第三話【3話目にしてやっとの主役登場! ASH新聞社会部・天狗騨記者(勃発!〝内心の自由〟大バトル)】

 ここは東京都C区TKJ……日本を代表する〝自称オピニオンリーダー〟なメディア……ASH新聞東京本社である。


 奇矯な声が社屋内とあるフロアから響いていた。

「全国会議員の強制参拝ですぞっー‼」

 声は『社会部』、と看板が天井からつり下げられた下あたりからしていた。奇矯な声は途切れること無く大きくカン高く響き続ける。

「『強制連行』、『強制労働』などなどっ、今までありとあらゆるあらゆる〝強制〟に反対してきたってのに今回だけは強制賛成。そんな事が許されると思ってるんですかぁーっ⁉」

 そうした問いに、いかにもウンザリしたといった声が抑揚無く反応した。

「君もよくよく『強制』という言葉が好きだな」

「強制が好きなんて人間なんてそもそもいませんよ!」

「話しが横に逸れている。国立追悼施設は神社じゃないんだから参拝とは言わんよ」

 これは間違いなく一企業における部下とその上司のやり取り。

 

 だが奇異なことに怒鳴り散らしている方が部下なのである。奇矯な声はこれでもまだ言い足りないのかまだ何事かわめき続けている。

 一方上司は頬杖などつき、いかにもマトモに相手をしないという態度を露骨に示しつつ、しかしことばでは一応理解するフリをした。

「言いたいことは分からなくもないが……いったいどういう理屈で反対するのかね? その理屈が無いから野党民衆党が態度を変え一転国立追悼施設での戦没者追悼行事に参加表明したんじゃないのかね?」



 野党民衆党は実に野党らしく、典型的な場当たり主義の日和見政党であった。

 新たに建設された国立追悼施設、かつて自分たちが『国立追悼施設を造れ造れ!』と言っておきながらいざ完成してしまうと態度を一変。そこで行われる政府主催の戦没者追悼式典出席を強要されたことに腹を立て欠席を決め込んだが、政府与党・加堂総裁の鬼のような指揮の下、民衆党に嵐の猛攻が加えられ、その結果当初の方針を投げ棄ててまたも態度を一変させたのである。


 二度目の〝一変の理由〟はあまりに単純でしかも情けないものであった。


 それは党分裂を回避するため。


 とまれ、与党の野党に対する〝ここまでするか〟という猛攻など前代未聞であった。もし民衆党に同情すべき点があったとすれば有力メディアのほとんど全てが『国立追悼施設賛成側』だったことだろう。このメディアスクラムの圧力に抗し仕切れなかったのである。むろんASH新聞も多数派側についていた。

 先ほどから上司に怒鳴り散らしているこの部下はこうした『社の方針』に大いに不服だったのである。



 上司の話しはなお続いている。部下などに舐められたくないという意識がやはりまだ残っているのか、徐々に説教の色合いが強くなってくる。

「『政教分離』にも抵触しない。できたばかりだから『過去』のあれやこれやも無い——」


「——つまり、行かないことを合理化する理由が無いんだよ」

 上司は諭すがしかし部下の方はかなりしぶとい。

「ですがあの施設には解釈に曖昧な部分があるっていう——」その話しかけの話しが終わらぬうちに再び上司が喋り始めた。

「ようやく実現させた国立追悼施設にキズはつけられないというのが社の方針だ。日本国という国を追って追って追いまくって、ようやくここに追い詰めたのだ。日本という国は追えば追うほど譲歩する。守ることしか考えない連中はたやすい。こちらは防御の事は考えず攻撃し続けていればいいだけだ。お前は味方が攻撃している最中に後ろから鉄砲玉を撃つ気か? いいか? よく考えろ。ここが正念場だ。国立追悼施設さえあれば、これで今後靖國に一切政治家は行けなくなるんだ。『国立追悼施設を実現せよ』とこれまで何度社説に書いてきたと思っているんだ?」


 上司は一気呵成に言うべきことを言い切った。平たく言うならば『社の方針に逆らうつもりか? お前は?』と脅しているのである。正に企業人にとっては伝家の宝刀であった。並の勤め人ならココマデである。


 しかし部下は並ではなかった。もちろん〝優れている〟とは違った意味で並ではなかった。常人からみて異常な言動を上司に贈り返した。


「そんな会社としての模範解答を語ってどうするんですか? キャップ、あなたはそういう人じゃないはずだ!」

 上司を巻き添えにしようとしたのである。

「お前勝手に俺を巻き込むな! いいか、もう一度言うぞ、これまで社説に『国立追悼施設を造れ!』って何度書いてきたかって言ってるんだ。それを今更引っ込められるか! 社の信用問題に関わるぞ!」

「そんなの手の平返しゃーいいじゃないですかーっ。今までも散々やってきた事ですよーっ!」


 



「………お前はわが社をバカにしとるのか?」上司は低く静かに言った……

 上司の顔は笑顔のまま引きつっていた。(確かにこの会社に、社会的にどれほどの信用が残っているのか怪しい所がある……しかしソレ、社員がまったく気にしなくていいのか?)


