第四章 〝アメリカ〟がまったく効かない!
第二十一話【北朝鮮・中国・ロシアを利する】
(さすがにマズイよな)
(そろそろなんとかしないと……)
中道キャップと社会部デスクは互いにテレパシーを通わせたわけでもないのにそれぞれの内心で似たようなことを考えていた。
左沢政治部長が狂ったように議論を続けいっこうに帰る様子も見せない中、新聞社社員としての通常業務はこなさなければならない二人であった。
記事を書くのはもっぱらキャップの肩書きを持つ人間の仕事である。即ち中道の仕事であった。〝記者〟といえば『記事を書く人』というイメージを持つのが一般的だろうが、ヒラの記者はほぼほぼ紙面に載る記事など書かせてはもらえない。ヒラの記者は取材活動を通じ記事の材料を集めるのが専らのお仕事である。
ただ、天狗騨記者の場合、彼の取材メモはほとんど記事を書くために役に立つことは無かったが——
そして各班のキャップから次々上がってくる記事のチェック、これがデスクのお仕事である。社会部デスクならばむろん社会面担当となる。
そんなこんなで中道キャップと社会部デスクはいつまでもこのように油を売っているわけにはいかないのだった。
その一方、記事を書きたくても書かせてもらえない天狗騨記者は社に戻って来るとやることが無い。実のところ周囲がやらせないだけなのかもしれないが——
そして左沢政治部長。管理職であるはずのこの人物がなぜこんなところで油を売っていられるのか、実は中道キャップにも社会部デスクにも今ひとつ理解の範疇外だったが、ASH新聞的には〝社内に潜む異分子退治の方が重要なのだ〟と、それ以外に答えは無さそうだった。
天狗騨記者VS左沢政治部長の激戦がなおも続く中、二人はそっとその場を離れる。もっとも離れて業務に取りかかろうと、このやりとり、嫌でも耳に入ってきそうではあったが——
「天狗騨、お前は「大韓民国を徹底的に攻撃する」と言ったが、それについて訊いておきたいことがある」左沢政治部長が闘争心を衰えさせる様子も見せず問い質す。
「まさか『非難を控えろ』と言いたいのですか?」と天狗騨。
「いいから俺の質問に答えろっ! お前は『日米韓の連携』についてどう考えてる⁉ それを訊いているんだっ!」左沢政治部長は〝切り札〟を切った。内心でだけで〝どうだ!〟と言わんばかりの勝利宣言。
——それに対する天狗騨記者の反応。
「それは『アメリカの利益』なのでしょうね。なにせアメリカ政府がいつもいつも言っているんですから。しかしその〝利益〟、三カ国で共有されていると言えるんでしょうか?」
「『日韓関係の悪化は日米韓の連携に支障を来す』と社説で何度も書いてるだろうが!」左沢は怒鳴った、
しかしその声とは裏腹に左沢政治部長は意表を突かれ混乱の中にたたき落とされていた。どうも話しが通じていないように感じたからだ。
(天狗騨のヤツ、よもや『日米韓の連携』を否定するつもりじゃあ……)
左沢は『日米韓の連携』という絶対的価値観を提示した上で、『この連携を護るため日韓は対立してはならない。対立しても落としどころを見つけて和解しなければならない』という趣旨の話しを展開しようとしていた。
しかし天狗騨は、この絶対的のはずな価値観(日米韓の連携)を露骨に真っ向から疑い始めている。これをやられると日韓関係を改善しなければならないという〝大義〟そのものが無くなってしまうことになる。
「しかし私の考えは少し違いますよ」左沢の懸念した通りに天狗騨記者は切り出してきた。
(やっぱりなのか⁉)左沢は声が出ない。
「順を追って説明しましょう。というわけでこちらからもひとついいですか?」となぜか質問から始める天狗騨記者。
「ひとつだと?」
「では行きます」天狗騨は左沢の疑問系などまるで無視して話しを進めていく。「——日米韓の連携が乱れるとどうなりますか?」
「だから我が社の社説を読め!」
「読んでますよ」
「ならお前が言え!」
天狗騨記者は、しょうがないな、という露骨な表情をして頭をぽりぽりとかき始めた。
「『北朝鮮を利する』、でしょう?」とそう言った。
「フン、解ってるじゃないか。その通りだよ!」
「ウチの社説はそこまでですが、アメリカ政府は『日米韓の連携が乱れれば、北朝鮮・中国・ロシアを利する』と言っているんです」
「国名が二つ増えようと似たようなモンだ」
「中華人民共和国に対抗するために日米韓が連携するんですか? ソレ、うちの社の社論だったでしょうか?」
「いちいち重箱の隅をつつくな! 日米韓の連携が崩れれば北朝鮮が利益を得るという点では同じなんだよ!」
