秋風の憂鬱
もざどみれーる
秋風の憂鬱
それは、珍しく虫の声もせず、まるで星の足音さえ聞こえてきそうな、静かな秋の夜の事だった。残業を済ませた仕事からの帰途、私は思いがけず、高校時代の旧友に出逢ったのである。
彼、
「よぉ、
と私の名を呼んだなり、そのまま道端にはたと座り込んでしまった。
「ほら、他に誰か通るかも知れないから」
「ハッ、誰が通ったって構うもんかい」
「お前が構わなくても、俺が構うんだ」
私がそう言うと、塚野は
「『俺が構うんだ』かぁ。そいつぁちと、変な日本語じゃねぇか」
と、私の表現の
「あぁ、サンキュー、サンキュー」
よく通る声でそう呟きながら、この四十男は脚や尻についた砂をようやく丁寧に
「いやぁ、全くだねぇ……全くだよ」
私は一体何が「全く」なのか測りかねたので、ただ
「何が」
とだけぶっきらぼうに応じてみた。
「こんな
塚野は確かに単なる酔っ払いにしておくには勿体無いような
それから塚野は、未だに
「お前さんの方はどうさね」
「どうって、何が」
「おいおい、そんな突っ
「そりゃあ、久しぶりに逢っていきなり喧嘩を吹っ掛けられた日にゃあたまったもんじゃないだろう」
「ハァ、全く要領を得ない奴だなぁ」
と、私が塚野に抱いていた思いを、そっくりそのまま彼から返されてしまった。そして私が苦笑いを浮かべているうちに、私の近況など別にどうでもよくなったのか、彼は頼まれもしないのに
「ウチの会社はもう駄目さぁね。親父から
「うーん、そんなもんかねぇ」
と私が
「そんなもんだ」
と簡単に応じた。それから私をジロジロ見るなり、こう言った。
「なるほど、お前は大層ご立派な勤労サラリーマン様かも知れないが、世間には急転直下ってのがあるもんだ。……いやいや全く、全くご用心あるべし!」
そう言い終わらないうちに、塚野は凭れかけていた電柱からフッと背を放して、向かい合った私の右肩すれすれを、別れの挨拶も無いまま私の家路とは反対の方向に進んでいった。
塚野との世間話にどれくらいの時間を費やしたのだろうと思い、スーツの袖口を軽く
それにしても、残業で疲労を覚えていたはずの身体が、塚野と詰まらぬ言葉を交わしていたその時だけは幾分軽くなったように感じたのは何故だろう。……旧友というものは、ここまで心身に浮力を与える存在だったのだろうか。「話に興じる」という程度ですらなかったにせよ(敢えて言うなら、私はほとんど彼の愚痴を聞かされていただけである!)、同じ時代を同じ場所で過ごしたというその事が互いの人間に与える快い影響は、ひょっとしたら私の想像以上に大きいのかも知れない。
そうして今、私は、いつしかひんやりと鳴き始めた季節の風と共にこの場に取り残されて突っ立ったまま、つい今しがたの経験のちょっとした
「酔っ払いの旧友に出逢って愚痴を聞かされたが、思いの
等と表現してはいくらなんでもあんまりだろうから、私は声を低くして、ちょいと詩的にこう言いたいのである。
「秋風の憂鬱に、星の輝く夜だった」
と。
だが、そんな事を想う度に、私の頭の中にあの端正な酔っ払いがやって来ては、ただ一言、こう言って
「そいつぁちと、変な日本語じゃねぇか」
電柱など物ともせずに強くヒューッと
秋風の憂鬱に、星の輝く夜だった。
秋風の憂鬱 もざどみれーる @moz_admirer
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