真の・リベラル  誠の・リベラル

齋藤 龍彦

第一章 国立追悼施設

第一話【政治家三人、車中の密議】

『紹介文』(798文字)


 本作の主人公は第三話より登場する〝ASH新聞社会部所属・天狗騨記者〟である。天狗騨は群れない男であった。彼は孤高のリベラリストなのである。ただし、決して〝孤高〟を気取りたくてそうしているのではない。周囲の意見のほとんどに無条件に賛同できないタチなのであり、しかも自身の思考に忠実な言動をしてしまうため、自然とそうなっているだけなのだった。即ち彼は空気を読む能力が決定的に欠けており、忖度能力がゼロと言えた。これを他者の視点から見たならば、事実上仲間が一人もいないのにも関わらず平然と我が道を進んでいける奇人怪人であった。得てしてそうした人間は組織の中で不遇をかこつものである。にも関わらずそんな彼を周囲は放ってはおかない。これは別に天狗騨の周囲に特別に心根の優しい人間達ばかりが集っているわけではない。彼の周囲を取り巻く日常は〝同調圧力〟である。天狗騨は『我々の意見に従え!』と周囲から事あるごとに圧迫を受け続けているのである。だがそこは空気を読む能力の無い男。一方的に掛けられてくる同調圧力をものともせず、それどころか逆に片っ端から斬り捨て斬り捨て『右翼・極右・ナチス』とのレッテルを貼られてさえも、『ポリコレ棒(ポリティカル・コレクトネス)』で襲い掛かられてさえもなお攻撃者を容赦無く蹴散らし続けていく。しかもただ蹴散らすだけでなく〝良心顔〟をした攻撃者の化けの皮をはがし、その正体を白日の下にさらす事さえ躊躇わない。良くも悪くも『日本人的情』が希薄なのである。アメリカ政府、人権派弁護士、アメリカンリベラル・さらには天狗騨自身が勤めている会社である全ASH新聞に対してさえも変わらない。天狗騨という男は『弱い者には強く、強い者には弱い』という価値観の人間とはまったくの真逆なのである。天狗騨は強者に怯まず長いものに巻かれず権威や権力相手にもまったく態度を変えることも無くただ突き進み続ける。



===============(以下本文)===============


 限りなく九十度に近い白い陽光がアスファルトの路面を真っ白にしてしまう季節、そして時間のことである。

 一台のミニバンが都心を滑るようにひた走っている。

 とても「さぁレジャーに出発!」とは見えない。と言うのもその車は車種に似合わぬ色をしていた。黒塗りなのであった。


 黒塗りのミニバンの中には五人もの男が乗っていた。五人とも男というのがむさ苦しい。しかも全員背広着用である。

 車を運転する男は専属の運転手のようである。全く無駄口をきかず『ドライブ』という雰囲気はどこにも見いだせない。

 助手席の男は眉間にしわを寄せ神経質そうに時折キョロキョロと顔を振る。顔を振らぬ時でも眼球をキョロキョロせわしなく動かしながら前方を注視している。そして一定の周期で〝ブツ〟と短く会話する。どこぞに繋いでの通話のようであった。

 その後ろ、ミニバンの中列と後列に男たちが向かい合い座っている。通常、走行中は進行方向と逆向きに座席をセッティングはしないものだが、この車に限ってはそのようなセオリーは無視である。

