第44話 魔王は不死身なり

 幸祐は屋根の平たいところで佳弥を降ろした。


「足元、気を付けてよ。」


「大丈夫です、今日は腰痛ベルトもありますしね。調子良いです。」


「それは良かった。」


幸祐は嬉しそうににこりと笑う。腰痛ベルトは、幸祐の自慢の逸品である。介護用品などを研究して改良を重ねたらしい。ついでに、幸祐がパワードスーツと呼んでいる物も、介護現場での使用を主目的に開発された筋力補助スーツを参考にしたものである。


「さあて、ここからが問題だな。」


 そう言って幸祐が視線を向けた先では、人影がふわりと屋根の上に飛んできていた。


「上に逃げたって、無駄だ。時間がねえんだ、あんまり手間かけさ…」


「問答無用。」


木俣のセリフの途中で、バンと大きな破裂音が響いた。木俣が何を言おうと、関係ない。佳弥がさくっと作り上げた猟銃を正面にぶっ放したのである。この猟銃も、母方の祖父に見せてもらったものを参考にしている。実銃を触らせてはもらえないが、撃つところは見たことがある。よって、効果のほどは折り紙付きと言っても良い。そして、この至近距離では外さないし、外したとしても弾の飛んでいく先には何も無い。思った以上に反動まで再現されており、佳弥はよろめいて、背後に立っていた幸祐に支えらえる。


「うへえ、佳弥ちゃんはすごいもの作るよなあ。」


「まだ私の後ろにいてくださいね。」


影が人型を留めているので、佳弥は姿勢を整えて踏ん張り、二発、三発と撃ち込んだ。さしもの木俣も、煙のように姿を消す。挑発はこんなものだろう。佳弥は猟銃をふいっと布切れに戻して、ポケットに突っ込む。ここでなければ、こんな物騒なものは使えない。


「後ろ、注意してください。多分そっちから来ます。」


佳弥が言ったか言わないかのうちに、振り返った幸祐の鼻先で、黒い鎌が音も無く足元から空を裂く。銃で撃たれても何のダメージも無いってどういうこっちゃ、と佳弥は首を傾げつつも屋根伝いに逃げ出した。佳弥ははたかれたらそれなりに痛いし、ぎっくり腰にだってなるのに、不平等な戦いだ。


 屋根の端までたどり着き、佳弥はふうと息を吐いた。これより先の建物は、屋根に傾斜が付く。機動力の無い佳弥には難所である。そろり、そろりと足を滑らせないように気を付けながら先へ進む。瓦は何故こんなにも滑りやすいのか。へっぴり腰で屋根を手で掴み、後ろを振り返ると人影が二つも三つも湧き出ている。幸祐も苦戦しているようだ。ライトセーバーが当たれば影は一旦霧散するものの、じきにまた元に戻ってしまう。それでいて、行く先々に落とし穴がぼこぼこと現れるので、動きも取りづらい。さしもの幸祐も息が上がってきているのが見て取れる。


