第四十話【撤去する銅像と設置する銅像】
(一刻も早く体勢を立て直さないと——!)その内心は焦る。
天狗騨記者という日本人の予想外の攻撃に遭い、リベラルアメリカ人支局長は今非常に分が悪い。
『極右の排外主義の歴史修正主義者』をやっつけるために、良心のある、高い道徳性を持ったアメリカ人ジャーナリストが参上したはずであった。少なくとも本人は固くそう信じていた。
それがいきなりフェイクニュースをまき散らす新聞社に籍を置き、且つナチスの宣伝方法をそのまま使う邪悪な人間だと断定されてしまった。これらに反論の隙も見当たらない。
そんな状況下において国立追悼施設に絡む天狗騨追求を強引に始めても『なぜお前のような差別主義者にそんな立派なことが言えるのだ?』ということにされかねない。
(というかこいつなら絶対にする!)リベラルアメリカ人支局長は天狗騨をそう断定した。
(今すべきことはなんだ?)彼は考える。
(まず道徳的優位がこちらにあることを解らせねばな!)
『道徳的優位』とはここ日本においては一般的にあまり馴染みのない思考パターンである。〝道徳〟といってもそれは『被害者ポジション』ともまた違う。だが少しでもアメリカ人を知っている日本人ならば(それはアメリカ絡みの報道に触れる程度のレベルでも充分である)「ああ、あるよね」と、大半の人間に思い当たることだろう。
二字熟語ひとつで表現するならそれは『教化』である。
『日本はアメリカとの戦争に負けた結果、アメリカの価値観を受け入れ、そのおかげで今日の発展がある!』
表現の濃淡の差こそあれ、こういうことをアメリカ人が言っていることは事実である。
実際、かつてあの首相がアメリカ合衆国下院において演説をしたとき、「民主主義はアメリカがもたらしてくれた」と言ったところ非常に大きな拍手が議場全体に沸き起こったものである。
こうした『遅れた日本人を教化し導いたのがアメリカ人である』という価値観を持つアメリカ人は決して珍しくない。特にアメリカ社会においては社会的地位が高い者ほどこうした傾向が強い。
日本が世界第2位の経済大国になり、現在世界第3位になってはいるが、ここまで発展したことは奇妙な事にアメリカ人のアイデンティティーになっている節さえある。
むろん日本人の側からすれば『それは少し……』と違和感を持つことだろう。しかし日本人的特性からか、その違和感をアメリカ人にも解るように表現する者は希である。特に日本社会においては社会的地位が高い者ほどこうした傾向が強い。
かくして『日本の発展はアメリカの教化のおかげである』という〝ひとつの説〟はアメリカ社会において益々強固に信じ込まれるようになり、現に日本はアメリカの官民から『日本人はアメリカのやり方を学びアメリカ流の改革を実行しなければならない』と、さらなる教化を受け入れるよう要求され続けている。
『グローバル・スタンダード』ということばに聞き覚えがあるだろう。この〝美名〟の元にアメリカ合衆国から〝構造改革〟が要求され続け、そしてその教化を延々受け入れ続けた結果出来上がったのがこの現代日本社会である。
この社会にどういう評価を下すか、同じ日本人でも立場によって人それぞれだろう。
だがひとつだけ確実に言えることがある。それは〝一億総中流社会〟はかつての日本の姿となった、ということである。どのような思想や価値観を持っていても、今そこにある〝格差〟を『無い』と言ってのけられる人間はいないことだろう。
そして格差があるが故にあらゆる物事の判断や評価が『同じ日本人でも立場によって人それぞれ』となる。いや、なるべくしてなる。既にこの社会は分断している。社会の表層は平穏に見えていても現在危うい均衡の上に立っているのである。
とまれ、こうした『遅れた者を教化する』という思考はキリスト教伝道に関しての『未開の民に神の福音を与えた』という価値観と実に相似形である。あるいは根は同じなのかもしれない。
さて、リベラルアメリカ人支局長である。彼はアメリカ人なので実にナチュラルに『遅れた日本はアメリカの教化で発展した』と信じ込んでいる。
