第4話 「Like a sex machine」
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駅前商店街の、ジャズ喫茶は母のお気に入りだった。仕事が趣味と言わんばかりのキャリアウーマンの母の、唯一と言っていい趣味が、古いレコードを集めることだった。私にとっては、退屈もいい所なので、詳しい話は知らないし、お母さんから話をされたこともない。
ただ、私と待ち合わせをする時は、必ず約束の時間より早く来て、喫茶店で音楽を聴いているみたいだ。テーブルに置かれた伝票は決まって、二枚あって、私が着く頃に飲んでいるコーヒーは、恐らく二杯目。
「おまたせ」
声をかけると、母は顔を上げて、私を見た。無表情で氷のように冷たい顔が、ぱっとほどけて、母親の顔になった。
私は席に座る振りをして、顔を背ける。
「久しぶり、純」
約一か月ぶりの再会。一人暮らしをする時の条件として、月に一度、会う約束をした。今日がその日だ。
「ちゃんとご飯は食べてる? 大学の方は順調?」
当たり障りのない言葉の応酬。変わらない、普通だよ、大丈夫。私は大丈夫? と聞かれて、大丈夫じゃないと答えられるほど、強くない。だから、返す言葉も壁を作るみたいになってしまう。
「あのアンドロイド」
「――大丈夫だって、ママ。ちゃんと働いてくれてる」
私はウェイターを呼んで、コーヒーを注文する。母は軽食でも食べるつもりだったんだろうけど、私は今、そんな気分じゃない。
「お金がないのなら、ママが出すから。あんなの捨てて、新しいのを買ったら?」
私は恐ろしい気持ちを抑えつけて、お母さんの顔を見る。予想通り、ママは母親の顔なんてしておらず、きっと父に離婚を突きつけた時と同じ顔をしていた。
私の潔癖な部分が、そういった母のいやらしく、傲慢で、私の母としての役割を投げ捨てた姿を、嫌悪し、拒絶する。
「聞いたよ。家に来たんだって? どうして? そんなにお父さんのことが嫌いなの? どうして、私にあのアンドロイドを捨てさせたいの? 私は、お父さんとお母さんの子どもでしょう? 私、二人から色々なもの、受け取っちゃダメなの?」
うろたえてくれると思った。だけど、
「分かった」
お母さんはそう言って、至って冷静な顔で、続けた。
「ごめんね。ママばかり勝手なこと言って。そんなに嫌なら、ママはもう純の生活のこと、とやかく言わないから。とにかく、ごめんなさい」
母は、そうやって私の中の疑問の数々を不問にした。
「そ、そうじゃなくて」
「――純も、もう大人だもんね」
私は歯噛みする。母は分かって、やっているのだ。私の質問から身をかわすために。
「ママは、私にどうしてほしいの」
母は、なんてことない顔で答えた。
「ママは、純が幸せなら、それでいいのよ」
母と別れ、マンションに帰ると、安藤さんは眠っていた。リビングのソファで横になり、昼寝をしている。
人らしく振る舞うように設計された、安藤さんたち、介護用アンドロイドは必要がないにも関わらず、人が呼吸するように、胸が上下する。さらに言えば、食事もとるし、排泄もする。さすがに髪までは伸びないけれど、排泄器があるように、生殖器も使用できるよう設計されている。
すぅすぅ、と穏やかな寝息が部屋を満たした。安藤さんは安心しきっているのか、防犯用のセンサーまで切って、本当に無防備に眠っている。
キッチンには律儀にも、お昼ご飯が用意されていて、親子丼とおみそ汁がラップにくるまれて、置かれている。その上、コンロには鍋やフライパンがあり、晩ご飯の下準備まで終えてあるみたいだった。
「お昼、食べてくるって言ったはずなんだけどな」
けれど、お腹は空いていなかった。プレッシャーがかかり、緊張すると、すぐお腹周りに出るからだ。今も、胸が苦しくて、食べ物が喉を通る気がしない。
「ありがとう、安藤さん」
私はしばらく、安藤さんの寝顔を見ていた。規則正しく上下する胸や、正に作り物の、精巧な横顔はとても綺麗で、見ていて飽きなかった。
時計の針がちくたくと時を刻むような寝息を聞き、ゆっくりとそのリズムに、呼吸を合わせると、次第に温かな眠気が、私を包んでいった。
