第六話【『死刑廃止論』の穴1 それは取り返せるか?】

 ともかくも中道キャップは左沢政治部長の『天狗騨に入れ込んでいるようじゃないか』との詰問に答える必要があった。


「〝ある部分〟では入れ込んでいることを否定はしません」中道キャップは正直に部分的肯定をした。

「なんだと⁉」左沢の顔がさらに赤みを増す。


(そうだ! 弁護士すらも非道い目に遭わされていた、のことを話せば——)


「まあ落ち着いて聞いてください。アイツは弁護士すらも負かしてしまった男です」中道は言った。

「だから俺がやり合っても勝てないと?」

「……」

 中道が次の答えをなんとしようかと迷っているうちに左沢が怒鳴り始めた。

「ド素人が弁護士とやり合って勝てるか!」

 その強圧に動揺し心の余裕を少し失った中道キャップはあまり考えもせず次の言葉を口にしてしまった。

「もちろん弁護士と〝法律〟でやり合ったらド素人の負けです。しかし話しは法律じゃなくて〝死刑廃止論〟です」

「まさかその天狗騨というヤツが前にも社論に逆らっていたのか⁉」


(あれ、なんか方向がマズくなってる——?)

 そう、確かにASH新聞においては『死刑廃止』は社論であった。


 しかし『社論に逆らっていたのか?』と訊かれて『逆らってはいない』とは言えない。正にこれからその話しをしようとしていたのだ。恐怖の天狗騨伝説を。中道キャップとしては、弁護士からすらも「これ以上関わりたくない」と言わしめたと、そのことを言おうとしていたのだが……


(もしかして火に油か?)


「日本が死刑制度を維持してるってことは人権後進国だってことだ!」左沢政治部長はASH新聞的正論を大声でぶった。続けてその鋭い視線を中道に突き刺し「お前はどう思ってる?」と迫った。

「私としては否定はできません……」

「当然だ。だがをこのASH新聞の社員をしていながらその天狗騨とかいうヤツが否定するのなら黙って見過ごすわけにはいかん!」

「しかし天狗騨は否定するための理屈を言いまして……なかなかにその理屈を突き崩すのがたいへんなのです」


 左沢政治部長を脅すつもりで始めた話しが、もはやすっかり中道キャップが脅される話しとなっていた。中道が口にしたことは逆効果以外の効果を持っていないようだった。左沢が中道を容赦なく脅しつけた。

「言え! どんな屁理屈だ⁉」




 『死刑廃止キャンペーン』は、ここ日本において定期的に湧き上がってくる運動である。

 きっかけは或る時は国連。また或る時は国際人権団体、ほぼほぼ決まって外からだ。まずそれらが活動を始め死刑制度存続国である日本を非難し攻撃する。

 それに呼応するかのように国内でも連動運動が始まる。弁護士団体が動き、左派・リベラル系メディアが動く。むろんASH新聞もその中に含まれていて中心的役割を担う。一面記事、社説等々で大々的にその価値観を展開する。

 この『まず外が動き次に中が動く』という一種パターン化された起動手順は以下のような効果をもたらす。

『世界が死刑制度のある日本に怒っている!』という主張ができるのだ。

 一般論として日本は外圧に非常に弱い。その外圧の力を使うための必須の手順なのである。


 しかし、かの天狗騨記者にとっては外国人が何を言おうと全く関係が無い。己の内心に照らして納得できる主張かどうかが絶対基準なのだった。



                  ◇

 天狗騨記者はあの時も〝社論〟に逆らっていた。

 天狗騨曰く、『死刑廃止論には主張として理屈の通らないおかしな箇所がふたつある』と。


「おかしなところ?」中道キャップはめんどくさそうに言った。

「そうですよ。この部分を正さない限りこの主張には説得力はありません!」天狗騨記者はハッキリしすぎるくらいハッキリと『間違いが存在している』と断言した。中道としては嫌な予感しか涌いてこない。

「待て待て、お前が言っても説得力の点で問題がある」

 中道は一拍間をとる。

「お前は『死刑制度肯定論者』じゃないか」

「当たり前ですよ! 社会部記者として仕事をしてきたってことは殺人事件の遺族の取材だってしてきたってことです! そんな人に向かって『死刑は残虐な刑罰だから廃止すべき』だなんて言えますか⁉」

「しかし死刑囚を許そうという遺族だっている」

「もちろん知ってます。このASH新聞の編集方針に沿うような遺族を紙面に載せていることくらい」

「お前なあ、社の編集方針に逆らうって、どうなっても知らんぞ」

「まさか私が感情に流され、感情論でものを言っているとお考えですかーっ⁉」

「そう見えるんだよ」

「否定はしません!」

「そこ、認めんの⁉」思わず中道キャップは突っ込んでしまった。

「私の行動原理が私の内心から湧き上がる感情であるとしても、理屈は別です。『死刑廃止論』には論理的におかしなところが二点あるという事実については私の感情がどうあろうと動かしようがありませんっ!」

