第三十二話【アメリカの上っ端はこんなことを言ってます。(天狗騨記者、珍しくASH新聞を誉める?)】

 〝上っ端〟などということばは辞書を引いても出てこない。天狗騨記者の造語である。彼は敢えてアメリカ政府の人間をこう表したのである。


「アメリカ合衆国という国、その国の政治家や軍人やジャーナリズムが安全保障について日本に何かを要求するとき必ず口にする常套句があります。それが『公平な責任の分担を求める』です」天狗騨記者はまずこう口にした。そして、「そうですね?」と左沢政治部長に念を押した。


「それがお前の言うアメリカの『上』が言うことか?」と左沢政治部長は訊く。だが天狗騨はその問いに直接答えず、こう言った。

「現状を『公平ではない』と一方的に断定し、次々とアメリカに軍事的貢献をするよう際限の無い要求を突きつけてくるそのやり方は目に余るものがある」


(ここまで言うか?)と思うが左沢はこのことばを口には出せない。


「近頃アメリカ合衆国の〝駐日臨時代理大使〟のインタビュー記事がこのASH新聞に載りました。この『臨時代理』などと名乗る人物がアメリカ合衆国の上っ端かどうかは微妙ですが一応アメリカ政府の代表者ではあります。彼の元に私を取材に行かせてくれれば、この一応はアメリカ政府高官を追い込めたのに、と申し上げておきましょう」天狗騨は言った。


「誰がお前など取材にやるか! お前は人の話しを聞かないタイプだろっ!」


 左沢は自分が名指しされ言われたわけでもないのに無性に腹が立った。天狗騨には社内の上下関係というものがまったく頭の中に無い。これを敢えて誉めことばでいうならば『サラリーマンではない』ということになる。彼は〝リベラル〟という価値観を信奉し、誰であろうが突っ込める者には突っ込むという根っからのジャーナリストなのであった。


「件のインタビューは『米軍駐留経費負担』、あるいは『HNS』とも言いましたか、有り体に言って、5年ごとに日本がアメリカ合衆国に支払うカネの額を決めている『特別協定』、これに絡んでの記事ということでしたよね?」


「あの記事のどこがおまえには不満なんだ?」左沢が忌々しげに問う。


「件の〝駐日臨時代理大使〟に、次期協定に向けた交渉に関し〝日本に対する具体的な要求水準〟への言及をさせることはかなわず、言いたいことだけを言われてしまったからです。『日米が互いに、より多くのことをしなければならないと認識していると思う』などとね」


「じゃあ訊くがどういう記事だったらお前は満足だ?」


「インタビューが成功と言えるには『具体的要求水準』をゲロさせなければダメでしょう。それこそ手段は『オフレコ攻撃』でもなんでも良かった。その巨額の要求額を交渉前にすっぱ抜くことこそ、アメリカ合衆国の理不尽な要求と戦う日本の輿論戦の第一歩となったのに! あんなインタビューじゃあこの新聞の紙面はアメリカ政府の広報誌ですよ」


「お前、あのインタビューは編集委員様がやったんだぞ!」


「とは言えジャーナリズムの真骨頂は〝批判〟でしょう? 相手の話しをウンウン聞いて、その通りに紙面に載せて、それでいいんですかね。アメリカ政府の宣伝を一方的にされた上に〝上手く逃げられた〟と言うほかない」


「だいたい他者を攻撃することが記者の仕事かっ⁉」


「しかし左沢さん、欧米の記者は割と普通に日本人相手にソレやっていますが」


「……」


「アメリカ政府高官相手のインタビューはいまいちでしたが、他方面においては〝編集委員〟にしてはよくやったと、私はそう考えています」


「なんだ! その目線はっ! 後で報告しとくからなっ!」


「結構です。なにしろ私は誉めているんですから」


(部下が上役を誉めるだと⁉ 天狗騨め、どこまで増長するのか)


「どうせろくな誉め方してないだろっ‼」


「アメリカ軍横田基地に関する記事です。短絡的に日本政府批判をするのではなかったところがウチの新聞らしくなかった」


「お前自分の会社をバカにしてるだろ⁉」


「これから誉めようと思っているんです。それとも左沢さん誉めてみますか? あの横田基地に関する記事を」


 左沢政治部長には確かに『アメリカ軍横田基地に関する記事』が紙面に載っていたという記憶はあるが、具体的に誉めろと言われると、どこをどう誉めたらよいものか、返事に窮した。

 左沢が沈黙していると天狗騨の口が動き始めた。


「『日本政府はアメリカの言いなり』、この手の批判はネット上で割とよく目にします。〝識者〟と言われる人々の中にもこの常套句を使う者がいて、野党もまた然り。しかしその手の意見の主張者は日本政府を非難してたいていそこで終わってしまう。『日本政府はもっとしっかりアメリカに働きかけろ』だとか『日本政府はもっとしっかりアメリカに主張しろ』だとか、そんな感じです。しかしあの記事だけはそれとは一線を画していた。日本政府は政府なりに、少なくともアメリカ相手に直接何かをやっていると、あの記事が書いたことは非常に重要です」


