第六章 敢えての地雷踏み 天狗騨記者『あの学校シリーズ』へと突っ込む

第三十五話【かの学校法人への国有地払い下げ問題】

「オイ天狗騨! キサマ今とんでもないことを口走っただろう⁉」左沢政治部長の顔が鬼のようになっていた。


「近畿財務局の官僚の話しですか?」天狗騨記者が特段普通の調子で応じた。


「今お前は自殺した人間を愚弄した! 公文書の書き変えを強要され自死に追い込まれた人間を『死んだ者は弱かった』と、そう言ったな!」


「左沢さん、まるで『正義の代弁者』ですね」天狗騨は言った。


「そうだ。正義の代弁者だっ! だがお前は『政府の代弁者』だ! ASH新聞社員の風上にも置けんっ!」


「あなたこそ他人の自死を自らの主張を正当化するための材料に使っているだけです、と、そう言ったつもりだったんですが」


「この政府の犬め! 今すぐ辞表を書けっ!」


「まるで『政府は悪、我々ASH新聞を始めとするマスコミが正義だ』と言わんばかりですね」


「おう、そうだとも! 我々こそが正義だ!」


「それこそが自殺者を利用する唾棄すべき行為です。そもそもこの『国有地払い下げ問題』には一番最初、報道の出発点からして問題があった。我々は胸張って『正義の旗』を掲げられないんですよ」


「お前の言ったことは我々ASH新聞に問題があるという意味だぞ! 撤回するなら今のうちだ。お前が謝れば許すことを考えんでもない」


「他人を誘導するつもりでしたら『許す』と言うべきでした」


「なんだと? ジャあなにか? 政府にまるで責任が無いというのか! お前はっ!」


「首相には責任がありますよ」


「フン、当然だ! さすがのお前も保身に走ったか!」


「『私や妻が関係していたなら、総理も議員も辞める』、一時の激情に支配され言わずもがなの事を口走ってしまった軽率さがに無ければ、こうした自殺者を出すことも無かったでしょう」


「なんだそれは⁉ 違う! まったく違う! 総理大臣と懇意にしていた人物に国有地が格安で払い下げられた! それに対する責任だろうがっ! そしてそれを隠蔽するために公文書まで改ざんさせた! その結果自殺者まで出した! そう考えられない時点でお前は失格者だ!」


「『格安』、ですか。久々に聞きましたねそのフレーズを。近頃紙面では『大幅値引き』とばかり言っていますからね」


「『格安』も『大幅値引き』も同じだろうが!」


「さて、我々は言葉のプロです。『格安』も『大幅値引き』も同じと言うのはそれは言葉のプロとしてどうでしょう? 私には読者を騙す巧妙な偽装としか感じません」


「なんだとォ!」


 しかし天狗騨記者は左沢がどんな反応を見せようと平然と喋り続けている。


「なにせ『格安』という言葉には『物の値打ちの割に値段の安いこと』という意味があります。しかし『大幅値引き』の方には『安い』という意味しかありません。例えば賞味期限切れギリギリの商品のことを俗に『おつとめ品』と言ったりしますが、これは値段は安いです。安いのには理由があって、決して『物の値打ちの割に値段が安い』わけではない」


「天狗騨、お前は社運を賭けたスクープ記事を否定するってのか?」


「真実に則しておらず結果自らの首を絞めるような記事を〝スクープ〟とは言いません」


「お前に何が解る⁉ 公文書改ざんが起こったのだ!」


「原点に帰りましょう。公文書改ざんはあくまで副次的事件です」


「原点だと?」


「原点は『国有地格安払い下げ疑惑』でしょう。ところが本当に格安だったのかどうかそこが問題なんです。『大幅値引き』と言い換えているってこと自体おかしいじゃないですか。後ろ暗いところがあるから言葉を入れ替えたのでは?」


「じゃあお前がこの問題をどれほど理解しているか、我々の前で説明してもらおうじゃないか!」左沢政治部長が啖呵を切ってみせた。


 だが天狗騨はそう言われて困る様子も無くあっさりと左沢の期待に応え、説明を始めた。


「2017年2月のことです。我がASH新聞にひとつの記事が載りました。大阪府TN市にある国有地およそ8770平方メートルが学校法人MT学園に払い下げられました。問題はその価格です。売却額はほぼ同じ規模の近隣国有地の10分の1。払い下げ価格は1億3400万円です。ちなみにその近隣国有地は面積9492平方メートル、大阪府TN市に払い下げられ国からの払い下げ価格は14億2300万円でした。記事中には当然この価格差の理由についての考察がありました。学校法人の経営者KG氏と首相夫人が知己であったところから内閣総理大臣が特別な便宜を与えたのでは? という疑惑が提起されていました」


