9

 コーヒーのこぼれた床は、まずいことに絨毯が敷かれていた。

「アリスさああん」

 ライザが泣きそうな顔で見上げてくる。

「…とりあえずコーヒーを拭いて、絨毯は洗濯に回しましょう」

「すみませええん」

 ライザが床に這いつくばってふきんをかける。

 トシキが小走りに駆けてきて、絨毯を持って消えていった。

「あの男の子は気が利く感じね」

「おっ、トシキ兄ちゃんが気になりますか?

 いい物件ですよ?」

 いつのまにか横にいたフミカが胸を張る。

 アリスは口元に手をやって笑った。

「あなたの物件なの?」

「厳密にはお姉ちゃんのですけど、

 貸し出しますよ?

 トシキ兄ちゃんにはちょっと年上の人にリードしてもらうのが合ってる気もしてきました」

「【ちょっと】年上ね」

 どうやらフミカはトシキを売り込んで年齢を聞き出す作戦に出たらしい。

「トシキ兄ちゃんはいいですよ〜。

 アリスさんも言うように気が利くし、

 いや、効かないときは全然気が付かないところもあるんですけど、

 悪気があるわけじゃないんですよ。

 っていうか悪気という概念がそもそも無さそうな…」

「フミカちゃんはトシキくんが大好きなのね」

「へっ?」

 フミカの顔色が白から赤に変わる。

「いや、わたしはその…」

「もし本当にわたしがトシキくんを取っていっちゃったら、あなたはたぶん傷つくと思う。

 もう少し自分の気持ちを見つめてみなさい。お姉さんからの忠告よ」

「……」

 口をぱくぱくさせて何も言えなくなったフミカを尻目に、

 アリスは手際よく割れたボトルを片付ける。

「みんな要領が悪すぎなのよね。

 目的のためにわたしの個人情報が必要なら、

 わたしに気に入られるのもそれは一つの方法だけど、

 それしか思いつかないのは重症よ」

「他の方法?」

「古来から情報は盗むものだった。

 シロウくんはその手を使ったわね(詳細は伏せるけど)。

 あとは何かを人質に取って、交換条件にするとか。

 いっそのこと戦って奪ってもいいのよ。

 言っとくけど、わたし、弱いし」

「…アリスさんとは戦いたくないです」

「戦いたくない人と戦う練習になるかもよ?」

「…うう」

 ちょっと揺さぶりすぎたのか、フミカとライザは頭を抱えて考え込んでしまった。

「まあ、出直してきなさい。

 猶予時間は一ヶ月、まだ焦らなくてもいいはずよ」

「はい…」

「いや、焦りますよ」

 いつの間にかトシキが、洗濯場から帰ってきていた。

「俺たちは、ただ【選択の日々】を勝ち抜けばいいってわけじゃないんです。

 シュバルツ執政官を倒し、元の世界に帰らなくてはならない」

「…城を奪い、儀式自体を壊すということね。

 その発想をした魔人が過去にいなかったわけではないけど」

「成功した人はいない、ということですよね」

「【選択の日々】は、魔法の力も大事だけど、

 殺し合いに順応する力がもっと重要になるのよ。

 殺し合いをせず、城を攻める発想をする人は、基本的に優しい人。

 優しさは美徳かもしれないけど、それでは勝てないの」

「【それでも】勝つためには、時間が惜しい。

 寝る間も惜しんで強くならなきゃいけないんです。

 だから」

「だから?」

「難しいかもしれないけど、アリスさんの年齢を教えて下さい」

「……」

 アリスは沈黙し、そして今まででもっとも上品に、笑った。

「あなたが一番要領が悪いわね。

 脅しもせず、気に入られようともせず、ただ頼む、なんて。

 いいでしょう、わたしの年齢を教えます」

 アリスはトシキの耳元に口を寄せ、一言二言囁いた。

「それは他の人には口外しないでね。

 恥ずかしいから」

 アリスはもう一度ほほえみかけると、テレサに頼まれた作業に戻った。

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