「——あの記事はアメリカ軍横田基地の軍民共同使用について書かれたものでした。ちなみに、『プレスリーの物真似芸人な白髪頭の元首相』などと言って私が揶揄したあの首相もこの横田基地軍民共同使用の件に関しては肯定的に評価できる部分がある。我々は激しく非難しましたがイラクに自衛隊などを派遣したことを生かし、ツーカーとなった当時のアメリカ大統領にこの件を持ちかけ、その結果一定の成果をもたらしました。それが2006年の日米間における米軍再編合意で、そこにはアメリカ軍横田基地について「軍民共同使用の具体案を検討」と明記されています。だが問題はこの後です」


 天狗騨記者はつかつかと自身の机の処に歩いて行き、切り抜いてあった新聞記事を手に取り高々とかざした。


「——日本政府は2019年、アメリカ軍の運用などを協議する「日米合同委員会」の下部組織「民間航空分科委員会」の席上でアメリカ軍にこう打診しました。「東京五輪で東京に民間機が集中する。五輪期間中に米軍横田基地を民間機も共同使用できないだろうか」とね」

 次の瞬間天狗騨が叫ぶ。

「しかしっ、アメリカ軍幹部は「そんな交渉はしない」と突っぱねました!」


 天狗騨記者の身振り手振りが激しくなる!


「日本政府はそれでもなお食い下がりました。「東京五輪に米軍も真剣に協力しているイメージが出る」と実行を促したのです。現に1964年の東京五輪開催がアメリカ軍からの〝代々木返還〟に繋がった過去がある。ところが今回の日本側提案にアメリカ軍幹部は同意せず、しかも「日本には何か、将来への下心があるのではないか」とも語ったのです!」


「このアメリカ軍の上っ端の〝暴言証言〟を活字にしたのは正にジャーナリズムの真骨頂! これこそ超重証言! 日本がどれほどアメリカに協力しようと、その根の部分ではアメリカは日本を信用していない動かぬ証拠です! これが『日米同盟』とやらの中身だ! アメリカ軍横田基地の航空管制のせいで旅客機の飛行ルートが著しく制限されているというのは以前の東京都知事の指摘以来広く知られています! 日本政府の提案はそれでも控え目で『アメリカ軍と民間との共同使用』に過ぎません。しかも『五輪期間中限定』の。それすら蹴り、アメリカ軍が好き放題に東京上空の空を独占的に使用していながら、アメリカ合衆国は『日本は公平な負担をしていない』と一方的に日本を攻撃している! 自国の空を共同でさえも使えない日本から見た場合にこそ『公平ではない』と言えるんじゃないでしょうか!」


「——『公平な負担』とはいったいなんでしょう⁉ アメリカ人の言う〝公平〟がイコール『アメリカ合衆国の便利なようにせよ』という意味になっていることがこの記事から明らかになりました! アメリカ合衆国が不便を感じたらそれは『公平ではない』という意味になるってことです。アメリカ合衆国が日本に要求する『公平』の中身を新聞記事によって証明したことは実にたいしたものだと思いますよ! 新聞協会賞モノですよ!」


「……しかし全然日本の輿論は盛り上がってないけどな」左沢がぼそりと言った。




 一気に熱い空気が冷却化していった……天狗騨記者の顔からみるみる生気が抜けていく。彼にとってもこれほどの熱弁を長く、ここまで奮うことは実は珍しいことだった。そんな機会はなかなか無いからだ。その〝熱弁〟の結果、彼はこの、不毛な感覚をひさびさに思い出させられた。

(ここには〝熱〟が無い——)


 議論が続けばじきそれは熱を帯び、より良いアイデアや方法論を生む。三人寄れば文殊の知恵——という議論は極めて希である。目的が同じ者同士がその方法論を巡って喧々がくがくやり合った場合それは非常に実のある議論となる。天狗騨にも少ないながらそういう〝経験〟はあった。


 だがこの場の空気はそれとは明らかに違っている。天狗騨は自身と他の社員の目的がまるで違っているのでは?、という自身の中の疑念を存在しないことにはできなくなっていた。

 しかしそれでも天狗騨は望みを捨てずことばを解き放った!


「ちょちょっ! ちょっと待って下さいよ! たったこれだけやっただけでもう諦めるんですか? 何度も何度も続けないと! そうやって輿論を盛り上げるんですよ! こんなんで引き下がってそれでリベラルという価値観を護れますかっ⁉」


「お前如きに何ができる⁉」と左沢の上から目線。それを受けすぐさま天狗騨の口からことばが飛び出す。

「左沢さん、過去の歴史を忘れちゃあいませんかね?」


「なんだ? 日本の戦争責任か?」


「日本にとって〝過去〟とは『昭和』限定ですか? 『平成』だって今や立派に過去ですよ」


「もったいつけるなよ!」


「件の代理大使は要するに『アメリカ軍のために日本はもっとカネを出せ』と言いたいわけですよね? なにせ米軍駐留経費負担の更新に向けた交渉に先んじてのインタビューですからね。で、その大義名分は『もっと公平な負担をしろ』、と。」


