第十三話【覚悟無き死刑廃止論者たち5  天狗騨記者、『人権は自然権!』、『天賦人権説!』なる言い草に激怒する】

 議論をやって必ず勝利する〝手段〟というものがある。それが〝人格攻撃〟である。相手の主張の弱点や欠陥を突くのではなく、相手の全人格を否定する。そういう手段である。


 基本戦術としてはまず〝弱者〟を全面に立てた上で〝己の主張〟を展開する。『反論』が〝弱者〟を踏みにじるような構図を造り出すのである。

 もし実際に反論者が現れた場合『こういう人格的問題者の言うことをきくんですか皆さーん!』とやるのである。さらに露骨な表現を使うなら『こんな極悪人のいうことをきくんですかーっ⁉』とやるのである。


 人格攻撃というこの手段の効果は絶大で被攻撃側に反論をさせないという点において無敵の手段なのである。 


 実際この手が使われた事例がある。いわゆる『従軍慰安婦問題』。

 〝この問題〟の初期の初期において、攻撃される側(日本政府)は〝人格的問題者〟や〝極悪人〟にされることを恐れ、反論らしい反論を一切行わなかった。こうなると攻撃側が議論に勝利するのは実に容易い。

 これが通用するのは〝いわゆる常識〟に囚われた〝事なかれ主義者〟だった場合である。とは言え世の中のほとんどの人は『常識的に振る舞わねば』という自縄自縛の結果〝事なかれ主義者となる道〟を選んでしまうものである。


 さて、そこいら辺り、ASH新聞記者・天狗騨の場合はどうであろうか?

 今や天狗騨記者は弁護士達によって他者の幸福、そして平穏な生活を平然と脅かせる人格的問題者、極悪人の類いと断定されている。


 『人の命を危険にさらしておいてお前はそれが楽しいのかっ!』

 さて、面と向かいこうまで言われてしまった天狗騨記者の反応やいかに?




「危険を顧みず突き進むべきだ」天狗騨は回答を示した。しかも普通の調子で言った。

 その様子に、弁護士達は皆あっけに取られているようだった。


「嗚呼……弁護士のそんな姿は見たくありませんでしたね」天狗騨は今度、弁護士達に感想を放った。

「うるさい黙れ! 開き直り野郎が!」

「そうだっ! 命ほど重いものはないんだ!」一人の弁護士に続きまた一人の弁護士が叫ぶ。

「さっきから命、命と言っていますがこれは戦争じゃない。人権のための闘争です。『人権を守れ』と日頃から言ってる人たちにそれができないとは思いませんでした」

「偉そうな事を言うな! そういうお前は闘っているのか⁉」


「さて……」と天狗騨記者は少し思案の様子。「闘っているかどうかは分かりませんが私は記者をやっていながらサウジアラビア王国の大使館に突撃取材を敢行しました」

「そんなものが自慢になるか! お前は呼び出されたんじゃなくて自分で押しかけて行っただけだろう!」さらに別の一人の弁護士が大声を出した。


 話しがトルコ共和国の国内、在トルコ・サウジアラビア王国領事館内で同国出身の記者が殺害された事件へと逸れつつあった。しかし天狗騨は質問を逸らさせない。


「弁護士の皆さんが『死刑制度は人権の問題だ』と言ったんですよ。皆さんは自らが信じる人権のために闘争する気はまったく無いと、こういうわけですか?」

「お、おっ、お前の意見はどうなんだ⁉ 死刑廃止のために闘っているのか?」

「私は『死刑制度肯定論者』です。だからこの件に関しては闘いようがありません」

「きっ、汚いぞ! だからサウジの大使館に行っても無事なんだなっ⁉」

「私は本日付のASH新聞、即ち死刑制度廃止に賛成する社説の載った新聞を持って行ったんです。それに取材に当たってはASH新聞の社員証も提示しました。その上で『私の勤めている新聞社は死刑制度に反対してますけど私は違います。死刑制度賛成で、あなた方と同じ考えです』なんて言って誰が信用しますか? 却って信用ならないお追従野郎と思われるのがオチですよ。むろん先方には私の個人的考えなど全く興味を持たれなかったようで、そんなこと訊かれもしませんでしたが」

「お前がお前の命をどう使おうと勝手だ。だが俺たちの命は他人の命だろうが! こっちは『他人の命を危険にさらす』お前の行動を問題にしているんだっ!」

「繰り返しますがあなた方弁護士は『死刑制度は人権の問題』と言ったでしょう? だから答えはこうです。人権のためにどんな危険があろうとそれでも闘争すべきです。あなた方のやっていることは〝とうそう〟は〝とうそう〟でも逃げる方の逃走ですよ」

