第九話【覚悟無き死刑廃止論者たち2 論説委員達右往左往する】
中道キャップが天狗騨記者の姿を見なくなってどれくらいの時間が経ったろう。数人の実年期の男達がどやどやと社会部のフロアに踏み込んできた。
中道は間を置かずそれらの人間達の存在に気づいていた。
「ここに天狗騨君という記者はいるか⁉」そう大声をあげながらだから当然気づきもする。
もうこの時にはこの実年期の男達がどういう立場の人間なのか、中道は気づいていた。その数人の先頭にいる男の顔には見覚えがあった。
(論説主幹——)
新聞には全国紙・地方紙に拘わらず必ず〝社説〟というものが載っている。その新聞が持っている価値観がそのスペースに書いてある。その欄を読めばその新聞がどんな考えを持って報道に携わっているのか、それが明瞭に解るのである。言わば報道企業としての〝意見表明欄〟である。
その欄を執筆する役職に就いている者が論説委員である。論説委員は記者職の最高職でありその彼らが所属する部署が論説委員室であった。
論説主幹はその論説委員室の最高責任者である。新聞によっては〝論説主筆〟とも言い、正にトップ・オブ・トップなのである。
そのトップの男が血相を変えて飛び込んできた——
(今日天狗騨とは本日付の『死刑廃止社説』で散々侃々諤々やり合った。そしてその後の〝取材に行く〟だ……こんな日は……)
中道としては嫌な予感しかしない。
しかし中道キャップは天狗騨記者直属の上司である。しかも論説主幹という社の最上層部がその天狗騨を捜し回っている。ほぼ確実に事情を知っている者として、知らぬ顔を決め込み続けるわけにもいかなかった。
「天狗騨なら取材に出かけましたが」と立ち上がり大きめの声で応じた。
その声にさっそく反応があった。論説主幹を先頭とした集団は中道キャップの元へとまっすぐずんずんやって来る。
「いつ頃戻るかね?」論説主幹がまず口を開く。多少声が大きく若干早口で、何事か焦っていることが直感的に中道に解った。とは言えその問いに確たる答えは無い。
「記者が取材で外に出たからには何時戻るかは解りません」中道はそう率直に〝定番の答え〟を口にした。
「困るなあ、いったい何処へ行ったんだ? こっちはどうしても彼に事情を訊かなきゃならんのに」
脇から知らない男が口を挟んできた。
(この男もさしずめ論説委員か?)中道がそんなことを思っていたとき、また一人社会部のフロアにぱたぱたぱたぱたと短くせわしなく歩を刻みながら男がやって来た。
中道の耳はその男が論説主幹の耳元でささやいたナイショ話をしっかり拾っていた——盗み聞きするつもりは無かったがつい聞こえてしまったのだった。
「主幹、今度はさうじからです」
確かにそう聞こえた。
(さうじから——サウジから?)
「〝さうじ〟とは石油のサウジアラビアですか?」中道は声に出しハッキリと訊いてしまった。
別の男がさっと中道に寄ってきた。
「もういい。責任は問わないからもう君は口を挟むな。後はこっちで全て処理する」そう言ってきた。
中道には何をささやかれているのかさっぱり解らない。ただひとつ解ったのはついさっきそれを言われた論説主幹の顔が普通じゃないくらいに蒼かったということ、それだけだった。
——もう実年期の男達はまとまって早足で風のように社会部のフロアから消えていた。
(確か……『今度は』とも言っていたよな。ということはこの前にも何かがあったのか?)
「主幹の方はあれで済んだかもしれないが弁護士のセンセイ方はそうは甘くないんだぞ」
立ったまま考え事をしていた中道の背中に唐突に声が浴びせられていた。振り向けばそこに、ここ社会部のトップ、社会部長が立っていた。歪んだ口元のしわがいっそう深く、一目見ただけでかなりの不機嫌であることが中道には解った。
「今から私と来客室へ来るんだ。そこでお客様がお待ちだ。先方はかなりのおかんむりでな、相手が弁護士だけに相当の覚悟だけはしておけよ」
社会部長は中道キャップにそう言い渡した。
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