第26話 怪しい飲み会
翌日、佳弥は学校が終わるとすぐに繁華街に出た。懐には、それなりのお金を入れてある。いつも三千円以上持たないように警戒しているのだが、今日は一万円近く入っている。それだけでも、周りの人間がみな掏摸に見える。
というのも、昨晩おでんを食べながら、チョコレートをもらった話をぽろりとしたら、家族三人に忠告されたからである。
「そんな生活の苦しい人から精いっぱいの贈り物を頂いておいて、お返しもしないの?」
ありえない、という顔をしたのは、おっとりとした母である。
「ちゃんと、誠意には誠意をもって応えなさい。」
四角四面な物言いをするのは、佳弥に似て堅物の父である。
「クリスマスだし、佳弥は骨付き鳥モモ肉を返したらどうだい。僕が燻製してやるよ。」
母と同じく穏やかだが、変わり者の兄が言う。兄の意見は採用しない方が良い。兄はこの手の過ちで彼女を二度失っている。
この三人の中で一番当てになりそうな父に相談して、さらにゴアの意見も聞いて、佳弥は百貨店に足を延ばしたのである。要らないと言ったが、ゴアもいくばくか出資してくれたので、財布が余計に重くなっている。
非常に面倒だ、という正直な気持ちを押し殺して、佳弥は紳士用品売り場をうろうろとする。佳弥には何が良いやら分からないので、父の意見に耳を澄ませつつも、予算の範囲内で選ぶ。こういう時に、佳弥は余り迷わない。えいやっと即断してしまう。
ご贈答用に包んでもらっている間、佳弥はやっと落ち着きを持って辺りを悠然と眺めた。平日の宵の口、紳士用品売り場は賑わいを見せるゾーンではない。黒いスーツ姿の店員と、ややご年配の夫婦がまばらに見られるだけだ。制服姿の女子高生は極めて特異である。
売り場の一角に、佳弥は見覚えのある初老の男性を認めた。誰だったっけと思い出そうとして、幸祐の上司であることは分かるが、名前を知らないことに思い至る。佳弥の視線に気付いたのか、男性はふっと振り向いて笑顔で会釈をした。佳弥はやむなく、包み終わった品物を受け取ってから男性に近寄って挨拶をした。
「こんばんは。ええと、副会長さんもお買い物ですか?」
幸祐がそう呼んでいた覚えがあるので、佳弥も倣ってみた。男性は穏やかな笑みで、渋谷と名乗る。
「孫のクリスマスプレゼントを買いに来たのですが、年頃の女の子というものは何が欲しいのかが分からなくて、難儀しているところです。」
「そうですか。少なくとも、このフロアにはお孫さんの喜ばれる物は無いと思いますが。」
「ええ、そうは思うのですが、婦人用品の売り場を私が歩くのはどうも気恥ずかしくて。」
真面目なおじさんだな、と佳弥は感心した。一介の小娘に対する口調も丁寧だし。好感が持てる。どうしてこの上司にして、あの部下になるんだか。
「婦人用品以外の売り場となると、マグカップなどの食器や手袋、あるいは、しっかりした定期入れなどはいかがでしょうか?」
佳弥は参考になれば、といくつか提案してみた。最後のは、佳弥の欲しいものである。スーパーで千円で買ってもらった合皮の定期入れが割とすぐにくたびれてしまったので、良い素材で良い造りの物が欲しいと常々感じている。
「ああ、定期入れは良いですね。ちょうど、学校に通うのに使っているようですし。」
「毎日使うものは、質の高い品を選ばれた方が良いです。」
「まったくです。」
渋谷とは気が合うようだ。そう言えば、佳弥と似てお堅い人だ、と幸祐も評していた。この人がバイトの相棒だったら、さぞやりやすかったのではなかろうか、と佳弥は頭の片隅で夢想する。まあ、偉い人は給料もしっかりあるだろうから、バイトなんてしないだろうが。
時間があれば少し見繕ってもらえないか、と頼まれ、佳弥は引き受けた。袖すり合うも他生の縁。情けは人の為ならず。このおじさんよりは、佳弥の方が孫の感覚に近いだろう。佳弥が選んだ、少し若向けの、赤みがかった滑らかな皮革の定期入れを渋谷は購入した。
百貨店の出口で、渋谷は丁寧に佳弥に礼を述べた。