「闘ったために命を落とすような結果になったらどうするんだ? と訊いているんだ! 人権と人の命とどっちが大事だと思っているんだ! 命どぅ宝だっ!」

「『命どぅ宝』ですか、ここでそのことば、こんなところで使うなんてずいぶんと沖縄の人々に失礼ですね。繰り返しますがこれは戦争じゃない。人権のための闘争です」

「ごまかすな! 人権と人の命とどっちが大事かと訊いてるんだ!」


 たった今の弁護士の絶叫の奇妙さ——そもそも人の命を守るために人権という概念が存在しているはずなのだが……こうして弁護士達VS天狗騨記者の闘いはいよいよ異次元の領域へと突入していた。


「人権に決まってますよ。求める人権を獲得するために己の命すら顧みない。それが真の解というものです」天狗駄記者は言った。

「オイお前、俺たち弁護士の命と人権とどっちが大事なんだ? もう一度訊いてやる答えろ! いいか、これが最後のチャンスだぞ!」

「人権ですよ」どこにも力みを感じさせずあっさりと天狗騨は言い切った。

「ふ、ふぃっ、ふふふっ、ふざけるな! 我々に人権のために死ねと言うのか⁉」

「死ぬべきでしょう」

「死んで花実が咲くものか〜♫」別の弁護士が歌うように叫びだした。一人の弁護士が錯乱した結果、

「要するに死ぬほどの覚悟があって死刑廃止を訴えているわけではないというわけですね」と、遂に弁護士達はこうまで天狗騨に断定される始末となった。


 弁護士達の完全な敗北がいま正に確定しようとしていたこの時だった。また一人の、別の弁護士が天狗騨記者を人差し指で指さした。


「お前は無学だ!」指さすのとほぼ同時にその口が言い放った。


 『俺の方が学がある』、と言ってまずマウントを取った。天狗騨記者にはろくに効いている様子は無かったがとにかく人間とはマウントを取りたがるものである。自己の〝社会的地位〟というやつが高いと信じ込む人間ほどこうした傾向が強くなる。


「人権とは自然権である!」指さし弁護士は言い切った!


 いつの間にか天狗騨記者の眉間に皺が深く刻まれていた。


「それはつまり人権のために闘う必要は無い、というのがあなた方の答えというわけですか?」

「そう! 人権は生まれながらに自然にそこに存在している! 自然に存在しているものを闘って得る必要があるだろうか?」指さし弁護士は天狗騨に指を指しながら言った。


 天狗騨記者は頭から湯気が噴き出さんばかりに猛烈に頭に来ていた。しかしそれでもかろうじて耐えながら、

「弁護士の皆さん、この珍妙な意見に異議を唱える方はいないのですか? 本当に誰も人権のために闘おうとしないのですか?」そう問うた。


 だが別の弁護士も同調してきた。あのブラウン系のスーツを着込んだ弁護士、弁護士の長だった。

「〝天賦人権説〟を知らぬとはな! もう少しリーガルマインドというものを勉強した方がいい」

 これに別の弁護士も続いた。

「西側民主主義国家では『政府から恩典として与えられる人権』などという考え方を取っていないんだよ、記者サン!」


 天狗騨記者は遂にキレた。いや、キレる他ないと思ったのだった。

 なんといっても〝西側民主主義国家〟が決定的だった。とどのつまり『死刑廃止問題』とまったく構図が同じ。『西欧が言ったからこれは正しい』、ろくに思慮もせず欧州だの欧米だの西欧だのといった価値観を一方的に押しつけるこうしたやり口を心底自由の敵だと天狗騨記者は憎んでさえいたのである。

 そう、天狗騨記者は思慮をしていた。その思慮はかなり昔から。それは大学時代から始まっていた。


 『人権は自然権』、または『天賦人権説』なる考え方を初めて知ったその途端に、天狗騨はこれを珍説・奇説の類いであると、バッサリと切って捨てたのである。



 天狗騨の頭の中、一瞬間の間に既に『北◯の拳』というアニメの映像が浮かんでいた。

 むろん彼はそれをリアルタイムで視聴できたほど歳ではないが、大学時代彼は『現在のアニメに比べ昔のアニメの方が〝表現の自由〟という観点からは優れている』という思想がかった理由で入れ込み、もっぱら古典アニメを視聴することを趣味としていたのだ。