 この上司、彼の名は中道(なかみち)。『ASH新聞社会部・中道班』のキャップを勤めている。

 この比較的温厚な事なかれ主義なキャップを温厚にキレさせた『先ほどから政治の話しばかりにかまけているこの男』、むろん中道の部下である。

 それは彼が国会や官邸に出入りできる政治畑の記者ではないことを意味していた。同社会部所属の記者で名を天狗騨(てんぐだ)といった。今年、三十六歳の男である。


 度の弱い大きなレンズをはめ込んだ眼鏡をかけ、髪は普段からとかしているとも思えない無造作、無秩序ぶり。口髭、顎髭、おまけにもみあげまで髭とつながっている全面髭だらけの面相。会社員らしく背広を着込んではいるもののボタンはとめずワイシャツの一番上のボタンもまたとめず、ネクタイは弛んだまま輪っかにして首を通してあるというだけ。

 誰が見ても間違ってもこういう人間には近づきたくない、というかカタギの勤め人には見えないという風体であった。


 が、痩身で筋肉質、身長も平均以上というその体型は、妙なワイルド感を醸し出しマイナス部分を完全に打ち消し却ってプラスにさえ見えた。それはまるで紛争地帰りの百戦錬磨のフリージャーナリストのようでもあった。(むろん彼はASH新聞社会部所属の会社員であるから紛争地などとは無縁である)


 ただ、この男はこの外見上の財産を全く歯牙にもかけていなかった。と、いうのもこれで言動が常識的だったら並以上にモテたのかもしれない。だがしかし、言ってる事やってる事、そのほとんど全てが常軌を逸していた。

 そうなると痩身で筋肉質、身長も平均以上という体型がもはや人間凶器としか見えず、外見と中身が一致する完全なアブナい人に成り下がっていた。紛争地帰りの百戦錬磨のフリージャーナリストというよりは、紛争地から帰って来たテロリストのようでもあった。普通の同僚は怖がってこの男を避けもっぱら社内での会話相手は上司の方々しかいないという〝変さ〟であった。


 いったいこの男はどうやってこのASH新聞の入社試験を突破したのか? 面接をどうやって切り抜けたのか? というのが社内七不思議の一つになっており、入社十年そこそこの現役社員なのにも関わらず既に存在そのものが伝説化しつつある。

 こんな男であるから、中道キャップが多少キレたところで動じるはずもなかった。天狗騨記者は中道に反論を始めた。

「そんな発言はクソですよ! 追悼するもしないも心の問題。強制が許されていいはずがない!」と大音声で言い放った後、静かに——「———戦没者を追悼しない自由だって……あっていい」とまで……言ってのけた。


 右翼が聞いたらその場で卒倒するだろう。血の気が多ければ散弾銃で蜂の巣にするかもしれない。あの事件の二の舞だ。


「お前っいくらウチがASH新聞だからってものには常識や限度ってもんがあるんだ!」さすがの中道キャップも声が高くなる。こうして上司の方が言うこともどこかヘンになってくる。


 突如天狗騨記者が彼にしてはノーマルな方向へと話の舵を切った。この男の会話はいつもこうである。

「日本国憲法の話をしましょう」

「なに、憲法だ?」

「基本中の基本だからです。ウチの社の社是は確か護憲だったはず」


 中道キャップの「なに?」は、なぜ突然憲法の話を始めたのかという趣旨の問いであったのに、天狗騨はそれを察して答えるどころか素っ頓狂な方向へ話を飛ばしたのだ。このように彼はまったく〝忖度〟不能な男であった。


(社是が「護憲」って何だ?)中道は思った。


(報道機関の社是とはたいてい公正公平中立だとかそういうもんだろ!)


