第7話 なんちゃって一件落着

「何だ、あれ…」

 呆然と幸祐こうすけは立ち尽くす。しかし、佳弥かやはたちどころに我に返った。それどころではないのだ。さっさと、正しいツボを押しに行かねばならない。

 佳弥は幸祐に声を掛けずに再び歩き始めた。一人で動く方が手っ取り早い。幸祐がぼうっとしているなら、好きなだけしていればよろしい。ところが、佳弥がそう考えるときに限って、幸祐はちゃんと付いてくる。何の遠慮も無く佳弥のすぐ横に並んで、しかつめらしい顔をしてぶつぶつと佳弥に喋りかける。

「あれは常人のジャンプ力ではないよ。となると、どう考えてもこの変身が関係している。ってことは、俺らにだってあれは可能なんじゃないのかな。」

「じゃあ、勝手にやっていてください。」

「でも、あの服、俺らの服とは全然形が違ったよな。それに、飛鳥あすかさんはペアじゃなくて一人で行動していたし。ランクが上がると、変身のクオリティも上がるとか、そういうことかな。」

「私はあの服は御免です。」

 佳弥がそう言うと、幸祐はちらっと佳弥を見た。佳弥の服も、幸祐の服も、どことなくもっさりとしていて体のラインは出ない。が、飛鳥の見事な曲線と対比して何かを考えられているようで、佳弥は思い切り不快感を覚える。

「何を考えているんですか、ホント、失礼ですね。」

「別に嫌らしいことじゃないよ。俺は、ああいうのはちょっと苦手だから。」

 ふうん、と佳弥はすげなく鼻を鳴らして応じる。まあ、さっきも飛鳥に対してその手の欲望のだだ洩れはなかったし、嘘ではないのだろう。

 そうこうしているうちにT字路にたどり着く。ほらここで間違ったのだ、と言ってやろうかと思ったが、時間が惜しいので佳弥は黙ってまっすぐに進んだ。今回の目的の神社は、先ほどの間違った神社よりも随分と離れているようだった。気が急いているせいか、行けども行けどもなかなかたどり着かないように感じる。裏寂しいシャッター街を早足で通り過ぎ、二十分もした頃に漸くコンクリート製の鳥居が見えてきた。

 町中の神社だからさほど大きくはないが、それでも先刻の神社に比べると、格段に広い。境内には本殿、拝殿に社務所も備えているし、脇には小さい鳥居の並んだお稲荷さんもちんまりと存在している。

 佳弥は手水舎に向かった。ここは水がちろちろと注がれ、綺麗な柄杓もいくつかおいてある。佳弥が横を確認すると、幸祐がさもやりたそうな顔をして佳弥の様子を窺っていた。そうだろうな、と佳弥はため息をつく。佳弥は手洗いの真似事なんぞをやりたいわけではないので、幸祐がその役目を買って出てくれるのは構わないのだが、おやつを待つ飼い犬のような目をされるとどうも居心地が悪い。

「さあ、どうぞ。早く済ませてください。」

佳弥は幸祐に御手水を示した。幸祐は目を輝かせて、いそいそと水盤に向かう。わん、という声が聞こえた気がしたが、佳弥の気のせいだろう。

 幸祐は一旦柄杓を手に持ったが、少し考えこんでからそれを元のように置いた。水盤に水が湛えられているので、柄杓を持っていると本当に水を汲んでしまいそうだったのである。気を取り直して、架空の柄杓を持ち上げるところから始めて、水を掬い、左手、右手、口を漱いで、左手、最後に柄杓の柄を流して柄杓を置く、という一連の真似をする。意外と形になっている、と佳弥は素直に感心する。

「これで良いんだよなあ。」

先ほど失敗したせいか、今度は幸祐は心配そうに御手水をのぞき込みながら呟いた。水は透明なまま、静かに流れている。

 佳弥はポケットからスマホを取り出した。ナビゲーターからの連絡は、任務完了と出ている。

「ちゃんと済んだみたいですよ。良かったですね。」

佳弥も少しほっとする。

「さっき失敗したあれは、もう俺らにはどうしようもないってことなのかな。今日はこれで終わりっぽいもんな。」

「飛鳥さんが何とかされたんじゃないんですか。じゃ、お疲れ様です。」

 佳弥は不安そうな幸祐には構わず、鳥居のところで本殿に向かって一礼し、境内を出た。仕事の指示が終わり次第、佳弥が可及的速やかに幸祐から離れていくのはいつものことである。佳弥は物陰でさっと変身を解いた。やれやれ、今から帰れば少しはテスト勉強をする時間がありそうだ。

