第二話【政府主催 国立追悼施設における戦没者大追悼大会計画】

 内閣総理大臣・官房長官・外相の御三人衆が密かに新営の国立追悼施設視察を終えてから二日が経っていた。

 ここは東京都C区N町——首相官邸。


 総理執務室の机の前に座る加堂首相のもとへ古溝官房長官が血相を変えて飛び込んで来る。来るなり呼吸も整えぬまま一気にことばをはき出した。

「総理っ大変です! 民衆党が不参加表明ですっ‼」

 その声量、皮肉屋のこの男が出すにしてはあまりに大きなものだった。古溝はさらに続ける。

「国立追悼施設で挙行予定の『政府主催戦没者追悼大会』への出席を見合わせると、野党第一党が公式表明ですっ!」

 [民衆党]をわざわざ野党第一党と言い換えた。二大政党の片割れである。

「他の小政党もこの動きに同調しています!」

 一連の報告を終えた時、古溝官房長官は総理執務室の机に両手をつきぐいっと身を前に乗り出していた。加堂首相との顔と顔の距離が相当詰まっている。

「そこまで近づくことないだろう」加堂は言った。


「——しかし『政教分離』、『過去』の二つの問題を明らかにクリアしているし、行かない理由は無いはずだぞ」加堂首相は首をかしげるばかりである。



 古溝は思った。(総理の『二つ』はこれになるのか)、と。


 (私の「二つしかない」の『二つ』は[政教分離]と[外国の介入を招いている]という問題なのだが……

 総理は内心、戦没者追悼に関しての外国の介入を問題として扱いたくはないらしい。ただ、靖國神社の過去について『戦死者を顕彰し戦争を賛美する施設として始まった』のだと非難し、それを根拠として靖國神社の存在を否定する者は確かに存在する。そういう意味においてこの度新たに造った国立追悼施設を『過去』を根拠に非難はできない——)


 (なにせ過去が無いんだからなぁ——)古溝は心の内で皮肉った。



 (しかしそれはそれとして、総理が不愉快になったとて耳に入れておかねばならぬ事がある)と古溝はそう決意を固める。

 それは官房長官としての義務と言うより(国立追悼施設建設に関わってしまった者の義務である)と、そう考えたからだった。


 古溝官房長官がこの男にしては珍しく、実に言いにくそうに話しを切り出した。

「あのぅ、『強制』がいかんのだそうです。本音は参院選なのでしょうが……」

 瞬時に加堂首相の眼鏡の奥の眼が殺気を帯びた。即座無言のまま机の上の電話をとる。パピパッと短縮ダイアルの操作。古溝はあっけにとられそれら一連の動作を見つめている。


 (こんな総理は見たことがない。こういう血走るが如く、な総理は)

「ああ、私だ。幹事長を呼んでくれ——」

 電話口に向かって加堂首相がばくばく口を動かしている。(明らかにことばの調子が尋常ではない)瞬時に古溝はそう感じとった。

「——そうだ。総理でなく党総裁としてだ。例の追悼行事について話しがしたい」


 ほんのしばらくして党幹事長が電話口に呼び出されたのだろう。再び加堂首相が堰を切ったように喋り出す。

「知っての通り総理の靖國参拝を批判する理屈は二つしかない! [政教分離]と[過去]だ!」

 加堂首相はここまで言ってひとまずことばを区切るがむろん話しはこんなところでは終わらない、

「国立追悼施設はいずれの問題も明らかにクリアしている。追悼を拒否する理屈は存在しないっ‼」

 その口調には憎悪が籠もり始めていた。

「徹底的なキャンペーンを展開しろ! 民衆党は戦争の犠牲者を追悼する意志は無いのかと公の場で問い詰め追い詰めろ‼」

 加堂首相の剣幕に圧倒されたのか幹事長の「ハイっ」「はいッ」という歯切れの良い〝イエッサーという意思表示〟が電話口から離れたところに立っている古溝の耳にもはっきり聞こえていた。


