第11話 うまくいかない日もあるさ

 次の英語の授業で、佳弥かやはカラオケボックスで幸祐の書いたメモと先生の説明を比較検討していた。幸祐こうすけの講釈を頭から信用していたわけではないのである。その結果、幸祐に誤りのないことが判明し、佳弥は仮で上げておいた幸祐の評価をそのまま固定することに決めた。学力は当初の佳弥の想定よりはあるらしい。

「学力と、その他の立ち居振る舞いの信頼度には相関性は見られない。高学歴である人がみな善であり有能であるとは限らない。逆に、中卒でも信頼に足る人物は存在する。勉強が得意であるか否かはその人のほんのわずかな一面でしかないのだ。」

 佳弥は現国の時間に出された小論文の練習課題で、そう書き記した。横から覗き込んだゴアが、何だそれ、という顔をする。

 休み時間にスマホが振動して、佳弥は画面を確認した。バイトのアプリ経由で幸祐からメッセージが入っている。

「写真を見せたらみんなカワイイって喜んでたよ。ヒマワリ以外も作るみたい。写させてくれてありがとう。」

ふーん、と佳弥は呟いた。これには返事はしなくて良いかな、と判断する。何にせよ、喜んでもらえたなら、被写体になった甲斐があったというものだろう。ツボを押すより、こっちの方が分かりやすく人のためになっていて、嬉しい気もする。

 佳弥はぼんやりと窓の外を眺めた。前回、耳に負傷してまでツボを押した効果は、はっきりしなかった。重要なプロジェクトの一環を担って頂いております、という何かの言い訳のような文面が届いただけだった。そもそも、ツボ押しの効果はいつも、起こりそうだった悪いことを防いだというものばかりで、人を喜ばせるというポジティブな効果が出たためしが無い。魔の流れを変えるというのは、そういうものなのだろうか。予防というのは実感に乏しくて、ちょっと張り合いが無い。

 再びスマホが振動したので、佳弥は画面をタップした。また幸祐からの連絡だ。こいつは仕事もせずに何をしておるのだ、と佳弥は訝しく思う。

「今日は十九時半でどう?」

テストは来週後半だから、まだバイトしても大丈夫かな。佳弥はいつものように、了解、とだけ返信した。

 しかし、その日のバイトは全く振るわなかった。幸祐が十分近く遅れてきたのは常の事であるが、佳弥と二人揃っても指示された仕事をこなすことができなかったのである。先日の失敗があるので、佳弥は大層注意深く幸祐の行動を監視し、誤りの無いように半ば強引に引っ張っていった。しかし、目的地に着くと、作業に必要な木の枝が落ちていなかったり、いるはずの人がいなかったりと、あらかた肩透かしに終わってしまったのだ。

 間違えたツボを押したわけではないので、アプリには警告は出ない。標的が無い旨の連絡を入れると、暫くしてから新しく別の作業を指示されるだけである。これまでにもごくまれにあったことではあるが、一日の仕事の殆どがこうして無為に終わるのは初めてだった。

「徒労感で一杯だなあ。」

 二時間近くもそうして街中を無駄にうろうろさまよって、疲れ果てた顔の幸祐がぼやいた。これには佳弥も本心から同意する。四十五歳の身体で二時間のウォーキング、しかも何の実りも無いというのは心身ともにきつい。かなり腰が痛くて脚までしびれてきたので、どこかで座って休みたいところだ。

「なあ佳弥ちゃん、そこでちょっと休んでから、次のに行かない?」

 幸祐が通りすがりの児童公園を指し示した。鉄棒とベンチしかない、都会の狭い公園だが、座る場所はある。佳弥は頷いて、疲れた体を引きずるようにしてベンチに座った。

「ああ、腰が痛い。」

 おなかの底から息を吐く。座っていても腰の鈍痛が収まらない。歳は取りたくない。

 幸祐が温かい缶コーヒーを手渡したので、佳弥は礼を言って受け取った。疲れているときは、甘ったるい缶コーヒーが嬉しい。

「佳弥ちゃん、しんどいだろ。その歳では。」

「ええ、しんどいです。市川さんもあと二十年でこうなるんですから、覚悟した方が良いですよ。」

 憎まれ口は忘れない。

 暫くお互いに黙ってコーヒーを力なくすすり、ため息をついた。

「実はさ、この前シンハオの事務所に行って、中野さんにあれこれ聞いてみたんだよ。佳弥ちゃんの怪我の補償とか、仕事の危険性とか。」

 佳弥は隣に座る幸祐を見上げた。お肌つやつや十五歳の青年だが、ちょっとくたびれて元気が無い。仕事帰りにこんなことをしていては、幸祐もしんどいだろう。

「はっきりしたことは分からなかったんだよな。佳弥ちゃんの怪我の原因は不明だから、法人としては何ともしようがないらしいし、俺らがやるような仕事には危険性は無いはずだって言うんだ。ただ、飛鳥あすかさんみたいな、一人で動けるくらいのエージェントになると、業務によっては危険を伴うこともあるんだそうだ。」

「木の上に飛び乗るんだから、さぞ危険でしょうね。」

「そうだよなあ。」

 幸祐は公園の木を眺めた。神社と違って、貧相な低木しかない。これなら、変身しなくたってよじ登れる。枝が折れそうだが。

 幸祐は飲み終わった缶を片手に持ったまま、空いた手で黒衣の裾を引っ張った。

「あとさ、飛鳥さんと言えば、この服。っていうか、この布。これをうまく使うと、飛鳥さんみたいな曲芸ができるらしいぞ。どう使うのかは、中野さんは自分では変身しないから分からん、とか言っていたけど。」

「あの人も大概いい加減ですね。」

佳弥はぶすっとむくれた。幸祐の聞き方が悪いのかもしれないが、色々と中途半端な情報はあるけれども、何一つ役に立たないではないか。中野自身も事務のアルバイトなのではないか。正社員にしては、労働者への回答が無責任すぎる。

「こうやって服を引っ張ったり絞ったりしてみてるんだけどさ、何も起きないな。飛鳥さんにもう一遍会えると良いんだけどな。」

「そのためにわざと失敗しないでくださいよ。」

 佳弥は念のためにくぎを刺しておいた。佳弥は木に飛び乗れなくても何の痛痒も感じないが、おそらく幸祐はやってみたくて仕方がないはずだ。ツボ押しに失敗したからといって飛鳥に必ず会えるとは限らないだろうが、そんなことを考えもせずにとりあえず失敗してみる、くらいのことはしそうだ。

 案の定、ばつの悪そうな顔になって、幸祐は頭を掻いた。佳弥は、やれやれ、とため息をつく。今日は標的が無かったおかげで、失敗もせずに済んだということか。幸祐の下心をナビゲーターが読んでくれたのかもしれない。そうだとしたら、感謝、感謝である。これ以上佳弥だけではフォローしきれない。

 佳弥と幸祐はベンチから立ち上がり、缶をゴミ箱に捨ててから次のスポットに向かった。しかし、これもまた、骨折り損のくたびれ儲けに終わった。ほぼツボを押さずに終わってしまったが、時間も遅いので、佳弥と幸祐は本日の仕事はここで打ち切ることにした。お互いに疲労の色濃い様相で挨拶をして、帰宅の途に就いた。

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