第三十八話【リベラルアメリカ新聞VS小錦関】

 左沢政治部長の『じゃあやって見せてもらおうか』発言で瞬時にその意を汲んだASH新聞社会部デスクは間髪容れず伝令に奔っていた。

 事の伝達相手であるそのリベラルアメリカ人支局長が社会部フロアに姿を現すや、左沢政治部長はこれで天狗騨記者に対する意趣返しが成ったと形勢逆転を確信し内心小躍りしていた。



 左沢は思った。

(日本における死刑廃止を心より願う弁護士のセンセイ方、天狗騨は卑劣にもイスラムに通報しセンセイ方に大いなるダメージを与えました。その恨みを晴らす時が来ました。今私がヤツの行動をそっくりそのまま倍返ししています。ヤツの歪んだ思想をアメリカ人の世界的新聞に通報しました。今からヤツの記者生命の死が見られます)左沢は自身が思い浮かべる心の中のことばにすら陶酔していた。


(日本人は内側では勇ましいことを言っていてもアメリカ人が激高し攻撃してきたら平謝りになるに決まっている! リベラルアメリカ人支局長の鋭い詰問に必死になって言い訳をする髭モジャ顔の天狗騨。その無様な姿! その天狗騨の答えに納得しないリベラルアメリカ人支局長がさらに鋭い言論の刃を天狗騨に突き刺すはずだ——)



 だがその〝当て〟はさっそく外れていた。リベラルアメリカ人支局長が天狗騨記者に鋭い詰問をするよりも前に天狗騨記者が当該支局長が勤める新聞社のことを、事もあろうに『フェイク・ニュース』と断定したのだった。支局長のみならず左沢もただただあっけに取られていた。


 左沢政治部長は散々天狗騨記者のアメリカ合衆国に対しての舌鋒鋭い攻撃を聞いてきたのに、彼の中では『アメリカ人には直接言えまい』という、典型的な正常性バイアスが働いていた。彼は中道キャップの言った天狗騨評、『人間じゃありません。妖怪みたいなもんです』を完全に失念していた。




「ユー・アー・フェイクニュース」

 こう面前で言われたリベラルアメリカ人支局長の顔は血管が浮き上がりみるみる真っ赤になっていく。

「お前はの支持者カッ⁉」発した第二声はこうなってしまった。ここへ来た時に見せた余裕は消え失せリベラルアメリカ人支局長は沸騰していた!

 むろん天狗騨記者はそうした質問にまともに答えずもう要件を切り出していた。

「証人が証言しているんですよ。2019年12月、スポーツNPにこういうコラムが載りましてね」そう言って天狗騨はしわしわに折りたたまれた新聞記事のカラーコピーを手帳の間から取り出し示していた。スポーツNPとはMIN新聞系列のスポーツ紙である。

「なんだソレは⁉」声を荒げるリベラルアメリカ人支局長!

「貴紙が過去フェイクニュースを書いたという証言記事ですよ」天狗騨記者は言った。

 その記事には『事実無根の人種差別発言』との橙色の活字が踊っていた。




 天狗騨記者は日本人に対する時のアメリカンジャーナリズムの性質を喝破していた。「ユー・アー・フェイクニュース」は計算され尽くした末の言動だったのである。


(『日本人がアメリカ人に糾弾された場合、それに対し日本人が一生懸命にアメリカ人に説明をすると却ってアメリカ人は激高する』、こうした性質がある事にもはや疑問の余地が無い)、天狗騨はそう結論していたのだった。


 洋の東西を問わず報道企業には〝糾弾癖〟というものがある。

 『説明』。それは糾弾された側が必ず行う対応である。たいていの場合それの意味するところは『それは誤解です。実はかくかくしかじかなのです』ということになる。

 しかし糾弾側からすると『俺の言うことを聞かず姑息な言い訳をしている!』ということになるのだ。

 日本のジャーナリズムもしばしば『説明』に対し『説明不足!』という表現で応ずるが、これは典型的な〝攻撃常套句〟である。『お前の説明には納得しない!』という感情がこの語彙の中に籠もっている。


 もちろん洋の東西を問わずであるからアメリカについても例外とはならない。特にこうした感情を持ちやすいのが日本人を相手にしたときのアメリカンジャーナリズムなのである。


 天狗騨記者は(ジャーナリズムとは真実を求めるのがそのあるべき姿で、気にくわない相手を『報道』という手段を使って屈服させるが如き行為は、ジャーナリズムの存在そのものの意義を根本から脅かす凶行である)とさえ考えていた。


(ジャーナリズムには常に整合性が求められ、感情は常に論理に裏付けられなければならない)、これは天狗騨の信念であった。天狗騨からしたらアメリカンジャーナリズムの日本人に対した時の行為は実に許し難いものだったのだ。

 実際2007年、アメリカ合衆国下院で慰安婦対日非難決議(下院121号決議)が今正に採択されるかといった頃、アメリカンジャーナリズムのこうした性質があからさまなほどに具現した。日本側が何を説明しようと激高で返してきたのがアメリカンジャーナリズムだったのである。