 『北◯の拳』は世紀末(20世紀の)、世界中で核戦争が起こった後の、生き残った人類の世界を描いたアニメで、元々は漫画が原作である。

 当時大学生の天狗騨はこれを初視聴した時、即感嘆するに至った。

 人間の身体をつつくと内部から爆発してしまうというのは漫画的荒唐無稽として、秩序というものが崩壊した人間世界の描き方が妙に生々しく真に迫っていると感じたのだった。

 その世界ではアタッシュケースに詰め込んだ札束にはもはや何らの価値も無く、水やら食べ物やら、物にこそ絶対的価値があったのである。

 そして、秩序が崩壊した世界では暴力を他者に振るえる能力のある者、暴力を他者に振るうことに一切のためらいが無い精神性を持つ者が支配する世界となっていた。

 暴力を他者に振るえない、振るう能力も持ち合わせていない弱者な人々はムキムキモヒカン野郎に理不尽に蹂躙され簡単に命を奪われた。


 天狗騨にとってこのアニメの凄いところは、主人公の方も正義と呼ぶのに若干のためらいを覚えるような、そういうキャラクター造形だったことだった。

 悪党が改心するかのようなことばを吐いても無表情のまま「確か、あの男もそう言ったはずだったな」と言い放ち殺害するのを目の当たりにするに至っては、『これは表現の自由のとめどもない自主規制が進むこの現代においてもはや現出不可能な不世出の作品だ!』と確信したものである。



 『人権は自然権』だと聞いた若き日の天狗騨は、もうこの時からこうした事がらが、なぜか頭に浮かんで来てしまう実に変わった思考回路を有していた。


(人は生まれながらに人権を持っていて、人権はその辺に転がっているかのように自然に存在しているのだという。ならば、どうしてあれら腕力無き無辜の人々はムキムキモヒカン野郎に蹂躙されているのか? 腕力無き無辜の人々には人権など無いではないか)


 天狗騨は即刻この思考を皆に披露した上で『人権は自然権・天賦人権説』という考え方を珍説奇説の類いだと寸分の迷い無く断定し「このような誤った考えを大学であたかも価値があるもののように教えるのは問題である」と、大学教授相手に道徳論まで投げつけたのである。大学教授はなんとしてもこの男を言いくるめようと最大限に舌を大回転させ折伏を試みたが逆に天狗騨は、

「中世ヨーロッパ在住のユダヤ人達の目にはこの自然に転がっている筈の人権が見えただろうか?」とか、

「奴隷貿易で奴隷としてアメリカ合衆国に売られた黒人達の目にはこの自然に転がっている筈の人権が見えただろうか?」と言い出していた。天狗騨の口はこれでもまだ止まらず、

「アメリカでは国民の人権は一貫して天与の人権として認めていると言いましたけど、その『天』はどうして人によって人権を与えたり与えなかったりするんでしょうか?」と宗教がかったことまで口に出していた。さらには、

「人権とは人の持つ権利ですがこの珍説(人権は自然権・天賦人権説)を一番最初に思いついたヤツは誰を〝人〟だと定義していたんでしょう? 現実から鑑みるにこの珍説はナチスの思想並に流布させる事に問題のある危険思想ですよ!」それに加えて、

「そういう意味で『天賦人権説』なる価値観を信奉するアメリカ合衆国という国家の中身は非常に問題がある」とまで言ってのけた。

 大学教授はそれでもなおその舌で天狗騨をねじ伏せようとしたのだが、それに対し天狗騨は、

「人権が自然に存在していて天が与えてくれるものだとするなら、日本国憲法が無くなっても我々の人権が無くなることはない、という理屈になります」と、そう言ってのけた。


 『人権は自然権・天賦人権説』の話しが『宗教』、『ナチス』、『アメリカ論』まで経由して遂に『日本国憲法』にたどり着いてしまった。


 法学系、それも憲法の教授のその信仰のよりどころは日本国憲法にある。散々肯定してきた『人権は自然権・天賦人権説』によって彼らの教条とも言っていい日本国憲法を傷つけられた上、赤っ恥をかかされた大学教授はとうとう激高した。

 天狗騨は、

「私は『人権は自然権』だとか『天賦人権説』だとかいう憎むべき説を否定しているのであって日本国憲法を否定はしていませんよ! どう考えても憲法が無ければ人権も存在しないでしょうがーっ!」と大学教授に言ったのだがまったく効果は無かった。


