第三十九話【『ネーム・コーリング』というナチスの手法】
「私としては不満ですが三十年前のフェイクニュースの責任をあなたに問うのも酷というものです。ちょうど相撲の話しをしていました。これにちなみ、あなたの土俵に乗るとしましょう」天狗騨記者は言った。
天狗騨記者は圧倒的優勢状態から突如『引く』と言い出したのだ。
(それでいいのか? 天狗騨)中道キャップは思った。(現段階では明らかにあの支局長を押している。その支局長は『国立追悼施設』の件で踏み込んできた。それは取りも直さず『歴史認識』に繋がる問題だ。そうした土俵にこっち側から踏み込んで大丈夫なのか?)
「ホウ、それはケッコウなことダ」リベラルアメリカ人支局長はまるで恩に着る様子も無くそう口にした。だがすぐさま天狗騨が言葉を繋いだ。
「しかし私としては不毛な罵り合いだけは避けたいところです。結局それは相手に対する憎悪を生むだけですからね」
「ツマリあなたハ正しき主張をスル者を憎ムというコトか?」リベラルアメリカ人支局長は早くも戦闘モードに入ったようだった。
「つまりあなたは『正しい主張をする者』だということですね?」
「当然ダ」リベラルアメリカ人支局長は尊大さを隠そうともせずに言い切った。
しかしどういうわけか天狗騨記者はニヤリと笑った。その笑みに左沢は気づいた。(余裕があるのか?)そう、今の彼にはもはや興奮は無い。(またよからぬ思いつきをしたのでは?)彼は不安に纏わり付かれている。
「ならばさっそく間違いを改めて下さい」天狗騨は言った。
「ナンダトっ!」リベラルアメリカ人支局長はあっという間に我を失った。彼は(日本人はアメリカ人が非難したらすぐに己の非を認め言うとおりにするべきだ)、と心底固く信じていた。彼にとっては日本人が自分達の価値観を否定し反抗してくるなど到底許せなかったのである。
しかし天狗騨記者は目の前に激高した様子のアメリカ人がいても極めて平静だった。
「あなたはここに来るなり私のことを指し『極右の新聞記者』『排外主義』『歴史修正主義者』と断定しました。これは『ネーム・コーリング』という手法で、まともなジャーナリズムならば絶対に使わない禁じ手です」天狗騨は言った。
リベラルアメリカ人支局長には『極右の新聞記者』『排外主義』『歴史修正主義者』と言った自覚はあった。
確かに、
『ココに世界中が歓迎する日本の新たな戦没者追悼施設を潰し『ウォー・シュライン』を延命させようとする極右の新聞記者がいると聞いた』
そして、
「なるホド排外主義ガ日本人記者ノ価値化というワケか!」
またさらに、
『私ハ相撲トリの話シをしに来タんじゃナイ! 歴史修正主義者の歴史観と対決しに来たのダッ!』と、言っていたからである。ほとんど無自覚に口にしていた。
天狗騨に言われリベラルアメリカ人支局長が激しく反応する!
「全て事実ヲ指摘シタだけダ! お前ハ事実ヲ指摘されルト逆ギレするノカっ⁉」
天狗騨の言った『まともなジャーナリズムならば絶対に使わない』で完全にキレた。『おまえはまともなジャーナリズムではない』と言われたも同然だったからである。
「私はジャーナリズムの担い手たる者は『ネーム・コーリング』という手法を使ってはならない、と言っているだけです。だが残念なことにアメリカンジャーナリズムは『ネーム・コーリング』を平然と使い、しかも使用を正当化した」
「違ウっ! 我々は民主主義ダっ!」
「そうでしょうか? そのおかしな返事はなんです? そもそもあなたは『ネーム・コーリング』が何かを知っているのですか? 知らないのであればそうした激高もある意味当然です」天狗騨記者が挑発した。
『お前が怒るのは無知だからだろう?』と、暗に問う天狗騨記者の挑戦的誘い水だった。
(これに答えると墓穴を掘るのではないか?)嫌な予感がリベラルアメリカ人支局長を襲っていた。
ジャーナリストは一般的に攻撃側に立ったとき即ち質問側に立ったときは強いが、防御側に立ったとき即ち回答を求められる場に立つと弱い。
(感情的に何かを言えばそのひと言が致命的になるかもしれない)それを自覚しているリベラルアメリカ人支局長はどう答えたらいいのか、これは罠ではないのかと、考えが瞬時にまとまらない。その迷いの隙間を天狗騨が逃すはずもない。天狗騨記者の方からその回答を切り出した。
「『ネーム・コーリング』とは攻撃対象にネガティブなイメージのあることばを貼り付け、イコールで結ぶ攻撃手法です。あなたは私に『極右の新聞記者』『排外主義』『歴史修正主義者』といったことばを貼り付けてイコールで結びました。正に『ネーム・コーリング』です」
「結んだガ、それの何ガ悪イ? それハそうそう事実カラ外れて無いシ、私は正しいコトをシタノダ!」リベラルアメリカ人支局長が反撃した。実のところ彼は自分で悪いことをしたという自覚は微塵も無かったのである。
「ではあなたが間違った事をしたという実例を今この場で示しましょう」
この不気味な天狗騨のことばにさすがのリベラルアメリカ人支局長ももう何かを切り返せない。社会部フロア全体に緊張が走る。
天狗騨が背広の内ポケットから四つ折りにしたしわしわのA5ほどの紙を取り出した。手帳の間、ポケットの中、いたるところに『武器』を仕込ませてある天狗騨である。
天狗騨記者は朗々と朗読を開始した。
「大衆は数百年の年月の経過の中でかれらと知り合いになり、かれらがただ存在するだけでもすでにペストと同じくらい危険であることを感じ取る」
さらに天狗騨が続ける。
「だがかれらの自己繁殖は、すべての寄生虫に典型的な現象であり、かれらはつねに自己の人種のために新しい母体を探している」
まださらに天狗騨が続ける。
「かれらは典型的な寄生虫であり続ける。つまり悪性なバチルスと同じように、好ましい母体が引き寄せられさえすればますます広がっていく寄生動物なのである。そしてかれの生存の影響もまた寄生動物のそれと似ている。かれらが現れるところでは、遅かれ早かれ母体民族は死滅するのだ」
!っっ 最後の一文でリベラルアメリカ人支局長は気づいた。
「お前ッ、『母体民族』とはどういう意味ダッ!」
「気づきましたか」天狗騨記者は紙片を折りたたみながら言った。
「お前は自分ガ何を言ったカ、解っテいるンだろうナっ?」
「解っています。これが『ネーム・コーリング』の実例です。この場にはあなたと違ってまだ理解していなさそうな顔をしている人もいるようです」そう言って天狗騨記者は周囲を見渡した。左沢政治部長も社会部デスクも呆けたような顔をしている。
改めて天狗騨が口を開いた。
「出典は『わが闘争』、著者はアドルフ・ヒトラーその人です」そう言ってのけた。
「コレは驚いた! とんだスクープ記事に遭遇シタもんダ。ASH新聞の記者の中にナチスの信奉者がいたトハっ!」リベラルアメリカ人支局長が興奮したように言った!
