第34話 潜入!悪の居城

 佳弥は再度外に出て、古アパートの前で伸びをした。やはり、陽の光を浴びると活力が湧く。そうだ、幸祐にアパート名を教えてやった方が早く着くか。佳弥は思いついて、スマホを取り出した。さて、と文面を打ち込もうとした時、背後から大声で呼びかけられた。


「佳弥ちゃん!」


佳弥はびっくりして、危うくスマホを取り落とすところであった。危ない、危ない、と握り直したところで、今度は後ろから勢い良く抱き付かれて仰天する。


「良かった、無事だったんだ。」


「すわ、痴漢か!」


「違うよ、俺だよ。」


「誰であろうと、蹴る!」


宣言して身構えた途端、背後の人はあっという間も無く数メートル飛び退いた。


「やめて、やめて。それだけは、やめて。」


 幸祐が情けない顔をして立っていた。佳弥はふうう、と思い切りため息をつく。


「学習しない人ですね。そんなに蹴られたいんですか。良いですよ、いつでも相手になりますよ。」


「嫌だよ、やめてよ。今のは、その、ほっとしたんだって。昨日から心配しどおしで、やっと佳弥ちゃんを見つけたんだからさ。」


佳弥はじっと幸祐を見据えた。何だか泣きそうな顔に見える。しっぽを振る子犬に拳を振り上げているような心境になってきて、佳弥は構えを解いた。ずっと探していてくれたのは事実だろうし、いじめるのは気の毒だ。頼みたいこともあるのだし、ここで冷たくし過ぎてはいけない。


「良いでしょう、今のは特別に不問に処します。とりあえず、こっちに来てください。」


 佳弥は幸祐を手招きして、日の当たらない裏庭に呼んだ。


「私は、マーラ・ルブラに報復するつもりなので、協力してください。しないと、蹴ります。」


「それって、俺には拒否権無いよね?」


「ありませんね。」


佳弥は冷淡に言い放った。不問に処す、と言ったものの、不快感が消えたわけではない。優しい気持ちにはなかなかなれない。


「私は閉じ込められているふりをするので、ひとまず部屋に戻ります。付いてきてください。ああ、変身しないと服が汚れますよ。」


 さっき掘った部分に顔を突っ込みながら、佳弥は幸祐に注意した。幸祐がばっちくなるのは構わないが、部屋に泥を落とされるのは嫌だ。佳弥に言われるがまま、幸祐は大人しく変身して後に続いた。


