第14話 妨害の序曲
仕方がないので、二人は次の仕事に取り掛かることにした。本屋からてくてくと十分ほど歩いて、目的の電柱に到達する。電柱のやや古びて汚れた張り紙には「カラスの巣 残置中」と書いてある。巣の姿は、暗いので判然としない。
「で、このカラスの巣に、さっき拾ったこのハトの羽根を入れてこい、とな?」
「今回は随分と無理難題を言うなあ。電柱に登るのって、電気系の資格が要るんじゃなかったっけか。」
「そうですか、犯罪行為ですか。まあ、最終的な責任はシンハオ本体がとるんでしょう。ということで、頑張ってください。」
「え、俺が登るの。」
涼しい顔をしている
「まあ、しょうがないか。佳弥ちゃんに危ないことさせるわけにもいかないしな。」
ぽりぽりと頭を掻いて、幸祐はあっさり自らの運命を受け入れた。四十五歳の腰痛持ちに電柱を登らせて、下で十五歳の男子が傍観しているわけにもいくまい。
電柱には通常、登るために手や足を掛ける枝のような棒が出ている。しかし、幸祐が対面する電柱は、手の届く高さにその枝が無い。そして、電柱というものは、素手で登りやすいようにはできていない。幸祐は電柱に取りついたものの、枝まで登ることができずに、ずるずると下に滑り落ちる。何度か挑戦して、全く進捗が見られないまま、幸祐は荒い息を吐いた。
「これ、難しいよ。」
でしょうね、と佳弥は同意した。同意はするが、さりとて手伝いはできない。
「そうだ、さっきのゴムを使ったらどうですか。靴底を弾性の大きなゴムに変えられないんですか。ほら、靴底にばねが付いたおもちゃみたいな靴がありますよね。」
「あー、なるほどねえ。佳弥ちゃん、発想力があるな。」
幸祐は感じ入ったように頷いたが、発想力というよりは、佳弥がつい先日パソコンで動画を見ていた時にたまたまそんな物を見たというだけのことである。ちなみに、何故そんな動画に行きついたかというと、兄が最近練習しているムーンウォークを調べていたからだが、それをわざわざ言うのは煩わしいので、佳弥は黙っていた。
「そうだな、この靴だって変身で出てくるんだから、この黒い布と同じ扱いでいけるはずだよな。あとは気合の問題か。」
必要なのが気合なのか、技術と応用と経験と才能なのか、そこは分からないが、ひとまず幸祐がやる気いっぱいな様子なのは良いことだろう。佳弥はステッキにもたれたまま監督さながらに幸祐を観察した。
幸祐は片足ずつ上げて靴底を確認すると、その場で足を揃えて軽く跳躍運動をした。
「スプリング、スプリング…」
イメージを高めるため、両眼を閉じて呟く。心なしか、徐々に跳躍が軽やかに、高度を増していく。
「よし、何だか行ける気がしてきたぞ。飛鳥さんのように、高く舞うぞ。」
幸祐は跳躍を止め、目を開いた。カラスの巣があるであろう上方を見据え、ぐっと脚に力を入れる。
「とりゃあああっ」
ファイト一発、威勢の良い掛け声とともに幸祐は跳ねた。びよん、と音がした気がしたが、本当に鳴ったのか空耳なのか分からない。とにもかくにも、幸祐は常人ではありえない高さまで吹っ飛んでいた。
「おおー、やるじゃないの。」
佳弥は感嘆して、幸祐の行く末を目で追った。幸祐は自分で想定していた以上に飛んでしまったせいか、空中で体勢を整えられずにそのまま電柱の上部に激突した。うあ、と情けない悲鳴が遠くから響く。
「あ、これは落ちるぞ。」
佳弥は冷静に状況を分析した。あの高さから落ちたら、さすがに痛いだけでは済まないだろう。日常生活に支障を
助けようにも、どうしたら良いかと佳弥が困っているうちに、幸祐は墜落してきた。背中を丸めて地面に激突した幸祐は、何度か路面でぼよん、ぼよんと弾んで、ブロック塀の片隅に落ち着いた。
「大丈夫ですか?」
さすがに心配になって佳弥が駆け寄ると、意外にも幸祐はむっくりと立ち上がった。
「うん、咄嗟に服をゴムにしてみたら、何とかなった。ちょっと痛いけど。」
「ゴムじゃなくて、別の緩衝材にはできないんですか。どんだけゴムが好きなんですか。」
「別に、ゴムは好きじゃないよ。そっちより、機転を褒めてほしいんだけどな。」