(お前っ、いくらウチがASH新聞だからって)と、中道は思わず同じ台詞を繰り返し口から出してしまいそうになった。しかしそれを言う前に天狗騨記者はいきなり核心を突いてきた。

 正にこれが天狗騨のだった。


「憲法が保障したってしなくたって内心は保障されるもんだ! お願いだからとっととまともな仕事をしてくれよ!」

 中道キャップは上司権限で努めて冷静に極力静かに怒鳴りつけた。ただでさえ毎日が締め切りの連続の新聞稼業、本来無駄な時間は一秒も無いのだ。それだけ言って話を切ろうと床を蹴り椅子を回転させ横を向いた。

 収まらないのは天狗騨だった。

「ちょっと待ってくださいよ。日本国憲法が保障しているから『内心の自由』が護られているんでしょうが! 国立追悼施設への強制参拝は憲法違反だ!」

「お前の内心など俺が知るか!」

「なぜ私ですか?」

「お前が心の中で何を考えているかなど『知るかっ』て言ってるんだ!」

「ハ?」

「分からんヤツだな。内心思うだけなら何を思おうと自由自在だ! と言っているんだ」

「よもや、憲法が『内心の自由』を保障しているわけではない、と言いたい訳で?」

「そういう考え方も成り立つという事だな」

「しかしはそうとも言えないんじゃないですか? 国会議員だって内心国立追悼施設に行きたくないかもしれない」

「どうして赤の他人の国会議員の内心をお前が知っているんだ? 仕事しろ!」

「国家権力の強制を軽く考えちゃいませんか?」若干の不利を悟った天狗騨記者は話を〝国家権力〟の方向へと静かに移した。

「国会議員だって国家権力だろうが」と中道キャップは反応してしまう。

「政府はそれ以上の国家権力ですよ」

「民間人の我々が強制されてるわけじゃない」

「すると国会議員は国家権力だから強制されても構わないと?」

 中道はこの天狗騨の質問に〝嫌〜な予感〟を瞬間的に感じとった。

「さっきから『国家権力』にこだわっているようだが、国家が主体じゃなく民間が主体なら強制していいのかね?」


 〝嫌〜な予感〟を感じたが故に困った時は〝質問に質問で返す〟という討論の王道(?)を中道は行ってみせた。


「民間って何です?」

「例えば会社だな。このASH新聞社でもいい」

「なるほど、そう来ましたか。『民間を主体とした強制なら問題が無い』と私が答えようものなら、その答えを根拠に私を社論に従わせようというハラですね」

「で、返事は?」

「返事は、『民間による強制もよくありませんね』、になります」

「お前ならそう答えるしかないだろうな」

「民間の強制も悪いんだから国家の強制は尚悪い」

「そうか、じゃさっきの話をチョイト別の切り口からみてみようか?」

「別の切り口?」

「さっき内心に反する事をやらされようとした場合には内心の自由の保障が危うい、という意味のことを言ったか?」

「言わずもがなですよ。強制があるから内心の自由が侵害されるんです」

「ふぅん。だが国会議員の内心の自由が侵害された証拠が無い」

「証拠とは?」

「つまり本当は行きたくないのに無理矢理連れて行かれるってことが第三者の俺やお前に分かるか? って訊いているんだ」

「民衆党は国立追悼施設における政府主催の戦没者追悼大会に出席を拒んでいました」

「そりゃ、最初はそうだったがその後方針を変えた」

「それは政府与党の強制があったからです」

「しかしことばで『行きたくない』などと言ってはいないだろ? 民衆党の議員達は。いつまでも同じ意見を人が持つとは限らない。いやむしろ人の見解というものは変わるものだ」

「……」

 天狗騨は詰まった。


「要するに『行きたくない』と言っている者を無理に引きずり出すわけじゃないって事だ」中道は言った。

「国会議員全員の内心が『行きたい』になってるワケがない」

「だが我々にはそれら他人の内心の確認手段は無い」

 中道キャップはこのダメ押しで〝決まった〟と確信した、が、天狗騨は「全員の内心が『行きたい』になってるワケがない」と、同じような言葉を呪詛のように繰り返した。ひたすらエンドレスな議論になりつつある。

「それはお前の憶測っ!、以上っ」そう言って中道はここで断固この不毛な論争を打ち切る意志を示した。

「じゃあ『表現の自由』『言論の自由』と言い換えましょう。国立追悼施設への強制参拝は憲法違反ですよ!」

 『憶測』と言われてもそれを全く気にする様子も無くそのまま議論を続ける天狗騨記者であった。

「だったら話しは余計に簡単だ。『表現の自由』『言論の自由』が侵害されているかいないかは実際に表現したり言論したりしてもらって初めて自由が侵害されているかいないかが分かる。議員達が誰もそれをやらないんだから『侵害されている』という断定は我々の憶測でしかない」

「でも『行きたくない』と言える雰囲気無いじゃないですか! この凄まじいまでの同調圧力を何も感じないんですか⁉」天狗騨記者がなおも執拗に食い下がる。「——やっぱり『内心の自由』の侵害ですよ!」


 しかしいくら根が護憲派な中道キャップでも天狗騨記者の話は半分くらいしか通じてなかった。


(いくらここがASH新聞でも毎度毎度その言い草を通じさせてなるものか)


(論戦に勝ったと思ったのに、負けたことにも気づかず延々と議論をふっかけられ続けるとはどういう事だ? 故意にやっているのか?)


