第6話 飛ぶ鳥はセクシー
社殿の正面に、見知らぬ女性が立っていた。細面で目鼻立ちのくっきりとした美人だ。ふっくらとして艶やかな赤い唇に
女性は、町ですれ違う一般市民の皆さんと違って、はっきりしっかりと佳弥を見据えている。変身後の佳弥たちを確実に認識しているようだ。
「触っては駄目だと言っているでしょう。あなた、馬鹿なの?」
女性は敷石でヒールを鳴らしながら
「わ、な、何だ何だ。」
ぽい、と手を離され、尻餅をついた幸祐は漸く女性を認識して、目を丸くした。
女性は緩やかに波打つ長い髪を片手で払い、目を細めて幸祐を見下ろす。
「人の忠告はしっかりお聞きなさい、坊や。おいたをして火傷をするのはあなたなのよ。」
「あなた、誰ですか。」
幸祐にしては至極まともな質問を返す。
「まずはあなたから名乗るべきなのではなくて?」
女性は腕を組んだ。豊かなバストが腕の上でたわみ、その存在感を主張する。横で観察しながら、見事なものだと佳弥は感心する。この人は、しかるべきサイズの物をしかるべき形で活用するのに慣れている。
幸祐はよっこらせと立ち上がった。佳弥の見立てでは、女性の素晴らしい曲線美に心奪われている様子はない。異性愛の元気な男子諸君に備わる、そういう情動は無いのだろうか、と佳弥は冷静に分析する。
「俺は幸祐です。それと、あっちは佳弥ちゃん。」
胡散臭い相手に名前を言いたくはないのに、幸祐は勝手に佳弥を紹介した。やむを得ないので、佳弥は黙ったまま軽く会釈する。女性は何がおかしいのか、くすりと笑った。
「あら、可愛い相棒ね。」
それは、幸祐のことか、佳弥のことか。マスカラの付いた長い
「あたしは
やはり、と佳弥は心の中で頷いた。シンハオは、バイト先の法人の名前である。大分形は違うが、あの黒衣は変身によるものだろう。同業者だから、人目シャットアウト機能が効かないのに違いない。
それにしても、自分の衣装があの服でなくて良かった、と佳弥は心の底から思う。あんな攻めのスタイル、恥ずかしくて、たとえ変身後が十六歳のままでも佳弥にはとても真似できない。したくもない。飛鳥にはよく似合っているが、佳弥には一生無縁だろう。
「飛鳥さんは、そこに湧いてきたものが何なのか、ご存じなんですか?」
幸祐に任せていると話が進まなそうなので、佳弥は少し口を出した。飛鳥は唇の端に笑みを浮かべて頷く。
「あれは魔よ。」
「ま?」
「そう。魔が差した、って言うでしょう?あの魔よ。」
あの魔よ、って言われても。佳弥は困惑して返答に窮する。
「あたしたちがツボを押すことで、何を動かしているのか考えたことは無かったのかしら?」
「俺は考えましたよ。地殻とか水脈とか、そんなのかなって。」
幸祐は真面目に答えたが、佳弥は考えたことも無かった。考えて答えが出るはずがないものに思考を傾けても、徒労に終わるだけだ。高校生はそんな無駄なことに脳みその貴重なスペースを割いている余裕は無い。
「大きく出たわね、幸祐クン。でも、違うのよ。」
飛鳥は幸祐の鼻先を細い指でツンと突いた。
「あたしたちが動かしているのは、魔なの。魔一つで人は人を殺しもするし、愛しもするわ。だから、世の中を平穏に保つには、その流れをあるべき方向に持って行く必要があるの。それが、あたしたちのお仕事ってわけね。」
そっちのほうが大きく出てるんじゃないのか、と佳弥は無言で突っ込む。もちろん、口には出さない。そんな不躾なことを、仕事の先輩に言うわけがない。
