第25話 ひとりおでん考

 何となく中野はまだ情報を出し切らずにうやむやにしている部分がある気もするが、ひとまずは納得したことにして、佳弥と幸祐はシンハオの事務所を出た。下りエレベータの中で、幸祐が背を丸めて深いため息をつく。


「どうしたんですか、思ったような収穫が得られなくてガッカリ、ですか。」


 佳弥はそんな気持ちである。もともとあまり期待はしていなかったが、事実の究明にはあまり役に立たなかった。


「うん、それもあるけど、やってしまったなあと思って。」


「どういうことですか。」


「俺、怒ると感じ悪くなるらしいから、あんまり怒らないように気を付けてるんだけど。中野さんがテキトー過ぎるから、腹が立って、駄目だった。あー、失敗。佳弥ちゃんも嫌な思いさせて、ごめんな。」


 ビルから出て、幸祐は鳶色の髪をもしゃもしゃと掻き乱しながら謝った。佳弥はピンと来なくて、暫し思い返す。いつもと様子が違ったのは確かだが、どこかに憤怒の影なんかあっただろうか。


「あれ、怒っていたんですか。そうとは思いませんでした。」


「えっ、佳弥ちゃんは気付かなかったの。俺が機嫌悪いのはすぐに判る、ってよく言われるんだけど。」


「機嫌が悪いとか怒るとかいうよりは、そうですね…いつもよりも年齢相応でしたよ。きっと、あの時変身していたら十五歳にはなりませんでしたね。」


佳弥は真剣に分析した。それを聞いて、幸祐は口をへの字にした。


「何だ、それ。俺はいつも年齢相応に行動してるつもりだぞ。」


「どの口が言うんですか、まったく。」


佳弥は肩をすくめた。幸祐が常に二十七歳らしい振る舞いをしているなら、佳弥はバイトの時に苦労はしない。


「でも、良かったですよ。市川さんが怒ってくれたおかげで、ベータ版ももらえましたし。ありがとうございました。」


 佳弥は素直に頭を下げた。佳弥だけではのらくらオヤジからあの程度のことすら聞き出せなかったかもしれない。礼を言われた幸祐は、もごもごと戸惑うように口ごもる。佳弥はそんな幸祐には構わずに、うーんとあごに指を当てて思案した。


「中野さんのあの様子だと、これ以上知りたければ、自分で調べるしかないんでしょうね。」


「佳弥ちゃん、無茶するなよ。マール・ルブラの本社に特攻とかさ。」


「しませんよ。人を何だと思っているんですか。」


 佳弥はぶすっとする。


「ただ、今の状況では、私が何をすると彼らの妨害とみなされるのかが分かりません。直接彼らに訊くにしろ、何にしろ、そこははっきりさせたいですね。」


「そうだなあ。」


 幸祐はのんびりと呟いて、ぽんっと佳弥の頭に手を置いた。


「何かするんだったら、ちゃんと俺にも言ってくれよ。一人は駄目だからな。」


佳弥はムッと幸祐を睨んだ。子ども扱いされるのは、癪に障る。が、それを直接言うのは、それこそ子どものすることだ。それより、幸祐が一緒にいたのでは、何か工作しようにも却って失敗しそうというものではないか。というか、頭撫でるな、触るな。


 佳弥は黙ったまま、ぷりぷりと幸祐の手を払いのけた。


「とりあえず、明日は通常どおりにバイトをしましょう。あとは、彼らの出方次第です。」


努めて抑えた口調で佳弥は言った。


「分かった。じゃあ、また明日連絡するよ。飛鳥さんが戻って来ると良いんだけどな。」


「部屋は綺麗にしておいた方が良いと思いますよ。」


佳弥が静かに忠告すると、幸祐は痛いところを突かれたように言葉に詰まった。昨日の今日で、もう散らかし始めているのか、と佳弥は醒めた目を向ける。


「あ、そうだ。市川さん、私のことをさっきは名字で呼んでましたよね。いつもそうしてくださいよ。」


 佳弥はふと思い出して、付け加えた。大事なことだ。いつの間にやらちゃん付けに戻っていたが、戻す必要は無い。


「やだよ。」


 幸祐は当然のことのように断った。


「何でですか。私はちゃん付けは嫌だってずっと言っているじゃないですか。」


「言いにくいんだもん。竹本さん、って。」


いい歳した男が「だもん」じゃないよ、と佳弥は突っ込みたかったが、そこはこらえた。こんなことなら、ずっと怒っていてくれた方が良いかもしれない。さっきの理屈っぽい幸祐の方が、佳弥はウマが合う気がする。佳弥は眉間にしわを寄せてため息をついた。それを見て幸祐が笑う。


「佳弥ちゃんは俺と違って、いっつも怒ってるよな。怒らなくなったらどうなるんだ?」


「市川さん相手に怒らなくなることはありませんから、心配ご無用です。」


ぷいっと佳弥はそっぽを向いた。いつもどおり、無性に腹が立つ。こんなにカッカしているのに寒いし、怒ったせいでおなかも空いたし、もう帰ろう。昨日は帰宅が遅くて、父に叱られたばかりだ。


 佳弥はすたすたと駅に向かって歩き出した。すっと横に幸祐が並ぶ。並ばなくていいんだが、と佳弥は毎度思う。


「佳弥ちゃんち、今日の晩御飯は何?」


「おでんです。」


朝、母がそう言っていた。市民農園で野菜を作っているお隣さんから大根を多量に頂いたので、おでん。


「あ、良いなあ。俺もおでん作ろうかな。」


 ひとりでおでん。その図を思い描いて、佳弥は少しだけわびしくなった。でも、将来佳弥が一人暮らしを始めたら、そうなるのだろう。単身者がコンビニでおでんを買うのは、おでんの鍋を一人で食べるのが寂しいというのも理由の一つかもしれない。コンビニおでんなら、汁の多い煮物にしか見えない。


「手前味噌だけどさ、俺のおでんって結構旨いんだよ。昆布と鶏ガラで出汁とるんだ。」


「へえ、美味しそうですね。」


佳弥は正直な感想を述べた。竹本家は昆布出汁のみだ。後は、具材から出るうま味が何とかしてくれる。


「食べに来る?」


「絶対行きません。」


「そう言うと思った。飛鳥さんが丁度良く来たら、一緒に食べるんだけどな。」


やっぱり、ひとりおでんは寂しいのかな、と佳弥はちょっぴり気の毒に感じた。一緒に食べてやる義理は無いが。


 飛鳥が戻ってくると良いな、おでんのためにも、と思いながら佳弥は家に帰った。

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