第三十六話【今度はあの新設獣医学部の問題】

 なんと、天狗騨記者はまだ無慈悲に追撃をかけていた。


「もう一つの首相失脚のための『新設獣医学部に関してのキャンペーン報道』もまたお粗末でした。こちらの方は記事の中に具体的金額という数字すら出てこない正真正銘のイメージ記事でしかなかった」天狗騨記者は断言した。


「お前はKK学園獣医学部の件でも我がASH新聞を攻撃するのかっ⁉」左沢政治部長には単純な反発をすることしかできなくなっていた。


「これは贈収賄事件ですか? 金銭のやり取りの結果KK学園の獣医学部が国から認可されたのですか?」


「いや……金銭までは……」


「金銭の授受が無いならばスキャンダル記事としてすら最初から成り立っていません」


「ぬっ!」


「さらに言うなら新設の獣医学部の設立という政策すらも間違っていなかった。獣医学部の立地は東日本に偏っていて西日本には少ない。その西日本に獣医学部を新設するというのは合理的だったということです。KK学園獣医学部が実際設立された現在となっては志願倍率が全てを証明しています」


「しかし京都のKTS大学だって獣医学部を設立しようとしていた! これが弾かれたのは学校経営者が首相と友だちじゃなかったからだ!」


「今『京都のKTS大学が獣医学部を設立しようとしていた』と言いましたが、この大学は新設獣医学部を京都府に造ろうとしていました」


「京都の大学なんだから当たり前だろう!」


「しかしKK学園の本拠地は岡山県です。実際に獣医学部が設立されたのはどこの県でしたか? 岡山県じゃありません。しかも瀬戸大橋で岡山県と繋がっている向かい側の香川県でさえない。愛媛県なんです。当然新幹線で通学することも不可能です。もし岡山に新設獣医学部ができるというのなら政府から『優遇された』という理屈も成り立たないことはありませんが、しかしながら設立されたのは愛媛県です。敢えて、と言いますが敢えて四国のこの場所に造っている。一方で京都のKTS大学の方はあくまで本拠地の京都府にこだわった。KK学園が『優遇された』という主張は無理があるとしか言いようがありません」


「KK学園の理事はの古くからのお友達だ! 優遇されたに決まってるんだ!」


「『友だち』が絶対的切り札になると思っている時点で記者失格です。それはあなたの印象でしかない。確かつい先ほど、私の『個人的な思い込み』を根拠としたもの言いに異議を唱えられていたはずでしたが」


「くっ」

(天狗騨め! また人を罠に嵌めたな!)


「あまりにも感情が表情に表れすぎていますね。あなたのようにを憎悪している人間にはそうした『友だちだから』という主張は効くでしょうが、広く一般人を納得させるには押しが弱いと言うほかありません」


「納得している人は多いんだ!」


「それで納得できるとしたら納得する者の方に問題がある」


「聞き捨てならんっ!」


「では今一度問いますがKK学園理事が新設獣医学部設立のために政府の然るべき部署に賄賂を送ったとか、に直接賄賂を送っただとか、そうした『事実』は掴みましたか?」


「……」左沢政治部長は沈黙してしまった。


「不正の証拠が見当たらないのに、『アイツと友だちだからアイツ悪いこと絶対やってるぜ』というのはイジメ側の論理です。私はこうした価値観を持つ人間を許しません」天狗騨記者は言い切った。



「天狗騨……日本人相手にはずいぶんとイキがいいな?」

 左沢政治部長が妙なことを口走り始めた。


「どういうことです?」


「お前は死刑反対派の弁護士達を事もあろうにイスラムと対決させようとしていた。小汚い奴め。お前が外国人相手に日本人と同じようにものが言えるかと訊いているんだ!」


「言えますよ」天狗騨記者は言った。


 左沢政治部長は無言でニヤリと嗤う。


 天狗騨記者ここへ来てようやく気づいた。

 改めて感覚を研ぎ澄まし自身の全周に注意を払えばなんとも寒々とした空気がここにはあると思わざるを得なかった。ASH新聞が社運を賭け仕掛けた失脚工作『二つの学校シリーズ』を完膚無きまでに否定し去ったことは周囲を全て敵にしてしまったことを意味していた。


 天狗騨記者は目の前にいる左沢政治部長を上から下、下から上へと観察した。帰る素振りがどこにもなく天狗騨を睨みつけ未だ足に根が生えたかのように仁王立ちしている。

 天狗騨はここに来てようやく自分の置かれた状況を理解しつつあった。今まで言いたい放題言いまくる興奮に心と身体が支配されていたがこれはもしかして——


「じゃあやって見せてもらおうか」左沢政治部長は言った。


(もしかして、俺を家に帰さないという、そういう趣旨か?)


 新聞社というのはその企業の性質からして誰も社屋の中にいなくなるということは無い。したがって守衛が『そろそろ退社して下さい』と苦情を持ち込んできてはくれないのである。


 左沢の顔を改めてまじまじと見てみればどうもそれで間違いが無いような気がする。チラと壁の時計に目をくれると十九時より少し前である。


(そうか。今イジメを受けているのはこの俺か)


(これだけの熱弁を奮ってもこの場の空気には熱が、共感という感じが無い)

 多くの視線を天狗騨は感じるは感じていたが、それは『冷ややか』や『冷笑的』すらをも通り越していた。今や天狗騨は憎悪の的になっていた。


(外国人にこの俺を攻撃させ、ピエロか見世物のようにするつもりらしい)

 ここで帰ろうものならまるで逃げたかのようになる。おそらくその姿を見て後ろから嘲笑を浴びせるのだろうと天狗騨は思った。


(これは妄想じゃなさそうだな……)


 そして天狗騨記者は察していた。


(このASH新聞東京本社の建物の中に常時外国人はいる。ソイツとこの俺を対決させようとしているらしい……)

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