第十章 誕生、『A級戦犯』、戦後日本・全ての価値観、始まりの特異点、〝東京裁判〟

第五十三話【テングダは東京裁判を否定できないハズダ! byリベラルアメリカ人支局長】

「テングダ、ずいぶんト言いたい放題に言ってイルガ、第二次大戦ではまるでアメリカが悪で日本が正義ダト言わんばかりではナイカ」リベラルアメリカ人支局長はまだ粘るつもりだった。まだまだ、まだその闘志は衰えてはいなかった。


(いったいいつまで続けるつもりか)とさすがの天狗騨もさすがに疲労の色が濃くなってくる。が、この人物が理不尽な攻撃を受けて従順に温和しくしていられるはずもない。


(理不尽な攻撃を受けているにも関わらず従順に温和しく隠忍屈従する。そうした態度が〝イジメても大丈夫な奴〟という認識を相手に与え、イジメを誘因する元になる——)常々天狗騨記者はこう考える。これは彼の確信である。


 天狗騨も、元よりこうした抵抗が〝誰にでもできる〟とは思ってはいない。が、天狗騨は周囲に日常的にこうした価値観を語ってしまっている。そんな天狗騨が逃げ出したらどうなるか? 口先だけで実践を伴わない人間は最低である。そう思われるのが関の山。

(他人に偉そうなことを言った以上は、まず自分がそれをやって見せる必要がある)のだと天狗騨は自身を厳しく追い込んでいる。

 同じ日本人相手、例えば左沢政治部長にはイキがれるが、アメリカ人相手には借りてきたネコになり何も言えなくなるなど論外も論外。

 それは日本人相手には死刑廃止を居丈高に要求できるのにイスラム圏の人間には何一つ言えなくなる〝死刑廃止論者〟のようなものであった。


(まず自らが実践できることを他人に見せなければ説得力がゼロとなる)天狗騨は改めて自己を奮い立たせる。



「私は『日本が正義だ!』とはひと言も言っていませんよ」天狗騨記者が言った。


「ああ、確かに暴論を吐いているヨウデ実に細心の注意を払っテイル。しかし戦前の日本を一切非難せず、アメリカ合衆国を始めとスル連合国の非難を繰り返スばかりではナイカ。これでは話しを聞いている者からシタラ『日本が正義だ!』、と言っているヨウニシカ聞こエナイ!」リベラルアメリカ人支局長は言った。


「実にタチの悪い言論ですね。要するにあなたの受けた印象が〝基準〟ですか」天狗騨も負けてはいない。しかし〝悪口雑言の応酬〟の直前のような不毛さが漂う。


「ごまかスナッ! お前は〝東京裁判〟を肯定するノカ? 否定するノカ? その答えにヨッテ〝首相の靖國参拝〟に対する答えが決マル! お前は『現代の価値観で過去を裁くこと』を肯定シタ! それを公言した以上は東京裁判を否定するのはおかしいノダ!」リベラルアメリカ人支局長としては完璧なチェックメイトをかけたつもりだった。




 〝極東国際軍事裁判〟、通称東京裁判。二次大戦における〝日本の戦争犯罪人の処罰〟を目的とし、連合国により東京で行われた。

 オーストラリアのウェッブを裁判長とする11ヶ国11名の裁判官と、アメリカのキーナンを首席とする検事団の下、日米戦争開戦時の首相東條英機をはじめ28名がA級戦犯として起訴された。

 1946年5月3日審理開始。

 罪状は『通常の戦争犯罪』の他、『平和に対する罪』および『人道に対する罪』というものだった。

 1948年11月12日に判決が確定。絞首刑7名、無期禁錮16名、有期禁錮2名の判決が下された(死亡・精神異常による免訴3名)。

 刑執行の罪状は『平和に対する罪』。〝被告〟達を『人道に対する罪』で裁くことはできなかった。

 しかしこの『平和に対する罪』および『人道に対する罪』には問題があった。

 これらは日米戦争開戦時の1941年12月8日時点で存在しない〝罪〟だったのである。これが後々まで尾を引く原因になる。



 右派・保守派的、伝統的〝東京裁判否定論〟というものがある。

 東京裁判に裁判官の立場で関わった唯一の国際法の専門家パール判事。(ちなみにインド人である)この人物の言ったことをそのまま口にするだけで完璧な東京裁判否定論になるのである。