 ちなみにそうしたアメリカンジャーナリズムの〝報道〟に便乗し『慰安婦問題で世界から日本が孤立する!』と扇情的に〝報道〟したのがジャパニーズジャーナリズムだった。目的はもちろん政敵潰し。そしてその代表格、中心にいたのが天狗騨記者が所属するASH新聞社なのである。この日米の報道企業達が米軍慰安婦問題を日本軍慰安婦問題と同等に糾弾することはこれまで起こっていない。

 天狗騨はこれがどうにも我慢ならなかった。イスラム世界には要求できない死刑廃止論と同じだった。(これは日本人に対する差別に他ならない)とそう断じたのである。

 天狗騨は(必ずやいつか米軍慰安婦問題でこのASH新聞を糾弾の尖兵にしてやろう)と固く心に誓っていた。

(アメリカンジャーナリズムは正義ではない)日米両慰安婦問題の取り扱われ方の落差が天狗騨にこれを確信させていた。



 天狗騨記者にとってはこんなところ(社会部フロア)にアメリカ人が殴り込んでくるとは正直まったくの想定外だったが、瞬時に体勢を整え直し考えをまとめ上げた。対抗策とはこうである。

(対抗するに当たりこの際避けるべきはアメリカ人だけを糾弾ポジションに立たせないこと。『正義のポジション』を独り占めさせないことだ。特に『英語で説明しろ!』とアメリカ人に言わせないことだ)


 ただでさえ自らの正義を狂信的に信じているアメリカ人に対する説明は無駄なのである。説明とは理解を求めるためにするものであるが、最初から『絶対に理解しない! 俺こそが正義だ!』という思考を持つ者に説明は無力である。その上使い慣れない英語で説明をさせられる羽目になれば必敗は確実であった。むろん天狗騨記者も英会話など慣れないものである。

 もっとも、大学入試改革など昨今日本で盛んな『話す英語教育』について、『英語圏を始めとする外国人とケンカするための武装』という認識は日本人のほぼ誰も持っておらず、当該試験の推進者の側も専ら〝ビジネスと友好〟という視点しかないので、日本の場合会話する能力があったとしてもその効果は極めて限定的なのかもしれない。


(どうせアメリカ人など、必要ならアラビア語だろうとロシア語だろうと中国語だろうとドイツ語だろうと日本語だろうと盗聴して翻訳するのだ。なら日本語でケンカをふっかけてやればいい)

 アメリカの報道企業とCIAをごちゃまぜにしたような天狗騨の価値観だったが、英語で発信されていない日本語限定の発信でも、どこからかアメリカンジャーナリズムが嗅ぎつけてくることについては、それは紛う事なき事実であった。

 『日本の政治家がナチスを引き合いに出した』だとか『図書館の〝アンネの日記〟が破られた』だとか『〝ガス室は無かった〟と書いてしまった雑誌』だとか、日本語に対する反応能力自体はアメリカ人にもあるということは既にいくつもの事例で証明されている。


(要するにアメリカ人も日本語を解すしかなくなるだろう)天狗騨はそう思った。

 そのためには(先制攻撃しかない)と天狗騨記者は結論を弾き出したのだ。



 天狗騨記者が口を開いた。

「この証言記事の中身です。ちなみに執筆者は小錦氏本人です」天狗騨は新聞の切り抜きをひらひらさせながら語り始めた。「——かつて小錦関という相撲取りがいました。来日時ハワイ出身のアメリカ人でしたからあなたも知っているかもしれません。最高位は大関、つまりナンバー2です。1992年、その小錦関の〝発言〟が貴紙(リベラルアメリカ紙)に掲載されました。〝『横綱になれないのは人種差別が理由だ。ボクが日本人だったら横綱になっているだろう』と発言した〟と、このように載りました。それを日本の経済紙NK新聞が引用し報道した結果、猛烈な小錦バッシングが日本で起こりました。しかしです、貴紙に掲載された『小錦発言』そのものを、小錦氏本人が『言っていない』と証言しているんです! これがこの記事の意味です」


 リベラルアメリカ人支局長の激高ぶりが未だ不変であることはその赤い顔色が証明していたが、彼は何も言えなくなっていた。それを見切った上で天狗騨記者が続きを語り出した。


「——このスポーツNPには小錦氏本人が執筆した証言がこうあります。『いつ、どこで? ボクは取材を受けたことはないし、そんなことを話した覚えもない』と。言ってもいない発言が貴紙(リベラルアメリカ紙)に掲載されあたかも事実であるかのように海を渡った。あなたはこれについてどういう価値観をお持ちか? 一ジャーナリストとしてお答え頂きたい!」


「なるホド排外主義ガ日本人記者ノ価値化というワケか!」リベラルアメリカ人支局長は不思議なことを言い出した。不幸なことにこのアメリカ人は日本語を解することができたのである。正に天狗騨記者の目論見通りだった。


