長は天狗騨のことばの中の重大な何かに気がついていた。

 天狗騨記者は不穏な笑みを浮かべている。

(これは勘違いじゃない、解っていてやっているぞ!)

 対立するアメリカ人と日本人の間の奇妙な以心伝心————

 リベラルアメリカ人支局長は初めて天狗騨という目の前の日本人に恐怖を感じた。


(このままではアメリカ合衆国の第二次大戦観は終わる——)



 天狗騨記者が口を開いた。


「私は日本人の欠点は相手をおもんぱかりすぎて〝なんとなく〟で済ませてしまうところにあると考えます。他人が何を考えているか、人の考えは口に出して言わなければ伝わりません。だから私は言います」


 どうやら天狗騨はリベラルアメリカ人支局長に対し、〝日本人的情け〟でナアナアで済ませるつもりは毛頭無いようだった。

 恐るべきは忖度不能の人間である。


 『忖度は悪!』

 ASH新聞のキャンペーン報道はとんでもない怪物を既に生み落としていた。

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