「『二点あるという事実』なんて初耳だ。そんなのはお前の思い込みじゃないのか?」

「今の発言、私の話を聞くという意味ですね?」


(——またやってしまった……)


「分あーった、言ってみろ!」中道は心の内に後悔を抱えながらヤケクソ気味に同意した。

 天狗騨記者はニカッと口元に笑みを浮かべ「分かりました」などと言う。

(なんで俺が要請した形になっている⁉)


 天狗騨はまずこう切り出した。

「『死刑は、誤審だった場合に取り返しがつかない』と言って残虐性を強調するのが『死刑廃止論』の主張の柱の一本です」

「まったくその通りじゃないか。死んだ人間は生き返らないんだから」

「キャップ、それはあまりに軽い人権感覚じゃないですか?」

 中道は言われた瞬間頭が混乱してことばが出なくなっていた。天狗騨記者は喋り続ける。

「冤罪だった場合、死刑じゃなくても取り返しがつかないんじゃあないですか? しかしそれをもって『懲役刑も誤審だった場合に取り返しのつかない刑罰だから廃止しよう』などとは誰も言っていないわけです」

「そんなこと言い出したらアナーキストそのものじゃないか」

「そう、誰も支持しないしできない。だから現実に『死刑廃止論者』は誰一人としてそんなこと言わない! そんなことをすれば確実に治安崩壊しますからねーっ!」


 ???



「言ってる意味が解らんが」

「つまりこうです! 死刑廃止論者が懲役刑廃止論者でない以上は、連中は『死刑以外の刑罰なら取り返しがきく』って言ってるってことですよーっ! 許せますかこのトンデモ理論を!」

「いや、益々解らないが……」

「具体例を考えればすぐ解ります! いいですか、ここに〝三十歳の人〟がいるとしましょう!」

「うん」

「この人に殺人事件の嫌疑がかけられ逮捕され裁判で殺人犯として認定され〝懲役20年〟の刑が確定しました。しかし実はこれは冤罪事件で刑期を終えた後になって真犯人が明らかになりました。さて、〝三十歳の人〟はどうなります⁉」

「当然裁判に訴える……国家賠償だろうなあ」


 バンっ! すごい音がした。天狗騨が中道の机を握り拳で叩いていた。


「どうしてすぐにお金の話しになるんです⁉ 拝金主義ですよそれは! 完全に資本主義に毒されてる!」

 中道には言うべき適当な答えが思いつかない。それを良いことに天狗騨が怒濤の勢いで話しを続ける。

「この人が男性だったらどうなります? さあ、懲役20年! 齢五十の男にお嫁さんは来ますかね⁉」


 『来る』、などと言えるわけがなかった。さらに天狗騨が畳みかける。


「じゃ、この人が女性だったらどうなります? さあ、懲役20年! 齢五十の女に結婚・出産という道はありますかね⁉」


 中道はぐうの音も出ない。


「ありませんよ! 死刑だって懲役刑だって冤罪だったら取り返しなどつかないんです!」

 天狗騨は自ら〝答え〟を断定してしまった。しかし確かに現実はとても厳しく、だいたいにおいてそのようなものなので中道にはなにかを言い返す余地が無い。


(確かに取り返すなど無理だろう……)中道は思った。時はカネで買い戻せない。


「むしろ死刑は取り返しがつかないが、他の刑罰なら取り返しがつくというキテレツな理屈は人権そのものを脅かす危険思想ですよ!」

「ど、ういう理屈で?」かろうじて中道が言えたのはこれだけ。

「誤審や冤罪に対する心理的ハードルを下げてしまうんですよ! この会社の書いた社説、ありゃなんです⁉ 『人が裁く以上、間違いは必ず起きる』などと開き直ってハードルを下げている! こんなことを気楽に書いてしまって『間違っても死刑じゃないから取り返しがつく』って、そんな感覚が社会に浸透してしまったら裁判員裁判はどうなります? そんなお気楽な感覚で裁判に参加していいんですか⁉ プロの裁判官だってこんな空気に浸かっていたらどう職務に向き合うようになるか知れたもんじゃないですよ!」

「それは考えすぎじゃあ……」

「考えて考えてあらゆるケースを考えて主張するのが当たり前です! 『死刑は取り返しがつかない』なんて、他の刑罰ならいかにも『取り返しがつく』かのような言いぐさに市民権を与えるわけにはいかない! 刑罰の種類など最初から関係ない! 誤審や冤罪そのものがその人の人生にとって取り返しがつかないんですよーっ!」

                  ◇



 ————以上のような話しを中道キャップは左沢政治部長にしたのだが、左沢が尚いきり立つ以外の効果は無かった。


(しかし『死刑廃止論』のもう一つの欠陥こそが天狗騨恐怖のエピソードの源泉なのだ……)

 中道キャップは左沢政治部長をなだめすかしながら『死刑廃止論にまつわる天狗騨伝説』の語り部を続けていく——こんなものが続けられる理由は簡単だ。なにせ左沢は天狗騨が戻ってくるまで動きそうに無い。

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