第十一話【ASH新聞社内、弁護士達暴れ回る】
二人はエレベーターを降り、問題が待ち受ける来客室へ向かい歩き始める。社会部長が口を開いた。
「手短に対処法を言う。攻められても弱みを見せるな。決して謝罪を口にするな。すれば却って事態がまずくなる。かといってこれ以上怒らせるのもまずい。あくまで『問題に共同対処する』というスタンスで行け」
(遂には内ゲバの始まりか)中道は思った。
「中道君、返事は?」社会部長が念を押すように訊いてきた。
「解りました」
「弁護士達からいろいろ詰問されるだろうが自分の言動の責任は自分でとることになる。なにせ相手は弁護士だ。揚げ足取りには細心の注意を払え」
(もはや仲間でもなんでもないな……あの社説はなんだったのだ)
中道がそんなことを考えている間にその部屋の扉の前に着いていた。
「失礼します」社会部長が来客室のドアを開けた。
襟の弁護士バッジが煌めく五人もの男達が一斉にさっと立ち上がる。
「我々の生命が脅かされているんだぞ!」「我々の人権をどう考えている⁉」「生存権だ!」「基本的人権が侵害された! どうしてくれるんだ!」「お宅の社員のやらかした我々に対する人権侵害っ、どう責任をとるつもりか⁉」
それぞれがそれぞれに人権の矢をぶっ飛ばしてきた。どの弁護士の顔も凶相と化している。
しかし社会部長は「お掛けください」とソファーに着席を促した後「先方もたいへんに憤慨されている様子で、それに対し我々がどう対処すべきか、摺り合わせをいたしませんと」と言ったのだった。〝先方〟とはもちろんイランイスラム共和国とサウジアラビア王国のことである。
(摺り合わせもなにももう会社の方は謝罪方針で固まっているというのに……)と中道は思ったが、もちろん何も口にしない。
(面子にこだわっているのだろうか? しかしこういう場合いたずらに時間を掛けると状況は悪くなるばかりだと解らないのだろうか? 普段から他人を散々責め立てているのだからこれくらい解って然るべきだろう)
むろん思っていてもこんなことは一切口にしない。
(イスラムがそれほど怖いなら『死刑廃止』という価値観を絶対善にしなければ良かったのだ)
もちろんこれもまた思っていても一切口にはしない。
————攻撃側の弁護士達にとって社会部長の続けている応対は極めて不誠実で彼らの要求に全く応えるものではなかった。
弁護士達の要求はもちろん「今回の不始末の責任は全てASH新聞に在り、我々(弁護士達)の人権を脅かしたことに真摯に向き合い然るべき対処をし責任をとるべきだ」というもの。
有り体に言って『謝罪要求』であった。
しかし社会部長の口から出てくるのは、「一刻も早い対応を」「この状況を協力して乗り切りましょう」とこればかり。
「誠意はどうした誠意は! こっちはアンタ方を信用して取材を許可したんだ。情報源を売るのが新聞社のやることか!」「出るとこに出てもいいんだぞ!」これに次々弁護士達が同調していく。遂に弁護士達が訴訟をチラつかせ露骨な恫喝を始めたのであった。
(もしかしてこれは『取材源の秘匿』のことを言っているのか? 情報を売るも何も、マスコミを集めて得意げに『死刑廃止宣言』を発表していたのはアンタたちだろう)弁護士達はいきり立っていたが中道の中も逆に腹立たしさでいっぱいになってきていた。
しかし弁護士達がどれほどその地位を使い本格的に恫喝をしてみても社会部長は相変わらずのらりくらり、同じような詰問には同じような答えで返すのみ。
さながらそれは舌鋒鋭く政治責任を追及する野党議員を嘲笑うが如く煙に巻き続ける政府与党の政治家のようでもあった。
次第に弁護士達は別の要求をするようになっていった。
即ち、当該社員と責任者の処分を求めるようになっていた。責任者の処罰をASH新聞自身にやらせなければ収まらないといった風情だ。明確には口に出さないが早い話しがクビ、〝懲戒解雇〟を求めているようだった。我々をこんな目に遭わせたからには遭わせたヤツの人生を潰さねば気が済まなくなっているようだった。
その流れの中で遂に中道キャップに出番が来てしまった。