 佳弥が穴から出て変身を解き、畳に上がった、飛鳥は目を覚まして台所で立ったまま渋そうなお茶を飲んでいた。


「幸祐君が到着したのか?」


「ええ、後ろに。」


佳弥が振り返ると、モグラたたきのモグラのように幸祐の顔がひょっこりとのぞいた。きょろきょろと辺りを見回して、落ち着きが無い。


「さっさと出てきてください。そんなに時間が無いんですから。」


佳弥に催促されて、幸祐は漸く畳に上がった。泥を落とさないよう、変身はすぐに解いて、靴は穴の中に置いておく。


「レトロだなあ。」


「感想は後にして、どうぞこちらへ。」


 佳弥は引っ張るようにして幸祐を六畳間に連れ出した。そこでもあちこちに視線を躍らせていた幸祐は、台所の飛鳥に目を止めた。


「あれ、飛鳥さんがいるんじゃなかったっけ?どちら様ですか?」


それを聞いて、飛鳥はふふふと含み笑いをする。


「幸祐君にも分からないのか。僕が飛鳥だよ。この姿では初めまして、だな。」


幸祐はぽかんと口を開けて、にっこり笑う飛鳥を穴があくほど見つめた。佳弥ほどすぐには得心できないらしい。


「ホントですか?」


「本当だよ。」


「だって、その、あなたは女の人じゃないですよね。あれ、飛鳥さんって、凄い格好の女の人じゃなかったっけ?」


「ああ、調整が難しいからね。」


なおもぶつぶつと呟きながら幸祐は首を傾げる。やれやれ、と飛鳥は苦笑した。


「佳弥ほど物分かりが良くないわね、幸祐クン。あたしが飛鳥だってまだ分からないの?」


飛鳥の婀娜っぽい女声を聴いて、うわー、と幸祐は頭を抱えた。佳弥もその気持ちは分からないでもない。アンバランスな吹き替えの海外ドラマを見ているみたいだ。


 だが、いつまでもそこにこだわって時間を浪費しているわけにはいかない。もうじき、WiMAXの回収に二人組が来てしまう。


「市川さん、後で考える時間はたっぷりありますから、今は黙っていてください。」


 そう言って、佳弥は部屋の隅に置いてあった自分のコートを持ってきた。


「マーラ・ルブラがもうじきやってきます。彼らの今日の予定は、そこの機材を回収して、昼食を取り、午後三時から重要な打ち合わせだそうです。私はそこに潜入するつもりです。」


「そんな危ないこと、やめとけよ。」


「断じて、やめません。彼らは明日の夜までに何かをしでかすつもりなんです。だから、何をするつもりか調べて、絶対に妨害してやります。そのためには、私と飛鳥さんがここに捕らえられたままであると思わせ、油断させておく必要があるんです。」


 そこでこれだ、と佳弥は幸祐にコートを差し出した。


「私のふりをして、一人で今日の夜までここにいてください。」


「ええっ、俺が佳弥ちゃんになるの?一人って、飛鳥さんは?」


「飛鳥さんはお疲れだから帰って休んで頂きます。その分は、布団で寝ていることにしておけば良いです。そこに布団敷いて、中に掛布団を丸めて入れておけば人に見えますから。」


えー、と言って、幸祐は不安そうに飛鳥を見た。


「飛鳥さん、佳弥ちゃんを止めてください。マーラ・ルブラに乗り込むなんて、危険ですよ。」


「いや、いいんじゃないか。ここまでされて、黙っているわけにもいかないだろう。僕だってやり返したいところだ。」


「じゃあせめて、佳弥ちゃんに付いて行ってあげてくださいよ。」


「そうしたいのは山々だが、生憎とここ二晩一睡もしていないんだ。さっきから意識が途切れがちでね。僕がいると足手まといになること請け合いだ。」


 幸祐は事の展開に付いて行けないのか、うろたえて佳弥と飛鳥を交互に見遣る。佳弥は無理やり幸祐の上着をはぎ取って佳弥のコートを羽織らせた。フードもがぼっとかぶせておく。童顔だから、赤ずきんちゃんか何かのように見える。赤じゃなくて、紺だが。佳弥にしてはガタイが良いが、縮こまっていれば何とか誤魔化せるだろう。


「正午に奴らはやってきます。私は外で待ち構えますから、私が出たら一旦畳を敷いて穴を隠してください。WiMAXが回収されたら、飛鳥さんも床下から脱出して、ご自宅でゆっくり静養してください。市川さんは終日ここでお留守番です。」


