第十二話【覚悟無き死刑廃止論者たち4 真打ち天狗騨記者登場! 弁護士達VS天狗騨記者】
天狗騨記者がゆらり来客室の真ん中へと歩き出す。最初、勢いで突っかかっていった弁護士二人も今はただ黙ったまま。他三人も何も言わない。大荒れに荒れていたこの来客室は天狗騨が動き出すと同時に凪の状態になっていた。
(やはりこの身長、体格、髭だらけの面相か)中道は思った。どうやら天狗騨記者は社会部長と中道キャップの座るソファーの真後ろ辺りで立ち止まったようだった。弁護士達と正対する立ち位置である。
弁護士達もまだ固唾をのんだまま。
「さすがにこれだけ人が集まると座るところもありませんね。失礼ですが立ったまま取材をさせて頂きます」実にしれっと天狗騨記者が口を開いた。
「取材だと?」一人の弁護士が反応した。それが口火となったのか、
「こっちはお前の取材を受けるために来たんじゃない! 我々に対する謝罪と責任者の処罰を求めるために来たんだ!」と別の弁護士が怒鳴り出した。
「天狗騨、取材は慎め」と社会部長は弁護士側に同調した。
しかし社会部長が必ずしも味方でなくとも天狗騨には全く動揺の様子が見られない。
「謝罪と処罰ですか。ではそれをしなければならない理屈からお聞きかせ下さい」天狗騨が始めた。
ヤバいぞこれは。瞬間的に中道はそう感じた。弁護士達に責任を追及されるという意味での〝ヤバい〟ではなく天狗騨の言動の方からそう感じたのである。
「とぼけるな! 我々弁護士の人権がお前達によって脅かされたんだぞ!」
「人権とはどの人権でしょう?」
「そんなことも解らんのかっ! 基本的人権だっ!」
(さすがにほのかに漂わせる対決姿勢に警戒心を覚えたか?)そう中道は感じた。(我々には『生存権』がどうのこうのと散々怒鳴り散らしていたのにな)
しかしこの場には五人もの弁護士がいる。警戒感という感性を誰しもが持っているわけではない。弁護士という社会的地位にあぐらをかき、警戒感をまるで感じない者も混じっていた。そういう者にとってはいろいろと喋ってくれそうな天狗騨の方がのれんに腕押しの社会部長よりも与し易しと映ったのかもしれない。
「生存権だっ!」一人の弁護士がそう言い放った。
「誰があなた方弁護士の生存を脅かしているのでしょう?」天狗騨は訊いた。
来客室というこの場が急にシンと静まりかえった。
(来た!)不謹慎ながら中道にはワクワク感が押さえられなくなっていた。
「誰って、お前達だよ! お前達の新聞が脅かしているんだっ!」
「何か勘違いされているようですが我々ジャーナリストは弁護士の殺害など企てたりしませんよ」
「ふざけるなっ! お前達の扇動のせいで我々の命が危なくなっているんだよ!」
「ほう、誰かを扇動しましたか?」
「自分の胸に聞けっ!」
「解りませんね。私は取材はしに行きましたが扇動などはしていませんね」
「その取材が扇動だと言ってるんだっ!」
「ということは私がイランイスラム共和国とサウジアラビア王国を扇動したと言いたいわけですね?」
「その通りだ!」
「そういう認識だということはあなた方弁護士はイラン人とサウジアラビア人から命を狙われていると、そう考えているということですか?」
「何もそこまでは言ってない!」
「では誰もあなた方弁護士の命を狙ってはいないということですね」
「国名は限定しないがお前達のやったことはイスラム世界に対する扇動だったんだ!」
「ということはイスラム教徒があなた方弁護士の命を狙っていると、そういう認識をお持ちだということですか?」
「うっ……」饒舌に喋っていた弁護士が詰まった。この間隙を天狗騨記者が見逃すはずはなかった。
「特別に今のはオフレコということにしておきましょう」天狗騨は言った。
〝オフレコ〟、それは『聞いたことは記事にしませんよ』という〝記者の口約束〟である。たいていの場合これを真に受けた政治家が裏切られて、終わる。
新聞記者天狗騨のオフレコ発言で弁護士達が凍り付いた。
「もういい。お前達は黙ってろ」
一人のブラウン系のスーツを着込んだ弁護士が他四人をたしなめた。どうやらこの男がこの中の長のようであった。その男が天狗騨に向かって口を開いた。
「オフレコにしなくて結構です」
「ほう」と天狗騨が応じる。
「有り体に言って私どもはイスラム教徒達に命を狙われるなどとは思っていません」弁護士の長はきっぱりとそう言ってみせた。
(どうする、天狗騨、コイツはやっかいそうだぞ)と中道は内心思いながらまだワクワク感が止まらない。