「その通りだ。これは絶対に許せない問題だ」左沢は言った。


「この記事のキーワードは『10分の1の値段』です。ここが崩れてしまったのならこの記事の説得力は全くありません。そしてこの記事の発表直後から正にこの点について疑問点が突きつけられていました。確か先鞭をつけたのは大阪の地域政党所属の国会議員でしたか」


 左沢政治部長はただ天狗騨を睨みつけている。彼の中には嫌な予感が膨らみつつあった。天狗騨が何を言わんとしているのか彼の中には大いに心当たりがあったのである。だが口が裂けてもこちらからそれには触れてはならないと、そう固く心に決めていた。


「確かに帳簿上国はこの土地を大阪府TN市に14億2300万円で売却しています。その土地は今『ND中央公園』となっているわけですが、この土地取得に関連し、TN市には国から『住宅市街地総合整備事業補助金』およそ7億1000万円、『地域活性化公共投資臨時交付金』およそ6億9000万円が支払われています。合計はおよそ14億円。これだけのお金が戻ってきたというわけです。取得価格が14億2300万円、戻ってきたお金が14億円、引き算すれば2300万円。計算上これだけのお金で9492平方メートルの国有地を取得できたことになります。するとおかしなことになる。件の学校法人の経営者KG氏が土地を取得するためにかけた額が1億3400万円。面積も8770平方メートルですから比べると若干狭い。なのにより多くのお金を国に支払っている。これでは格安どころか逆に割高価格で国が民間人に国有地を払い下げたことになります」


 (やはりか!)左沢は思った。『ND中央公園』という音声を聞いた瞬間に彼は思っていた。今やそれはASH新聞にとって触れてはならぬ忌々しい公園の名となっていた。ASH新聞社内においてはこの公園に絡む種々の国庫からの補助金の話しなど最初から無かったことになっているのだった。


 左沢政治部長はどう言えば天狗騨を切り返せるかを必死に考え続けていた。だが短く上手くまとめられない。基本新聞記者は文字を書く人で喋る人ではないのである。

 また天狗騨が何かを喋ろうとしている。(止めねば!)


「待て天狗騨!」なにかを考える前にもう左沢は喋り出してしまっていた。「——国が公園整備のための費用を補助するのは当たり前ではないか。災害時の避難場所にも公園はなる! 住宅地市街地の整備上必須ではないか! また公園は緑地でもある。これをどう活用するかは正に地域の活性化の問題だろう!」


 言い終わった後、左沢政治部長は思った。(自分で自分を誉めてあげたい)、と。

 しかし天狗騨は無情だった。


「当該地に建つのは小学校です。マンションじゃあありません。小学校の方も災害時の避難場所になります。グラウンドもあるんですから。また私立の小学校が建つということはその地区に『文教地区』のイメージを造るという意味にもなる。当該地域が『文教地区』となったならそれは地域のイメージ向上、ひいては活性化にも繋がります。違いませんか?」


 左沢政治部長の『補助金は正当だ攻撃』は敢えなく撃沈した。だが左沢は直ちに次の天狗騨攻撃に移る!


「お前はTN市が不正を働いたというのか⁉」


「いいえ」


「しらばっくれるな! お前の言わんとしていることはそうだ!」


「不正を働いた者があるとすれば国でしょう。国有地を自治体に売るときと個人に売るときでは事実上価格を違えているわけですから。ただしそれだと、この記事を書いた人物の目的は達せられません」


「……ど、どういう意味だ?」左沢の声が震えていた。(そこまで言うか?)左沢はそう思っていた。


「この記事は記者としてもっともやってはならないことをやっている! それはストーリーありきの記事ですっ! そういう意味なんですよっ!」天狗騨は吠えた!


「キサマっ、我が社の記事を『物語』だと言うのかっ⁉」


「ええ、この記事についてはその通りとしか言いようがありません。『が自らに近しい人だけに特別な利益を与えていた』、こうした〝絵〟でなければを失脚させることなどできない。最初から〝首相失脚〟を目的と定め、ストーリー展開上辻褄の合わない真実を故意にカットしている! 首相に近しい人物が逆に自治体が購入するより高値で国有地を売りつけられていたとなればこの物語のストーリーは完璧に破綻です。そうした都合の悪い事実を意図的に報道しないという真実の隠蔽! こんなことをしてよく他者の隠蔽を非難できたものだ。この『国有地格安払い下げ問題』という記事こそが記者倫理に反する『報道』じゃあないんですか! この不誠実な記事が無ければあの近畿財務局の官僚も自殺する必要は無かったんじゃあないですかね」天狗騨記者は一気呵成、怒濤の勢いで喋り切った。


(おのれっ!)と内心沸騰する左沢だがなにも思いつかない。


「土地の値段は『評価額』で決まるんだ! 『評価額』こそが客観的な数字だ! あの学校法人に払い下げられた土地の評価額は9億5600万円だ! 我々はこの数字を元に報道しているだけで、評価額より安いんだから不自然に決まっているだろう!」かろうじて言えたのはこれだけ。

 もはや左沢政治部長の拠って立つ根拠は『評価額』以外に無くなっていた。


「件の土地の近隣住民の方々には申し訳ないですが、学校用地にしろ公園にしろ、あれらの土地は高速道路の法面に一辺が接しています。その上上空からはジェット旅客機の爆音です。その騒音の様は普天間基地の近所みたいなものですよ。土中のゴミ以前に、むしろ『評価額』の方がおかしいとすら私は感じます」天狗騨記者は言ってのけた。

 確かに、まるで普天間基地の近所のようなジェット機の爆音は、かの土地の上で響いている。


「『評価額』は絶対的数字だ! それを個人的な思い込みで否定できると思うな天狗騨っ!」なおも〝評価額〟で押し続ける左沢政治部長。


「ではその値段、地面の中まで掘ってはじき出された数字ですか?」


 あっさりと天狗騨記者のカウンターが決まってしまった。


「その土地にだけ土中にガラクタが埋まっていたなら、機械的に評価額を当てはめても適正価格は出てきません。例えばマンションを建設しようとした時、土中に何かが埋まっている土地と何も埋まっていない土地が等価のはずはないでしょう。ガラクタの上にマンションが建ちますか?」


(ぐぬぬ!)


「さらに言うなら我々はとっくに負けている。件の学校法人に払い下げられた国有地において小学校の建築工事を請け負っていた建設業者が大阪地検特捜部に対し、ゴミの撤去費を約9億8千万円とする試算を提出しています。地検特捜部もこの試算の合理性を認めているということです。これだと約8億2千万円の大幅値引きは、大幅値引きではあっても妥当ということになる。『ゴミの撤去費用は約9億8千万円との試算』! これを突き崩せぬ限り我々の側のこれまでの報道に勝ち目はゼロです!」


「け、検察が政権を忖度したかもしれないっ! 試算を提出した建設会社とグルになっているに違いない!」


「そういうのを陰謀論と言うんです。ジャーナリストなら事実を丹念に積み上げて疑惑に迫るべきですっ! 『疑惑がある!』『疑惑があるぞ!』、と定めた対象を責め立て説明をするよう要求をするだけ。そして説明があろうが無かろうが『疑惑は益々深まった!』と言っておけば良い、などという思考で報道をやってはいませんか⁉ そういう行為はジャーナリズムじゃあないっ!」


「うるさいっ! 試算を提出した建設会社が怪しいっ! かなり深く土地を掘り返した場合を想定したとか、そういう感じで概算を過剰に積み上げたんだ!」

 むろん左沢の口から出任せである。


「じゃあなぜそれをASH新聞紙上で記事にしないんですか?」


「……」天狗騨記者の切り返しに左沢政治部長は沈黙した。


「説得力が無いから記事にできないんでしょう?」


「……」


「残念ながらその試算は問題の国有地の地中に埋まったゴミの量を地下3メートルまでと想定しての計算です。その体積は約1万7千立方メートル。こういう条件で弾きだした数字です。特捜部はこの試算について、基となったデータや計算方法などから合理的だと判断しました。この試算が出されたのは2018年6月のことです。今はもうずいぶんと時間が流れています。調査報道するだけの時間的余裕は十二分にありましたよね? 未だにそれができていない時点で既に勝敗は決しています! このストーリーありきの『国有地格安払い下げ問題』は我々の側の百パーセントの敗戦だ。なのに誰も責任を取って辞めるとは言わないのはなぜなんでしょうか?」


 左沢政治部長、未だ沈黙————


「我々の記事であの地域の『文教地区化』を潰してしまったとしたら、我々ASH新聞はもうあそこへは近づかない方が良いのかもしれません」天狗騨記者はこうまで言ってのけた。

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