第33話 籠は破られた
翌朝、なのかどうか窓が真っ黒だから分からないが、佳弥は目を覚ました。いつの間にか充電を終えて枕元に置いてあったスマホを確認すると、いつも起きる時刻である。我ながら、規則正しすぎる、と思わないでもない。
煌々と蛍光灯に照らされた隣の部屋に行くと、飛鳥がまだカタカタとキーボードを打ち鳴らしていた。
「おはようございます。」
「ああ、おはよう。もうそんな時間か。」
さすがに疲労の色濃く、隈はあるし、目も赤い。こりゃ限界だろう、と佳弥は思う。
「どうですか、調子は。」
「問題なく動くのは確認できた。試してみたが、変身もできたよ。」
じゃあ、今何をしていたんだろう。寝れば良いのに。佳弥が首を傾げると、飛鳥は立ち上がって台所の冷水でじゃぶじゃぶと顔を洗った。その間にパソコンの画面を見てみたが、佳弥には昨日との違いが分からない。
「もともとあった細かいバグが気になって片端から潰していたら、朝になってしまった。これはもう職業病だな。」
タオルで顔を拭きながら、飛鳥はぼやいた。
「おかげで性能は安定したよ。変身後の細かい調整がしやすくなったし、気配に気付かれにくくなったはずだ。」
「すごいもんですねえ。」
「僕はすっかりヘロヘロだがな。これ以上はもう無理だ。」
飛鳥は眉間を親指でぐりぐりと押した。目が辛そうだ。それでも、飛鳥はパソコンを操作し、佳弥のスマホのアプリを更新した。佳弥が開いてみると、見た目は何も変わらないが、ベータ版ではログインできるようになっている。魔法でも使ったかのようだ。
お疲れさまでした、と言って佳弥は飛鳥の肩を揉んだ。一晩中、どころか、おそらく監禁の間の数日ずっと酷使された肩は、今や石のようにがっちがちである。
「佳弥は肩を揉むのが上手いな。気持ち良くて、このまま寝そうだ。」
「寝ていていいですよ。私が
まだ死んでいない、と飛鳥は返したものの、佳弥がぐりぐりと肩を揉み続けているうちに、ちゃぶ台に突っ伏してしまった。半分死んでいるようなものではないか、と佳弥は思いながら、よれよれ丹前だけでは寒かろうから押し入れから掛布団を出してきて飛鳥にかぶせておく。それにしても、飛鳥は寝顔も美人だ。ちょっと無精ひげが伸びてるけど。
さてどうしたものか、と佳弥は辺りを見回した。とりあえず、台所のあちこちを開けて、長期保存の野菜ジュースとビスコの缶を取り出す。腹が減っては、戦はできぬ。
昨日の飛鳥の話だと、一日数時間、マーラ・ルブラはWiMAXを貸し出してくれるという話だった。ということは、少なくとも、貸す時と回収するときの二回はこの部屋を出入りするということだ。そこをとっ捕まえて、縛り上げて、この部屋の片隅に転がしておいて、ついでに一発蹴飛ばして、悠々と退散すれば良いのか。
このプランの問題点は、敵が佳弥の戦闘能力を上回っていた場合、逆襲されるということだ。敵が一人で来てくれるならば不意を突けば勝てるかもしれないが、複数人で来ないとも限らない。そして、悲しいことに、佳弥自身の戦闘能力は低い。
ついでに言うならば、佳弥としては監禁犯に一泡もふた泡も吹かせたいのである。ただ出て行くだけで、正当な報復ができるであろうか。
悩みながらも、カロリーが足りないので、山盛りにビスコを食べる。人生でビスコをこんなに沢山一気食いするのはおそらく最初で最後だろう。
「ああ、そうだ。あいつめに一応連絡しておくか。」
報告、連絡。相談。のうち、相談は省く予定で、佳弥は幸祐にメッセージを送った。当然ながら、ベータ版のアプリ経由である。誰が電話なんぞするかいな。
「飛鳥さんがアプリを直したので、変身できるようになりました。何とかして自力で脱出します。以上」
こんなもんだろ、と佳弥はスマホを畳に置く。昨日幸祐が何か言っていたけれど、佳弥はあまり当てにしていない。
とりあえず、WiMAXを置きに来る時の様子を確認し、それから数時間後の回収に向けて対策を立てるか。敵の様子が分からないと、何ともならない。佳弥は一人で頷いて、四畳半の部屋に戻った。片付けた布団をまた敷いて、余分な掛布団ももう一つ出す。掛布団をくるくると細長く巻いて、敷いた布団の中に入れこめば、誰か寝ているように見える布団の完成である。そうしておいて、佳弥はアプリで変身した。このまま見張っていれば、やがて奴らが訪れるのだろう。佳弥は奥でだらだら寝ているということにしておけば、変身して隠れていることには気付かれまい。