「なるほど、それは結構な事です。イスラム教徒に対する差別を弁護士がやっていたのではお話しになりませんからね」天狗騨が言い返した。
以前に増してこの部屋の空気は険悪となっていた。曲がりなりにも社会部長は弁護士達とは『協力しましょう』、という姿勢だったのに天狗騨にはそのつもりは一切無いようだった。
「しかし私は差別には反対だが懸念というものを無いことにはできない」再び弁護士の長が天狗騨記者に挑戦してきた。
いや、当人にはたかだか平の新聞記者相手に〝挑戦〟などという意識を持っている自覚など微塵も無いのかもしれない。しかし彼ら弁護士にはもはや適当なところで切り上げて丸く収めようという感覚がゼロであった。
この時の弁護士の長の声色から〝弁護士に逆らう気か〟という強圧的空気を普通の感性を持っている者なら誰しもが感じ取ったことだろう。
しかし、天狗騨記者は忖度能力ゼロの男なのである。
「その懸念、具体的にお願いできますか?」天狗騨が訊いた。
本格的なバトルが始まりつつあった。
「あなたは『悪魔の詩・訳者殺人事件』をご存じですか? 社会部の記者さんなら当然知っているでしょう?」弁護士の長の方も訊いた。『社会部の記者さんなら』以下は完全に言わなくてもいい蛇足だったが、もう憎しみは止められなくなっていた。
「そういうタイトルの小説がありましたね。元々は外国ものだということです。『預言者ムハンマドを冒涜した』と受け止められ、イスラム世界では相当な反感を持たれたとか。イランイスラム共和国の最高指導者がこの本の作者に死刑判決を出しました。作者はその時確かイギリス政府でしたか、そこに匿われ殺されるという事態にはなりませんでしたが、よりにもよってここ日本で件の小説の日本語訳をした大学助教授が殺害されるという事件が起きました。現場は助教授が勤める大学構内、平成の最初の頃だった筈です。そして事件は未解決です」
「さすがは社会部の記者さんだ」弁護士の長は言った。そして「しかしこれには続きがある」と話しの続きをし始める。
「どんなでしょう?」と天狗騨。
「実は事件直後日本から姿を消した人物がいました。容疑者の目星はついていたのに日本政府が当該外国政府に容疑者引き渡しを求めなかったという話しです。週刊誌ネタですが」
「週刊誌ですか」
「あなたのようなお立場では週刊誌など全国紙よりは下等だと、そうお思いですか?」
「必ずしもそういう認識はありませんが」
「どういうわけかその週刊誌に一週だけ掲載されその後の続報と展開が無かったという謎の記事ですがね」
「犯人はイスラム教徒だと、そういう認識をお持ちですか?」
「いいえ、そうは言っていません」
「ではこの話しにどういう意味があるのでしょう?」
「問題は日本政府が容疑者の引き渡しを当該外国に求めなかったというこの点にあります。これは事情を訊くことすらしなかった、という事になります。私はこの点について非常に懸念を持っています」
「解りやすく解説をお願いします」
「外国と外国人を刺激したくなかった、ということじゃないでしょうか」
「なるほど、ある意味いかにも日本らしい」
「あなたはその〝日本らしさ〟を持ち合わせていないようですが」
「そうかもしれませんね。で、この話しのオチはなんです?」
「今から私が言うのはファクトです」
「別の話題に振りますか?」
「ファクトです」
「——ではどうぞ」
「『悪魔の詩・訳者殺人事件』が起こった平成初期に比べて現在は、当時とは比べようもないくらい国内在住のイスラム教徒の数は増えています」
「ずいぶんと不穏な話しをしますね」
「不穏は不穏ですが『或るケース』については警察だとか政府だとかが犯人を敢えて逮捕しないという疑惑は厳然としてある」
「まあ〝疑惑〟だけはあるかもしれませんね」
「そうです。そんな中で我々弁護士がかくかくしかじかの事を言っていたと、わざわざイスラム教徒達に知らせに行く必要があったのか、と、それを我々は問題にしているんです」
(さすがは弁護士の長だ)中道は思った。(天狗騨でも丸め込まれて謝罪に追い込まれかねない)と、そう思ってしまった。
「なるほどあなた方の言い分はよく解りました」
「ならば我々が何を求めているかも解っていただけましたね?」弁護士の長がチェックメイトをかけてきた。
「しかしあなた方弁護士は自分達の言い分だけを言っていて、イランイスラム共和国とサウジアラビア王国の人達の言い分を一切口にしていない。あなた方がここに来ているのは彼らから抗議を受けたからでしょう? その抗議の中身を語って頂けますか?」
天狗騨の方には終わらせる気は一切無いようだった。
