第三十三話【技術の進歩についていけてない〝護憲派〟人】

 人間という生き物は誰であれ痛いところを突かれると激高するものである。痛いところというのは〝本質〟であったり〝人間性が試されるところ〟なのである。天狗騨記者はついさっき、半ば無意識に、ごく自然な調子で、やらかしたのである。


「しかしそれでも『日米韓の連携』以外にない」左沢政治部長は言い切った。

「はあ?」僅かに怒気の籠もった声が天狗騨記者の口から漏れ出た。

 そしてそれきりこの天狗騨でさえ絶句してしまった。

(どれだけ話してきたと思ってるんだ?)と彼はこう思わざるを得ない。



 天狗騨記者はこれまでなぜ『日米韓の連携』を否定すべきなのか、それを延々蕩々と述べてきた。意見の異なる者に対し、それを説得すべくかなり丁寧な説明をしてきたとの自負があった。


 否定すべき理由は大まかに言って以下の如くだった。


・『日米韓の連携』は戦争のための連携であり、実際日本は連携のために朝鮮戦争に兵站担当として参戦させられている。


・戦争のための連携となればそれは命を懸けた連携となり、連携相手国に対する信頼や信用というものが必要不可欠となる。だが連携相手であるアメリカ合衆国並びに大韓民国は慰安婦問題で日本のみを攻撃し米軍慰安婦問題に対しては同様のリアクションをとらない。これは明らかな日本人差別であり、両国はこの差別を未だ認めず、差別解消に向けてのアクション(それは米軍慰安婦問題の追及である)が始まる様子も未だ無い。このような信無き者と共に戦争などできるわけがない。



(まさか、〝無限ループ戦術〟をやるつもりか?)天狗騨は直感した。



 気にくわない主張をする者に議論で勝つにはどうするか?

 それは議論を終わらせないことである。延々と執拗に議論をふっかけ続けるならばやがて相手は議論することそのものに疲れてくる。目的の異なる者同士の議論は共通の目標すら無いのだから不毛のやり取りとなるのは必然であり、人間である以上疲れてくるのもまた必然である。そして最初に疲れた方が捨て台詞を残して去る。

 その捨て台詞を俗に〝勝利宣言〟という。勝利宣言をされた方は『ヤツは逃げた逃げた!』と吹聴し印象操作に勤しむ。


 では議論を終わらせないためにはどうするか? 終わったはずのネタをまた蒸し返すことである。相手を消耗させ疲弊させることで議論には勝てる。中華人民共和国初代国家主席毛沢東風に言うなら〝持久戦〟である。直接対決では分が悪い左沢政治部長が遂にこの禁じ手を使ってきたとしか天狗騨には思えなかった。

 ちなみに天狗騨記者自身も本日、中道キャップ相手に『内心の自由』でこの手を使っていた。或る界隈において、これは割とポピュラーな〝手〟なのである。



「日米韓の連携を当てにすることは日本が戦争当事国でもないのに戦争に巻き込まれる可能性を却って増大させっ、また日本が直接攻撃された場合であっても『〝信用のできない外国〟の支援があること』を防衛の前提にするという不確かな政策であると、散々言ってきたでしょうが!」

 さすがの天狗騨の声にも、誰でも感じ取ることのできる本格的な怒気が籠もってくる。が、しかし————


「日米韓の連携を否定した場合、それは憲法改正に繋がる!」左沢政治部長は極めて真顔でそう〝理由〟を言ったのだった。



 部外者からすればそんなものが理由になるのかと、実に『?』な主張であろうが、なにせここはASH新聞社内。〝憲法9条を守れ!〟は超絶対的な価値観なのである。

 しかし天狗騨記者には解らなかった。ASH新聞社員なのにも関わらずまるで解らなかった。



 『日米韓の連携を否定した場合、それは憲法改正に繋がる!』

 (いったいどういう理屈でそうなる?)改めて考えてみてもやはりまるで解らなかった。


「まるで腑に落ちませんが」天狗騨は〝しょうがない〟と、聞き役に徹せざるを得なくなっていた。

「ハハハハッハ! こんなことも解らないとは記者失格だな! 不向きだ! 辞表を書け!」

 それは客観的に見ればパワーハラスメントに他ならなかったが、なにしろ左沢は天狗騨に殺意に近い憎悪を抱いているため〝なにをこれくらいのこと〟とすっかり感覚が麻痺していた。