ぼんやりした頭で、私は、果歩に電話をしなくちゃ、と考える。
少し、聞きたいことがあったのだ。或いは、話したいことが。
でも、上手く話せるかは分からない。母と会った日には、必ずもやもやとしたものが胸の内に残る。私はいつも、それを果歩に相談したくて、たまらなかったのだけど、上手に話せないから、と我慢してきた。
今なら話せるかもしれない。父のアンドロイドを相続したことを話した後の、私と果歩の関係なら。
今なら、上手く伝えられるかもしれない。果歩なら分かってくれるような気がする。拙い私の言葉の組み合わせでも。
ふわ、と欠伸が漏れた。
携帯電話を操作して、着信履歴から、果歩の名前を呼び出す。
少し、発信を押すのに、勇気が要った。
「純? どうかした」
コール音のすぐ後に、果歩の明るい声がした。
「果歩、少し話したいことがあるんだけど、いいかな?」
「いいよ」
返事はすぐに、けれど、落ち着いた声で返ってきた。
「上手く話せないかもしれないし、果歩に伝わるかも分からないんだけど、それでも平気?」
「大丈夫、ちゃんと聞いてるから」
それに、と果歩は続ける。
「私だって同じだよ。純がちゃんと話せても、私が理解できないかもしれない。でも、それが当たり前だと思う。それでも、私は純の話、聞きたいよ」
私は、ぽつぽつと話し始めた。父と母の話を。
果歩とそれから、あり得ないくらい長電話した。三時間? くらい。多分、もっとかもしれない。
気付けば、私は眠っていて、枕元には電源の切れた携帯電話が転がっている。通話を切った覚えがないから、連絡が途切れたと言って、果歩は怒っているかもしれない。
身体を捻って、充電用のアダプターを探す。わずかずつ冴えていく頭の中で、私が果歩に何を語ったのかが、ゆっくりと甦ってきた。
高かった陽が傾いて、空をオレンジに染めながら、沈んでいく。東の果てから紫紺の幕が上がり、マジックアワーが通り過ぎていった。薔薇色の雲は西の地平線に消えて、明け透けな、真っ青な空が夜へと変わった。
私と果歩は話し続けた。存在の影と影がぴったりとくっついて、溶け合ってしまうくらい。
おもちゃ箱にむりやり片付けられた玩具みたいに、私の中で渋滞を起こし、凝り固まっていた言葉の多くが、果歩へと届けられ、ちょっとだけ綺麗に磨かれて、私の元へ投げ返された。
果歩は私の言葉を一つ一つ受け止めては、かぶっていた埃を払い、こびりついた余計な汚れを拭き上げて、私へ返してくれた。
少しずつ整理の付いていく、私の感情や記憶が、何だかとても新鮮なものに思えた。
果歩は、私のわがままに最後まで付き合ってくれたのだ。話すということは整理するということ。彼女は、その手伝いをしてくれた。
「ふふっ」
思わず笑みがこぼれた。私に、そんな相手がいてくれたことがうれしくて。
いつか、この恩返しができたらいいな、と
思う。果歩の隣に、変わらずいられるように。
開いたままのカーテンが、風に揺れていた。窓の外はすっかり暗くなっていて、どれくらい眠っていたのかの予想もつかない。今が宵の口のような気もするし、真夜中のような感じもする。
起き上がって晩ご飯を食べよう、と思った時、寝室の扉が音もなく開いた。
突然のことに、身体が固まった。
扉が、ゆっくりと口を開いていく。
隙間に、細い人影が見えた。
「だれ?」
「起きていたんですか?」
「あ、安藤さん?」
はい、といつもの無機質な声がした。
「お昼、用意したのに、召し上がらなかったんですね」
「お、驚かさないでくださいよ。びっくりした」
はは、と私が乾いた笑いを漏らすと、安藤さんはベッドの脇に立って、私を見下ろした。
「どうかしたの?」
「月に一度の、処理の日です」
「処理? 何の?」
ぎし、とベッドのスプリングが揺れた。
安藤さんはベッドに膝を突いて、私の頬へ手を伸ばした。膝で押さえつけたフレアスカートの裾を直して、彼女は一歩、にじり寄る。
「失礼します」
そう言って、安藤さんは、私にキスをした。
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