「さすが、魔王だなあ。レベル1では勇者ソードがあっても荷が重いか。」


 佳弥は呟いて、屋根の上の移動を再開する。その目の前に、突如影が現れた。


「わっ」


バランスを崩して、佳弥はころころと屋根から転げ落ちていく。何とか屋根の端で踏みとどまったものの、黒い影が伸びて巻き付き、身動きを封じられる。


「さて、坊主もそろそろ終わりにしようや。嬢ちゃんはこっちの手の内だぜ?その鬱陶しい武器を置いて降参しな。これ以上、大人の仕事の邪魔をするんじゃねえよ。」


 捕らえられた佳弥の背後に、人影がぬっと立ち上がった。佳弥を抱えて、どうとでも料理できるような態勢を取る。


「俺だって大人だけど。仕事帰りだし。」


 幸祐は不満そうに言って、木俣の正面に立った。そんな文句を言っている場合か、と佳弥は内心で突っ込む。


「俺から見たら十分ガキだ。いいから、武器を捨てな。」


 木俣は佳弥の拘束に力を込めた。脅された幸祐はややためらったものの、ライトセーバーを持つ手を降ろした。スイッチを押して、刀身を消す。が、本体はまだ手から離さない。


「俺が武器を捨てたら、佳弥ちゃんと俺をどうするつもりだよ。」


「少しの間、おねんねしていてもらうだけだ。」


そう言って、木俣は腕時計を確かめた。


「あと一時間ちょいってところだな。痛い目に合わせるわけでなし、悪い話じゃねえだろ。このままやり合ってたら、坊主も嬢ちゃんも怪我するぜ?」


木俣はきゅうと佳弥を締め上げる。佳弥はうつむいたまま言葉も無く、ぴくりとも動かない。幸祐はじっと唇を引き結んで、木俣を睨みつけた。


「分かった。」


と頷いたと思ったのも束の間、ライトセーバーのスイッチを入れて両手に持ち直すと同時に木俣に駆け寄り、佳弥と一緒くたに薙ぎ払う。木俣が消し飛び、佳弥も黒い布切れの破片に変じる。


「思い切りよく行きましたね。私に対する正直な感情の発露ですね。」


 屋根の下から当の佳弥がひょくと顔を出した。屋根の裏にくっつけてハンモック状に吊るしてある黒い網から、どっこいしょと屋根に上がる。落ちたと見せかけて、事前に準備してあったセーフティーネットに潜り込んだのである。代わりに、人身御供の佳弥型人形を木俣にお供えしておいた。


「ち、違うよ。何言うんだ、佳弥ちゃん。」


佳弥に手を貸しながら幸祐は狼狽する。


「半分、冗談です。」


「全部冗談って言ってよ。」


「さてさて。まだ全然効いていないみたいですよ。不死身ですね、あの人。」


佳弥は屋根のてっぺんに凝り固まってきた黒い影を指さした。撃たれても斬られても、私は永遠に不滅です、という風情で木俣が蘇ってくる。


「埒があきませんね。多分、方法を根本的に見直す必要があるんでしょうが…。」


「考えている暇が無いな。」


すぐ脇に現れた影を断ち切って、幸祐がぼやく。そのまま、屋根の上まで跳び上がって本体を攻撃する。やはり、一旦は消え去るもののじきにどこかから性懲りも無く湧き出てくる。鼬ごっこである。


 軽やかに討ち合う幸祐と木俣をよそに、佳弥はのそのそと四つん這いで屋根を登った。高みから辺りを見下ろしてみるが、日本庭園に植えられた木々が視界を遮るということもあり、木俣本体と思えるような人は見当たらない。そうこうしている間に背後に湧いて出た木俣に、護身用のスタンガンを二丁、左右の後ろ手に持って押し当てる。うあっ、と悲鳴が聞こえて振り向くと、背後の木俣がよろめいている。


「ちっ…これか、江藤がいつもやられていたやつは。」


 魔王だからか、木俣は江藤のように倒れることは無い。一瞬膝をついたものの、すぐに立ち上がって首をぐるりと回した。


 うーん、と佳弥は黙ったまま思案した。これまで、スタンガンをぶちかまして人影が消えたことは無い。人影から伸びてくる腕だか触手だか暗幕だかは消えるが、本体は消えない。ライトセーバーでも猟銃でも、木俣は散り散りになって消えてしまうのに。この違いは、何だ。電気が効果的なのか。でも、さすがの佳弥でもピカチュウなんて架空の生き物は作れない。作ろうとしても、多分ぬいぐるみになる。電線をぶった切って触れさせれば効くのかもしれないが、辺りに甚大なご迷惑をおかけしてしまうから却下である。


「とんでもないお嬢だな。シンハオに置いておくにゃ勿体ない。どうだ、将来はうちに就職しねえか。安定企業だからな。福利厚生も整ってるし、給料も悪かないぜ。」


 木俣に言われて、佳弥は少し心が揺らぐのを感じた。安定って、今言いましたか。いや、しかし、と首を横に振る。


「談合の片棒を担ぐなんてまっぴらごめんです。」


「んあ?談合?何だ、今日のクライアントはその手合いかよ。ちっ、つまらねえ仕事受けやがって。そこが気に入らねえんだよな、あの課は。」


木俣は腰に手を当ててぶつくさとひとしきり文句を言う。いつの間にか佳弥の横に立っていた幸祐がぼそりと漏らした。


「佳弥ちゃん、マーラ・ルブラに就職して、悪事への加担をやめさせればいいんじゃないのか?強い味方もいそうじゃん。中野さんを上司にするより、よっぽど頼りになりそうだよ。」