 とことこと来た道を歩いていると、シャッター街の薄明りの中で、あまり品の良くない笑い声を上げている人影が見えた。反射的に、佳弥は電柱の陰に隠れて様子を窺う。変身を解かない方が良かっただろうか。スマホを見ると、今ならまだ変身ボタンが表示されている。危険そうなら変身してやり過ごした方が良いだろう。

「どうしたの、佳弥ちゃん。」

 幸祐に追いつかれて、佳弥は内心で舌打ちをした。実際には舌打ちなどという下卑た真似はしない。

 佳弥はそっと人影を指示した。本人たちにとってはおしゃれなのだろうが、佳弥からすると汚っこくてだらしない服を着た男が二人、カラースプレー缶を持ってシャッターの前で談笑している。ズボンを腹まで上げろ、と佳弥はまたぞろ内心で舌打ちをする。こちとら、おっさんのパンツや尻なんぞ見たくないんだ。

「あれ、シャッターに落書きするのかな。」

 幸祐に小声で言われて、佳弥は黙ってスマホの変身ボタンを押した。面倒なので、サングラスとマスクは省略。黒衣に身を包んで男二人に近寄り、間近でその様子を観察する。男たちは、すぐ目の前に佳弥がいることにも全く気付かない様子で、スプレー缶をカチャカチャと振り出した。酒臭い、と佳弥は眉間にしわを寄せた。酔っぱらって、他人様の資産に落書きとは度し難い暴挙だ。断じて許せん。

 男の一人がスプレーをシャッターに向け、噴出しようとしたとの瞬間、佳弥は手を伸ばしてスプレー缶の向きを男の顔にくるりと変えた。真っ赤な霧が、勢いよく男の顔に襲い掛かる。ぐああ、と叫んで男はスプレー缶を放り出して倒れた。

「何やってんだ、おめえ、バカか。」

そう言ってへらへらとスプレーをかざした隣の男も、すぐさま同じ末路をたどる。ただし、こちらの色は黒である。

 アスファルトの上でのたうって目や顔を押さえて悶絶する男たちを尻目に、佳弥はそこいらに転がっていたスプレー缶を思い切り蹴飛ばした。スプレー缶はかんらからと乾いた音を立てて、暗がりの中に消えていく。路上にゴミを散らかしたのは申し訳ないが、そこは一つこの町内の人にお任せすることにする。

 フン、と佳弥は鼻を鳴らした。男たちはまだ呻いているが、気にすることなくその場を離れ、暫く進んだところで変身を解く。そして、何事も無かったかのように駅に向かって歩き出した。

「おい、佳弥ちゃん、何してるんだよ。俺、びっくりしたよ。」

 走って横に並んだ幸祐が、時折後ろを振り返りながら小声で話す。佳弥は眉一つ動かさずに答えた。

「天に恥じるような行いは何もしていません。」

「そりゃそうだけど。いや、驚いた。佳弥ちゃん、やっぱりやるときはやるなあ。」

心底感心しきりという風情で幸祐が嘆息する。佳弥は軽く肩をすくめた。

「阻止する手立てがあるのに、指をくわえて落書きされるのを見ている方がおかしいでしょう。驚くほどのことじゃありません。」

つれない口調で佳弥は言う。

 駅の改札を通ったところで、佳弥は軽く幸祐に会釈をした。行き先が逆なので、ここで漸く別れられる。

「佳弥ちゃん、今日は迷惑かけてごめんな。」

 佳弥の背中に幸祐が声を掛けた。今日は、でなくて、今日も、だろう、と佳弥は思ったが、少しだけ振り返り、もう一度会釈をしてから佳弥はホームに向かった。

 電車の中でスマホを見たら、今日のツボ押しの結果報告が届いていた。曰く、シャッターへの落書きが一件減りました、とのこと。佳弥は口をへの字に曲げる。それ、ツボ押しと関係無いんじゃないの、と佳弥が不満に感じるのも致し方のない話である。幸祐はこの結果報告をどう思うのか、と少し考えて、佳弥は頭を振った。やっとこさ別れたのに、あのへっぽこアンポンタンのことを思い出すだなんてどうかしている。そんなことより、満州事変の方が重要だ。佳弥はリュックから日本史のテキストを取り出して熱心に読み始めた。やはり、変身していない方が頭に入る気がする。若さって大事だ。

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