いずれにせよ、雲を掴むような話だ。石ころを動かしたり、手を洗う真似をすることで魔とやらの流れが変わる理屈は分からないし、そもそも魔が何なのかだってはっきりしない説明ではないか。だが、佳弥は、給料がもらえるなら深入りはしなくて結構である。とにもかくにも重要なのは、今あの黒い水を触るべきではないということだ。
だというのに、幸祐はまたぞろ水盤の中に手を突っ込もうとしている。
「これ、触ったらどうなるんですか?」
「魔の流れが変わるわね。きっと、あなたの方へ。」
佳弥はすたすたと歩いて、幸祐に近寄った。手を伸ばして、さっき飛鳥がしたように幸祐の首根っこを掴み、力任せに引っ張っていく。
「いい加減にしてください、市川さん。いい大人が聞き分けも無くて、恥ずかしい。」
手水舎の外まで幸祐を引っ張り出してから、佳弥は手を離した。
「いいですか、あんな変なものが湧いてきたのは、きっと私たちが間違った神社に来たからですよ。分かっていますか?市川さんが道を間違えたんですからね。これ以上迷惑を掛けないでください。」
「俺、間違えてないと思うけど。」
「寝言は寝てから言ってください。」
ぴしゃり、と佳弥は言い返す。それを聞いて、飛鳥が口元に手を当て、声を上げて笑う。
「しっかりした子ね、佳弥ちゃんは。」
「すみませんが、ちゃん、はやめて頂けませんか。呼び捨てで結構です。」
初回なので、佳弥は丁寧に懇願した。飛鳥は笑ったまま頷いて答える。
「分かったわ、佳弥。」
「ありがとうございます。」
これが普通の人の対応なのだ。佳弥は飛鳥に軽く頭を下げてから、幸祐を冷たく見遣った。何度言っても、ちゃん付けをやめない阿呆たれ。だが、幸祐は何故佳弥が自分を睨みつけているのかとんと分からぬ体でいる。
ヒールの音を響かせて、飛鳥は幸祐の傍らに歩み寄った。ヒールの高さがあるせいか、飛鳥の方が上背がある。正面から幸祐を見据えて、飛鳥は怪しく微笑んだ。
「幸祐クン、悪いけど、佳弥の言うとおりなのよ。あなたは間違えた。間違ったツボを押せば、魔は誤った方向に流れる。そうすると、望ましくない結果が生じる。それが、あそこにあるものよ。」
「そうなんですか。俺、どうしたら良いでしょう。」
幸祐はほんの少しだけしょげかえって尋ねた。
「あれの処理はあたしがしておくわ。あなたたちは、今すぐに正当なツボを押しに行って頂戴。」
はい、と素直に返事する佳弥の横で、幸祐は何だか後ろ髪をひかれているような顔をしている。さては、と佳弥は勘づく。
「飛鳥さんの仕事を見たいとか言わないでくださいよ。市川さんは既に評価値マイナスなんですからね。汚名返上してください。」
「ええー。少しだけ、良いじゃん。」
佳弥は大きくため息をついた。何でこんな大人子どものお守りをしなければならない。仕事にやりがいがあるだなんて幻想は抱いていないが、それにしたってこいつは本当にひどい。
「もう、知りません。市川さんの好きにしてください。私は一人で行きます。」
「あ、待って待って。佳弥ちゃん、ごめん。俺も行くよ。」
一人で神社を出ようとする佳弥を、幸祐は慌てて追いかけた。仕方がないので、佳弥は幸祐が追いつくまで待ってやる。
そうして後ろを振り返った佳弥の視界に、妙な物が映った。まるでアニメのアクションシーンのように、飛鳥が軽々と高く跳び上がって、神社の大きなクスノキの枝に飛び乗ったのである。ぽかん、と木の上を見上げる佳弥に、飛鳥が笑顔で手を振る。佳弥の視線に気づいた幸祐も後ろを見上げ、口を半開きのまま硬直した。飛鳥は綺麗なウインクを一つすると、再び大きく跳躍し、闇夜の彼方に溶けて消えてしまった。
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