「どうしてシンハオとマーラ・ルブラの二択なんですか。悪い冗談はやめてください。」


佳弥は口を尖らせた。


 木俣は文句に一区切りつけて、腹の底から一つ大きくため息をついた。それから、気を取り直したように顔を上げる。


「気に食わなかろうと、仕事は仕事だ。こっちにも意地がある。今日はきっちりやらせてもらうからな。」


「望むところです。コテンパンにしてやりますよ。」


「佳弥ちゃんは何で挑発するかなあ。」


横でまた幸祐がぼやいている。佳弥としては挑発したつもりはない。ただの決意宣告である。ついでに言うと、自分自身ではコテンパンにしてやれないのは承知しているので、「やっておしまい!」と幸祐に命じるだけで済めばいいのに、とも思っている。


 そうも簡単に事は運ばないので、佳弥はスタンガンを一個幸祐に渡した。


「これ、本体に対して多少効くみたいです。理由はまだ分かりませんが。」


ぽそ、と小声で伝えておく。幸祐は頷いて、スタンガンを腰にぶら下げた。


 すい、と足元に落とし穴が開いたので、慌てて佳弥は飛び退いた。足を踏み外しかけるが、何とか屋根の上に踏み留まる。


「もうスタンガンは使わせねえぜ。」


 木俣が宣言した。なるほど、先ほどまでと異なり、佳弥に接近してくる気配が無い。が、遠隔攻撃だけでも十分面倒である。佳弥は屋根のてっぺん伝いにおぼつかない足取りで走り出した。一つ所に留まっていると、文字どおり足元をすくわれる。足元の不安定な場所で駆け足を強要され、佳弥はたちまち息が上がる。振り返ると、幸祐も何とかしてスタンガンの射程範囲に入ろうとしているようだが、落とし穴や遠隔攻撃に阻まれて近寄れない。やむなく振るったライトセーバーに、木俣本体がまたぞろ消し飛ぶ。


 次はどこだ、と佳弥は辺りを見回した。近いけれども微妙に手の届かない位置に影が固まりだす。目の前には落とし穴。引き返すしかないか、と佳弥が方向転換を図ったとき、瓦の上で足が滑った。


「わ、わわわー」


体勢を立て直そうとして出した足が逆効果になり、却って勢い付いて落下する。その途中で、中途半端な距離にいた木俣に否も応も無くぶち当たる。


 佳弥の予想以上のとろさに反応しきれなかったのか、木俣は避けることもできずに真っ向から佳弥の体当たりを受けた。佳弥もろとも、低い悲鳴とともに屋根の上を転がっていく。


「佳弥ちゃん!」


 ぐっと手を掴まれて、佳弥は屋根の上で視界の回転が止まった。体半分が屋根の外にはみ出ているが、何とか落ちずに済んだらしい。でも、さっきと違って本気で転げ落ちたので、目が回って何が何だか分からない。