 電話の受話器をこの男にしては珍しく乱暴に扱った。ガチャっとはっきりと聞き取れるくらいの音が室内に響き電話は切れた。



 加堂首相の目は据わっている。そして古溝官房長官に話しを振るそぶりも見せず、まるで自身に言い聞かせるかのように静かに語り始めた——

「少なくとも国会議員には……強制的にでも拝ませねばならん——」

 古溝にはそれを聴き続ける以外の選択肢は無いようだった。


「——で、なければ国立追悼施設など機能しない——」


「——問題点があぶり出された」独り言のような話しを続けながら加堂首相は立ち上がった。いよいよ本格的な独演会が始まりつつあった。


「国立追悼施設には決定的に欠けているものがある。実際に足を運んで見て分かったことだ」


 それを言い終わった加堂首相の顔は珍しく古溝官房長官に向けられていた。それはまるで古溝に〝答えを言ってみろ〟と問うているようでもある。古溝は〝何です?〟という表情をしただけだったが、もう先に加堂の方が自分で答えを言ってしまっていた。


「権威だよ」

 古溝お得意の皮肉を出す隙間さえ与えず尚も加堂は話し込んでいく。


「あの施設、確かによくできてはいるのだが、あの施設が神聖であると感じなかった」


 (確かに)


 同じ事は古溝も思っていた。だが茶茶を入れるしか能のない男だと思われるのが嫌であの日はこの手の発言を控えてしまったのだ。(まさかこの総理が俺と同じ感覚を持ち合わせているとは)そう感じつつ古溝は尚黙って聞き役に徹する。


「——例えばだが、不思議だとは思わないか? 四年で中の人がほとんど入れ替わる『大学』というシステムの中にあって、なぜ東京大学がトップの座を今現在も維持できているのか?」

 加堂は独演をいったん止める。


「それが権威だ‼」そう鋭く自ら回答を放った。


「権威があるから人も集まり続ける!」

「——その東京大学と同じくらいの長さの歴史を持つのが靖國神社だ」

「——よく靖國神社には『歴史が無い』と言う者がいるが、論点が完全にズレている」

「——確かに神社としては後発だが……」

 加堂首相は窓の外へ目をやり、見上げる。


「日本国の戦没者追悼施設としては日本一の伝統があるのだ。この壁は想像以上に高く厚い」


 ここでようやく古溝官房長官は発言の間を持つことができた。

「総理が靖國神社をそこまで評価しているとは」と言ってみた。

 加堂首相はそれに反駁するでもなく古溝を振り返り言った。

「そう、だからこそ、てっとり早く権威をつけなければならん」

 古溝は思った。

(どうやら私の皮肉は総理には通じなかったようだ)、と。

(「そこまで」という言葉をわざと挟み言外に、総理は靖國神社を知っているんですか? と言ったつもりだったが)


 古溝のみたところ靖國神社とこのたび造営した国立追悼施設には決定的な違いがある。

(しかしどうせこの違いに気づく者などほとんどいないだろうし、たとえいくらかの人々が気づいたとしても、大きな問題だとして認識される事はないだろう)、とも思っていた。


(何よりもマスコミの中に『そんな事は問題にしない』という確固たる意志がある。それに政府の中枢にいる人間が政府主導でここまで進めてきた案件に今さら泥を塗りつけるわけにはいかない。その上総理の言葉から異常な殺気が感じられ、怖い)


 加堂首相の、たったひとりの聴衆を相手にした独演はまだ続いていく。


「靖國神社の時のように行きたい政治家が自由意志で参拝する、ではダメなのだ‼」


「——靖國神社よりも明らかに人を集められないでは済まされん」


「衆参全国会議員参加の追悼式典が実現すれば前例に無いこと! できたばかりの国立追悼施設に権威をつけられる」



 国立追悼施設をどう追悼に使うか?

 『衆参全国会議員参加の大追悼式典』、これについて加堂が巡らした策を古溝が聞いた時、背筋がぞっとするのをハッキリ自覚した。


「陛下のご臨席は敢えて求めない」と加堂首相は断言したのだ。

「どういうことです?」古溝としてはそう聞き返すしかない。

「むろん別の日を選んで追悼をしていただくのは当然の流れだ。しかし——」

「しかし?」

「陛下のご臨席を仰げば共産主義政党に欠席の口実を与えることになる」



(本気で全国会議員をあの施設に動員するつもりなのか……)


「そしてその後のが滞りなく行われれば、国立追悼施設は完璧なものとなる——」


「——今回はマスコミは騒がない。内閣総理大臣加堂の成功は約束されている——」


「——私は名宰相として歴史に名を残す」


 古溝官房長官は加堂首相の狂気さえ感じさせる毒気にただ圧倒され、もう声を出す気も失せていた。

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