第十四話【捨て台詞 「外国に密告して日本人攻撃をやらせるなんて汚い真似しやがって!」by弁護士】
〝捨て台詞〟、それは去り際に何気に露わにしてしまう悪態のことである。
五人の弁護士達がASH新聞東京本社の来客室をいま正に出て行こうとしていた。
弁護士達がこの場に乗り込んできたときは、ぼうぼうと怒りに燃えていた。弁護士達は自分達を危険な目に遭わせているASH新聞を謝罪させ、全ての責任を押しつけ、全ての責任を取らせなければならないと固く心に誓って乗り込んできたのだった。
だがそうした決意とは裏腹に求めた戦果を得ること無くいま正に退却を余儀なくされていた。
弁護士ともあろう者が五人も束になって天狗騨記者という一社会部記者に敗北したのである。
それだけではない。後に残ったものは『死刑制度を維持し続けているイランイスラム共和国やサウジアラビア王国に対し、弁護士団体は今後どう振る舞うのか』という重い重い宿題だけであった。
当面彼らは『死刑制度を維持していることをもって未開の後進国だと扱ったり、イスラム世界を国際社会に存在していないことにする主張』について、両国にどう申し開きをするかを決めなくてはならなくなっていた。
よほど悔しく、よほど先行き暗澹たる気分だったのだろう。
来客室から出る直前、一人の弁護士が捨て台詞を吐いてしまった。
「外国に密告して日本人攻撃をやらせるなんて汚い真似しやがって!」
即座に天狗騨記者のことばが弁護士達の背中に突き刺さった。
「それは我々ASH新聞が汚いと、そう言いたいわけですか?」
中道キャップは内心(いや、それは社というよりはお前個人の行動のことだろ)と内心で突っ込んだがその手の茶々を入れられる雰囲気はここには無い。
天狗騨記者が口にしたことについて実際その通りだと思っていたその弁護士は、取り繕うという反応を放棄し、さらに捨て台詞を吐いた。
「ああそうだよ。お前は卑劣なんだよ!」
「そのようなお考えをお持ちだとすると、あなた方弁護士団体が国連委員会だとか国際人権団体とかいった海外の機関に日本のことを報告し日本人を攻撃させたことを卑劣だと考えているということですか?」
一斉に弁護士達が振り向いた。
「もういいだろう!」ブラウン系のスーツを着た弁護士の長が怒鳴って言った。
「よくはありません。あなた方のこれまでの行動について、これら全てを否定するかのような発言がお身内から出た以上は改めて皆さんに確認しなければなりません」
弁護士達はこの時走って逃げ出せば良かったのである。だがプライドが邪魔をして立ち止まるしかなくなっていた。
「卑劣じゃないに決まっているだろう!」弁護士の長が声を荒げて答えた。
「なるほど、『外国に密告して日本人攻撃をやらせること』は汚くないということですね?」
「密告じゃない! 報告だ!」
「しかし、された側からすれば事前に『報告の許可』などあなた方に与えていないでしょう? なんの承認も与えていないのにある日突然海外の機関から非難されるという事態が起これば、された側の立場では『密告』と表現するのが妥当でしょう」
「揚げ足をとるな!」
「揚げ足ではありません。海外の機関に日本のことを通報する際、事前に糾弾対象の了解をとりサインを貰ってから報告していますか?」
「していない!」
「では〝密告〟が妥当ですね。そこで改めて問います。『外国に密告して日本人攻撃をやらせる』ことは汚くないということですね?」
「ああ汚くないよ!」
「それを聞いて安心しました。あなた方の死刑廃止論をイランイスラム共和国やサウジアラビア王国に照会したことは間違った行為ではなかったと、あなた方のお墨付きを得て安堵しています!」
「野郎!」弁護士の長が凄む。
「〝野郎〟じゃありませんよ。それより今後も死刑廃止論を主張し続けますか?」
「お前はそこまで我々を追い込むつもりか!」
「私は多様な意見が存在する社会を是としています。当然死刑廃止論者が『死刑廃止論』を主張し続けることは言論の自由のためにも良いことだと考えています」
弁護士の長が天狗騨記者を睨みつけた。だが睨んだだけでなにも口にはしない。
「あなた方弁護士は立派な人間の筈だ」天狗騨記者が言った。
「立派だからイスラムと対決しろと言うのか?」弁護士の長が声を上げた。もう悲壮感すら漂わせる響きだった。しかし天狗騨には容赦が無かった。
「ある者には言い、ある者には言わない。これは差別です。弁護士は差別主義者ですか?」
「……」弁護士の長は何も答えられない。
「私はイジメ問題撲滅のため社会部の記者を志したと言ったでしょう? 『言いやすい者にしか言えない主張』ってのは要するにイジメです。弱い者相手にはできるが怖い者に対しては同じことはできない。こういう存在を私が許せると思いますか? 日本に対して死刑を廃止しろとそう要求したからにはどの国であろうと言わなければならないのは当然のことです」
弁護士の長はこれ以上凄むことすらできなくなっていた。
弁護士の長はくるりと天狗騨に背を向けた。他の弁護士達もそれに続く。