『遅れた者を教化する』、この価値観について彼に深い思索は無く、〝当然の摂理〟と思っているだけである。その価値観は身体に染み込んでいる。アメリカは日本より道徳的優位に立っているはずだという前提は無意識レベルでは少しも揺らいでいないのである。
そこでリベラルアメリカ人支局長がまず目を付け選んだのが『先住民族』だった。
「日本人ハ先住民族デあるアイヌ民族の土地ヲ奪い侵略しタ! ダガ日本政府ノ彼ら先住民族に対スル施策は遅レタものダ!」リベラルアメリカ人支局長は言った。
(また謎の上から目線か)天狗騨記者は思った。
「それ——」まで天狗騨が言いかけたところでリベラルアメリカ人支局長が言い放った。
「ダマレ、今は私が話してイル!」
(ただの日本人も日本の先住民族だろうが)最初っから突っ込みどころ満載だったがやむを得ず天狗騨記者は引き下がる。
「特に問題なのハ、一般の日本人に対する教育、『先住民族迫害ノ歴史』について学ぶ機会が無いコトダ!」
今度は間髪入れず天狗騨が割り込んだ。
「まるでアメリカの一般人は違うと言わんばかりですね?」
「なにガ〝わんばかり〟ダッ! 事実違うのダ!」
「どう違うんです?」
「現にアメリカでは先住民の権利向上を求メル市民社会の声が高まってイル! アメリカ大陸に到達した探検家コロンブスを先住民の虐殺者とスル見方すら拡大してイルのガ現代のアメリカだ! 罪を罪トシテ認めようともしない日本トハ雲泥の差なのダッ!」
現代においてさえアメリカは日本より道徳的優位であると、リベラルアメリカ人支局長はどうだと言わんばかりの最大限のドヤ顔で天狗騨を見下した。
しかし天狗騨はあっけにとられたような顔をして、しかし喋り出した。
「コロンブスとは……現代に置き換えると生まれた場所からしてイタリア人ではないですか? アメリカ人がイタリア人に対し『虐殺者だ!』と言い放つのがそれほど立派ですか?」
ドヤ顔のままリベラルアメリカ人支局長が固まった。
「——それにです、コロンブスは少数の人間を率いてアメリカ大陸の縁に到着しただけでしょう? 実際先住民を虐殺したのはイギリスからの移民、イギリス人じゃないですか! もしかしてあなたのご先祖はイギリス人ですか? イギリス移民の働いた悪事をイタリア人に押しつけ虐殺者の汚名を着せるなど完全なるヘイトスピーチです。これはイタリア大使館に取材を求めなければならない案件です。あなたには直ちに謝罪を求めます!」
あっという間に天狗騨記者が正義になった。さらに天狗騨が追い打ちをかけた。
「そして北米大陸における先住民族の虐殺者はイギリスからの移民だと、今この場で表明すべきです!」
リベラルアメリカ人支局長は激高した。
「カリフォルニア州サンフランシスコ市では市庁舎付近に長きに渡ッテ設置されテいた『先住民が踏みつけラレタ十九世紀の銅像』を撤去シタ! 先住民の虐待ハ許さナイという意志の現れダ! 日本人にこれホド道徳的な振る舞いが出来るノカ!」
(https://www.sankei.com/photo/daily/news/180915/dly1809150006-n1.html参照)
「は?」天狗騨記者は何を言われているか意味が解らなかった。「ちょっと検索します待っていて下さい」と言ってスマホを取り出し画像検索をかけていた。(何かを聞き間違えたのか?)とすら思った。ほどなくして件の銅像と思しき画像に天狗騨は行き着いた。
天狗騨はスマホの画面をリベラルアメリカ人支局長に向け「これですか?」と訊いた。
「そうダ!」リベラルアメリカ人支局長は威風堂々と答えた。
天狗騨が行き着いた『サンフランシスコ市市庁舎近くの銅像』とはカウボーイとカトリック伝道者が先住民を踏み付けている場面を表現した銅像だった————
「この像は撤去するのに慰安婦像だけは建てるのがアメリカのカリフォルニア州ですか?」天狗騨は訊いた。
言われて初めて事の重大性に気づいたリベラルアメリカ人支局長だった。天狗騨が喋る!