 実に怪しげな車の、怪しげな車中である。何事か会話は既に始まっているが、未だ核心にはほど遠い雑談のレベルであった。



「いつものセダンの方が良かったんだがな」

 丸顔の、齢は六十ほどの、眼鏡をかけ髪を七三に塗り分けた男が言った。後列左側の座席に腰を下ろしている。


 その真向かい、中列に腰を下ろした男が口を開く。

「黒塗りは黒塗りですし、ホラ天井が高くて居住性がいいでしょう? 座席も革張りですし、外見よりも中身ですよ」と応えた。

 ほお骨の高い、顔にあばたのあるやはり六十ほどの男である。


 その男の斜め向かい、後列右側に腰を下ろした男が会話に割って入る。

「警備の問題だ。いつもの車で我々三人が乗ってしまえば、あと乗れるのは運転手だけだ」

 髪をオールバックになでつけた男は不機嫌そうに言った。頭髪が薄いせいかオールバックにしても後頭部の髪のボリュームは無いに等しい。七十過ぎの男である。


 少々険悪な空気が車内に広がり始めたその時、助手席の男が口を開いた。

「都内を適当に走り回ってから目的地へ向かいます。時刻の変更があれば仰って下さい。総理」


 総理、と助手席の男は確かに言った。

 丸顔の六十ほどの眼鏡をかけ髪を七三に塗り分けた男が「ん」と大業に頷いた。

 この男が時の内閣総理大臣・加堂であった。


 ほお骨の高い顔にあばたのあるやはり六十ほどの男は、時の官房長官・古溝。


 頭髪の薄いオールバックの七十過ぎの男は、時の外務大臣・山柿である。


 日本の要人ともいうべき三人が一体全体どこへ向かおうというのか? 三人の話は佳境に入りつつあった。

 静かなエンジン音は彼らの会話の阻害をしない。


 ただ今は山柿外相が車中で口舌をふるっている最中だった。先ほどの感情から一転しつつあるようだ。それは自らの手柄話であるからだろう。

「いよいよ国立追悼施設実現! 長かったですな、総理。これで中国、韓国といったアジア諸国との関係も安定するでしょう」


「それは禁句だぞ外務大臣」加堂首相が言う。しかし言葉とは裏腹に口元に会心の笑みが浮かんでいる。

「世界の恒久平和を祈念すると同時に、敵・味方の区別なく戦没者の追悼を行う施設……と答えるのが正解でしたな」

 山柿外相が如才なく応答する。やっと本格的に機嫌が戻ってきたようだ。


 この国日本では、約十五年に一度の割合で靖國神社参拝に熱心な首相が現れる。そういう首相には必ずマスコミの執拗な叩きが入る。即ち執拗な攻撃が加えられる。同時に決まって外国からの介入がある。前々回の時の介入国は東アジア地域に限定されていたが、前回の介入国はそれに『一部の欧』と『米』が加わっていた。欧と来て米。つまりここでの『米』はむろんアメリカ合衆国のことである。


 こんな時、決まって持ち上がる対案(?)がある。


《靖國神社の代替施設を造れ!》である。

 それが国立追悼施設であった。


「中国や韓国の名など持ち出されては上手くいくものもいかなくなる」古溝官房長官が皮肉にしか聞こえないことを言った。

 しかし加堂首相はその皮肉をまともには取り合わず、顔を引き締め、こう口にした。

「ウン、外国政府の圧力で造ったなどと思われたらアウトだ」

 山柿外相が即座に続く。

「今回はその点安心です。マスコミのネガティブキャンペーンはありません。何しろ彼らは『国立追悼施設を造るべき!』と主張してきました。『問題』とはマスコミが造り出すものですからな」

