第四話【天狗騨記者、野党第一党・民衆党本部へ殴り込む】

 中道キャップをいつもの調子で手玉にとったかに見えた天狗騨記者だったが、彼の主張が編集方針に取り入れられる事は無い。これもまたいつもの調子である。故に彼はいつもいつも自分の事を不遇な男だと考えていて、これだけ上司に言いたい放題言っているにも関わらず慢性的なフラストレーションを抱えていた。


 天狗騨記者はその長い足で大股に歩きながら怒りに燃えながら社屋を飛び出していた。或る場所へとひたすら前進を続けている。

(社が当てにならないなら別の者を動かして事を成す!)

「キシャアアアアアアアァァァァァッ‼‼」

 天狗騨は絶叫した。己に気合いを入れるために叫んだつもりだったが完全にアブナい人になり果てていた。周りに人々はいたがどの人も何も見ていない何も聞いていない振りをした。



 天狗騨記者のターゲットは最大野党民衆党である。この党の党論を再び『国立追悼施設における政府主催の追悼行事ボイコット』に戻してしまえば事は成る。天狗騨はそう考えた。

 理屈はこうである。現状いくら「全国会議員の出席を義務のように押しつける政府の強制はおかしい!」と訴え、『国立追悼施設における政府の戦没者追悼式典』に反対論をぶちたくても社の方針は『賛成』で固まってしまっているので紙面にそれを反映させることは不可能だ。

 だが野党第一党が反対論をぶてば〝その事実を記事にする〟という形で紙面に公然と『反対論』を書くことができる。


 天狗騨記者はこれまで、この党のこれはと思う〝護憲系議員〟の議員事務所へ片っ端から電話を掛け『国立追悼施設強制参拝問題』についての取材を申し込んだが、芳しい返事を受け取ることは全くできていなかった。ただの一回も議員本人と話しもできていない。


 〝これでは埒が明かぬ〟と天狗騨記者は遂に民衆党本部へ殴り込み取材を敢行することを決断したのだ。そしていま正に民衆党本部に天狗騨はいた。

 天狗騨は『アポをとろうとすればこれまでの二の舞になる』と予期し、もちろんアポ無しで突撃した。だがそこは大新聞ASH新聞社の社員証がある。入り口で追い返されるような事はなかった。これがフリーのジャーナリストには無い決定的な武器である。

 とは言え民衆党から見れば明らかに招かざる客であった。しかし無下に扱えば後で何を書かれるか分かったものではないという恐怖と保身主義から結局中に招き入れてしまった。こうなれば手短に取材をさせてやり早々にお帰り頂くしかない。

 訪問先にそう思われているなどとは露ほども考えていない天狗騨記者は実に厚かましい要求をしていた。


「党首に会わせてくれ」である。


 しかし野党とはいえ公党である。一記者のそんな要求に応えられるはずもなく、ただ今無位無官の、しかし党代表や幹事長を歴任した現在顧問の或る大物議員が取材(?)に応じる事になった。

 ——とはいっても『顧問』と聞けば聞こえはいいが、要は年寄りに与える名誉職。実際に党を動かす立場には無い。しかも彼はたまたま党本部に顔を出していただけなので取材時間も十分じゅっぷんの制限付きであった。天狗騨からすればこの対応はまったく充分ではなかったが(この際仕方ない。六百秒で党論を変えさせるしかない)、と決意した。


 五・五に分けた髪をきっちりと撫で付け常時眉間にしわを寄せた四角い顔の男が応接室に入ってきた。どこかフランケンシュタインに似ているあの男である。

 大物政治家が部屋に入ってきた時、天狗騨記者は立って迎えたが礼儀が良さそうに見えたのはそこまでだった。天狗騨記者は立ったまま一方的に喋り始める。

「民衆党の党論がなぜ強制参拝受け入れに変わったんだーっ⁉」

「与党のネガティブ・キャンペーンに屈しやがって」

 おまけに、

「それにオレは党首に取材を申し込んだはずだっっ」とまで言い放ってしまった。


 大物政治家は眉間にしわを寄せたそのままの表情で一言、

「無礼だな」と言った。大物らしい対応だった。

 しかし「無礼だな」と言われてしまっても、天狗騨記者は一応話だけは聞いてもらうことができた。さすが一応大物である。天狗騨記者は大物政治家氏に着席を促され、ここに取材が始まった。




「なるほど、事情は分かった」応接室のソファーにどっしりと腰を下ろした大物政治家は重々しく言った。

「要するに君は『国立追悼施設を政治家達に強制的に拝ませるべきではない』と我々の党に言わせたいわけだ」

 いよいよその回答の時がきた。


「結論から言おう君の期待には応えられない」

 あっさりとしたものだった。

「我が党にはこれまで国立追悼施設建設を推進してきた立場がある。君にも心当たりというものがあるだろう?」

 言外にお宅の社もそう言ってただろ? と言われたのであった。


 大物政治家の向かいのソファーに浅く腰掛けた天狗騨記者の顔には明らかに落胆の色が出てしまっていたが、それでも気力を振り絞り食い下がった。

「しっかし、あの施設には曖昧な部分が多々ある! この曖昧さは後々大きな問題となり、将来の禍根となることも——」十分じゅっぷんという制限時間が押していた大物政治家はその話を遮り、言った。