「『平成』がどうとかいう話しはどうしたっ⁉」


「自衛隊が初めて海外に出たのは、平成初期、湾岸戦争が終わった直後のことでしたよね。なぜ日本政府はそれまでの法を曲げ、掃海艇を中東の海に出したんでしょうね?」


「アメリカの官民挙げてのガイアツだろうが」


「日本は〝1000000000000円(一兆円)〟もの巨額のカネ、即ち血税を湾岸戦争のために拠出していたのに、なぜまたそんなことをしたのでしょう?」


「だから外圧だと言ってるだろ! 日本語が解らんのかお前はっ!」


「それでは理解が浅いです! アメリカ人によって『カネを出すという行為は何かをしたうちに入らない』という事にされたからです」


「それがどうしたッ!」


「まだ解りませんか? 『カネを出しても何かをしたうちに入らない』という価値観を持っている連中が『アメリカ軍のためにカネをもっと出せ』と要求してきているんですよ」


「あっ……」と左沢の口かことばが漏れる。


「こんな感じで論理的に、あたかもチェスをするようにアメリカ合衆国を追い詰めないと『公平』の名の下に日本とアメリカの関係が今よりもっともっと不公平になりますよ! 横田基地が原因となっている東京の空の今がそれを証明しているんじゃあないですか⁉」


「やかまっしい! 本格的に反米新聞と思われたら大変なことだ。これくらいでちょうどいいんだっ! 口達者なだけのヒラはすっこんでろ!」


 〝口達者なだけのヒラ〟に激しく天狗騨が反応した。彼はある意味急所を突いた。


「以前『さくらを観る会』で何度社説を書いたと思ってるんです⁉ 効果がほとんど無くてもそれくらい続けられたんです! あれくらい熱心にアメリカ相手にもやってみたらどうですか? と言っているんです!」


「キサマっ! 『効果がほとんど無くても』だとッ⁉」


 『さくらを観る会』、それは以前の内閣総理大臣が自身の後援会会員を必要以上に政府主催の観桜の催しに招待し公金の支出を増やしたのではないかと、或る一時期非常に熱心に報道企業各社が糾弾を繰り返した〝問題〟である。

 論点はあちらこちらに飛び、『出席者名簿という名の公文書が破棄された』、『会の前日に高級ホテルで行われた食事代の費用が安すぎる』等々、様々な角度からキャンペーン報道が行われた。

 だがその結果はこの件を熱心に報道し続けた報道企業にとっては芳しいものではなかった。『さくらを観る会問題』について世論調査をすれば〝好ましいとは思わない〟との考えが多数派となったものの、この『問題』が内閣支持率に影響を与えることは無かったのである。


 むしろ〝効果がほとんど無くても〟と、『ほとんど』を入れて言った天狗騨記者はそれでも自社が熱心にやったことを頭から否定しなかったという点において、いくばくかの配慮があったと言えた。少なくとも天狗騨はそう思ってことばを選んでいた。なのに天狗騨は怒鳴られたのである。


「日本政府相手には何でも何度でも言えるがアメリカ政府相手だと萎縮してしまう。情けない行状であると、そうは思いませんかっ?」

 一時生気が抜けてしまったかのような天狗騨記者が一気に沸騰していた。しかし沸騰は左沢政治部長もまた同じくだった。


「ンだとっ⁉」左沢の脊髄反射的怒声!

「新聞に勇気が無いから世の中が悪くなる一方なんだ!」天狗騨の叫び!

「日本政府にモノを言うことがどれほど恐ろしいか! 外国人のジャーナリズム団体もそれを指摘してくれている!」左沢が怒鳴り散らしながら反駁した。

「それ、本気で言ってます?」

 天狗騨にはまったく自覚は無かったがこの時彼の髭もじゃの口元が僅かに歪んでいた。

「キサマ、今笑ったな⁉」

「さあ、それは分かりませんがね、中国みたく突然ジャーナリストが当局に拘束されたり、ロシアみたくジャーナリストが自宅玄関先で死体になったりはしませんよ、この日本は」


 左沢政治部長の顔が益々赤くなってきている。しかし左沢はウンウンと反論に詰まったまま。一方天狗騨記者はまったくその様子を考慮せず再び同じことばを解き放った。

「日本政府相手には何でも何度でも言えるがアメリカ政府相手だと萎縮してしまう。情けない行状であると、そうは思いませんか?」


 何より彼の記者としてのライフワークは『イジメ問題』なのである。『強い者には弱く、弱い者には強く』、こうした習性を持った人間を天狗騨は心底憎悪していた。


 だからこそ日本には死刑廃止を要求しながら、イスラム教の国であるイランイスラム共和国やサウジアラビア王国に死刑廃止を要求しない弁護士達をコテンパンにしたのである。

 こうした天狗騨にとってアメリカ相手には批判らしい批判もできないのに、批判することに勇気を要しない対象だけには容赦の無い批判を加えられる人間、またあるいは自分よりも階級が下である社員にだけは居丈高な態度をとる人間などは、悪そのものであった。

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