第41話 三等兵の捕獲
うどんをすすって腹ごしらえを終え、佳弥は幸祐と手分けをしてマーラ・ルブラの妨害にせっせと励んだ。奴らもまた近辺にいるはずなので、警戒は怠らない。書店に入り、雑誌のビニールを取ってスマホで盗撮しようとしているバカップルを陰から強制的に諫めたところで、佳弥は変身を解いて辺りを注意深く見回した。
と、その時、トイレから見覚えのある人物が出てきて、佳弥は棚の影にスッと身を潜めた。
「あー、寒いとトイレが近いなあ。」
ハンカチで手を拭きながら歩いているのは、マーラ・ルブラのちんちくりん一人である。そばに江藤はいないようだ。錦での魔の採集は単独行動なのだろう。江藤に仕事をしろと叱られていたというのに、漫画コーナーに吸い込まれていき、試し読み用の薄い冊子を手に取って熟読している。おいおい仕事は良いのか、と佳弥は注意したくなってくる。だが、そんなおせっかいをするわけにはいかないので、代わりに、佳弥はそっと幸祐を呼んだ。
「あれ、花さゝぎに来る予定の一人です。後輩さんですね。」
「へえ。漫画読むと魔を集められるのか。楽しそうで良いなあ。」
揶揄なのか本気なのか、幸祐が間の抜けた感想を漏らす。表情を見る限りでは、本当に羨ましがっているようだ。お人よしにもほどがある。
「丁度いいから、捕まえちゃいましょう。ちょっと、耳貸してください」
佳弥はそう言って、くいくいと幸祐のコートの肩を引っ張る。軽く腰をかがめた幸祐に佳弥はひそひそと耳打ちをした。ふん、ふんと相槌を打ちながら聞いていた幸祐は、やがて背筋を伸ばして感嘆する。
「相変わらず佳弥ちゃんは豪胆だなあ。良いよ、俺も頑張る。」
「頼みましたよ。」
にやりと笑って、佳弥はちんちくりんに気付かれないように書店を出た。
書店から僅かに離れて出入り口が見える位置に立ち、佳弥はちんちくりんの登場を待った。どれだけ試し読みしてるんだよ、とっとと働かんかい、と佳弥が毒づきたくなるほどの時を経て、ちんちくりんは漸く自動ドアの外に出てきた。冷たい冬の風に当てられて、短い猪首をきゅっと縮めている。
「すみません、道を伺いたいのですが、良いですか?」
佳弥は少しうつむき加減でちんちくりんに近寄った。私は困っています、という風情でへらへらと愛想笑いを浮かべてみる。ちんちくりんは佳弥を見ると、何だか嬉しそうな顔をして頷いた。佳弥はちんちくりんの傍らに寄って、やや離れたところに実在するが全然有名ではないカフェの在り処を尋ねる。ちんちくりんはポケットからスマホを出すと、手慣れた様子で地図を表示させた。
「ここの道をまっすぐ行ってね、信号三つ目を左に曲がって、二本目の道を右に行ったところみたいだよ。」
「ありがとうございます。スマホの電池、切れちゃって困っていたんです。あの、少し地図を見せて頂いても良いですか?」
佳弥は上目遣いでちんちくりんを見上げた。精いっぱい努力して、幸祐のように無邪気に若々しく笑ってみる。飛鳥の理論に基づき、濃いピンク色の口紅はさっき丁寧に引き直したばかりだ。
ちんちくりんはふにゃりと溶けるような笑顔になって、スマホを佳弥に差し出した。佳弥は丁重にそれを受け取り、そのまますっと一歩引いた。無理のある笑顔も淡雪のように消え去る。
「市川さん、やっちゃってください。」
周りの人には見えない黒い布切れがちんちくりんをくるりと巻いた。目も、口も、身体もくるくると巻かれて、ゴムの伸縮力でキュッと締め上げられる。動きも言葉も封じられたちんちくりんはそのままビルの隙間に引きずり込まれた。
佳弥はちんちくりんのスマホをコートの内ポケット深くに大事にしまい入れ、ビルの隙間に顔を出した。ゴムで強烈に縛り上げられたちんちくりんを幸祐がにこやかに見下ろしている。
「想像以上にうまくいきましたね。」
佳弥は愛嬌のかけらもない冷たい声で感想を述べた。こうもやすやすと事が運んだのは、ちんちくりんが佳弥をオバサンだと思い込んでいるが故であると考えると、どうしても不愉快な気持ちが混じる。
「ちょっと重そうですけど、運べますか?」
「うん、これくらいなら何とかなるよ。パワードスーツだからね。」
むーむーと唸るちんちくりんを幸祐は担ぎ上げた。本当に黒衣をパワードスーツに作り替えたのかもしれない。
「気を付けて行ってくださいね。この辺にはまだ一味がいるはずですから。」
「臭いで気付くって言うおっさんだな。分かった、十分注意する。」
じゃ、と片手を上げて挨拶し、幸祐はちんちくりんを担いだまま身軽に建物の上に飛び上った。ひょい、ひょい、と器用に跳ねてたちまち遠ざかる。飛鳥ほど動きがふんわりしていないし一跳びが細かいが、十分な機動力である。
佳弥はそれを見送り、急いで公共交通機関を使って昭和の香り濃密なボロアパートに向かった。何度通ったか知れない床下をくぐって部屋に顔を出すと、幸祐とちんちくりんは既に到着していた。先ほどと同じくゴムで巻かれたちんちくりんは、抵抗も諦めてちゃぶ台の脇にぐったり寝転がっている。
佳弥は台所からよく絞った濡れタオルを何本か持ってきた。ちんちくりんの足と手をぎっちりと縛り上げる。ただの堅結びよりも強固な結び方である。そうした上で、幸祐にゴムバンドをすべて取り払ってもらうと、ぷは、とちんちくりんが息を吹き返して辺りを眺めた。
「うわ、ここかあ。」
さしたる危機感を感じさせない調子でちんちくりんは呟く。
佳弥は変身を解いて、ちんちくりんの脇に屈んだ。
「あ、さっきの女の子。えー、シンハオの仲間だったの?」
「三つほど言いたいことがあるので、聞いてください。」
まず一つ、と言って、佳弥はちんちくりんの両頬を思い切りつねり上げた。
「私はオバサンではない。」
「いだだ、いだだ、何のことだよ。」
フン、と佳弥は手を放す。懲罰はこのくらいで良いだろう。
「それから、お名前をお伺いしても良いですか。」
「吉村翔太。そんなこと聞いて、どうするのさ。」
「吉村さん、シュトーレン、ごちそうさまでした。初めて食べましたが、とても美味しかったです。」
佳弥は深々と頭を下げた。あっけにとられる吉村の脇で、幸祐が変身を解いて楽しそうに笑う。
「佳弥ちゃんらしいなあ。ホントに堅いんだから。」
「えっ、佳弥ちゃん?ってことは、あんたあのおばちゃんなの?すっげえ若造りじゃん。」
「私はオバサンではないと言ったでしょう。」
佳弥は再度、強度と時間を増加させて、吉村の頬をつねった。頬肉がちぎれる覚悟もしているが、そう簡単にちぎれるものではない。吉村は頬を真っ赤に腫らして、佳弥と幸祐をかわるがわる眺める。
「何だ、おっさんもおばちゃんもホントは若かったのかあ。江藤さんの勘違いかよ。でも、おっさん、何か劣化してない?」
「失敬だなあ。まあ、飛鳥さんと比べたら、そうかもしれないけど。」
幸祐は口をへの字にした。
「で、佳弥ちゃん、こいつはこのままここに置いておくんだよな?」
「はい。念のために、スマホはお預かりしておきますので、万一ここから出たって役には立たないでしょう。これで、二対二ですよ。」
「ちょっとー、スマホ返せよう。俺、江藤さんに怒られるよ。ってか、縛ったままってひどすぎるじゃん。どっちかにしてよ。」
「うるさい人ですね。黙らせてから行きましょうかね。」
佳弥は乾いたタオルを吉村の口に噛ませた。頭の後ろで固く縛って、さるぐつわの完成である。もがもがと吉村が騒いでいるのを、佳弥は冷徹に見下ろす。さるぐつわまでする気は無かったのに、騒ぐからである。自業自得、と佳弥は呟く。
ただ、このままでは冷えるであろうから、と佳弥は掛布団を出してきて掛けてやった。お菓子の件は、これで貸し借り無しということにする。
コートの内ポケットでスマホが振動したので、佳弥は吉村のスマホを取り出した。江藤からの電話らしい。ふむ、と考えて佳弥は通話ボタンを押す。
「ういっス。」
キーの高い吉村の声色をまねてみる。
「おい、お前どこ行っちまったんだ。ちゃんと仕事してるか?」
「してますよ。ばりばりっス。ちょっと腹下して、トイレ休憩してるだけっス。」
「しっかりしてくれよ。この時間でも全然マラが足りないんだぞ。さっき木俣さんたちとも話したが、少し予定より伸ばして、ぎりぎりまで錦で作業することにした。」
「美術館の方はどうするんスか。」
「あっちも同様だ。時間的にかなり厳しいが、両方とも集合時刻を六時に変えた。お前は一旦俺とどこかで落ち合うか?」
「腹痛いんで、様子見ながらぼちぼち一人で行きます。」
「おいおい、大丈夫か。昼飯の食い過ぎだろう、お前は。他人のおごりだと思って。」
「すんませんっス。きまっさんは?」
「あの人はおそらくは一人で勝手に花さゝぎに行くだろう。俺にも読めないよ、あの人の動きは。」
江藤は面白くなさそうな口調で言い捨てた。ふーん、と佳弥は頷く。江藤と技術屋部隊はあんまり仲が良くないのかもしれない。
遅れるなよ、と念を押す江藤の声を聴いて、佳弥は通話を切った。いくら声をまねてみたとは言えそれほど似てはいないのに、露ほどにも疑われずに済んでしまった。こいつらは日頃コミュニケーションを取っていないのだろうか、と佳弥は他人事ながら心配になった。
「江藤さんからの連絡でしたよ。集合時刻の変更です。美術館も花さゝぎも六時になりました。それと、私たちの仕事はまあまあ効いているみたいですね。」
「佳弥ちゃんは飛鳥さんと一緒にお芝居をやったらいいんじゃないか?」
幸祐が感慨深そうに呟く。その足元では何故か吉村も大きく何度か頷いた。冗談じゃない、と佳弥は肩をすくめる。他人がやるのは好きになさればよろしいし、その価値を否定するものではないが、老後の資金の足しにならないようなことをするつもりは佳弥には無い。
佳弥は吉村をじっと眺めて、声を掛けた。
「すべてに片が付いたら、開放しに来ます。それまで昼寝していてください。」
親切心で、枕も頭の下に敷いてやる。吉村は素直に諦めた様子で、おとなしく目を閉じた。余程神経が図太いのか、佳弥が眺めている間に、ふがふがと微かな寝息を立て始める。放っておいたら窒息しそうなので、佳弥はさるぐつわだけは取ってやった。
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