第39話 作戦会議とシュトーレン

 辺りを警戒しつつ、佳弥と幸祐はボロアパートの穴をくぐった。ここ数日ですっかりなじんでしまった昭和の香りに包まれる。佳弥はカチューシャを取って、手首に付けておいた黒いヘアゴムで髪を縛った。後は掛布団を羽織っておけば服装が変わったとは思われまい。


「市川さんは、暫く押し入れにいてください。」


 余分な布団を片付けてから、佳弥は幸祐に指示した。少し狭いが、何とかならないでもない。幸祐は文句も言わず、神妙な顔で狭い空間に身を寄せた。佳弥はそれを確かめて、押し入れの戸を閉める。


 朝と同じように、補聴器アプリを立ち上げてイヤホンを耳に装着したとき、四畳半の穴から飛鳥が姿を現した。


「幸祐君は?」


「ここでーす。」


押し入れの中からのくぐもった声を確認して、飛鳥はふふふと笑いながらハットを脱いで立派なひげを取った。見覚えのあるよれよれの丹前を天袋から取り出して着込み、顔に残った接着剤のカスを台所のお湯で洗えば、親しみやすくてカッコいいおじさんの復活である。


 タオルで顔を拭きながら、飛鳥はシンクに置きっぱなしの包みを手に取った。


「これはマーラ・ルブラが持ってきたのか?随分と気が利いているな。」


そう言えば、と佳弥は思い出した。ちんちくりんが私財を投げ打って差し入れてくれたのだった。中身を確かめもしなかった。これは失礼した。


「私たちを気の毒がって、若い人がくれたんです。何ですか、それ?」


「シュトーレン。クリスマスのお菓子だな。折角の好意だ、お茶でも淹れようか。」


佳弥はちゃぶ台に置かれたお菓子を眺めた。ドライフルーツやナッツがいっぱい入っている、パンのような物だ。薄切りが何枚か丁寧にリボンで結ばれた袋に入っている。美味しそうだな、ちんちくりんにはちゃんとお礼を言いたいものだ、と佳弥は思う。敵であっても、礼には礼をもって応えねばならぬ。


「はいはい、おじゃましまーす。」


 鍵の開く音がして、イヤホンにちんちくりんの声が響いた。丁度良いや、と佳弥はシュトーレンに向かって両手を合わせた。


「あ、俺の差し入れ。あはは、拝んでら。おばちゃん、それ食って元気出せよ。おっさんもな。夜には部屋開けに来るから、それまで辛抱な。」


 ちんちくりんが陽気にそう言うと、少し遠くから江藤の声も聞こえてきた。


「確かに二人ともいるな。じゃあ、何故マラの流れがあんなに乱れるんだ。他のシンハオがいるのか?」


「きまっさんも怒ってましたよね。チックショウ、全然言うこと聞きやがらねえって。俺に八つ当たりされても困るんスけど。」


「お前はお前で働かなさすぎだ。ほら、早く行くぞ。夕方までにもっと集約しておかないとまずい。」


焦ったような江藤の声に続いて、扉の開閉の音がする。佳弥は手を合わせたまま耳を澄ませた。畳を踏むのろくさい音はもうしない。佳弥は顔を上げた。


「今、来ていたんだな?」


「はい。もう出て行きましたよ。」


佳弥はイヤホンを耳から外して、四畳半の押し入れを開けた。捨て猫のように丸まった幸祐が布団から落っこちるようにして部屋に転がり出る。


「ちょっと、狭かったなあ。」


「お疲れさまでした。マーラ・ルブラがおやつをくれましたから、お茶にしましょう。」


 佳弥は念のために片耳にイヤホンをはめたままちゃぶ台に付いた。飛鳥が渋めのお茶を不揃いの湯飲みに三つ注いで、ちゃぶ台に置く。


「佳弥はどうやって奴らの進入を察知しているんだ?」


「補聴器アプリで音を聞いているんですよ。機械は私たちが変身していたって反応してくれますからね。」


 佳弥はそう言ってスマホの画面を見せた。変身していても、本屋の自動ドアは反応した。機械は素直である。佳弥の説明を聞いて、飛鳥はひどく感心したように嘆息する。


「さっき話していたところによると、昨日の夜から私がせっせと妨害を続けているのは効いているみたいでした。午後は錦で続行します。」


 佳弥はお茶をすすって、ちんちくりんの置き土産をかじった。見た目以上にバターの風味が豊かで、美味しい。これは結構なものを頂いてしまった。ちんちくりん、などと心の中で呼ぶのは申し訳ない気がしてきたが、名前がいまだに分からないからどうしようもない。


「問題は夕方からです。飛鳥さん、マーラ・ルブラで技術職っぽい人たちがいるのはご存じですか?」


「何となくだが、毛色が違う奴に当たることがあるな。動きに無駄が無くて、魔を操作することに特化した印象を受ける。僕が銭湯の上でしくじったときにも、その手の奴が混じっていた。僕よりは年上の男の声だったな。」


「そいつはおそらく、木俣という名前です。リーダー格ですね。」


今回は、その手の奴らが四人いる。佳弥がそう言うと、飛鳥は不敵な笑みを浮かべた。丹前を着た姿でも、ぞっとするような迫力がある。


「それは楽しみだ。」


「やめてくださいよ、飛鳥さん。俺はそんなボスキャラは要りませんよ。」


「いや、彼らだけが相手の方が、対処しやすいんだ。純粋に魔の流れだけを追ってくれるから、僕にとっては動きが読みやすい。下手に事務方が混じっていると、場が混乱してやり辛くなる。」


なるほど、と佳弥は頷いた。


「では、飛鳥さんには美術館の方をお任せします。そっちは、技術職だけが三人行くはずです。木俣さんはいませんが、飛鳥さんの寝込みを襲うと言っていた女性がいるので気を付けてください。」


「ああ、その手のことはよく言われるから、問題無いよ。僕も相手にしないしな。」


飛鳥は表情も変えずに、水よりもさらっと言ってのけた。隣では幸祐がほうほうと感慨深げに首を振っている。ほうほうじゃない、フクロウか、とどつきたくなる気持ちを押さえて、佳弥は続ける。


「では、私と市川さんは、花さゝぎに行きましょう。私を散々襲ってきた人と、その後輩っぽい気の良い奴、それから、その木俣さんが来るはずです。」


「うーん、俺、三人も相手にできるかなあ。」


「別に、戦ってやっつけるのが目的ではありませんよ。お食事が終わって帰るまでの数時間、邪魔できればいいんですから。」


飛鳥はきっと、コテンパンにのすのを主眼に動くだろうが、それはそれで構わない。その実力があるならそうしてくれれば、同時にマーラ・ルブラの仕事を妨害できるというものだ。


「花さゝぎの件だが、佳弥はその接待をする側の人間の名前を聞かなかったか?」


 飛鳥に問われて、佳弥はんーと斜め上を見上げた。小一時間ほどクレームを繰り返していた時に、女性上司が何度か名前を呼んでいた。


「確か、カワシマか、カバシマです。ちょっと聞き取りにくかったんですが。」


「それだけ分かれば十分だ。」


飛鳥はそう言って、スマホを素早く操作した。


「カバシマ、だな。今日は睡蓮の間で予約しているはずだ。」


 えっ、という顔をして飛鳥を眺める佳弥と幸祐に、飛鳥はにっこりと人当たりの良い笑みを浮かべて見せた。


「家で花さゝぎの予約システムを覗いておいたんだ。今は老舗料亭でもウェブ上から予約できるからな。大したことじゃないさ。」


 まー、この綺麗なおじさんは、顔に似合わず腹黒い。佳弥はそう考えつつ、スマホで花さゝぎのウェブサイトを開いた。大まかな間取りを表示し、睡蓮の間の位置を確かめる。正面玄関のある本館から廊下を渡り、広大な敷地の真ん中にある池からやや離れたところに位置している。お部屋からは苔むした日本庭園が見えるんだそうな。想像もつかないが、動画があったので想像力が無くても様子は何となく掴める。四人用と書いてあるが、広すぎやしないかと佳弥は思う。


「佳弥の話では、美術館から魔をそこに流すんだろう。であれば、僕がしっかり止められれば佳弥と幸祐君はそれほど大立ち回りをしなくても済むかもしれないな。」


「でも、飛鳥さん、あいつはずっと佳弥ちゃんを目の敵にしてきたんですよ。仕事がおじゃんになったら、切れて襲い掛かってくるんじゃないですか。」


「そうなったら、幸祐君の出番だろう。まあ、頑張れよ。」


気さくとしか言いようのない雰囲気で飛鳥は幸祐の背をポンと叩いた。幸祐は目を白黒させるばかりである。


「ただ、流れてくるはずの魔が来なければ、そこいらの魔をかき集めて何とかしようと足掻くだろうな。それは妨害する必要がある。」


「どうすればいいんですか。」


「それは僕にも分からない。僕はいつも、手あたり次第に叩きまくってるよ。」


だから、そういう不穏な発言を爽やかな笑顔で言わないでください。佳弥は心の中で文句を言う。


 だが、マーラ・ルブラのシステムの中身が分からない以上は、飛鳥の言うとおり、手当たり次第に叩くしかないのだろう。マーラ・ルブラが何かをしようとするならば、その何かの正体が分からずとも、とりあえずぶち殴って営業妨害してやれば良いのだ。話は簡単ではないか。


「それと、今回は相手が三人もいるからな。まとめて相手をするのではなくて、弱そうなところから順に一人ずつ潰すんだ。事前に準備をした方が良いだろうな。僕はよくトラップを張るよ。」


相手の思考パターンを予測して、順路に罠を置く。だからこそ、技術職のようなロジカルな動きをする相手の方が御しやすい。


「飛鳥さんはこの前木俣さんの相手をしたんですよね。彼はどんな感じでしたか?」


「そうだな…こちらの動きをやたらと読まれる感じがしたな。派手な動きはしないが、一手二手先を押さえられて、不意打ちをされる。彼は手練れだな。幸祐君、気を付けろよ。」


「その人、シンハオ臭いとか言って、私たちのニオイで存在を察知する人ですからね。ド変態ですよ。気を付けてくださいね。」


佳弥と飛鳥に気を付けろと重ねて言われて、幸祐は困ったように眉を下げた。


「俺、一人でその人の相手をするのか。レベル1で魔王と戦うみたいだなあ。」


 言わんとするところは、佳弥にも分からないでもない。佳弥自身が、幸祐ではいささか不安だと感じているところではある。が、肉弾戦に持ち込まれたらこいつしかいないのだ。佳弥は幸祐に向き直って、発破をかけた。


「いっちょやったろうじゃないですか。勇者ソードなら私が作りますから、レベル1でも装備は万全ですよ。ほら、市川さんも覚悟を決めてください。」


「だから、俺は良いんだってば。こうなったらもう、好き放題やるよ、頑張るよ。だけどさ、佳弥ちゃんは危なくなったら一目散に逃げてくれよ。」


「はい、はい。」


「適当だなあ、もう。せめて、佳弥ちゃんが二十歳か三十歳くらいに若返ると良いんだけどなあ。どう、最近、心が若くなるようなこと無かった?」


 そんなに簡単に若返るなら、苦労しない。佳弥は不機嫌そうに眉をひそめた。フォンダンショコラはまだ先だし。幸祐に心配されるよりも、佳弥自身が若返りを切望しているというのに、どうにもなりゃしない。


 その様子を見ていた飛鳥はくすくすと笑った。


「佳弥、前に言っていた若返りメイクでもしようか。見た目が変わると、心も変わるものだよ。それに、何かの役に立つかもしれない。」


 メイク、と聞いて幸祐は反射的に身を引いた。


「役に立つって、どう役に立つんですか?」


「例えば、立派な付け髭をしていると、そこに注意が引き付けられるから、髪型だとかジャケットの色のような、他のことはあまり記憶に残らなくなる。それと同じで、真っ赤な口紅をしていれば、他のパーツに気が回らなくなるものさ。幸祐君、僕は君に化粧する前にそう説明したよな?」


さては、化粧のインパクトに気を取られて話を殆ど聞いていなかったな、と佳弥は冷静に推定した。図星なのか、幸祐は申し訳なさそうな顔をして縮こまった。


「ふふふ、まあ、僕も面白半分ではあったけどな。君の顔はやりがいがありそうだったから。」


「勘弁してください。」


蚊の鳴くような声で幸祐は断った。余程こたえたらしい。


 佳弥は暫し思案し、化粧をしてもらうことに決めた。午後に錦を歩くときにカモフラージュになるだろうし、いい加減、己の四十五歳の顔と向き合うときが来たのかもしれない。今日はとことん覚悟の日、ということで、ちゃんと変身後の鏡を正面から見つめてみよう。そのためには、やはり、多少の緩衝材が必要である。がっくり来たら、きっと更に老けるし。


 よしきた、と黒い鞄から一揃いの化粧品を取り出すと、飛鳥は手早く佳弥の顔にあれこれと塗りたくり始めた。デパートの化粧品販売員よりも手際が良い。


「しかし、多勢に無勢であるのは事実だな。こういう時には、マーラ・ルブラの組織力がものを言う。」


佳弥に化粧を施しながら、飛鳥が呟く。


「シンハオには、ああいう技術部門はないんですか。」


「無いな。そもそも組織の規模が小さいというのもあるが。事務方を除けば、基本的にはペアが最小かつ最大単位だよ。」


「そう言えば、飛鳥さんはペアの方はいらっしゃらないんですか。」


「何人かいたけれど、僕が好き放題やるから長く続く人はいないんだ。今も相方はいるんだが、実際に同行したことは無くてね。一応、現況は伝えてはあるが、ツボ押しではないし、手伝えとは言えないな。」


 できあがり、と飛鳥が筆を置いたので、佳弥はふうと息を吐いた。顔がこそばゆくて緊張した。仕方があるまい、その時は来たれり。佳弥はさっと変身し、力無く歩いて、玄関の脇の壁に張られている小さい鏡の前に立った。深呼吸を一つして、顔を上げる。


 十秒ほどそうしてじっと己の未来と向き合い、佳弥は黙ってちゃぶ台に戻った。すう、と変身を解く。


「想定の範囲内の衝撃で済みました。ありがとうございました。」


佳弥は深々と飛鳥に頭を下げた。心に打撃を受けなかったと言えば嘘になるが、散々ひどい想像をしていた挙句の確認作業だったので、それよりはマシだった。しわも、染みもあるけれども、お化粧でカバーされていたし。全体的な重力への抵抗力の低下はどうしても否めないが、パッと見た感じでは三十代と言い張っても怒られなさそうだ。


「実年齢の姿は見てこないのか?」


 苦笑しながら尋ねる飛鳥に佳弥はかぶりを振った。


「ビフォア、アフターを比べると、今以上に私の自尊心に傷がつきますので、やめておきます。」


「折角、すごく可愛いのになあ。」


幸祐はそう言って、至極もったいなさそうな顔をする。そう言われると、佳弥とて乙女心が無いわけではないので気にはなるが、やはりここは堪え処である。ぐっと拳を握って我慢する。


「女心は難しいな、幸祐君。」


「そうですね。」


 飛鳥と幸祐は顔を見合わせた。何とでも言え、と佳弥はそっぽを向く。突如として三十も老けさせられる少女の気持ちは、若返る男どもには分かるまい。

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