 天狗騨としてはいよいよ本格的に〝宣戦布告を受けた〟と思わざるを得なかったが、『それはパワハラですよ』というつまらない反論法は微塵も彼の頭の中に無かった。彼は言論には言論で闘う根っからの記者なのである。


「それでは説明をお願いします」天狗騨記者は言った。


 左沢政治部長はまずにやり、と嗤ってみせた。

「日本国憲法は〝専守防衛〟を謳っている。このくらいは解るだろう?」と上から目線でまず言った。


「解りますが」


「つまり憲法上防衛、即ち武力行使が可能な範囲は自国の領土領海内に限られる。これもまた解るな?」


「いちいち切らなくて結構です」


「順番を追って説明しないとお前のような無知蒙昧の輩には平和憲法が謳う専守防衛という高邁な価値観が理解できないだろうと言っているんだ!」


「終わりまで話しを聞かなければ結論の出しようがありませんが」


「防衛が許されるのが自国の領土領海に限られる以上、自衛隊が外国の領土領海まで出かけていって防衛すること、即ち武力行使は憲法違反となる!」


「ふう…ん」


「なんだ天狗騨、文句でもあるのか⁉」


「どうぞ先を続けて下さい」


「したがってだ、北朝鮮が日本にミサイルを撃ち込もうとだ、北朝鮮のミサイル基地は憲法上日本は攻撃できない! やればそれは憲法違反になる。そこで米軍が攻撃を担当することになる。つまり『日本が盾、アメリカが矛』という役割分担だ。アメリカと協力する以上は『日米の連携』は必要不可欠であり、そのアメリカの意向が『日米韓の連携を』である以上、日本は平和憲法を守るためにも『日米韓の連携』が必須だということだ! 解ったか! 少しは己の浅薄な理解を恥じ、この俺に対し散々失礼なことを言い散らかしてきたことについて謝罪しろっ!」


 しかし天狗騨記者は眉間に皺を寄せたまま身じろぎもしなかった。


「なんだキサマその態度は!」

 左沢政治部長には完璧な論理を展開したという〝満足〟しかない。しかし天狗騨にはまるで通じていないようだった。


「1960年の日米安全保障条約改定の時、大規模な反対運動が起こりましたね?」天狗騨が口を開いた。


「それがどうしたッ! そんなことお前に言われんでも解ってる!」


「あの反対運動をしていた人達は『憲法9条を改正しろ!』という憲法観を持った人々だったでしょうか?」


「バカか、お前は! そんな右翼みたいな歪んだ思想を持ってるわけがないだろう!」


「しかし左沢さん、あなたの話しを聞いていると、アメリカ軍が戦ってくれないと、即ち日米安全保障条約が無いと、日本は平和憲法を護憲し続けることは不可能だという意味になります。つまり日米安全保障条約に反対していたあの人々は『平和憲法改正を要求する勢力』だという理屈になります」


「この野郎! 事情が変わったんだよ! 1960年と21世紀の現代が同じになるか!」


「左沢さん、ただ単純にあなたは技術の進歩について行けてないだけです。あなただけじゃない。〝護憲派〟と呼ばれるほとんどの人々は化石の人と化しています」


「てめえっ!」


「てめえじゃないですよ。1950年の自衛隊誕生の頃に想定されていた〝専守防衛〟は文字通りの専守防衛で通じたんです。つまり日本の領海に侵入し領土に上陸する日本攻撃軍を撃退する分には〝専守防衛〟について解釈上の問題はまったく起こりようがありません。ちなみに朝鮮戦争では日本は大韓民国側に立ち事実上参戦しているわけですが日本本土に敵の直接攻撃は来ませんでした。故に〝専守防衛〟すらする必要は無かったわけですが、しかし時は流れ、日本の領海外、外国の本土からも日本攻撃が可能となると〝専守防衛〟の意味が変わってきます」