 天狗騨は己の直感と考察に愚直なまでに従順で、他人の顔を立てるだとか表向き理解するフリをするだとかいう忖度が全く不能の男だったため、最後まで自説を曲げることはなかったのである。

 そして結局人間とは好悪の感情で動くのであった。そうした行為の結果は己の身に跳ね返ってきた。以降彼には大学というものにろくな思い出が無い。

 〝教授〟などとご大層な肩書きを名乗っていても結局は人間くさいのである。有り体に別のことばで言うならば『器が小さい』となる。



 思い出したくもない遠い昔の思い出が浮かんで来てしまったが、天狗騨記者は弁護士達の口が唱える『人権は自然権・天賦人権説』という憎むべき説を打ち破る説、もっと言うなら再反論すら不可能にする最適解をチョイスしていた。


「弁護士の皆さん、天安門事件で殺された中国の若者達の人権はどうして天から賦与されなかったのでしょう?」

 弁護士達は詰まった。何も答えられなかった。

「あの時の中国の若者からすれば『人権が自然にそこにある』だとか、『天から与えられている』だとか、それこそ安全地帯から発する戯言としか聞こえないでしょう」

 弁護士達はなお何も答えられない。

 だが天狗騨記者は容赦なくブラウン系のスーツを着込んだ弁護士の長をビッと指さした。完全な挑発行動だった。

「あの1989年の中国の若者達はあなたと同じくらいの歳のはずだ!」

「うっ!」弁護士の長は指を指されたのに反撃ができない。

「恥ずかしくないんですか! 彼ら中国の若者達は『人権は闘って勝ち取るもの』だと理解していた!」

 弁護士達は天狗騨の凄まじい気魄の前にただ沈黙。だいたいにおいて『死刑廃止』などを唱える思想を持つ者は『親中国派』と被るものである。弁護士達は正にその弱点を衝かれたのであった。

「昔の中国の若者達だけじゃない! この現代、香港で若者達が人権のために闘っている! 人権は闘わなくては勝ち取れないという真実を中華人民共和国統治下の今の若者だって理解している!」


「それをあなた方はなんだ! 『人権は自然に存在してる』とか『人権は天から与えられている』だとか、逃げることを正当化する言い訳ばかりをしてその本心は人権のためになど闘いたくない、自分の命が大事だと腑抜けたことばかりを抜かしている!」


 もはや天狗騨記者には弁護士達にかける憐憫の情など欠片も無い。


「昔の弁護士には凄い人がいた。暴力団組事務所の立ち退き請求運動の先頭に立ったあの方は、己の命が暴力によって脅かされ危なくなってもなお闘い続けた! 住民の人権を護るために!」


「人権は闘わなくては得られないことを理解していたからこそだ! だが私の目の前にいる弁護士どもはなんだ! 人権を口にしながら人権のために闘わないっ! 闘う意志すら持ち合わせていない!」


「恥を知れーっ! 弁護士どもーっ‼」天狗騨が大音声で一喝した。



 今や状況は天狗騨記者が一方的な追撃をかけるばかりの掃討戦に入っていた。

 中道キャップはその圧倒的破壊力に身体を硬直させるのみ。社会部長の方は、むしろこのままこの流れを放置し二度と弁護士達がここASH新聞にねじ込んでこないようになることを密かに期待して助け船さえ出さなかった。


 ここで一人の弁護士が究極の開き直り行為をした。

「俺の妻と子どもの命と人権とっ、どっちが重いと考えている! 答えろ!」

「人権に決まっているでしょう」なんらのためらう間もなく平坦な声であっさりと天狗騨記者は言った。

「女と子どもの命だぞ⁉ それでも人権が大事か?」

「人権のためには死をも覚悟しなければならない」

 そう言い切った天狗騨の顔からは表情が消え、もはや『確か、あの男もそう言ったはずだったな』と言ってのけたあの主人公の領域にまで到達しているかのようだった。

 ちなみに天狗騨記者は結婚などしていないし子もいない。今様に言うなら〝無敵の人〟であった。しょせん捨てたくないものをたくさん背負っている者が、捨てられるものをほとんど持たない人間に敵うはずがなかったのだ。



 国家権力が担保するその希有な資格とその持てる法律知識を自在に使い、これまで一般人相手に無双をかましてきた海千山千の弁護士達は、こうして沈黙するほかなくなってしまったのである。

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