変身したら窓を開けられるだろうか、と佳弥は試してみたが、びくともしない。やはり、燃すとか流すとか、攻撃を加えないとだめか。
佳弥が腰に手を当ててため息をついていると、玄関から物音が聞こえた。さては、と佳弥は忍び足で玄関に近付く。ガチャリとノブの回る音がして、扉が開いた。扉の外も黒い幕で覆われているようで、景色は見えない。が、その黒い幕を背に、のそのそと家に上がり込んできた影があった。パッと見た感じ、例の人影さんより小さくて太い。別人だろう。
「宅配ですよーって、なんだ、おっさん、寝てるじゃん。折角持ってきてるんだから、使ってよね。」
ぼそぼそと呟く声も、少しキーが高い。ちゃぶ台の空いたスペースに小さな機材が置かれたが、飛鳥は全く気付く様子もなく眠りこけている。相手の黒衣のせいなのか、飛鳥の疲労のせいなのかは定かでない。
「あっちも寝てるのか。寝坊助だらけか。まあ、あれはオバサンだって話だし、いたずらする気も起きねえや。」
おいおい、と佳弥は突っ込みたくなった。変身前の状態でかどわかしてきたんだから、十六歳の姿を見たんじゃないのか。マフラーぐるぐる巻きだったとはいえ、何と失敬な。それに、若い女子だと知っていたらいたずらする気だったのか、このちんちくりん。不届き千万、直ちに成敗してやりたいという欲求が高まるが、佳弥はぐっとこらえた。代わりに、ポケットに手を突っ込んで、もぎゅもぎゅと盗聴器を製作する。
台所で缶詰と乾パンを袋から取り出している小男の影に佳弥は忍び寄った。腰より少し上の辺りにペタリとくっつける。小男は空袋にゴミを回収すると、佳弥にも盗聴器にも気付かない様子で玄関から出ていった。
佳弥は早速、イヤホンを着けて耳を澄ませた。
「終わりましたー。」
さっきの小男の声がする。出て行って間も無いことを考えると、部屋に入ってきたのは一人だが、外には誰かいるということか。
「二人ともばらばらに寝てましたよ。」
「寝ていようと、起きていようと、あそこに閉じこもっていてくれれば問題は無い。」
この低い声は、佳弥を目の敵にしている人影だ。やっぱりいやがったか。
「明日の夜までの辛抱さ。俺の仕事の邪魔さえしなければ、ご自宅で楽しい聖夜をお過ごし頂いて構わんからな。」
「それだったら、このままずっとここに二人で閉じ込めといた方がしっぽりとお楽しみ頂けるんじゃないっスか?」
「俺はそういう冗談は好かんな。」
好かんよ、私も。と佳弥はいつもの人影さんに同意した。どうやら人影さんは仕事熱心で真面目な人のようだ。それは結構だが、仕事でなされる事柄について社会的道義の観点から責任を持つべきじゃないのかね、と佳弥は思う。監禁は犯罪だよ、キミ。
人影さんの不興を買ったことは意に介せず、小男の雑談は続く。背後に、車が通り過ぎるような音が混じっている。既に道路に近いところにいるらしい。
「ぼろいアパートっスよね。いつも思うんスけど、何スかあの、台所・水洗便所付っていう看板。それ、売りになるんスか。」
「昔の下宿アパートだと、トイレと台所は共用だったらしいな。その頃の遺物だろう。」
ふうんと小男が言うのに合わせて、佳弥もふうんと思う。とりあえず、このボロアパートにはそんな看板が付いているのか。
「最終打ち合わせ、三時でしたよね。」
「ああ。だけど、打ち合わせの前に、備品の回収だからな。あれは俺の私物なんだから。」
「ういっす。十二時集合っスね。終わったら、昼飯ごちになりまーす。」
「吉牛で勘弁してくれよ。」
「あざーっす。でも、この件がうまくいけば、臨時ボーナスなんスよね。気風の良い上客ですよね。それだけ実入りがあるってことなんスかね。」
ボーナスが入ったらライブに行くんスよ、とぐだぐだと話を続ける小男の声に混じってがさごそとマイクに布をこするような大きな音が響いたかと思うと、ふっつりと通信は切れた。向こうが変身を解いたのかもしれない。盗聴器は黒衣にくっつけたから、変身を解かれたらもう機能しないだろう。
佳弥は暫くそのままじっと様子を窺った。二人が戻ってくる気配は無い。ふうと息を吐いて、佳弥は変身を解いた。
次のお越しは正午ということか。ぽくぽくと思案し、佳弥はスマホを手に取った。うるさいと困るのでバイブすら切っていたから気が付かなかったが、幸祐からあーだこーだと益体の無いメッセージが入っている。適当に読み流して、佳弥は返事を書く。