「俺、明日仕事だよ?」


「だから、私が夜には交替しに来ます。それまで一人で我慢してください。」


 佳弥はそう言って、台所に向かった。期限が少し切れた長期保存水のペットボトルと、カロリーメイトを引っ掴んでリュックに入れておく。これで長期戦も可能だ。


「あのさ、俺、イマイチ状況が掴めてないんだけど。」


穴から出て行こうとする佳弥に、おたおたと幸祐が声を掛けた。


「質問があれば、飛鳥さんに訊いてください。とにかく、市川さんは私らしくおとなしくしていてくださいよ。あいつらは玄関から入ってきますから、顔を見られないように。」


「佳弥ちゃんのどこがおとなしいんだよ。」


ぶつくさと文句を言う幸祐を佳弥は無視しておく。


「一人で行かせてすまないな、佳弥。変身していても、勘の良い奴は気付く可能性もある。慎重にな。一休みしたら、僕も参戦するよ。」


「はい。飛鳥さんはしっかり英気を養ってください。多分、本番は明日ですから。状況が分かったら連絡しますね。」


飛鳥に対しては丁寧に受け答えをして、佳弥は穴に潜った。幸祐がやらかすのではないかと心配で仕方がないが、飛鳥がいるからとりあえずのところはしのげるだろう。


 佳弥は外に出ると、アパートの廊下に置きっぱなしになっているゴミ山の陰にじっとうずくまった。間もなく正午、という頃に道路に二人連れが姿を現した。まだ黒いものは身にまとっていない。二人とも、祝日なのにしっかりスーツを着ている。大事な打ち合わせがあるから、仕事モードなのだろう。ちんちくりんな方はまだ若い。お肌つやつやで紅色の頬をしている。一方で、細長い方は、年の頃は三十代後半くらいだろうか。眉が長くて濃い上に、常に眉間にしわ寄せているので、眉がつながっているように見える。フチなしの楕円の眼鏡も相まって、堅物の銀行員のようだ。おっさんと呼ばれて怒るほど若くも無いじゃないか、と佳弥は思うが、もしかしたら過渡期だからこそ繊細なお年頃なのかもしれない。あるいは、実は老け顔であれで二十代だとか。だからと言って容赦する気は佳弥には無い。十六歳から見たら、十分おっさんだ。


 アパートの廊下で二人はスマホを取り出し、静かに変身した。基本的な変身システムは佳弥のアプリとほぼ同じらしい。あっという間で、音も光も無い。眉毛の方が黒い幕を操っている間に、そこに溶け込むようにしてちんちくりんが中に入っていく。ほどなくして、小さい機材を手に持ったちんちくりんが外に出てきた。


「おっさんはせっせと掃除してましたよ。あの人、まめっスね。顔が良くって家事もするんじゃ、俺全然敵わねえっスよ。でも、オバサンはずっとスマホ見てましたね。嫁にはしたくないタイプっス。」


 どうやら、幸祐はばれなかったらしい。よしよし、と佳弥は一安心する。佳弥がオバサンと思われて続けているのは承服しかねるが。ついでに、誰がてめえの嫁になるか、ちんちくりん。


「あの男は変身すると女になるんだぞ。そんなヤツ、俺は妻にも夫にしたくない。」


「そうなんスか。そりゃ、めっぽう美人になるでしょうね。」


「否定はしないが、中身はおやじなんだぞ。俺は嫌だよ、そんな美女。」


用は済んだとばかりにたちまち変身を解除し、二人は連れ立って歩きだした。佳弥は物陰からそっと出て、念のために電柱や家の塀に隠れながら後を追う。道すがら、辺りを見渡して現在位置を把握する。風景だけではよく分からないが、スマホの地図アプリと併せれば大体の場所は理解できる。


 二人連れは午前中に話していたとおり、吉野家に入っていった。佳弥は他の客の出入りに合わせて店内に滑り込んだ。カウンターに並んで牛丼を食べている二人の背後に忍び寄り、ちんちくりんのスーツの首元に盗聴器を付ける。念のため、襟の内側に挿しこんで外から見えないように配慮しておく。眉毛が丼から顔を上げないうちに、佳弥は店の外に退散した。


 店の陰で壁に貼り付くようにして隠れながら、佳弥も適当な昼食を取る。牛丼の良い匂いを嗅ぎながら、もそもそとカロリーメイトを水で流し込むのは実に空しい。だが、これも正当な報復のため、と自分に言い聞かせる。


 やがて、満足そうな顔のちんちくりんとつまらなそうな顔の眉毛が店から出てきた。旨そうなもの食っておいてその顔は何だ、と佳弥は不満に思いながらも後を付ける。二人は佳弥が拉致されたオフィス街に向かい、その一角のビルに入っていく。シンハオのある雑居ビルよりもかなり高級感がある。エレベーターホールも広いし、エレベーター自体も大きい。さすがにエレベーターに同乗するのははばかられ、佳弥は物陰に隠れたまま二人を見送ってから隣のエレベータに単身で乗り込んだ。盗聴器のイヤホンからエレベータの人工音声が階数を告げるのを 聞き取り、佳弥もそこで降りる。

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