「うう、ありがとうございます。木俣さんは?」


ずりずりと屋根の上に引き上げられ、佳弥は幸祐に尋ねた。幸祐は屋根の下の庭園をのぞき込む。


「落っこちて、呻いてる。生きてはいるみたいだけど、ダメージ食らってるな。」


「そうですか。電気刺激だけが効くという話でもなさそうですね。」


佳弥は頭を振った。少し眩暈が収まって、はっきりしてきた。ちらりと下をのぞくと、確かに木俣が軒下に転がったまま呻吟している。痛そうだ。


「単純な物理攻撃の方が良いのかもしれません。市川さん、木刀、木刀。」


「え?何で木刀?」


「どうせ、修学旅行の時に京都で買った口でしょう。そのイメージでどうぞ。」


「木刀は買ってないよ。またそうやって人をアホ小学生男児みたいに言うんだからなあ。」


そのとおりだろうに、という顔で佳弥は幸祐を見遣る。幸祐は不服そうに口をへの字にする。


「じゃあ、釘バットでも作りましょうか。」


「釘は無くて良いんじゃないか。佳弥ちゃんはとことん凶悪だなあ。」


今度は佳弥が口をへの字にする。とことんどころか、ちっとも凶悪ではない。


「普通のバットなら作れるから、俺が何とかするよ。効けばいいけどな。」


「ゴムじゃだめですからね、金属で。」


「凶悪だって。そんなだと、効果があったときに殺しちゃうぞ。俺、殺人は嫌だよ。」


ふむ、と佳弥は頷いた。二階の屋根から落ちてもどうやらご無事でいらっしゃる様子だから、金属バットでしこたま殴った程度では死なない気もするが、万が一ということもあるか。


「分かりました。では、お任せします。とりあえず、今のうちにスタンガンでもお見舞いしてやりましょう」


 佳弥の提案に、幸祐はうんと頷いた。ひょいと佳弥を抱き上げて、身軽に庭の敷石の上に飛び降りる。


 木俣は腕や腰をさすりながらも起き上がるところだった。まだ足元がおぼつかないが、怪我は無さそうだ。生身よりは遥かに頑丈らしい。スタンガンをお見舞いに行くほどの隙は見せていない。


「ちっ、やってくれたな。」


「やってませんよ、転んだだけですから。」


敷石の上に立って、佳弥は首を横に振る。振りつつ、先手必勝で刺又を作って脳天に振り下ろす。近付かせてくれないなら、リーチの長い獲物を使うだけである。本来は殴るための物ではないが。


 ごん、と手ごたえが確かに感じられたが、木俣は平気の平左で刺又の先を掴んで引っ張った。おっと、と佳弥は慌てて刺又を布切れに戻す。


 佳弥は敷石をぴょいぴょいと一足跳びに渡って、一目散に逃げだした。追っておいて逃げるのか、と自分でも思わないでもないが、ちょっかいを掛けて邪魔するのが目的なのだから問題ない。そうして逃げながら、目の前に現れた黒い壁を幸祐がバット型の棒切れで叩いて破壊する。ライトセーバーの時に比べると、力が要る様子だ。


「本体じゃない部分だと、打撃は効きが悪いな。」


「やはり釘バットでないと。」


ぼそぼそと話しながら小さな石橋の端を駆け抜け、後ろを振り返る。


 木俣も日本庭園の苔を破壊する意図は無いらしく、おとなしく敷石の上をすいすいと迫ってくるところだった。その素早い進行が、石橋の真ん中で不自然なほど急に止まる。何かに足を取られているようだ。ねばっとした、非常に年度の高い何かが石橋の上に敷かれている。足が急に動かなくなり、勢い余った木俣はそのまま前に倒れ込み、両手もまた石橋の粘着質に絡め捕られる。ゴキブリホイホイならぬ、マーラ・ルブラホイホイである。


「やっておしまい!」


 佳弥は木俣を指さして鋭く指示した。幸祐がバットを木俣の背中に振り下ろす。少し、いや、かなりのためらいが見える。


「てぬるいわ!」


全然効いている気配が無いので、佳弥は自らバールのような物で木俣の横面を殴った。確かな手ごたえ。相手が生身の人間であれば、佳弥は両手にお縄で少年院行きである。しかし、木俣の頭は少し影が揺らいだだけで、呻き声の一つすら上げない。


 代わりに、動きの取れないホイホイからぬるりと影が溶けて地面に染みて消えてしまう。たちどころに、石橋を渡った先の敷石に木俣が姿を現した。


「おいおい、お嬢ちゃんがそんな乱暴な真似するなよ。死んだらどうする。」


「死なないでしょう。」


まあなと言って、木俣はカッカと笑う。どうにも手ごわい。また屋根から突き落とせれば良い が、一度屋根から落ちた以上、二度三度と同じ轍を踏むことは無いだろう。

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