第18話 盗撮は犯罪です

 その日もせっせと二時間ツボを押し続け、佳弥は飛鳥と別れて帰途に就いた。実に効率よく働けた。満足して地下鉄の駅に降りた佳弥は、周りに誰もいなかったので機嫌良くくるりと回ってみた。体も心も軽い。


 そこで佳弥は、階段を登る人影に気付いた。ありふれたスーツとコートを着た男性と、真冬なのにミニスカートから素足をむき出しの女子高生だ。何となく嫌な予感がして、佳弥は壁に身を隠してそっと上を窺った。女子高生も、男性も、それぞれスマホの画面を見ながら階段を登っていて、危なっかしい。それだけならまだ良いのだけれど、と佳弥が見守っていると、案の定、女子高生の後ろから階段を登る男性が、スマホを持つ手をすっと下ろした。何気ない様子を装っているけれど、よく見れば不自然な角度でスマホの画面を固定している。女子高生は自分のスマホにくぎ付けで、男性の不審な行動に気付く様子は無い。


 クソッタレめ、と佳弥は心の中で罵倒した。実際には、そんな口汚い言葉は発しない。


 佳弥が自分のスマホを確認すると、まだ変身できるようだった。佳弥は辺りを見回して人がいないことを確かめ、変身ボタンをタップした。四十五歳、より少し若返っているかもしれない肉体にやや無理をさせて、一気に階段を駆け上る。男性の脇に付いてスマホをのぞき込むと、やはりスカートの中身が映っている。こんな画像のどこに価値があるのか分からん、と佳弥は思うが、撮られた方はたまったものではない。男性がコートのポケットにスマホを入れたところで、佳弥は横から手を伸ばしてそれを抜き取った。男性は佳弥には全く気付かずに、少し足を緩めて女子高生と距離を取って階段を登っていく。焦りがあったのか、男性はスマホをロックしていなかったので、悪しき画像が画面に表示されたままになっている。


 佳弥はその場で立ち止まり、男性と女子高生を見送った。確か、交番が近くにあったはずだ。落とし物として届けてやろう、この画像が表示されたままで。


 決意を新たにぐっと唇を引き結んだところで、佳弥は後ろから肩を叩かれた。びくっとして、スマホを両手で握りしめたまま振り返る。


「何やってんだよ、佳弥ちゃん。」


幸祐が佳弥をとがめるようなまなざしで立っていた。


 佳弥はほっと息を吐いて、変身を解いた。こんなところで遭遇してしまったのはがっかりだが、それよりもびっくりさせないでほしい。


「他人の物を盗むなんて、駄目じゃないか。佳弥ちゃんらしくもない。」


「これを見ても、そう言えますかね。」


佳弥は大事な部分を指で隠して、スマホの画像を幸祐に見せた。あ、という形に幸祐の口が開いたままになる。


「私は今からこれを交番に届けます。怪しい動きをしていた男が落としました、と言います。その後のことは、警察に任せます。」


「それ、ツボ押しなの?」


「いいえ。たまたま気付いたから、対処するまでです。お天道様に顔向けできないような真似はしていませんよ。」


それを聞いて、幸祐は深く感じ入ったようにため息をついた。


「相変わらず、佳弥ちゃんは度胸があるなあ。」


「はい、はい。じゃあ、そういうことで。」


適当にいなして、佳弥はその場を去ろうとした。幸祐に関わっている暇は無い。


 しかし、幸祐は佳弥を呼び止めた。


「俺も一緒に警察に行くよ。女の子一人だと心配だし。」


「市川さんがいても頼りになりませんから、来なくて良いです。」


「そういうことを言わない。ほら、行くよ。」


帰ろうとしていたんだろうから、おとなしく帰れば良いのに。佳弥はぶつくさと文句を垂れるが、幸祐は気にすることなく佳弥を引き連れて交番に向かった。


 交番での警察の対応は、佳弥が予想していたよりも親切なものだった。そして、佳弥にとっては残念なことに、幸祐の存在が意外と重要であった。目撃者が複数いるということ、そして、成人が対応するということは、女子高生一人で乗り込むよりも遥かに説得力があるらしい。