 丁度その時、山柿の顔全体が薄暗く塗り潰され眼だけが異常な光を帯びた。ビル影の中を車が潜ったのだ。無自覚に凄みある表情になった。


 その空気をまるで感じ取れないのか古溝官房長官が再び皮肉めいた言葉を投げ付けた。

「マスコミはともかく『敵味方なく』追悼するというところが気にはなる……」

 山柿外相の顔が歪む。しかし表層は落ち着きつつ———

「なぜだ? 結構なことじゃないか」と返した。当然古溝からは返事が戻ってくる。

「ここでいう『敵』とは要するに日本人以外の者だ。敵味方なくというのは外国の介入をあらかじめ用意していると言える」

 二人のやり取りに加堂首相が口を挟む。目はつり上がり明らかに苛立っている。内閣総理大臣としてこの事業に懸けているからだ。自然口調はきつくなる。

「遺族会会長だった官房長官にはこの国立追悼施設について含むところあり、ということか?」


 しかし古溝官房長官は意に介する様子もなく飄々と応答する。

「いいえ、日本国の行う追悼行事が外交関係に悪影響を与えなければ文句はありません」

「やはり含むところがあるじゃないか」加堂首相は険しい声で言った。

 しかし、古溝官房長官の調子はそれでもまるで変わらず話しをそのまま続ける。

「内閣総理大臣の靖國参拝……通称『靖國問題』の論点は実は二つしかありません。一つは[政教分離の問題]。いま一つは[外国の介入を招いているという問題]です」

 古溝は続ける。

「前者は国内問題。後者は国際問題です」

 古溝はさらに続ける。

「日本国憲法施行からいったいどれだけの時間が過ぎたでしょうか? 政教分離原則がそれほど問題なら国立追悼施設などとっくに造られていたはずです。これはその程度の重さの『国内問題』というわけです」


 古溝官房長官の話はここで一区切りついた。この間隙を突いて山柿外相が割って入った。

「古溝官房長官、[外国の介入を招いている]とは穏やかじゃないな」


 国立追悼施設建設を実現するため労苦を惜しまず動き回った実行責任者こそが[親・東アジア派]の巨頭、山柿外相その人であった。彼の指揮の下、腹心の政治家を動かし省庁横断型のプロジェクトチームが編成され今日までこぎ着けたのである。

 官房長官という内閣の要の職を担いながらこの国立追悼施設プロジェクトに、『対マスコミ及び対国民』の『広報・説明係』程度にしか貢献していない古溝官房長官の長広舌は山柿にとって耳障りでしかなかった。

 しかし古溝に怯む様子は無い。

「介入を招いているのは事実だろう?」

 山柿は苦虫を噛み潰したような顔になる。だが古溝はなおも続ける。

「その介入が妥当か不当かという問題はあるが——」

「不当? どういうつもりだ⁉」


 この一連の古溝官房長官の物言いに山柿外相は遂に大声を張り上げた。声に相当の怒気が籠もっている。山柿の怒りは収まらない。


「——マスコミにそんな言い草が通じるか! 遺族会説得に失敗した者が偉そうに! A級戦犯の分祀にさえ成功していればっ! だいたい前総理の靖國参拝で日本は過去の歴史の反省を(以下略)」

 話があらぬ方向へと飛び、言うことが支離滅裂気味になってきた。

 たまらず加堂首相が一喝する。

「もういい! 外務大臣。外国の介入が正当であるかの如く言うのは!」

 山柿外相は、ジロリ、と横目で首相を睨んだ。

「しかし総理は『介入を理解しなければならない』という立場だったはずですが」


 この国立追悼施設については山柿外相が特に積極的であり首相もそれを後押ししている。

 数の上では官房長官は劣勢のはずである。首相の発言は山柿外相にとって一種裏切りのように思われたのであった。

 山柿外相に睨まれても怯まず、ただ真っ直ぐ前を見据え、視線そのままに加堂首相は語り始める。

「外国の介入を正当であるかのように言えば外国の介入を不当と考える連中の怒りを買う。総理になった今、国内の思想的対立の先鋭化など望まんよ——」

 さらに加堂首相は続ける。

「——わたしの実家は、わたしの主張が気にくわないと思う者に放火され消失した。驚くべきことにそれを公然と支持する者がいる。我が国の戦没者追悼に外国が介入してくることの是非を議論すればするほど、国を割り対立と憎しみが激しくなる」

 そして加堂首相はやや間を置き言った。

「——政治家にとって幸福な環境とは言えまい」

「外国勢力の介入が無ければ問題は起こらない……ということで意見が一致しましたな。総理」古溝官房長官がスルリと言った。


 山柿外相は再び苦虫を噛み潰したような顔になり窓の外を見た。露骨に顔をそらしたのだ。

 しかし、古溝官房長官はそれに気づくでもなく、

「だからこそ外国人をも追悼するというこの一点が非常に気になるのです」と言った。

 何かを言わねば気の済まない山柿外相は斬って返す。

「その施設は今から行う国立追悼施設視察で解消する」

 それが黒塗りのミニバンの目的地だった。


 表向き未だ未完成の国立追悼施設は実は既に完成しており、隠密のうちに内閣総理大臣視察がこれから行われようとしていた。


 車窓は東京湾岸の風景である。

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