「その曖昧さが無ければ国立追悼施設など実現すらできなかっただろう」と。そして最後にこう付け加えた。

「『戦没者を追悼したくありません』などと、君のとこの新聞社すら言わないことを、我が党に言えというのかね?」と。

 普段から笑っている所を見たことがないこのフランケン顔の政治家の口元が僅かに嗤っているのを天狗騨は見逃さなかった。

(意趣返しをしやがったな!)

 予定の十分じゅっぷんが丁度来た。


 

 民衆党本部を出た天狗騨記者は本部の建物を睨み上げ右手を高々とあげぐるぐると回しながら大声で怒鳴っていた。

「民衆党の腰ぬけめーっ!」

 そしていよいよ訳の分からない事をわめき始めた。

「記者ってのはな、ヒゲを生やして怒鳴りつけて始めて一人前だ! 国会議員だろうと上司だろうと怒鳴りつけてくれるわっ!」

 ここで一区切り、息を大きく吸い込む。

「国立追悼施設めーっ、ASH新聞社会部記者の意地に賭けて潰してくれるわーっ‼」と怒鳴り、「キシャアアアアアアアァァァァァッ‼‼」と謎の雄叫びをまたしてもあげた。

 もちろん周りに通行人達がいたが、誰も彼も、何も見ない何も聞こえない振りをしていた。




 しかし——「意地に賭けて潰してくれるわ!」と絶叫した天狗騨記者であったが、打てる手を全て打った訳ではなかった。手段を選んでしまったのである。と、言うのも右派・保守派陣営の中にこそ国立追悼施設に反感を覚え、反発する勢力がいたのである。これは昔からのことだった。


 彼らの国立追悼施設反対論を取材して記事にして、同じく右派・保守派を自負する政治家達を焚き付けてけしかけて『国会議員に対する国立追悼施設強制参拝』を潰すという行為は遂にできなかった。


 右派・保守派陣営は、天狗騨記者同様国立追悼施設に反感を覚えていたものの一方で彼らは『戦没者の追悼は靖國神社で行うものだ』という価値観だったため、天狗騨にはこの主張を利する行為をすることは思想的にどうしても受け付けなかったのだった。できないのだった。

 常日頃会社の中で自在奔放に振る舞っているかのような天狗騨記者だったが彼のような人物にもASH新聞記者としての〝見えない天井〟はあったのだ。


 だが仮に天狗騨が最大級の一大決心をし、手段を選ばず『戦没者の追悼は靖國神社で行うものだ』という考えの者と共同戦線を張ろうとしたとて、ASH新聞社そのものがそんなキャンペーンに協力するはずもなかったろう。なにしろ彼の所属するこの新聞社は靖國を蛇蝎の如く嫌う勢力の総本山みたいな所として世上有名であったから。


 それに右派・保守派陣営は、国立追悼施設ができてしまって以降、〝或る一つの弱点〟を抱えることになってしまった。それは『靖國神社には軍人・軍属しか祀られていない』という事に関係する。国立追悼施設には新たに、『民間人の戦没者』を追悼の対象として加えていたのだ。


 さすがの右派・保守派陣営も「民間人を追悼するつもりが無いのか?」と国立追悼施設派に詰め寄られ、国立追悼施設での追悼の強制を拒みにくくなっていた。加えて加堂首相の懐柔策、即ち、

「靖國神社に参拝して国立追悼施設での追悼をしてもいいではないか」

「国立追悼施設で追悼をして靖國神社に参拝してもいいではないか」

と右派・保守派の国会議員たちに働きかけた。

 元来靖國神社に狭量な態度をとり続けた人物とも思えない豹変ぶりだった。何しろ国会議員の靖國神社参拝を非難もせず止めもしないのだから。これは首相になる前の言動とは明らかに違っていた。

 右派・保守派陣営は野党民衆党と言うよりは加堂首相率いる与党の側に多かったから首相もなりふり構わずだったのだ。右派・保守派陣営は急激に戦意を喪失した。


(どうせ野党民衆党が党論を翻すよりも前に右派・保守派陣営は追悼大会への全国会議員出席を決めていたんだ。オレがやってもやらなくても同じだ)天狗騨記者はこう思おうとした。


(だがこのオレも国立追悼施設には不満を抱いている。だとすれば右派・保守派陣営にだって未だ不満はくすぶり続けているはずじゃないか)天狗騨記者には内心忸怩たる思いがある。思想が邪魔をしてどうしても打てる手を全て打てなかったという思いが。


(もう時間切れになってしまう……)


 政府主催・衆参全国会議員参加の国立追悼施設における初の大追悼大会は日一日と迫っていた。

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