第三章 温和しい人間は何をされてもそのままずっと温和しいままだろうか?

第十五話【文句は一番言いやすい所に】

「——というわけなのですよ」中道キャップは左沢政治部長に〝死刑廃止を巡る天狗騨伝説〟を語り終えた。

 中道はもちろん講談師ではない。人に体験を臨場感たっぷりに届けるという能力ついて、彼は己の力量など信じていなかったが目の前の左沢政治部長の顔を見れば相応の効果はあったのだと手応えを感じてもいた。


「まあ彼には自由にさせておくのが無難です。彼が何かを言おうと紙面にそれが反映されることは無いのですから」中道はそう自分なりの結論を提示した。


 触らぬ天狗騨に祟りなし——この線で間違いは無いと確信していた。



 だが——

 政治部長の左沢はそこをどかなかった。足に根が生えてしまったかのように全く立ち去る様子が無い。それどころかこんな事を言い出した。

「しかし〝組織論〟としてはどうだろう?」と。


 なにを言われたのかとあっけに取られる中道キャップ。その時別の声、しかし聞き覚えのある声を予想だにしない方向から中道は浴びていた。反射的に振り返る。

「確かに新聞の紙面の上では問題は起こっていないように見えるね。しかし見えないだけで問題はそこに確実にあるだろう?」

(デスク!)

 そこにいたのは社会部デスクだった。

(そうか! 政治部長に天狗騨のことを通報したのはこの男だったか! どうりでここで部外者と長話をしていてもデスクにどやしつけられないはずだ)


 社会部長は天狗騨記者については放任主義をとっている。それを快く思わない社会部ナンバー2のこの男が〝部の壁〟を飛び越え社内の実力者・政治部長左沢と通じていた。


 チラ、と中道は社会部長の方を見る。

 〝我関せず〟とばかりに素知らぬ顔を決め込んでいる。


(——政治部長がこのフロアに入ってくるなり社会部長の机のところで何事かをわめいていた。話しは通したということなのか?)


「中道君、君は天狗騨の上司だろう? 部下の管理も満足にできない上司じゃあ上司は勤まらないよ」社会部デスクは執拗に〝上司〟を三度も繰り返して言った。

「まったく、管理能力も無い人間が人の上に立つなどあってはならんことだ」左沢政治部長も即座にこれに同調してきた。


(オイオイ、これはどういう雲行きだ?)


「今なにをやればいいか、なにをしなければならないか、解っているね?」社会部デスクが念を押すように訊いてきた。

「なにとは——」

「解らんのか! そんなことも! 部下の管理だっ!」突然声調子が豹変した!

「管理はしていますっ」

「なんだと⁉」社会部デスクが目を剥く。(反射的に言ってしまった!)中道は後悔した。

「まあまあ、こういう男にはもっと具体的な指示が必要ということじゃあないかね?」左沢政治部長が仲裁を装いながら実にパワハラチックなことばを口にする。


 中道キャップの心の中にとめどもない不安が広がっていく。


「黙らせろ」端的に社会部デスクは言った。

「それは国立追悼施設の追悼大会についてで……」

「当たり前だ! 政府が国立追悼施設を熱心に推している今それを潰すヤツは右翼だ!」

「天狗騨が右翼ですか? 自分では〝リベラル〟だと……」

「バカ野郎! リベラルってのはな、靖國神社を全否定する人間の事を言うんだ!」

 むろんASH新聞社内基準で言っているのは言うまでもない。

「その天狗騨とかいうヤツの言動は国立追悼施設を否定するものだ! それはリベラルの否定と言うんだ!」そう社会部デスクは断定した。

(んな無茶な)しかし中道キャップは思っただけで口にすることはできない。

「いえ、否定はしていません。彼は国会議員に強制参拝させることが——」「黙らせろと言っている」間髪入れずの念押しに中道は黙り込む。

 さらに社会部デスクはダメを押してきた。

「君の全責任でやるんだ」そう言って〝誰に責任があるか〟を、露骨なまでに明確にしたのである。

「しかし紙面には——」それでも中道は必死に抵抗を試みる。

「紙面など関係ない。天狗騨が野党のところにへアプローチしに行ったというのが問題だ」今度は左沢政治部長が社会部デスクの言を引き継ぐように喋り出した。

「行ったんですか?」中道が訊き返す。

「やはり部下の行動を把握してないな」

 中道は黙り込む。

「そういう報告が既に数名の野党議員からウチの部に来ている」左沢は言った。さらに左沢は続ける。「これ以上国立追悼施設潰しのアプローチを各方面にかけるのを放置しておいたら、真に受ける政治家がどんどんと出かねない。これは我々政治部としても看過できなくてね」


(するとこれは政治部主導案件なのか?)しかし中道の疑問など関係無しに状況は進んでいく。


「これで政府の追悼式典が潰されて、せっかく造らせた国立追悼施設がダメになったらどう責任をとる?」ここで再び社会部デスクが話しを引き継いだ。

(それ、ダメになったら俺の責任か?)

「私が天狗騨に言うことをきかせるんですか?」

「当たり前だろう。上司はお前なんだからな」

(あなたも上司ではないか!)

 しかしそこはジャーナリストというよりは今やサラリーマンと化している大手報道企業の社員。〝お前が天狗騨に言ってみろ!〟などとは言えないのであった。


 中道はもう一度社会部長の方を見た。他の社員と話し込んでいてなんらのアクションも起こしてくれそうになかった。



 『文句は一番言いやすい所に持ち込むに限るってことだろう——』

 ASH新聞に弁護士達が殴り込んできた時、社会部長が言ったことばが中道の頭に浮かぶ。


「返事を聞いてないぞ中道君」社会部デスクが言った。

「分かりました……」

「では責任をもってその天狗騨とかいう問題記者の言動をやめさせるんだな?」左沢政治部長がいよいよ中道を追い詰めつつある。

「中道君、返事は?」と社会部デスクも。

「分かりました。天狗騨に言って聞かせます」

「言うだけじゃダメなんだよ!」

「責任をもって止めさせます……」

「最初からそう言えばいいんだ。気の利かないヤツだ」社会部デスクは取り敢えずはこれで満足したようだった。



(あの天狗騨が俺の言うことなどきくはずがない……)


 中道キャップは目の前が真っ暗になっていた。

(このままでは天狗騨の言動の全責任を俺が負わされる……)

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