「私では無骨な物を選んでしまったかもしれません。同性同年代の方の意見を聞けて良かった。ありがとうございました。」
「いえ、とんでもない。お孫さんに喜んで頂けると良いのですが。」
渋谷の孫が、渋谷に似て堅物であれば問題は無かろうが。ギャルだったら、佳弥の感覚では手も足も出ない。
「いやはや、あなたは随分しっかりしていなさる。うちの市川が言っていたとおりですね。」
渋谷に言われて、佳弥は顔には出さずに内心で眉をひそめた。あいつめ、何を言いふらしていやがる。個人情報駄々洩れか。幸祐への返礼として買ったばかりのご贈答用の包みを渋谷に押し付けたくなってくる。
佳弥が表向きは澄ましたまま、心の中で苦り切っていると、数人のサラリーマン然とした男性が近寄ってきた。渋谷がそれに気付いて、片手を上げて挨拶をする。
「今日は本当にありがとうございました。このお礼はいずれまた。それでは、失礼いたします。」
渋谷は折り目正しく佳弥にお辞儀をすると、サラリーマンたちに合流した。部下と飲み会か、と佳弥はそれを見送る。
実に印象の良いおじさんだった、と佳弥がしみじみその後姿を眺めていると、ふと何かが気になった。街の照明に照らされてできた影に、滲むものがある。目を細めて凝視したが、はっきりしない。しかし、ここの所、佳弥は揺らいだ影のような物で散々な目に遭っている。気のせい、で片付ける気になれない。
佳弥はこっそりと後を付けつつ、物陰に入り、黒衣に変身した。システム障害が少し怖いが、念のためにベータ版にしておく。
変身してから改めて影を見ると、明らかに薄い墨汁のようなものが染み出ていた。どこかに広がるということは無く、渋谷たちの影に付き従って、ゆらゆらと儚げに揺れている。渋谷たちはこの辺りで飲む予定なのか、駅には行かないようだ。
佳弥は少しずつ付き従って歩きながら、時刻を確認した。まだ、今日のバイトの待ち合わせまでは時間がある。そして、待ち合わせはこの辺りの駅だ。少しなら、このまま様子を観察しても間に合う。
佳弥は物陰に隠れることもせず、堂々と一団の真後ろを歩いて尾行を続けた。まだ打ち解けていない新人が遠慮がちに先輩たちに付き従っているようにしか見えない距離だ。それでも、渋谷たちは佳弥などいないかのように談笑しながら、一軒の居酒屋に吸い込まれていく。
渋谷たちに紛れるようにして、佳弥も店内に滑り込んだ。忘年会シーズンだからか、店内は賑わっているようだ。店員に案内されるまま、ぞろぞろと個室の前まで佳弥は付いて行った。さすがに中に入るのはどうかと思い、佳弥は通路の片隅で待機する。カラオケボックスほどの密室ではないので、隙間から様子を窺うことはできる。
先に到着していた人達と挨拶を交わしながら、渋谷たちは上着を脱いだり、荷物を置いたりしている。特に不審な様子は無いが、相変わらず薄い墨汁のような魔がそこかしこに揺れている。しかし、何をするということも無く、ただ漂っているだけだ。
居酒屋で飲むようなときには、誰しも多かれ少なかれ魔をまとってくるのだろうか。外で酒を飲むというのは、そういう行為なのかもしれない。そもそもアルコールなんて毒を摂取するわけだし、カロリーも塩分も過多だろうし、栄養バランスは悪かろうし、ちょっと魔が差さないとやってられないのかも。佳弥はそう考えて、別の宴会を確かめに行くことにした。
佳弥は店内をうろうろし、既に人が集まっている個室と、入り口そばのカウンターで顔を赤くして声高に喋っている男女をしげしげと眺めた。お屠蘇以外の酒を口にしたことのない十六歳から見ると、酔っ払いは誰しもみっともない。という感想はさておき、魔の気配はどこからも感じられない。おなかの空いた佳弥には里芋のそぼろあんかけが美味しそうに見えるばかりである。佳弥は渋谷たちの個室に戻りながら、今、自分に魔が差したら多分つまみ食いする、気を付けなきゃ、と自分を戒めた。
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