「私は挙げられた国名の数を問題にしているんじゃありませんよ。重箱の隅どころか重箱のど真ん中を突いているつもりですよ」
「なんだそりゃ、どういう意味だ⁉」
「そもそも大韓民国政府は北朝鮮を利そうとしてますよね?」
「……」左沢が詰まった。
「アメリカ政府は北朝鮮を利してはならないと考えている一方で韓国政府は北朝鮮を利そうと考えている。じゃあ日米韓の連携の目的ってなんですか? アメリカと韓国で何の価値観も共有してないじゃないですか。同床異夢もいいところですよ」
「お前はっ、お前はっ!」左沢は息が詰まりそうになった。それでも渾身の力を込め叫ぶようにことばを解き放った。
「お前は米韓関係を破局に導きたいのかっ⁉」
しかし天狗騨記者の表情はまったく変わらず。
「問題が起こるのは米韓関係だけじゃないですよ。日米関係もです」今度はそんなことを言いだした。
「ハ?」混乱の上にさらに混乱が重なる。もはや左沢政治部長には今何を言われているのか解っていない。
「この日本もアメリカが利したくない国を利そうとしています!」
「に、にほん?」
「いいですか、『北方領土問題を解決して平和条約を結ぶのだ』と言い、そのためのテコとしてロシアに経済的利益を与えようとしているのは他ならぬ日本政府です」
左沢政治部長はどう反応してよいか判断がつかず、もう固まるしかなかった。この間天狗騨の話しはなお続いていく。
「中国についてもまた同じ。香港市民の民主化要求に強圧的な態度で臨み、ウイグル自治区を最新鋭のハイテク監視システムで地域丸ごと収容所にしているのが今の中国です。この国は世界で孤立しつつあり今や積極的に中国側につこうとする国など見当たりません! そんな中、『ウイグル自治区の先端監視システムは日本企業の技術協力無しにはなし得なかった』と、具体的な日本企業名が名指しされるという不穏な報道すらあるこの状況下で、その中国の国家主席を国賓として招こうとしているのがこの日本です! 国家主席の訪日となればその返礼に天皇訪中という流れになるのは必然ですよ! 中国がさらに日本との経済的結びつきを強め先端技術獲得のため技術協力を引き出そうとするのは目に見えています! それに呼応しようとしている日本政府は正に中国を利そうとしていますよ! ならば日米韓の連携とはなんですか⁉」
左沢政治部長としては中華人民共和国を利すのはASH新聞的社是であるからしてそれはそれで誠にけっこうなことなのだが————しかしこれをあっさり容認してしまったら〝なんのために『日米韓の連携』をするのか?〟というその根拠そのものが瓦解してしまう。この価値観に瓦解されると〝なんのために韓国に譲歩するのか?〟という理屈自体が消滅し、『日韓関係改善』のための推進力がゼロになるのだ。
左沢政治部長は思考する。
(確かに韓国政府の政策は北朝鮮を利そうとしているし、〝中国を利さぬようにしよう〟などという価値観を持っているのかどうかも怪しい。日本政府の方も近頃は日ロ交渉は行き詰まっているもののロシアを利そうとしていたのは事実だし、日中関係の改善も香港やウイグル問題で国際的に孤立を深める中国が利益を得ようとしてやっている以上、中国を利する行為だとしか言いようがない……だが、どうやらコイツは……)左沢の口元がにやりと動く。
左沢の勘違いが始まっていた。
天狗騨が『さあ! 韓国がアメリカ様の価値観に逆らっているぞ!』、と主張していると勘違いして解釈していたのだ。
(——俺の買いかぶりだったらしい。やはり天狗騨はネトウヨだ。イキっているようでも『アメリカ様の意向に逆らってるぞ!』などと言って韓国を攻撃するとはな。しかし腐ってもASH新聞記者。良心がうずくのか後から付け足すようにではあるが一応日本のことも持ち出す辺り本物のネトウヨよりは多少人間的にはマシらしい)
天狗騨は『北朝鮮・中国・ロシアを利する』ことを忌み嫌うアメリカ合衆国の価値観を実は日本も韓国も共有などしていない、という事実を指摘しただけだったのだが——
「実際北朝鮮や中国やロシアを利するつもりが日本や韓国にあってもアメリカは『日米韓の連携』を要求しているのだっ!」まるで完璧極まりない決め台詞のように左沢政治部長はスパッと言い放った。『日本だってアメリカ様がそういう意向でいる以上はその要求には従うほかないだろう!』という、意趣返しのつもりで言ったのだ。
ところが————
「しかしその連携は迷惑な存在ですよ」あっさり天狗騨は言ってのけた。
「⁉ ⁈ ⁉ ⁈」左沢政治部長の勘違い的突進は早くも沈滞していた。
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