「なぜ我々がそれを言わねばならんのだ!」弁護士の長の声が荒くなり始めた。
「一方の言い分だけを聞いて『あなたが正しいです』とは決められないということです。しかっしどうやらその態度、イスラムの方々の言い分など言うつもりも無いようですね。では私が言いましょう。私が両国の大使館に取材に赴いたら両方ともに、かなりの反感を持たれてしまったようですが、事情を説明したところ彼らも取材の意図について理解を示してくれました。そして彼らの『死刑制度に関する意見』を持ち帰ることができました。不思議なものでイランとサウジアラビアは友好国同士とは言えませんがその意見はほぼ同じでした」
「……」弁護士の長は何も言えなくなっている。
「いいですか、言いますよ。『我々は死刑制度を廃止しようという考えになんらの異議を唱える立場には無い。ただし、死刑制度を維持していることをもって未開の後進国だと扱ったり、我々という存在を国際社会に存在していないことにする主張を許すわけにはいかない』、以上です」
「それがいかんというのだ! それがーっ!」
天狗騨が来てから落ち着いて喋り始めていた弁護士の長が突如取り乱し始めた。社会部長や中道と相対していたときに戻りつつある。
「俺たちは日本に対して死刑を廃止するように言ったんだ! イランやサウジアラビアには一言も言っていない!」同じ口がさらにそう叫んだ。
「ハ?」
天狗騨の声色がにわかに変わったのを中道キャップは聞き逃さなかった。
「それはつまり『死刑廃止』には普遍的な価値観は無いという意味ですね?」
「なにを言っている! 普遍的に決まっているだろうが!」弁護士の長が怒鳴った。
「普遍的とは〝全てのものに当てはまる〟という意味です。ならばイランイスラム共和国やサウジアラビア王国にもその価値観を当てはめられるという意味になります」
「普遍的じゃないに決まっているだろーっ!」突然別の弁護士が叫びだした。弁護士達の一枚岩が割れ始め総崩れになりつつある。間違いなくこの瞬間弁護士の長の格は落ちた。
しかし天狗騨はこの叫び声も見逃さなかった。
「普遍的でないというのなら『死刑廃止は世界の潮流』だとか『国際社会は死刑廃止を求めている』だとかいう理屈が成り立ちませんが。普遍的ではない価値観を押しつける者は『悪』ではありませんか? あなた方弁護士は普遍的ではない価値観を他者に強要する事が仕事だと言うのですか?」
正に天狗騨記者のクロスカウンターが決まった瞬間だった。
弁護士達が一斉に取り乱し始め天狗騨に罵声を浴びせ始めた。要約するとこうである。
〝キサマ、会社員風情ガ弁護士サマニ逆ラウ気カ!〟
「キシャアアアアアアアァァァァァッ‼‼」突如天狗騨が叫んだ。
その狂気に満ちた雄叫びに一瞬で弁護士達の騒ぎが鎮まる。
天狗騨がゆらりと前へ一歩踏み出した。
「日本に対して死刑を廃止しろとそう要求したからにはどの国であろうと言わなければならない。イランイスラム共和国でも、サウジアラビア王国でも」天狗騨記者はそう静かに言い切った。
さらに天狗騨は喋り続ける。
「『言いやすい者にしか言えない主張』ってのは要するにイジメです。弱い者相手にはできるが怖い者に対しては同じことはできない。こういう存在を私が許せると思いますか? 私はイジメ撲滅のため、社会正義実現のために社会部の記者になったんですよーっ!」途中までは普通の調子で喋っていたがその最後、天狗騨が弁護士達をこれ以上はないという大音声で怒鳴りつけていた。
弁護士達は誰一人返す言葉も無く沈黙したままになっている。弁護士達が何も言わないことに業を煮やしたのかさらに天狗騨の口が動いた。
「今言ったそのもっともらしそうな論理、誰に対しても言えるんでしょうねえ⁉ でなければアンタは差別主義者だ! そう私は言っているだけなんですよ」
ようやく一人の弁護士が堰を切ったように喋り出す。
「おっ、お前は人間かっ? 俺たちの命などどうなってもいいのかっ!」
「遂に開き直りましたか。それはあなたの命はイスラム教徒によって奪われると、そういう意味になっていますが」
「そんな建前で逃げ切れると思うなよ! 現に『悪魔の詩』で殺人事件は起こっているんだ! イスラム圏のメディアではあの事件に拍手喝采するところもあったんだ!」
別の弁護士も口を開いた。
「これは一個の人間としての欲求だ。人の命を危険にさらしておいてお前はそれが楽しいのかっ!」
(天狗騨に人格攻撃は効くのだろうか?)中道はふと思った。
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