幸祐は痛む腕をさすった。軽い打撲程度で済んだようだ。ゴムも悪くはない。
「そうそう、鳥の巣はちゃんとあったよ。ハトの羽根を突っ込んでくる余裕は無かったけど。」
「そうですか。じゃあ、もう一度ジャンプですね。」
当然のような顔をして佳弥は発破をかけた。失敗したときの対処も自分でできるなら、言うことは無い。存分に空に舞うが良いだろう。
幸祐は佳弥をじっと見つめて不思議そうに首を傾げた。
「佳弥ちゃんはやらないの?楽しいよ。」
お気に入りのお菓子を親に差し出す幼児のようなあどけない視線を受け、佳弥はややたじろいだ。四半世紀以上を人にまみれたギスギス社会で生き延びてきた成人なのに、邪心が無さ過ぎる。成長も無さ過ぎる。十五歳どころか、七歳くらいじゃないのか。
佳弥はポケットから少し黒い布を出して、握りしめた。温かなホッカイロがもう一つできあがる。
「私にできるのはホッカイロの製造だけです。ホッカイロでは飛べません。」
ホッカイロを幸祐に渡して、佳弥は首を横に振った。もしかしたら、頑張ればゴムばね靴も作れるのかもしれないが、気合も意欲も無い。腰も膝も痛いし、身体的に無理はしたくない。
「本当に温かいなあ、これ。佳弥ちゃん、器用だなあ。」
幸祐はいたく感心して、ホッカイロを握りしめた。暫くそうして、冷えた手を温めてから幸祐は電柱を振り仰いだ。
「じゃあ、もう一回俺が行ってみるよ。」
「操縦に気を付けてくださいね。私ではフォローできませんから。」
目の前で怪我をされるのも嫌なので、一応佳弥は幸祐を気遣った。幸祐はにこっと笑って、頷く。
屈伸と跳躍で準備体操をして、幸祐は再び電柱に向き直った。やる気と好奇心で瞳がキラキラと輝いている。新しいゲームやおもちゃに出会った子どもさながらである。佳弥がやりたくないことを好き好んで引き受けてくれるから良いのではあるが、と佳弥はため息をつく。その若さ、十歳くらい分けてほしい。そして、幸祐には十歳分の落ち着きを持ってほしい。どうして世の中はこう極端に別れてしまうのやら。
嘆いて夜空を見上げた佳弥の視界に、黒い影が映った。幸祐ではない。人よりももっと小さい何かだ。猫か、それこそカラスのような。巣の主だろうか。幸祐に注意を促した方が良かろうかと思った佳弥だったが、その直後に目の前から幸祐が跳び上がっていく。今度は少し慣れたのか、あわあわと手足を振り回してバランスを取りつつも、丁度良く電柱の上に飛び乗ることができた。ただし、乗ったは良いが足場が悪いので、両手で足元の電柱にしがみついている。
「市川さん、何か近くにいますよ。気を付けてー。」
佳弥が声を掛けると、聞こえたのか、幸祐が辺りを見回した。その拍子にグラグラと揺れ、慌てて身を低くして電柱につかまる。その隙に、黒い影がスッと飛び出した。不安定な幸祐とは対照的に、身軽に電柱に渡るや否やカラスの巣に忍び寄る。
「何だこいつ。おいおい、やめろよ。」
幸祐が文句を言うが、黒い影はカラスの巣を引っ掴むと、電線を伝ってさっと駆けだした。
妨害だ。佳弥はカチンときた。この前から、一体何なんだ。ザコい初心者アルバイトの、ちんけなツボ押しを邪魔するなんて、何という狭い了見だ。おかげで、かどうかは分からないが、いまだに時給の十円も上がらないじゃないか。他人が一生懸命やっている仕事の妨害をするなんて、悪辣極まりない。許せん。
「市川さん、追ってください!」
「へっ?」
「ジャンプして家の屋根とか屋上をたどれば、追えるでしょう。ほら、さっさと行く!」
「は、はいっ!」
鋭い佳弥の指示に、幸祐は弾かれたように身を伸ばした。黒い影が立ち去った方向めがけて、フラフラとした足取りながらも電柱のてっぺんから次の足場へと跳んでいく。
佳弥は幸祐と黒い影を下から見ながら、道路を走って追いかけた。腹が立つことこの上ない。カラスの巣が電柱から取り去られてしまった以上、もうあのツボは押せないのかもしれないが、そんなことより、今後のためにもいたずら小僧をとっちめるのが肝要だ。四十五歳の身体にムチ打ち、ぜえぜえ喘ぎながらも佳弥は諦めずに黒い影を追う。ここで降参してなるものか。
しかし、寄る年波には勝てない。変身していなければもっと長く走れるのに、と歯ぎしりしながら佳弥は少し立ち止まり、ステッキにすがりながら息を整えた。空を見上げて黒い影と幸祐を探すと、大分バネシューズの扱いに慣れた幸祐に追われて、黒い影は右往左往しているようだった。幸祐が調子に乗りすぎているような気がして、佳弥は一抹の不安を覚える。黒い影を捕らえた跡なら、幸祐が地球の裏側にまで飛んで行って、佳弥は今後幸祐に会うことも無く一生を終えても全然構わないのだが、とりあえず電線の上から引きずり下ろすところまではやってもらわなければ。
黒い影が落っこちてきたらどうやって捕獲してやるべきかと考えて、佳弥は痛む腰を叩いた。走るので精いっぱいのこの中年ボディでは、あのすばしっこいのを捕まえるような機敏な動きはできないだろう。何かこう、猟銃のようなものが要るのではないか、と考えて、佳弥は頭を振った。こんな街中で誤射したらどうする。必要なのは別の何かだ。
漸く少し呼吸が落ち着いたので、佳弥は再び駆けだした。静かな住宅街を上空を見上げながら走り、時折立ち止まり、何とか追いすがる。殆ど車の無い狭いコインパーキングのそばで、佳弥は黒い影が足を滑らせてビルの窓の縁にぶら下がっているのを目撃した。
よし、落ちて来い、と佳弥が念じたのが効いたのか、黒い影はカラスの巣もろともコインパーキングに落下した。怪我も何もないのか、黒い影はすぐに体を起こすと四方を見渡した。ビルの谷間に作られたコインパーキングは、ビルの壁を駆け上れるのでもなければ出口は一か所しかない。そして、そこには激しく肩でを息しながら追いついた佳弥が立っていた。
こんな息も絶え絶えなオバサンは恐るるに足りず、と判断したのか、影は小動物らしい素早い動きで佳弥の足元を通り抜けようとした。
「させるか!」
佳弥は登山ステッキをぶんと振り回した。クリーンヒット、とまではいかないが、ステッキの先が黒い影をかすめる。すると、ステッキの先に付いた黒いねばねばとした餅のような物が影にくっついて、動きを阻止する。逃げようともがく影の振動に負けぬよう、佳弥はステッキを両手でしっかりと握りしめた。
「うわ、佳弥ちゃん、お見事!」
ぼよん、と跳ねながらどこかから飛び降りてきた幸祐が佳弥の傍らに立った。幸祐が佳弥の目の届かぬ宇宙まで飛んで行っていなかったことに、佳弥は少しだけがっかりする。
幸祐はステッキの先の黒い影に近付いて、身を屈めた。
「このべたべた、何?」
「とりもちです。急なことでしたが、存外うまく作れました。」
黒い布で登山ステッキの先を包んで、とりもちにしておいたのである。ドラえもんのコミックを読んでいて良かった、と佳弥は漫画の持ち主である兄に感謝する。
黒い影はよく見ても何だか正体不明の小動物だった。大きさは猫程度だが、目も耳も口も鼻もないし、しっぽも羽根も無い。ゴキブリっぽくは見えないので、佳弥は安堵する。このサイズのゴキブリだったら、いくら冷静な佳弥でも対処できない。
幸祐はポケットから黒い布を引きずり出し、ぐるぐると黒い影を縛った。手足っぽいものはあるので、それを拘束すれば動けなさそうだ。影の動きを封じたところで、佳弥はステッキの先のとりもちを回収した。どうやって布に戻そうかと思案していたが、指でつまんで引っ張ったらあっけなく元通りになって取れたのである。これなら父に怒られずに済むだろう。
「今更ではあるけど、一応ハトの羽根を入れておこうか。」
幸祐はポケットからハトの羽根を取り出し、カラスの巣の中に丁寧に置いた。ナビゲーターからの指示は、カラスの巣に羽根を入れろというだけで、電柱の上で作業しろという注意事項は無かったのだから、もしかしたらこれでも効果があるのかもしれない。佳弥がスマホを確認すると、任務完了、と表示されていた。苦労はしたが、成功したらしい。久しぶりに仕事がうまくいって、嬉しい。
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