「ほらな、こういうときは、大人がいた方が良いんだ。」


 交番を出たところでドヤ顔をする幸祐に対して、佳弥は完全にむくれた。都合のいい時だけ保護者面をされるのは、未成年にとってはこの上なく癪に障る。いつも幸祐の幼稚な言動を諫めて、修正して、使えるように持って行くのは佳弥ではないか。警察も、戸籍年齢よりも精神年齢で物を言ってほしいものだ、と無理なことを考える。


「市川さんはもうお仕事をして大丈夫なんですか?」


 幸祐がネクタイを締めているので、佳弥は著しく疑わしそうな声を出した。


「うん、火曜日から出勤したよ。自己評価だけど、月曜日の午後にはほぼ収まっていた感じだな。」


 でもさー、と幸祐はひどくしょんぼりと肩を落とした。


「土日にずっと家にいたろ?手持無沙汰だから、スマホ見るじゃん。そうするとさあ。」


「ああ、ゲームに阿呆のように課金したんですね。」


「そうなんだよ。俺、スマホのゲームってやらないんだけどな。気が付いたら、あれもこれもダウンロードされているんだ。しかも、無茶苦茶にガチャをやったり、訳分かんないアイテムを買ったりした形跡があるわけ。怖いよ、あれは。」


 幸祐には気の毒だが、しょげかえる様子が面白くて佳弥はクスクスと笑った。


「それから、Amazonな。ハッと気付いて購入履歴見たら、もう顔真っ青だぞ。自分の懐具合知ってるのにどうしてあんなことするんだろうな、俺は。年末だってのに、餅代も無くなったよ。」


 青菜に塩を掛けたようにしおれる幸祐を見て、佳弥はまた笑った。それを見て、幸祐が口をとがらせる。


「笑うことないのに。俺は結構深刻だよ。」


「はい、すみません。」


佳弥は笑ったまま口先だけで謝った。飛鳥は日曜に幸祐の様子を見に行って、割とまともだったというようなことを言っていたが、やはり正常ではなかったということか。それにしても、魔が差したときに取る行動が、いちいち子どもじみていて何とも平和ではないか。他人に迷惑を掛けていないのだから、ある意味立派なものである。


「今回ひどい目に遭って分かったんだけど、魔が差したって、俺には大した悪事は働けないんだな。爆破予告を出すとか、人を襲うとか、そういう衝動は全然無かったよ。魔が人を操るわけじゃないから、その人の身の丈に合ったことしかできないんだな、きっと。」


「魔を吸い込んだのがしょぼい市川さんで良かったということですか。」


「しょぼいって言うなよ。でも、佳弥ちゃんだったら、大変だっただろうな。思い切りが良いから、でかいことをしたかもしれない。ろくでもない政治家を刺すとか。」


「失礼な。人を何だと思っているんですか。」


佳弥はぶすっと口をへの字に曲げた。魔が差したって、人を刺すはずがないではないか。第一、腐った政治家がいたとしても、テロ行為では国は良くならないと佳弥は考えている。


 その佳弥の表情を見て、幸祐が苦笑した。


「またすぐにそんな仏頂面をする。笑った方が可愛いのにな。」


それを聞いて、佳弥はますます不機嫌の度を極めて顔をしかめた。セクハラか。お前に見せる笑顔は無い。スマイル百万円だ。


 ぷい、と佳弥はそっぽを向いた。繁華街の明かりに照らされて、沢山の車や人が行き交っている。金曜の夜だからか、飲食店の周囲に人が多い。勤め帰りらしきスーツを着た人たちが嬉しそうに店に入っていく。


 そんな中に、佳弥は何となく見覚えのあるような気のする顔を発見した。居酒屋とは一線を画す、佳弥が見てもお値段が張りそうであることが分かる店の暖簾をくぐっていく。二着買うと一着無料になる量販店の品物とは光沢の違う小綺麗なスーツ、軽くて暖かそうなコート、細くとがった顎、鱗のように強固に貼り付いた笑顔。どこで見たんだったかな、と佳弥は首をひねったが、佳弥と知り合いになるようなスーツの男性は幸祐と学校の先生くらいしかいない。そして、彼はそのどちらでもない。