彼らの背中に向けて天狗騨のことばが飛んだ。
「弁護士は差別や弱い者イジメなど決してしないと信じてますよ!」
弁護士達五人が来たときとはほど遠いテンションで去って行く。
社会部長と中道キャップは立ち上がり無言でお辞儀をしたのみ。
「さて、と、もう少しだけ待つか」と、誰に言うともなく社会部長が口を開いた。さすがにエレベーターホールやエレベーター内であの弁護士達とはち合わせたくはないと、そういうことらしかった。
その空いた時間の間を持たせるためなのか、社会部長は天狗騨記者に言った。
「天狗騨、お前相当に弁護士から恨みを買ったぞ」
報復が怖いぞ、と暗に言ったのである。
「そうだぞ。後が怖いと思わないのか?」追従というよりは中道キャップ本心からの感想が続いた。
「なぜあんな連中に〝社会的地位〟があるんでしょう? 社会の方がおかしくなっているんじゃないですか?」と、素っ頓狂な反応を天狗騨は示した。
天狗騨は大学時代にはもう大学教授すらコテンパンにする男である。弁護士もハナから偉いとは思ってもみなかった。『彼らは偉くない』と判定したが故に天狗騨には恐怖を感じようがなかったのである。彼にとって偉い人間とはいまこの時この瞬間に的確すぎる主張ができる人間のみである。そういう人間に限って彼は〝畏怖〟という感情を持つ。
しかし残念なことに現実にそうした人間は希であるので傍目には天狗騨記者は傍若無人の男としか映らない。
「ご心配ありがとうございます。まあ、向こうが報復してきたらこちらも報復しますよ。報復というのは連鎖するものですから」天狗騨記者がようやく社会部長と中道キャップの問いに対する答えらしき事を口にした。
中道キャップの背筋に悪寒が走った。
「ほうふく?」と思わずそのことばを反芻してしまった。
「ええ」とだけ言って天狗騨記者は背広の胸ポケットから金属色の短い棒を取り出した。
「彼らはずいぶん面白いことを言ってましたから、何かやって来たら刺し違えようと思います」
「録音か」社会部長が言った。それは新聞記者の必須アイテム・ICレコーダーで、もちろん録音中のランプが点灯したままになっていた。
「そろそろ行くか」社会部長は天狗騨記者の録音行為に何とも言わず腕時計に目を落としながら言った。だが続けざまにこんなことも口にした。
「天狗騨、日本における死刑廃止論はこれでかなり後戻りしたぞ」
「部長、イジメというのはなぜ起こると思います?」
「唐突だな」
「では答えを私が言いましょう」
天狗騨記者がこうした話しを始めるとそれに付き合った方が無難であると理解している社会部長はこう反応した。「一応聞いておこう」と。
「イジメの対象が苦しむ様を見ると快楽を感じるからです」天狗騨は言った。
「うん」、それに対しあっさりと社会部長が返事をした。
「しかし快楽を得るためには条件というものがある」
「条件?」
「安全であること、です」
「安全?」
「そうです。相手が絶対に報復してこないと確信できるからイジメが快楽になる。相手に殴り返されたりしたら前歯が折られるかもしれませんし、こうなってしまったら快楽どころか苦痛になってしまう」
「日本だけにしか言えないのではイジメと構造が同じじゃないかと、そう言いたいわけだな」
「さすがは部長です」
「弁護士相手に二度ほど言っていただろう。聞いた答えなら簡単に言える」
「それで私の考えについて部長はどう考えますか?」
「否定する理屈が見当たらない」
「でしょう」
「しかし日本政府相手に『死刑廃止を要求する』という行為を勇気ある行動だとする勢力もある。どこぞの国際ジャーナリズム団体だったかな、日本政府の報道機関への圧迫のために日本の報道が萎縮するとか言っていたが」
「笑止千万です。日本のジャーナリズムも舐められたもんです。日本政府など怖くもなんともない。ロシア連邦なら記者が自宅玄関先で死体になっていたこともありましたがね。それと比べて我々が日本政府を批判して命の危険を感じたことがありましたか? こういう国だけには『死刑廃止を要求できる』など論外です。部長も〝どこぞの団体〟と言っているところからして内心バカにしてるでしょう?」
「バカにしているかどうかはさておき、お前は本気で日本人に外国相手の喧嘩を売らせるつもりか?」
「喧嘩を売らせるつもりなどありません。私が怒っているのは彼らが人権を誰に対しても要求しない差別主義者であることと、人権に命を懸けない臆病者だからです」
中道キャップは思った。
(ついさっき天狗騨が言っていた「弁護士は差別や弱い者イジメなど決してしないと信じてますよ!」は思ってもいないことだったのか……)
(それと人権のためには本気で弁護士とその家族の命などどうだっていいと思ってる……)
その天狗騨の牙がもし自分達に向けられたらと、空恐ろしくなってくる中道キャップであった————
◇
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます