第38話 武装
翌朝、佳弥は幸祐がしていたように掛布団をかぶったままちゃぶ台にかじりついていた。したいことがあるわけではなく、ちんちくりんと江藤がWiMAXを持ってくるであろう時を待っているのである。やることが無いので、ちゃぶ台の足元に置いてあった紙切れをせっせと折り鶴にしている。なお、この紙きれは、幸祐が作ったと思しき手製のトランプである。よくあるコピー用紙の裏紙を細かくちぎったものに、マークと数字が一つずつ書かれている。そりゃ、はたから見たら寂しい気になるかもなあ、と佳弥は思いつつ、さりとて自分が今している行為もどんぐりの背比べかもしれないとの自覚もある。
「はいはーい、おはようございまーす。」
耳にはめ込んだイヤホンからちんちくりんの高い声が聞こえた。このイヤホンは本物である。スマホを机の下に置いて、補聴器アプリを立ち上げてある。つまり、変身している奴らの存在に佳弥が気付けなくても、機械が音を拾ってくれるのだ。
佳弥は何気ない様子で顔を少し上げた。イヤホンからはちんちくりんの独り言が聞こえてくるのに、誰もいないような気がする。仕方がないので、せっせとまた鶴を作る。
「うっわー、今度は折り鶴ですか。もう駄目だ、涙が出てくる。こんな仕打ちしてごめんよ、おばちゃん。」
鼻をすする音がする。ちんちくりんは、根は良い奴なのかもしれない。
「おっさんは寝てるのか。光が入らないから、体内時計狂っちゃったのかな。悪いなあ、ほんと。せめて、俺から季節のおやつ、差し入れ。」
少し遠いところからガサゴソと音がする。振り向きたい気がしたが、それを押さえて佳弥はひたすら紙を折り続ける。やがて、扉を開け閉めする音がして、辺りは再び静寂に包まれた。よく見ると、いつの間にか机の上にはWiMAXの機材が置かれている。
佳弥は速やかに四畳半の穴から出て、外の様子を窺った。やはり、江藤とちんちくりんが連れ立ってボロアパートの廊下に立っている。
「今日は何時に回収っスか。」
「いつもどおり正午で良いだろう。俺たちの昼休みがてら、回収に来よう。」
「ういっス。今日はラーメンがいいな。」
「俺の懐ばかり当てにするな。いい加減自腹で食え。」
はいはい、正午ね、と呟いて佳弥は二人を見送った。
佳弥はそのまま一旦自宅に帰り、何食わぬ顔をして自室から登場し、一晩中家にいたかのような顔をした。真面目な高校生として暮らすのも楽ではないのである。
何故か兄が朝からせっせとオムライスを作っていたので、佳弥もご相伴にあずかる。
「今日、バイトが遅くなると思うから、お父さんに言っといて。ご飯は家で食べるから。」
「むぐむぐ。」
兄は食べるのが遅い。小鳥が餌をついばむように少しずつオムライスを口に運んでいる。さっさと食べ終えた佳弥は皿を下げて、自室にこもった。
クローゼットの一番奥の衣装ケースの、これまた一番奥から、樟脳臭い服を取り出す。洋裁が趣味という祖母が気まぐれに送ってくるが、佳弥の趣味には全く合わない物だ。捨てるには忍びないので、何年か寝かして小さくて着られなくなるのを待ち、フリマやバザーに出すことにしている。
いつもの地味な綿パンと無地のセーターをぽんぽんと脱ぎ捨てて、佳弥は若々しい色合いの服を身に着けた。深紅の膝上丈のフレアスカートと、前面にフリルの付いた白いシャツに、細身で襟ぐりの深い薄桃色のUネックセーターを着る。腰回りがスースーして、腰痛に悪そうだ。タイツを履きたいが、派手な色のものは無いから、制服用の黒で勘弁してもらおう。ついでだ、とばかりに佳弥は昨日無理やり買わされたガーリーな包みを取り出した。洗面所で苛立ち任せに力いっぱい髪を梳き、今後使い道の無いレースのカチューシャを装着する。
佳弥はそうして、鏡の中の自分を鋭い眼光で睨んだ。ちゃらちゃらして気に食わない衣装だが、やむをえまい。
「あれ、佳弥、何だその恰好。仮装行列にでも出るのか?」
漸くオムライスを食べ終えたらしい兄が佳弥を見て小首を傾げた。
「戦だよ、戦。私は邪悪な闇の組織の陰謀を阻止しに行くの。これは鎧兜に陣羽織。」
佳弥はくるりと兄を振り返って、シュッとパンチを繰り出した。
「この格好をする四十五歳って、いると思う?」
「いないだろうなあ。」
兄の答えを聞いて、佳弥は勇ましくガッツポーズをした。まずは一勝、である。
いつもの紺のダッフルコートはマーラ・ルブラに記憶されている恐れがあるので、佳弥は母のクローゼットからオフホワイトのショートコートを拝借し、外に出た。
佳弥は獲物を探す飢えた肉食獣のような目つきをして、丸の内に向かった。錦もいいけれど、こっちも潰しておかねば。
若々しい衣装に似つかわしくない、抉るような視線を辺りに撒き散らしつつ、佳弥はそこかしこで変身と善行を繰り返した。意識して社会を眺めると、ちょっとした悪意や、ほんの少し自制心が足りないがゆえに引き起こされるひずみはそこかしこに転がっている。マーラ・ルブラの思惑をどれだけ邪魔できているか数値化されればいいのに、と佳弥は思うが、飛鳥のベータ版バージョンアップシステムでもそれは不可能である。
小一時間ほど丸の内を彷徨っていた佳弥は、スマホの振動を感じた。画面を見ると、幸祐からの連絡だった。
「早く帰れって言われたから、もう会社を出るって?」
何があったのか不安になる文面である。風邪でも引いたのだろうか。佳弥は顔をしかめつつ、少し思案した。幸祐の職場は、ここからそう遠くない。出口で待っていろ、と返信して、佳弥は足早にそこへ向かった。
佳弥がたどり着いたとき、幸祐は職場のビルの前で所在なさげに佇んでいた。化粧はちゃんと落ちているし、顔色も悪くない。何で職場から追い払われたんだろう。よっぽどのミスでもしたのか。佳弥は訝しみつつもつかつかと近寄った。
「お待たせしました。」
「うわっ!」
佳弥がびっくりするほどに幸祐は驚いて、大きく飛び退った。
「そんなに驚かなくても良いでしょう。」
「いや、え、佳弥ちゃん?」
幸祐は胸に手を当てて深呼吸を繰り返した。ただでさえ丸いどんぐり眼が見開かれて、もっと丸くなっている。
「何だかいつもと違うから、誰だか分からなかった。ああ、驚いた。」
「若造りしたんです。マーラ・ルブラはいまだに私のことをオバサンだと認識していますから、これならぱっと見ではバレないでしょう。」
「若造りって。佳弥ちゃん、ホントに若いじゃん。」
そのはずなのだが、マーラ・ルブラが認識を改めてくれないのだから仕方がない。逆に、それを利用させてもらうだけだ。
「それで、市川さんはどうして職場を追い出されたんですか。クビですか。」
「縁起でもないこと言うなよ。」
幸祐は口をへの字にしてから、説明した。
「朝一番に会議があってさ。渋谷さんも一緒だったんだけど。それが終わるなり、今日はこっちの仕事は良いから、相棒の相手をしに行けって言うんだよ。」
「ははあ。市川さんは、このバイトのやり方は渋谷さんに説明してあるんですか?」
「そんな詳細は伝えてないよ。佳弥ちゃんとペアだとも言ってないし。」