 暫く考えて思い出せないので、佳弥は諦めた。まあ、自分の人生にさしたる影響力を持つ人ではあるまい。


 おなかも空いたし、帰ろう。佳弥はデイパックをしょい直して、地下鉄駅に向かった。当然のような顔をして、幸祐が横に並んで歩く。こいつのスーツは絶対に量販店だ、と佳弥はさっきの身なりの良い男性と比べながら考えた。ネクタイ一つをとっても、佳弥が見慣れている、父のシルク百%のネクタイに比べると質感が劣るので、きっと格安の化繊の品だろう。バイトをしないと食っていけないような薄給なのだから、衣料費を削るのはやむを得ない仕儀か、と佳弥は少し同情した。


 駅の階段を下りていくところで、佳弥と幸祐は小柄な初老の男性とすれ違った。顔見知りなのか、幸祐が挨拶をする。


「ああ、市川君。今から帰りか。」


男性は、そう言って穏やかな笑みを浮かべた。


「そちらの娘さんは、妹さんか?」


「いえ、友達です。たまたまそこで会ったので。」


 佳弥としては、幸祐とは友達より遥か下に位置する関係であると考えていたので、いささか不服を申し立てたい気分である。が、ただの通りすがりがわざわざ主張するほどのことでもない。表情を消したまま、黙って軽く会釈をした。


「もしかすると、この間、市川君が見せてくれた写真の子かな。」


「そうです、そうです。」


 嬉しそうに答える幸祐の横で、佳弥は少し考えて、ヒマワリのヘアゴムの件を思い出した。このおじさんは何だか偉そうな人だが、そんな上司にまで写真を見せていたのか、このアンポンタレは。顔が映ってはいないとはいえ、そんなに広めてほしいものでもないのに。佳弥が微かに不愉快そうな顔をしたのに気付いたのか、初老の男性は佳弥に向き直った。


「こちらの職員がご無理をお願いしたようで、申し訳ありませんでした。」


「いえ、構いません。皆さんのお仕事の役に立てたのなら幸いです。」


初老の男性の堅い挨拶に、佳弥は生真面目な回答をした。本心の大部分を占めるものではないが、全くの嘘ではない。それよりも、謝ったり礼を言ったりするべきなのはこのおじさんではなくて、幸祐である。


「副会長は、どなたかとお約束ですか?」


「ん、まあ、そんなところだな。花金だし、ちょっと引っ掛けてくるよ。」


 ハナキン、の意味が佳弥には分からないが、サラリーマンには分かるらしい。


「じゃ、お疲れさん。」


初老の男性はそう言って片手を上げ、階段を登っていった。


 男性を見送った後、階段を下りながら幸祐は佳弥をちらりと見て言った。


「あの人、佳弥ちゃんと同じくらい堅物なんだ。俺は佳弥ちゃんに初めて会ったときに、真っ先にあの人を思い出したよ。佳弥ちゃんの親戚じゃないよな?」


「全然知らない人です。」


佳弥はそっけなく答えた。知らないおじさんと性格が似ていると言われても、反応のしようがない。


 と、そこまで考えて、佳弥はふと思い出した。


「ああ、一度見たことがありますね、市川さんの職場で。」


ゴアと一緒にボランティアの保険の手続をしに行ったとき、ちらっと見た。そうだ、さっきの身なりの良い男性が外から来て、初老の男性が対応のために出てきたのだった。身なりの良い男性が名乗らずに人を呼びつけたのが不満で、印象に残っていた。


 思い出せてすっきりして、佳弥はすがすがしい気持ちで改札をくぐった。しかし、ホームが島式なので、お互い逆方向の電車を待つ間も幸祐が話しかけてくるのが鬱陶しい。思い出せたすっきり感がたちどころに霧消する。


 ポケットのスマホが振動したので、佳弥は幸祐を無視してスマホを眺めた。


「今日のツボ押しの成果…痴漢の摘発率が向上しました。」


「佳弥ちゃん、ツボ押さなくても自分で向上させたじゃん。」


佳弥が考えたことを、幸祐が横から口にした。佳弥は頷いて同意する。時々この手の、何とも言えない微妙な結果報告がある。もしかして、ツボ押しの効果の判定には、ツボ押しによらない直接の行動の結果も含まれているんじゃなかろうか。


 少し不満の残る気持ちで、佳弥は幸祐に別れを告げて電車に乗り込んだ。次の駅で乗ってきた妊婦さんに、佳弥は席を譲る。これもまた、ツボ押し効果の中に取り込まれているのかしら、と佳弥はそこはかとなく面白くない気持ちになった。

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