第13話 腰痛に優しいスキル習得
その日は結局、十八時半に集合することになった。
五分遅れで待ち合わせ場所に現れた
「いいな、杖。俺も欲しいなあ。」
楽しみや洒落でステッキを持っているわけではない。ただの腰痛対策だ。だというのに、幸祐があまりに騒ぐので、うるさい、と佳弥はステッキの柄で幸祐の頭をこつんと叩いた。幸祐が叩かれた箇所を押さえて黙る。うむ、これは便利だ。
「乱暴するなら、折角佳弥ちゃんにぴったりのアイテムを発明したのに、教えてやらないぞ。」
ステッキを肩にもたせ掛け、いつでも追加で叩ける体勢の佳弥を見て、幸祐が口を尖らせた。佳弥は目を細めて、幸祐の表情を窺う。何だか知らないが、言いたくて言いたくて仕方がないと顔に大書してある。放っておいても勝手に喋るだろう。
佳弥は黙って本日の一つ目の目的地に向かって歩き出した。慌てて幸祐が追いかけてくる。
「なあ、聞いてくれよ。すごい発明なんだって。」
「話したくないんじゃないんですか。私は市川さんを叩きますよ。」
「叩かないで聞いてよ。俺、腰痛バンドを開発したんだよ。」
佳弥は足を止めて、振り返った。出かけるときの予想が的中して、冷えのせいで今日は腰の痛みが深い。ステッキが無かったら大変だったろうと思っていたところだ。
佳弥の興味を惹けたのが嬉しいのか、幸祐は得意満面で胸を反らした。
「見たい?」
「見せたくないなら、いいです。」
相手をするのが面倒くさくなって、佳弥はまた歩き出そうとする。幸祐はその袖を引っ張って、何とか引き留める。
「まあ、待って待って。今やるから。」
幸祐は黒衣のポケットに片手を突っ込むと、フェイスタオル大の影のような黒い布を引きずり出した。そんな布切れがポケットに入っていたこと自体が、佳弥にはまず発見である。
「佳弥ちゃんがテストで休んでる間に、中野さんに言って変身させてもらって、家で練習してみたんだ。」
幸祐は手元の布をひらひらと振った。シルクのような薄い布だ。
「はい、この布切れが、何とびっくり…」
洗濯物のしわを伸ばすときのように、幸祐は薄い布を勢いよく振るった。パン、と布が鳴って、くったりとしなった。少し硬くなったように見えるが、黒い薄い布である様子に変化はない。幸祐は布の端と端を両手で持って広げた。ぐっと力を入れて横に伸ばすと、ゴムのように伸び縮みする。
「ほら、伸縮素材に変わっただろ。腰痛ベルトにぴったりだ。」
「なるほど。で、どうやってそれをテンションかけて腰に巻くんですか。」
佳弥に問われて、幸祐の動きと表情が固まる。
「そこまで考えていなかったんですね。まあ、十五歳のおつむではそんなもんでしょう。」
「でも、布がゴムになっただけでもすごいだろ。しかも、戻せるんだぞ。」
幸祐は再びゴムを軽く振った。元のように、柔らかな布に戻る。
佳弥は精神的な年長者らしく、生暖かい微笑未満のものを口の端に浮かべた。
「よくできましたね。」
「佳弥ちゃん、馬鹿にしてるだろ。自分でもやってみろよ、意外と難しいんだから。」
ぶうたれる幸祐に、しょうがないと言って佳弥は自分の上着のポケットをまさぐった。指先にベルベッドのようなしなやかな手触りがある。これかしら、と佳弥はそれをつまんで引き出した。
「あれ、あらら。」
ずるずるずるずる、と手品師のハンカチのようにどこまでも長く黒い布が出てくる。トイレットペーパーみたいに、切らないといけないのか。佳弥は出過ぎた布を少しポケットに押し込み直して、端っこをちぎってみた。何の手ごたえも無く、ハンカチサイズの黒い布が手元に残った。
「これをどうするんですか?」
「そこからは自分で研究だよ。俺も手探りなんだから。」
試しに、佳弥は手の中で布を丸めて、握りしめた。手品師なら、これが薔薇とかハトとかになるところだが、と考える。でも、そんな物になっても嬉しくも何ともない。佳弥が今欲しいのは、ホッカイロだ。ちょっと腰に当てて温めておきたい。
手の中の布がちょっと重く硬くなったような気がして、佳弥は手を開いた。布切れは、真っ黒なホッカイロになっていた。振るとシャカシャカと音がして、人肌より少し温かい温度でほかほかしている。
「あ、ホッカイロになった。これは便利。」
佳弥は嬉しそうに呟いて、尻ポケットにそれを突っ込んだ。腰がじんわり温かくなって、少し楽になる。布切れがカイロに化けるなんてどういうからくりだか知らないが、とりあえず腰痛には効くから、現象をそのままにありがたく享受しよう。
「市川さんの発明のおかげで腰痛が良くなりました。ありがとうございました。」
「えー」
素直に礼を言う佳弥に、幸祐は不満そうな声を上げた。
「俺、そんな物出したことないよ。どうやったの?」
「私はホッカイロが欲しいと考えただけですよ。市川さんはゴム板しか作れないんですか?よっぽどゴム板が欲しいんですね。ホームセンターで買ったらどうですか。」
「俺は単に、飛鳥さんみたいに空飛んでみたいだけなんだけどなあ。ゴムをジャンプ台にすればいいのかな。」
「遊ぶのも大概にして、いい加減にツボ押しに行きませんか。前回も散々でしたし。」
佳弥に指摘されて、幸祐は布を振り回しながら未練たらたらの顔で歩き出した。
今日の一つ目の目的地は本屋である。ウィズダム英和辞典と新英和中辞典の間に、ジーニアス英和辞典を挿しこみ直すという指示である。だからどうした、と佳弥は言いたい。この行為で押せるツボなんて、押しても押さなくても世の中に影響しないのではなかろうか。
黒衣を着ていても機械はちゃんと反応してくれるので、自動ドアは作動する。佳弥と幸祐は本屋の辞書コーナーに向かった。しかし、英和辞典の棚を見ても、他の辞典の棚を見ても、標的となるジーニアス英和辞典の姿が見当たらない。仕方がないので、手分けして本屋の隅から隅までジーニアスを探して歩くが、やはり見つからない。
「おかしいな。俺、在庫が無いか店員さんに聞いてくるよ。」
幸祐は店の外で変身を解いて戻ってくると、書店員に在庫を尋ねた。書店員はバックヤードも確認したようだが、在庫は無かった。
「申し訳ありません、今日在庫まで売れてしまいまして。この時期に辞書が急に売れることはあまり無いのですが…。」
「そうですか、今日売れちゃったんですか。」
取り寄せようかと問う書店員を断って、幸祐と佳弥は店を出た。
スマホのアプリで事の次第を報告しながら、幸祐は首をひねった。
「絶対、変だよなあ。」
「妨害されているかのようですね。」
佳弥も不満そうな顔をした。妨害だとしたら、そのために英和辞典を何冊も買っていくとはなかなかリッチなやつだ。仕事のことは脇に置いておいて、ジーニアスなら一冊分けてほしい、と考えたのは言わずにおく。
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