 法学の基本中の基本、それが〝法の不遡及〟である。要は新たに造った法律で過去の行状を犯罪だとして処罰をしてはならないということ。後から造った法律を遡って過去の案件に適用してはならないという大原則である。東京裁判は裁判の形式を採りながらこの法学の基本中の基本が決定的に欠けていた。

 故にパール判事が東京裁判について公に示した意見は『被告人全員無罪』であった。


 ちなみに、日本においてはどういうわけか司法試験をパスした法律家である筈の弁護士達の中に東京裁判を肯定する者が多い。

(法学の基本を忘れているのならもう一度司法試験を受けさせた方がいいのではないか)と天狗騨は思っていた。こんなところも天狗騨が弁護士達を侮蔑する原因になっている。




(そうだ!)とまたここでひとつリベラルアメリカ人支局長に閃きが来た。


「日本の良心的な新聞は『日本自身が裁いたとしても東條元首相は間違いなく有罪だったろう』と言ってイル!」

 リベラルアメリカ人支局長がここで口にした〝良心的な新聞〟とはASH新聞のことではない。ASH新聞のライバル紙YMU新聞だった。これはASH新聞記者天狗騨に対する露骨な当てつけだった。さらに滑らかにリベラルアメリカ人支局長の口が動く。

「——東京都知事も勤めたことのある右派の有力政治家デサエ、『東京裁判の不正ばかりをあげつらってもしょうがない。問題は負ける戦争をした責任者を日本人自ら裁かなかったことだ』と言ってイル」

 〝右翼ですらまともなことを言っているのだ〟、とリベラルアメリカ人支局長はさらにプレッシャーをかけた。アメリカ人にとっては『右翼』とはまともでない者の代名詞みたいなもので、それよりもお前は異常なのか? と云っているのである。


 しかし結果的にリベラルアメリカ人支局長はつまらないことを言ったことになった。軽く躓いたのだ。


 今度は天狗騨が口を開く。

「そういうろくでもない者の〝言〟を引き出してくる意味はなんです?」


「ホウ、右翼みたいなお前も〝ロクデモナイ〟ということばを口にスルカ? それは同族嫌悪という奴カナ?」


「負ける戦争をしたことで裁く対象になるのなら、勝てる戦争はして良いってことじゃあないですか。最初から勝てると解っている相手となら戦争をやっていいってのはなんです? 紛うこと無く弱小国相手の砲艦外交ですよ! これって完全なる〝弱い者イジメ〟じゃないですか! このようなイジメ肯定理論を私が支持するとそう思ってるんですかーっ!」天狗騨記者は大音声でリベラルアメリカ人支局長を怒鳴りつけた。


(ぐっ!)リベラルアメリカ人支局長はやり込められた。(日本人右翼の言うことなど持ち出さねば良かった)と思ったが既に遅い。

(しかしこれは致命的失点ではない)そう思い直し彼は心の体制を立て直す。



 とは言え『A級戦犯には負ける戦争をした責任がある』は、日本では割とポピュラーな、割とよく聞く主張であり、右派の政治家特有の言論というわけでもない。

 この手の主張に対する簡潔な反論は『責任者は犯罪者(A級戦犯というくらいだから犯罪者である)という意味ではないだろう』になるのだが、『負ける戦争をした責任論』を『勝てる相手なら戦争をして良い』という〝弱い者イジメ肯定論〟に昇華(?)してしまうあたり天狗騨記者の面目躍如である。



「とにかくA級戦犯には責任があるノダ! A級戦犯が無謀な戦争を始めなけレバ死ななくて済んダ命がドレホドあったコトカ!」

 ここだけ聞けば非常に真っ当そうなことをリベラルアメリカ人支局長は口にした。

 常人なら反論はしにくく、立ち往生間違いなし。天狗騨はこれにどう応ずるのか?


 しかし天狗騨記者は異次元の男なのである。

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