第八話【『死刑廃止論』の穴2  『政府の数』と『個人の数』】

                  ◇

「死刑廃止は今や世界の潮流となっていて既に定着している。現に死刑制度維持国と廃止国の数を比べれば死刑廃止国の方が多い。世界のおよそ140カ国が制度上、あるいは事実上取りやめている。このままでは日本は世界の流れから取り残される——」天狗騨記者の口がなめらかに動く。「その通りじゃないか」中道は頷きながら口にした。

「これが死刑廃止論のもう一本の柱です」と、まず天狗騨はそう言って締めた。



 これは『多数派の原理』という手法である。かなり平たく言うと、

 『さあーっ、他のみんなはそんな考えなど持ってないぞ!』と、そう言って圧力をかける手法である。

 数が多いから正しい価値観である。間違っている価値観の方は数が少ない。

 『さあ、お前は数が少ない方だぞ!』

 〝同調圧力〟に非常に弱い日本人には非常によく効く攻撃法であった。

 日本人的凡人ならばこういう圧迫を受ければ押される一方である。



 ところがここにいるのは天狗騨記者である。この男ときたら——

「ですがこの主張には穴がありますね」と実にあっさり『多数派の原理』を否定してみせた。140カ国ほどの死刑廃止国の存在などまるで眼中に無いようである。

「待て待て! 廃止国と維持国を比べたら廃止国の方が多いんだから〝世界の潮流〟と言っても間違いない」中道キャップは己の良心に従い模範解答を口にした。

 しかし模範的とはほど遠い天狗騨記者は言うのだ。

「その主張は『国家権力の数』を数えているだけの主張に過ぎません! 『自由意思を持った個々人の数』をまったく数えていない! そこに看過できない穴がある。これが『死刑廃止論』、もうひとつの欠陥です!」と。

「相変わらず何を言っているのか解らんが」

「時間の経過とともに死刑肯定論者が増えていくのが確実視されているのに政府の数だけをカウントして『世界の流れ』だのなんだのと断定するのは問題だと言っているんです!」

「お前はなんで『時間の経過とともに死刑肯定論者が増えていく』などと言っている? そう断定できる根拠がどこにある?」中道が問いただした。

「宗教、という視点が抜け落ちています」天狗騨は言った。

「しゅうきょう?」

「いいですか! アメリカのシンクタンクによると西暦2100年にはイスラム教徒の数が世界最大となると、こういう予測がある。シャリーア、つまりイスラム法ですがイスラム法は死刑肯定です。イスラム教徒がイスラム法を捨てるはずがないのだから『死刑廃止が世界の潮流』などと言い切るのには問題がある!」

「しかしそれは未来の話しで今は——」

「今さえ良ければいいなどという価値観は全否定です! このままだと深刻なねじれを生むと言っているんですよーっ!」

「ねじれ?」

「私はね、個人的には『死刑制度肯定派』ですが、多くの人々が死刑廃止を求めるのなら仕方ないとも思っています。民衆が死刑廃止を望み、政府がそれに応える。両者の方向性が一致しているのならそれは本物の流れでしょう。しかしです、このままの流れだと各国政府レベルでは死刑否定派が多数派だが、世界の人間個々人レベルでは死刑肯定派の方が多数派になるというねじれを生むんです! 多くの民衆が死刑制度が存在することを望んでいるのに各国の政府がこれを無視して特定の価値観を民衆に押しつけるのだとしたらこれは大いに大問題じゃあないですか! 国家権力の方針が多くの個人の自由意思より上位の価値観であり優先されるなど論外も論外! これは少数者による多数の支配となります!」


(よくもまあこんなもっともらしい理屈を次から次へと思いつく)と中道はただ唖然とするばかり。反論も何も思いつかない。

(世界の140カ国ほどが死刑廃止か……死刑廃止国の中にもそれを快く思っていない者がいるであろうことを考えれば人の数など何処吹く風、確かに政府の数を数えているに過ぎない……)


 天狗騨記者はまだ喋り足りないのか未だ熱弁を奮っている。

「せいぜい言えることは『死刑廃止は21世紀前半現在の流行である』、とここまで! 数十年後〝死刑廃止が世界の逆流〟になっている可能性は高いですよ!」

 このままだと当分止まりそうも無い。

「ちょっと待て! この議論の意味はなんだ⁉」中道キャップはブレーキを掛けた。

「取材の許可ですよ」天狗騨記者は言った。


 いつもこのパターンだが延々これに付き合わされてはたまらない。中道キャップは渋々OKサインを出した。


 この時の中道には天狗騨がどこへ行こうとしているのか、まったく想像の埒外であった。

 しかし天狗騨記者はかなり重要なヒントを一連の会話の中で示していたのだが……

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