「まさかお前、『敵基地攻撃能力を』とか言い出すつもりじゃあないだろうなっ?」


「ええその通りですが」


「今すぐ社に辞表を出しSNK新聞にでも行っちまえ!」


 天狗騨はその物言いを当然の如く無視して喋り続ける。

「北朝鮮による日本ミサイル攻撃が始まっている場合であっても北朝鮮ミサイル基地を軍事的に叩くことが違憲だとすると、非常におかしなことになります」


「おかしくはない!」


 しかし天狗騨は委細構わず話を続ける。

「これを『おかしくない』とすると、日本国憲法は『専守防衛すら認めない憲法』という意味になる」


「なるわけがない!」


「しかし北朝鮮のミサイル基地が無傷でそのまま、日本が一方的に撃ち続けられる状態を受忍することが憲法を護ることだとするなら、この憲法は『専ら守ることすら許さず防衛すら認めない憲法』ということになります。つまり『不守無防備』が日本国憲法の本質だということになる」


「そこはアメリカがなんとかする!」


「私はあのアメリカが日本のために代わりに日本の敵を攻撃してくれるなどという幻想は信じませんが、外国軍が誠実であることに期待しないと機能しない憲法というのは完全なる欠陥憲法です。改憲派にこう論戦を仕掛けられたら我々が輿論戦で負けます。このままでは改正されますよ」


「改憲派など親米派に過ぎんっ! 天狗騨っ、お前のような異常者とは違うんだよ」


「では私は何派に見えますか?」


「改憲派だっ!」


「まともだと思ってくれているのは嬉しいですが私は親米派ではありません」


「……」


「私は護憲派です」天狗騨は言い切った。


「ウソつくなっ!」


「『ミサイル』という兵器が普及し、北朝鮮でさえ所有する時代となり、領海外敵本土からの攻撃が当たり前に可能となってしまったこの現代においては『専守防衛』の意味も当然変わるでしょう」


「勝手に解釈改憲するなよ!」


「技術の進歩についていきましょうよ! 左沢さん! 1960年と21世紀の現代が同じになるかと言ったのは他ならぬあなたですよ!」

「うぐっ」と詰まる左沢。天狗騨記者は意外なことに人の話しをよく聞き、覚えてもいる。詰まったのを好機と判断した天狗騨はさらに追撃を加える。

「私は現代の〝専守防衛〟を『先制攻撃しない』という意味に絞るべきと考えますよ」


「おっ、お前は政権与党かっ⁉」かろうじて言えたのはこれのみ。


「いいえ、政権与党は情けないのでこういうことは言えません。政府が『専守防衛だから〝日本領海外・敵本土からの攻撃〟についてはアメリカ軍に期待するしかない』という考えでやっているから、その代償としてアメリカ合衆国から恩を着せられ無理難題が延々ふっかけられ続けているんです」


「……」


「今は1950年じゃないんです。とは言え、第二次大戦中にはナチスドイツのV2ロケットは存在していたわけで、イギリスは〝領海外・ナチスドイツ本土からの攻撃〟を実際受けていました。あなたの言う『専守防衛論』破綻の萌芽はあの頃からあったということです。それを考えたら『戦場は領海領土内に限る』とする〝専守防衛〟の定義は最初から間違えていたことになります」


 天狗騨記者がにたりと笑う。

「これでお解りでしょう。『日米韓の連携』は日本が『不守無防備』政策を採るなら必要でしょうが、本当に『専守防衛』するつもりがあるのなら、その連携は必要ありません」と言い切った。



 左沢政治部長は自信満々だった。天狗騨を屈服させたと思った。しかしそうはならなかったのである。


(おのれ……天狗騨め)

 憎悪だけが益々深くなっていく——

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