(毎度のこととはいえネット掲示板でやるような事をリアルでやりやがって)


 本日二度目の〝キレた〟が来た。

「お前は世の中自分の思い通りにならなかったら全て『内心の自由が侵害されたーっ』と言って裁判に訴えるつもりか‼」

 大人としては当然。当然すぎる大説教であった。しかしこの大説教が揚げ足取られのきっかけになった。この瞬間まだそのことに中道キャップは気づかない。天狗騨記者は顔色も変えずこう言った。

「しかし日の丸・君が代強制の件では『思い通りにならない』、と裁判に訴える教師の人々の味方をしていたはずですが」

 『ASH新聞社内ならでは』の〝内心の自由的〟切り返しであった。



 『すると国会議員は国家権力だから強制されても構わないと?』という天狗騨記者の先ほどの発言に上司が感じた〝嫌〜な予感〟とは正にこれ、日の丸・君が代の件だった。

 もしこの時中道が話を逸らさず勢いで「構わない!」などと言ってしまったなら、卒業式における日の丸掲揚、君が代斉唱時の起立についても「構わない」と言わねばならないところに追い込まれたであろう。

 なぜなら彼らの持つ『教師という肩書き』は国家権力の裏書きがあったればこそ名乗れる肩書きで誰もが勝手に『教師』を名乗れない。民間ではないのである。まして一連の裁判のケースでは原告の教師の勤め先が公立学校だったのだ。

 言論が仕事の国会議員でさえ国家権力による強制を甘受しなければならぬのなら、勉強を生徒に教えるのが仕事〔要するにそれは他者に対する強制である〕の教師は当然この程度の強制は甘受しなければならない理屈になる。

(天狗騨なら必ずそう来ていただろう……)中道は思った。

 だがこれは理由の一部、彼なりの一種の合理化に過ぎなかった。というのもASH新聞社内的価値観では裁判の結果など度外視で『日の丸・君が代強制反対教師』の方の味方をせねばならないのである。中道にはこの道を踏み外すことなどできないのであった。一方で天狗騨記者はこの手の道をいとも容易く自在に踏み外す。



(話を逆質問で逸らしたつもりだったが結局話がここ〔日の丸・君が代〕へ行き着かせてしまった……)


 返答に詰まる中道を目の当たりにしてここを好機と捉えた天狗騨記者は逆襲に討って出ていた。

「それにキャップは『共謀罪』のことを忘れてるんじゃないですかーっ!」そう吠えた。


 『共謀罪』、それは厳密には『テロ等準備罪』という。だがここASH新聞社内では『共謀罪』で誰でも彼でもその意味が通じてしまう。むしろこちらの方が通りが良かった。

 再び天狗騨が吠えた。

「あの時この悪法は『内心の検閲を可能とし内心の自由を裁く』と言って紙面で激しく非難してたでしょうがーっ!」

 中道キャップは遂に根負けしてしまった。

「わかーった。分かったから好きなようにしろ!」

「では取材に行かせて頂きます」


 とは言うが取材などしそうもないのは明らかだった。そんなことは中道には解り切っていた。きっと取材と称してどこぞに働きかけるつもりなのだろう。

 こうしてようやくこの不毛ないつものやり取りが終息した。



(新聞社を舞台にしたアニメで登場人物の社員が日々好き放題に振る舞い、しかもあまり役に立ってる様子も無いのにクビにもならず新聞社社員を続けられているという、そんな摩訶不思議な描写があったが、まるであのまんまだ)心身をすり減らし、くたくたの中、中道はぼんやりとそう思った。


 しかし実際の所それはどうだろうか? 客観的には天狗騨記者の場合はそれとはかなり違っていた。中道はどこか甘いところがあるのだ。

 あの社員は基本グータラ、時々役に立つ。だがASH新聞社会部記者・天狗騨。この男はASH新聞にとってはホームグロウンテロリストのようなところがあった。

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