ふーむ、と佳弥は唸った。変身後の佳弥たちをばっちり認識していたし、渋谷はシンハオもしくはマーラ・ルブラのような、世の中の隙間産業に何らかの形で携わっているのだろうか。でも、偉くて給料のたんまりある人が幸祐のようにせせこましくバイトなんかするだろうか。
ビルの出入り口の前で立ち話を続けるわけにもいかず、ぶらぶらと通りを歩きながら幸祐は話を継いだ。
「それにさ、前、渋谷さんの孫のこと話したろ?やっぱり、年頃の女の子なんていないと思うんだよ。」
個人情報だから具体的には言えないが、と前置きして、幸祐は説明する。
「ちょっと前に、事務手続きで必要だったから戸籍を出してもらったんだ。それを見る限り、最近急に養子を取ったのでもなければ、定期を使うような歳の孫は存在しないよ。」
「じゃあ、他人には言えないような関係の方がいるのでしょう。」
「愛人とか、隠し子か?そんな人が、渋谷さんにいるとは思えないよ。だから、渋谷さんは何故か嘘ついてまで佳弥ちゃんに接近したんだ。」
そして、何をするわけでもなく、ただ佳弥の勧める定期入れを買った。意味が分からない。
だが、今は渋谷にこだわって悩んでいる場合ではない。佳弥はすっと物陰に入って変身し、路上喫煙禁止地区で歩きたばこをするあんちゃんのタバコにペットボトルの水をぶっかけた。空を見上げて苦々しげな表情になったあんちゃんが投げ捨てた吸い殻を彼の持つコンビニ袋の中にリバースさせて、佳弥は変身を解く。
「今は手を動かしましょう。渋谷さんが味方であろうと敵であろうと、私のなすべきことは変わりません。」
「うん。相変わらずだな、佳弥ちゃんは。」
感心したように呟いて、幸祐は頷いた。
その時、とんとんと後ろから肩を叩かれて、佳弥は振り向いた。敵襲か、と警戒心の塊のような視線を向けたが、その先にはヤクザかマフィアか分からないが、一般市民は声を掛けたくも掛けられたくもない様相の男が立っていた。イタリアの有名ブランドかと思われるような黒っぽい細身のスーツを身にまとい、ウールの中折れハットを目深にかぶっている。綺麗に整えられた豊かなグレーのひげのために、顔の輪郭が分からない。敵襲でないとしても、怖い。が、佳弥は暫しその顔を眺めて、判定した。
「えーと…飛鳥さんですね。」
「正解だ。」
聞き慣れた声に、佳弥はほっと胸を撫で下ろす。これは、変身後のセクシーな女性の姿から類推するよりある意味難しい。隣では幸祐が口を半開きにして、まじまじとハットの下をのぞき込んでいる。
「二人とも、本当によく化けるなあ。」
「失礼な。私は普段着ないものを着ただけですよ。」
佳弥は思い切り口を尖らせた。佳弥は自分を偽っているわけではない。実年齢に相応、かつ、変身後の年齢には不相応の服装にしただけだ。
「僕だって目立つひげを付けただけさ。本気で偽装するならもう少し工夫を凝らすよ。」
飛鳥も肩をすくめてみせた。どう見ても別人だし、これを変装と言わずして何を変装と呼ぶのか、と佳弥は疑問に思うが、敢えて口には出さない。一度、本気の偽装とやらを拝んでみたいものだ。
「飛鳥さんもいらっしゃるなら、一度あのぼろ屋に戻りましょう。もうじき、マーラ・ルブラが来るはずですし。」
「分かった。僕がこの格好で佳弥たちと一緒に歩くと不審に思われるから、別行動で行くよ。」
飛鳥はそう言って、ふらっと裏道に姿を消した。佳弥はヤクザなんか見たことはないけれど、ヤクザっぽいと思わせる何かがある動きである。そのままどこかの事務所にでも入って行きそうだ。
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