「アパートの外に、台所・水洗便所付という看板があるみたいです。どこだか目星は付きますか。」
「それっぽいのが、いくつかある。近いところから順に回ってみるよ。」
「十一時半までに見つけてください。」
そう伝えて、佳弥は再度変身する。
玄関に立って、ぼっちい扉をしげしげと眺める。鍵を開ければノブは回るが、押しても引いても動かない。佳弥はポケットから黒布を取り出して、薄い板をこさえた。ドアの隙間から差し込んで、ぐいぐいと押してみる。全然駄目である。
今度は四畳半の間に行き、敷いたばかりの布団を片付けて畳を上げてみた。畳の下の床板は古ぼけていて、一部が変色している。痛んでいるのかもしれない。佳弥が力を込めて押してみると、ミシミシと不安になるような音を響かせる。これなら、破れる。破ったところで借主はマーラ・ルブラなのだから、大家に損害賠償を請求されるとしたらマーラ・ルブラであろう。
さっきのマーラ・ルブラ二人の音の中には、階段を下りていく気配は無かったから、ここは地階だろう。この腐れかけの床板をはがして、床下から脱出してやる。佳弥はポケットの中の黒布を引きずり出して、両手で握った。まずは穏当に、バールのような物でくぎを抜こうと試みるが、釘自体が朽ちかけていて、殆どうまくいかない。止むをえまい、と佳弥はバールをこねくり回して、のこぎりにした。ぎっこぎっこと不慣れな手つきで床板を切っていると、さすがの物音で目覚めたらしい飛鳥が眠そうな目をこすりながらやってきた。
「随分な破壊工作だな。ところで、ここは一階なのか?」
「それは確認できました。」
「そうか、じゃあ僕も手伝おう。」
飛鳥はそう言って、さっと変身した。妖艶でナイスバディ―の飛鳥ではなく、三十代半ばあたりの美男子である。飛鳥も若返るのだなあ、と思うと佳弥は何となく面白くない。みんな、心が若くていいなあ。
「悪いが、今は余裕が無いから、女性のふりはできないよ。」
疲れがはっきり残る表情で、飛鳥は佳弥ののこぎりを受け取った。佳弥よりも遥かに手際よくのこぎりを引き、あっという間にひと一人が潜り抜けられるようなサイズに四角い穴を開ける。器用なものだ、と佳弥は感嘆した。やはり、飛鳥と組むと展開が早い。
「じゃあ、私がちょっくら外を見てきます。飛鳥さん、休んでいてください。」
佳弥はすぽんと床下に潜り込んだ。白アリとかネズミの巣がありませんように、と祈りながら、スマホで足元を照らして四つん這いで進む。柱が石の上に乗っているだけだし、コンクリートが無くて土の地面だし、地震が来たら崩れるんじゃないかというような床下風景である。益々さっさとおさらばしたくなる。
部屋の中と違って、明るい光がそれほど遠くない場所に見える。マーラ・ルブラの黒い幕も、床下までは覆っていないらしい。間もなく佳弥は、外との境界までたどりついた。狭い隙間を何とかすり抜けると、雑草が貧相に生えた狭い裏庭だった。冬の透明な日差しが隣のマンションに遮られて全く届かないが、それでもあの真っ黒な窓の部屋の中よりはずっと明るい。
佳弥は立ち上がって、土ぼこりを払いながらアパートを眺めた。ものすごく古い。裏庭を回って、表に出てみると、ペンキがはがれかけた入居者募集の看板の文字がおどろおどろしい。台所・水洗便所付。さっき言っていたのはこれか。空室有〼の〼って、何。クイズ?
こんなところで一晩をよく明かしたものだ、と思いつつ見渡すと、一階の隅の部屋の扉が黒い。あそこの部屋だな、と一発で目星をつけ、佳弥は近付いてみた。触ってみると、がちがちに硬い。こっちから破壊すれば、床下を通らずとも出られるだろうが。
「それでは意味が無い。」
佳弥は腕を組んで呟いた。脱出したことがばれてはならない。
佳弥は裏庭に戻った。隙間が狭いので、スコップを作って少し地面をほじくって通りやすくしておく。また床下をくぐって部屋に戻ると、飛鳥は変身を解いて体操座りの姿勢でうつらうつらしていた。相当眠いのだろう。
「飛鳥さん、飛鳥さん。市川さんが来るまで、ちょっとそのまま待っていてください。」
「ん…分かった。」
そう言って、またがっくりと頭を垂れる。寝るならちゃんと横になった方が良いのに、と佳弥は思わないでもないが、そうすると起きられないのかもしれない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます