第12話 サラリーマンたちとの邂逅

 佳弥かやはその日以降、テスト勉強のためにアルバイトを一週間ほど休止した。思うようにはかどらなかったまま休みに入ってしまったので、いささか消化不良の感があるが、やむを得ない。学業をおろそかにしてまで励むようなバイトではない。

 一人では仕事を回してもらえないはずだから、幸祐こうすけもバイトは休みということだが、特に不満は無いようだった。テスト頑張れ、と応援のようなメッセージが来ただけだった。あんたも仕事をしろよ、と心の中でだけ佳弥は返事をする。実際にはメッセージは返さない。そこまでの愛想は無いのである。

 テストの最終日、テストが終わった後の小一時間ほどのホームルームで、佳弥は教室の前で渋い顔をしていた。しっかり者で部活動に不参加の佳弥は、体よく学級委員を押し付けられているのだ。

 佳弥の学校では、一年と二年の夏冬の長期休暇には、クラスで一つ自主的な活動をするという課題を出される。夏は大方のクラスが学校祭の準備も兼ねた活動をするのだが、冬は休み期間が短いこともあり、せいぜいが学校の大掃除でお茶を濁すことが多い。年が明けてからなら、百人一首大会だとか、初詣ウォーキングなんていう企画をするクラスもある。

 ところがどっこい、佳弥のクラスでは有志によるボランティア活動、という案が採択された。何をするかといえば、雪かきである。佳弥の暮らす都心部は当然雪など積もらない、というか、一センチでも積もったら即市民生活が麻痺する体たらくであるが、数時間かけて山間まで行くとそこは豪雪地帯なのである。日程調整などの後方支援をする部隊と、実働部隊に分かれて取り組むということになった。交通費は基本的に実働部隊の自費であるが、おやつ代程度のいくばくかのカンパは後方支援が行う。

 佳弥は当然、後方部隊に志願した。雪かきは、雪深い母の実家で堪能したことがある。あれは腰に来る。雪かきなんぞしたら、絶対に変身後の腰痛が悪化する。あんな重労働は、雪の重みを知らぬ若武者どもに任せておけば良い。

「雪かきって危ないから、ちゃんとボランティア用の保険に入っておきなさい。」

 と担任から注意を受けて、佳弥はクラスを代表して手続きを行う羽目に陥った。これが、渋い顔の原因である。テスト勉強とテスト本番でくたびれているが、仕方がないので集めた協力金を手に手続きに向かうことにした。ただし、一人で行くのは寂しいし、お金の扱いの問題もあるので、ボランティア会計係に任命されたゴアを引き連れて行く。

 寒風吹きすさぶ道を歩きながら、佳弥は紺のダッフルコートの中で首をすくませた。そう言えば、変身すると暑さ寒さを感じない。あの服は相当良くできているのだろう。木の上にジャンプする機能なんか無くても、暑くも寒くもないだけで十分じゃないか。日本全国でみんなあれを着れば、暖房も冷房も要らなくてエネルギー問題が解決するんじゃなかろうか。

 そんなことを考えながら、佳弥はビルの自動ドアをくぐった。ほわん、と温かい空気に包まれて、寒さに強張っていた肩の力が抜ける。

 ところが、建物の中を進んでカウンターまでたどり着いた佳弥は、たちどころに表情を硬化させた。縄張りへの侵入者を発見した肉食獣の如し、である。

「佳弥、眉間のしわが深いんだけど、何かあったの?。」

びたっと足を止めた佳弥を振り返って、ゴアが怪訝そうな顔をした。

 どうもこうもない、帰ろう、と佳弥が言いかけた時、カウンターの奥の職員がゴアと佳弥に気付いてやって来た。

「あれ、佳弥ちゃんじゃん。どうしたの。」

長い紐で首からぶら下がった名札には、市川幸祐と書いてある。お仕着せらしき作業着の上っ張りを羽織った幸祐がにこにこと佳弥を見つめていた。

 佳弥はため息をついた。まさか、こんなところで敵に遭遇するとは。

 しかし、クラスのみんなから与えられた責務を果たさなければなるまい。佳弥はぐっと感情を押さえて、淡々と来所の目的を説明した。今日は、一市民としてきたのだ。バイト仲間ではない。ドライに。クールに。

「へえ、佳弥ちゃん、雪かきに行くんだ。」

「ここでまでちゃん付けで呼ばないでください。客に対して馴れ馴れしいです。しかるべき場所へ苦情を訴えますよ。」

「雪かきって腰痛に悪いから、無理するなよ。じゃあ、申込用紙を持ってくるから、ちょっと待っててよ。」

幸祐が佳弥の言うことを聞かないのはいつもどおりである。苦り切った顔の佳弥を置いて、幸祐は部屋の奥に向かっていった。

 ゴアがにやにやしながら佳弥の横から顔を覗き込んだ。

「あれが、例のアンポンタレ氏かね。普通に働いてるじゃないの。」

「普通じゃないでしょ。知り合いだからって、社会人としてあの態度は無いんじゃないですかね?」

「佳弥、眉間がマリアナ海溝になってるよ。少しは可愛い顔してあげなよ。」

「そんなこと言うなら、ゴアのこと本名で紹介してやる。絶対、奴は心愛ちゃんって呼ぶからね。」

佳弥が言うと、ゴアはうっと言葉を詰まらせた。佳弥はそこで漸くにたりと笑った。可愛い顔ではない。

 紙の束を持って戻ってきた幸祐は、一部をカウンターの上に置いた。

「今日申し込むのは、佳弥ちゃんと、そっちのお友達?」

「さっき説明しましたよね。クラスの二十人が参加するんですよ。私の話を聞いていましたか?」

「ああ、そうだっけ、ごめんごめん。じゃあ、参加する人全員の名簿はあるかな?」

佳弥はゴアに目配せした。実働部隊の一覧は、お金と一緒にゴアが持っている。ゴアはスマートな笑みを浮かべて名簿を幸祐に渡した。幸祐はそれを確認すると、簡単に保険の内容と手続きの説明をした。そこだけ聞いていると、まともな若手職員に見えないこともない。これで給料をもらっているのだから、そうでなくては困るのだが。

 佳弥は申込書の空欄に必要事項を丁寧に記入し始めた。その横で、幸祐とゴアが世間話をする。

「そうか、佳弥ちゃんとは小学校から一緒なんだ。君の名前を聞いてもいいかい?」

「ゴアです。」

ゴアがしれっと省略して言うので、佳弥は顔を上げずに補足した。

「池田心愛です。心に愛で、こ・こ・あ。」

名前を強調してやる。逆襲の佳弥である。ゴアが机の下で佳弥の足をぎゅっと踏みつけたが、佳弥は黙ってこらえた。カラオケボックスで耳を切られた時に比べれば、この程度の痛みに声を上げずに耐えることなど朝飯前である。

「心愛ちゃんか。可愛い名前だね。」

 案の定、幸祐は屈託なくにっこりと笑ってゴアの一番気に障るところをピンポイントで突いた。してやったり、と佳弥は空欄を埋めながら満足げな笑みを浮かべる。自分の苦しみをいくばくかでも味わって、存分に共感してほしいものだ。

 ほの暗い笑顔の佳弥と、苦虫を噛み潰したようなゴアの背後に、身なりの整った壮年の紳士が数人現れたのはその時である。微かな冷気を身にまとっているから、今しがた外から入ってきたのだろう。先頭の紳士が、長年の交渉で培われたこなれた笑顔で、カウンターに立っている幸祐に軽く会釈をして見せた。

「副会長にご挨拶に伺いましたが、ご在席でしょうか。」

 佳弥は身をこころもち隅に寄せて、その紳士を眺めた。ちょっと良さげなスーツと、細身だが温かそうなコート。細い顎の顔は鎧のような微笑に覆われていて、内面が全く見えない。幸祐とは随分な違いだ。さぞ出世しているサラリーマンに違いない。しかし、佳弥は内心で、人を呼び出すなら己の名を名乗れと文句を言う。

 幸祐が部屋の奥を振り返って確認すると、幸祐が呼びに行くまでもなく目的の人物が足早に出てくるところだった。穏やかな初老のおじさんである。外から入ってきた紳士は慇懃に頭を下げながら、挨拶をする。

「ご無沙汰しております。旧年中は幾度もお世話になりまして。」

「いえいえ、私も、役職も仕事もすっかり変わってしまいましたので、なかなかご挨拶もできず申し訳ありません。」

何が言いたいんだか佳弥にはさっぱり分からないサラリーマン的な挨拶を交わしながら、一団はカウンターを離れてどこかへ行ってしまった。ぱたん、と戸の閉まる音がしたので、どこかの会議室か小部屋にでも入ったのかもしれない。

「ああいうお客さんもよく来るんですか?」

 佳弥が一生懸命記入している脇で、手持無沙汰なゴアが幸祐に尋ねる。

「あれはお客さんじゃないよ。うちの偉いさんが以前役所の工事屋さんでね、付き合いがあった建設会社の人が時々挨拶に来るんだ。何を話してるんだか俺は知らないけど。」

「密談で、談合?」

「談合は無いと思うけどね。あの人は佳弥ちゃん並みに堅物だから。」

「そりゃ、鉄鉱石より硬いですね。でも、そういう人でもうっかりすると魔が差しちゃったりするんじゃないですか?」

魔、と言って幸祐と佳弥は思わず顔を見合わせた。が、すぐに佳弥は視線を逸らす。そのまま書きあがった申し込み用紙をチェックして、記入漏れや誤りが無いことを確かめる。

 カタンと音を立ててボールペンを置いて、佳弥は申込用紙を幸祐に差し出した。魔の話など無かったような顔をしている。ゴアをつついて、必要なお金を払うように促す。幸祐と無駄話をしている余裕は無い。精神的に。

 手続きを終えて、必要な書類を受け取った佳弥は、むっつりと不機嫌そうな表情で鞄にしまい入れた。やっと任務完了だ。

「佳弥ちゃん、テスト終わったんだよな。」

「はい。」

 幸祐に尋ねられて、これ以上の会話を拒むように、つららのような鋭い冷たさで佳弥は返事をした。

「じゃあさ、今日はバイトどうする?」

全然佳弥の冷たさが応えない様子で幸祐は聞いた。佳弥は少し考えて、行くことに決めた。

「それなら、また後で時間を連絡するよ。多分、今日は遅くならないと思う。」

「分かりました。」

佳弥は頷いた。きっとまた、メッセージを受け取ったときに眉間にしわが寄るだろう。

 佳弥とゴアは揃って立ち上がり、幸祐に軽くお辞儀をした。

「気を付けて帰ってね、佳弥ちゃん、心愛ちゃん。」

手を振って見送る幸祐に背を向けて、佳弥とゴアは揃って顔をしかめた。女子高生が二人並んで飛び切り不愉快そうな顔をして出てきたので、通りすがりの小母さんが不思議そうにビルを眺める。

 だが、佳弥としては、不快感を共有できる相手ができて少し嬉しい。仏頂面のゴアを横目で見るなり、むふふとほくそ笑んだ。幸祐に会ってしまったのは災難だったが、ゴアにも理解してもらえたのは儲けものだ。

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