「今のひと言であなたが『ネーム・コーリング』を知らない無知のジャーナリストだということが解りましたよ」
「強がりを言うナ、もう遅い!」
不毛なる悪口雑言の応酬になりかかっていることを察知した天狗騨記者は敢えて目の前のリベラルアメリカ人支局長を無視して喋り始める。
「あのヒトラーが言うことです。今私が読み上げた引用箇所における〝かれら〟とは、もちろん〝ユダヤ人〟を指しています。その〝かれら〟をヒトラーは『ペスト』『寄生虫』『悪性なバチルス』『寄生動物』だと断定している。つまり、攻撃対象にネガティブなイメージのあることばを貼り付け、イコールで結ぶ攻撃手法を用いている」
「……」
リベラルアメリカ人支局長は遂に詰まった。激高や悪態で返すことすらできなくなった。
「あなたはナチスの宣伝方法を使いました。まさか尊敬する人物がゲッベルスというわけでもないでしょう?」ここぞとばかりにリベラルアメリカ人支局長に天狗騨が追い打ちをかけた。
ゲッベルスとはもちろん卓越した政治宣伝(プロパガンダ)や扇動によって世論を自在に操った悪名高きナチスドイツ宣伝相『ヨーゼフ・ゲッベルス』のことである。
「まさかとは思いますがユダヤ人に対する『ネーム・コーリング』は悪だが、日本人に対する『ネーム・コーリング』はいくらでもしていいと、そういう価値観を持ってはいないでしょうね? 自分達の価値観で決めた特定民族相手になら何をしても構わないというのはそれこそナチスの思想です!」
天狗騨記者はとどめを刺した上にさらにとどめを刺しその上さらにとどめを刺した。
アメリカンジャーナリズムの対日本人用の戦術はとっくに天狗騨記者に分析されていたのだった。
『お前は極右だ!』『お前は排外主義者だ!』『お前は歴史修正主義者だ!』とまず大声で糾弾し、次に『違うというのなら説明をしてみろ!』と迫り、言われるままに説明をすると今度は『そんな見苦しい言い訳が通じるか!』とさらに攻撃をエスカレートさせる。そして自分達の価値観を受け入れるまで攻撃を続ける。
これまで見たこともない戦術に遭遇したとき、誰であれどういうシチュエーションであれ、人は非常に驚愕し狼狽し相手の戦術にまんまと嵌まる。
だがあらかじめ〝こういう戦術で来る〟と解っていれば対処は可能である。
攻撃の起点である『お前は極右だ!』『お前は排外主義者だ!』『お前は歴史修正主義者だ!』を潰してしまえばその後にアメリカンジャーナリズムが望む展開に持ち込むことは不可能である。そして起点を潰すのは比較的簡単だったのだ。
なぜならばそれらは『ユダヤ人はペストだ!』『ユダヤ人は寄生虫だ!』『ユダヤ人は悪性なバチルスだ!』『ユダヤ人は寄生動物だ!』と同じ構造だからだった。違うのは〝固有名詞・名詞〟だけである。
そして最後に『自分達の価値観で決めた特定民族相手になら何をしても構わないというのはそれこそナチスの思想です!』と言ってとどめを刺したのだった。
こうしてあらゆる民族差別を許さないのが天狗騨記者となり、日本人相手ならなにをやっても構わないとする価値観を持っているのがリベラルアメリカ人支局長という、『善VS悪』の構図に持ち込み、正に大逆転。
天狗騨はさながら弱小クラブを率い、強豪を徹底的に分析・研究しジャイアントキリングに喜びを見いだす戦術マニアなプロサッカー監督のようであった。
一方でこれほどの日本人のギャラリーがいる中、これほどにまで恥をかかされ、もはやリベラルアメリカ人支局長の方も帰るに帰れない。
しかし彼の優位は既に失われている。アメリカンジャーナリズムがこれまで報道的勝利(攻撃対象の屈服)を重ねてきた従来の戦術が全く無効になってしまうという、次元の違う戦いに突入していたからである。
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