「『なるほど』と言いたいのはこっちです。日本人が外国人を非難したら〝排外主義者〟と来るんですね。じゃああなたの懸念に応え、日本人による日本人非難を披露しましょう。まず、日本の経済紙NK新聞は新聞として失格です。外国の新聞のフェイクニュースをそのまま輸入して記事にするなど論外も論外。外国の新聞に対する盲信ぶりここに極まれりです。まして小錦関は日本にいる人物なのですから裏を取るのは簡単だったはず。裏を取るというのは記者としてイロハのイだというのにこんなこともできていない!」


 リベラルアメリカ人支局長は『外国の新聞のフェイクニュース』『外国の新聞に対する盲信ぶり』といった天狗騨の挑発をむろん察知していたが、(ここは何かを言わない方が良い)という彼の直感がかろうじて暴発を押しとどめていた。そうした中さらに天狗騨の口は滑らかに動き続けている。


「——もうひとつ行きましょう。当時の日本相撲協会理事長は『言った言わないではなく小錦の態度が悪い』などと放言したということです。言ってもいないことを言ったことにされてしまった事の重大性が理解できない残念な頭をお持ちのようです。到底許せるものではありません!」天狗騨記者は話しを区切った。「——私は日本人非難をやりました。しかも同業者の非難もしてみせました。ではさっそくアメリカ人によるアメリカの新聞の非難を披露して頂けますか?」


「おーい、天狗騨君、君もうちょっと遠慮を——」と気持ち悪い猫なで声を出したのは左沢政治部長だった。実につまらない横槍であった。この左沢こそがこのアメリカ人をこの場所に呼んだ張本人である。彼はこの状況に冷や汗が滝のように流れている最中であった。


「左沢さん、私はこの人物の回答をまだ聞いていません」天狗騨記者は抑揚のない声で答えた。


(天狗騨め、衆人環視の中でアメリカ人に自分の会社のをやらせようというのか! この左翼め!)左沢は焦った。非常に焦っていた。が、そんな左沢を尻目に天狗騨記者はさらに追撃をかけ始めた。


「小錦関によりますとどうやら貴紙(リベラルアメリカ紙)がインタビューしたのはハワイ出身で英語を話せる別の力士で、小錦関に成りすまし貴紙のインタビューに答えたと、そう証言しています。なぜこんなあり得ない間違いが起こるのかと言えば要するにこれは電話インタビューで本人を確認していなかった。喋っている相手が誰かも満足に確認できなかったのが貴紙のレベルだということです。これについてジャーナリストなら何か言うべき事があるんじゃあないでしょうか?」


 リベラルアメリカ人支局長はなおも何も言わない。何も言えない。故に天狗騨がまだまだ口を開く。


「貴国の大統領が貴紙(リベラルアメリカ紙)のことをフェイクニュースと言いましたが、どうやらこれは真実を指摘しただけだったと、そういうことがこの証言記事から言えるんですがね」


「……」


 さらにその上に天狗騨記者が無慈悲に追い打ちをかけた。


「1992年といえば日米貿易摩擦の頃です。日本人を〝閉鎖的な人種差別主義者〟ということにしても構わない、むしろそうした方が都合が良い、いやもう一歩エスカレートしてそうに違いない、という空気が当時のアメリカ社会にあったからじゃないですか? そうした空気の物証が、当時の貴紙(リベラルアメリカ紙)掲載の『人種差別発言』記事ではないのですか? これは今なおアメリカ社会に蔓延する人種差別問題に通じるものがある。それについて心中になんらの存念も無いんですか?」


 リベラルアメリカ人支局長はなお黙り続けたまま。なにしろ三十年近く前の相撲取りの記事で責められるとは彼にとって完全な想定外だった。正に奇襲攻撃といってよかった。彼の中では日本人とは、攻撃すれば必死になって見苦しい説明をするだけのイージーな相手に過ぎなかった。そうした相手が一気にカウンター攻撃を仕掛けてくるなどあり得ない展開だったのだ。これを軍事で例えるならなんらの防御策を考慮せず死地へ突撃していったようなものだった。

 一方天狗騨記者の方は方で(新聞記事ってのは切り抜いておくモンだ)と思っていた。こうまで相手を沈黙させられるとは、ここまで効果絶大だとは思わなかったのである。



「オオ〜、ソーリー、ソーリー! オイお前も言わんか!」

 左沢政治部長がリベラルアメリカ人支局長に謝りながら社会部デスクにもこの列に加わるよう要求するという器用な行動に打って出ていた。

「すみません。失礼なことを申し上げて。後で天狗騨にはよっく言っておきますんで」とやはり愛想笑いを浮かべながら社会部デスクも左沢政治部長に続いていた。


 しかしその不自然な二つの笑顔を見てリベラルアメリカ人支局長が遂に爆発した。


「私ハ相撲トリの話シをしに来タんじゃナイ! 歴史修正主義者の歴史観と対決しに来たのダッ!」と吠えた。


 天狗騨記者はさりげなく壁に掛かる時計を見上げた。

(まだ帰らないつもりなのか)率直にそう思った。

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