「あなたがその天狗騨とかいう問題記者の直接の上司か?」中道は一人の弁護士にそう尋問口調で言われた。別の弁護士もそれに続く。「あなたは個人的に今回の一件をどう思っているんだ?」
「憂慮すべき事態です」中道は答えた。
「どう責任をとるべきか、そう訊いているんだよ! よりにもよってイランやサウジに我々を売ったんだ! 我々の命を脅かしているんだぞお前の部下は!」
「解っています。立場は我々も同じですから」
「打ち合わせたのか⁉ お前は上司と同じ事しか言わないじゃないか! お前の考えを言えと言ってるんだよ!」「会社員の組織防衛論など我々に吹き込むな! こっちは個人でやってるんだ!」「個人としての意見が無いのかっお前には⁉」「責任だよ責任。お前自身に責任があるか無いかを訊いているんだっ!」
中道はなにかを返事する前に次々と罵声を浴びせられていた。既に中道は〝言論サンドバッグ〟と化していた。
「我々に何をして欲しいのです?」中道は思わず率直な事を言ってしまった。
「馬鹿っ」社会部長の小声が耳に届いた。
その瞬間中道は自分が何を口走ってしまったかを理解した。『要求することがあれば言ってくれ』、はこの場合正に禁句であった。それをして社会部長は『馬鹿っ』と言ったのである。
「我々に対する謝罪だよ。我々の人権を脅かした罪がある!」
「そうだ! 生きる権利だ!」「そうだっ! 生存権だ!」「基本的人権だ!」「謝れ!」
弁護士達のボルテージが一斉に上がり始める。
「この危機は我々共通の危機です。我々を痛めつけてもあなた方の立場は変わらないのではないですか」中道は必死に当たり障りの無いことを口にした。しかしまったく効かない。むしろ火に油。
「誰に責任があるのか⁉ 言ってみろっ!」
「しょうがない——」社会部長はぼそりと言った。
(なにが〝しょうがない〟? まさか言いなりになって誰かを処分することで決着をつけるつもりか?)
気がつけば勝手に口が動いていた。中道の口が。
「数年前はもっとあなた方はまともだったじゃないですか。確か以前は……、そう、『「死刑の無い社会が望ましい」として、廃止について広く議論をしようじゃないか』とそういう宣言でとどめていたというのに」
「なんだとっ! 我々に責任があるってのか⁉」「イランやサウジにチクっておいて開き直りか!」
〝チクる〟などと、言うことが既に中坊レベルになっていた。しかしとっくに中坊ではない中道にはその手の脅し文句など効くはずもない。そして中道自身にも身体の底に溜まっていることばの発散が止められなくなっていた。
「イスラムがそれほど怖いなら『死刑廃止』なんて価値観、世界中に強要するなど止めとくべきだった——」
遂に思っていたことがそのまま口から飛び出した。そのことばで一斉に弁護士達がソファーから立ち上がる。顔、顔、顔、顔、顔、どの顔にも憎悪の感情が露骨なほどに現れている。正に一触即発——、だがその時だった。後ろから聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「さすがはキャップ、こういう手合いにはそれくらいの事を言わねば解りません」
「〝手合い〟とはなんだっ⁉」弁護士の一人が声の主に向かって怒鳴る!
振り向けばそこに天狗騨がいた。相変わらず髭もじゃの口元からニカッと白い歯がのぞいている。
「しかしその意見そのものにはちょっと賛同できません。そこは『怖くても主張すべき』でしょう? 人権の問題なんですから」
「天狗騨……」社会部長がその名を口にした。
「てんぐだ? お前が天狗騨かっ⁉」一人の弁護士が叫ぶように言った。
「そうですよ。私がイランイスラム共和国とサウジアラビア王国の大使館への取材を敢行した社会部記者の天狗騨です。いや、この件では弁護士の皆さんにも話しを聞こうと思っていましてね、皆さんのことも取材したかったんですよ。わざわざ会社の方に来て頂けるとは本当にちょうど良かった」
天狗騨記者の顔は相変わらずニカッと笑ったまま。
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