「なぜカリフォルニア州が慰安婦像を建てているかといえば『日本の悪事を記憶に留めるため』でしょう? 言っていましたよね? 『忘れないためだ』と。となれば銅像撤去には逆の意味しかない。つまり銅像撤去には『記憶を消すため』という意味しかありません。アメリカ人とキリスト教が先住民を迫害した歴史を記憶から消す行為をあなたは立派だと言いました」
「違ウっ!」
「しかし一部の日本人が慰安婦像の撤去を求めたらカリフォルニア州は拒否しました。それどころか激高です。ならばカウボーイというある種アメリカ人の象徴とキリスト教という宗教が先住民族を迫害したことを示す銅像も撤去すべきではない! この像を撤去するという行為は悪事と表現するのが妥当ですっ!」
「違ウっ! 違ウっ!」
「いいえ。日本人を悪玉にするための銅像は建てる一方、カウボーイとキリスト教の伝道者が先住民を踏み付けている銅像は撤去するとは、これは到底許せるものではありません!」
天狗騨は勢いに乗っている。
「——つまりアメリカでは地方自治体がアメリカ人の罪を消した上で公然と日本人差別をしている! カリフォルニア州サンフランシスコ市と言えば強引に公用地内に慰安婦像を建て、大阪市から姉妹都市解消の通告を受けていましたよね? あなたはどう考えますか? あなたは差別解消のための記事を書くつもりはないのですか?」
「キサマっ! さてハこの期に便乗シテ、少女像を撤去しようト企んダナ!」
『少女像』とは『慰安婦像』のことである。
迂闊なことにこのリベラルアメリカ人支局長は同じ建物の中にいながら天狗騨記者が日常的に『韓国人米軍慰安婦のハルモニの証言もあります! 慰安婦問題でアメリカを叩いて政府を謝罪に追い込みましょう!』と上層部に圧力をかけて騒ぎを起こしているなどとんと知らなかったのである。
「いいえ」天狗騨記者はにたりと笑った。
「日本軍慰安婦像の隣に米軍慰安婦像を建てましょう。そう、カリフォルニアの全ての慰安婦像の隣に」と言ってのけた。
この後リベラルアメリカ人支局長は天狗騨記者の米軍慰安婦問題の追及の前に防戦一方となった。本日二度目、左沢政治部長に延々主張したのと同じ事を————
かくしてリベラルアメリカ人支局長は日本人(天狗騨記者)に対しての道徳的優位を回復するどころか、さらに四段もの格落ちとなった。
フェイクニュースで一人のアメリカ人相撲取りを追い込み、
負のイメージを持つ名詞を攻撃対象に貼り付け攻撃するというナチスと同じ宣伝方法を使い、
ただアメリカ大陸にたどり着いただけのイタリア人にアメリカ大陸先住民族虐殺の罪を着せ、
アメリカ人とキリスト教がアメリカ大陸先住民族を迫害した歴史を現した像を撤去し、
一方で日本人を糾弾するだけの慰安婦像だけは建て、
米軍慰安婦像は建てない。韓国人米軍慰安婦のハルモニ達の悲惨な証言があるのに米軍慰安婦問題で謝ろうともしない————
これがアメリカだということになった。かなり最低の国ということになった。
が、この戦果は天狗騨記者のディベート能力と言うよりはリベラルアメリカ人支局長の完全な自爆だった。
独善的な考えに取り憑かれると人間は簡単に大失敗をやらかすものである。しかし大失敗ではあってもこれは破滅的失敗とは言えなかった。彼はギリギリのラインでとどまっていたのだ。
『日本軍慰安婦の証言をした韓国人慰安婦は正直者だが米軍慰安婦の証言をした韓国人慰安婦は嘘つきだ。日本軍慰安婦は性奴隷だが米軍慰安婦はただの売春婦だ!』
リベラルアメリカ人支局長は危うくこう言い放ちたい衝動に突き動かされそうになったが、それをなんとか耐え切った。なにせ同一人物が日本軍の慰安婦でもありアメリカ軍の慰安婦でもあったケースがある。『韓国人は正直者だったが後に嘘つきになった』とはあまりに韓国人女性を侮辱する主張である。それを言っていたら最期、リベラルアメリカ人支局長は差別主義者であることが確定し直ちに人間失格となっていただろう。
ためにかなりのストレスが彼の心に掛かっていた。その結果復讐心だけが鉄火の如く燃えさかる。
(アメリカが日本を教化してやったのだ)という次の〝実例〟、いや、彼にとっては〝実弾〟は既に用意できていた。
(まずはジャブからだ——)
天狗騨記者を言論の拳で殴り殺す気満々である。
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