③童貞くんと猥談百物語

 猥談百物語というものがある。

 新月の夜に、数人の男が一つの部屋に集まって猥談を語り合う会のことだ。しかし各々が勝手気ままに口から卑猥な物語を垂れ流すのではなく、会にはいくつかのルールが存在する。まず、会場となる部屋には寝床が必要となる。それから光るバイブレーターを百本用意しなければならない。参加者はバイブレーターを一本ずつ天井向きに立て、円を描くように並べる。並べ終えたらその神聖なる円を囲うように座り、準備は完了である。参加者は各々順番に、聞く者の下半身をくすぐるような刺激的な猥談を語っていく。そして一人が語り終える度に部屋の中で光っているバイブレーターの電源を一つ切る。語る内容は実体験でも人づてに聞いた話でも妄想でもなんでもいい。いかがわしければそれでいい。一本、二本と消していって最後の一〇〇本目のバイブレーターの電源を落として部屋の中に本当の暗闇が降りたとき、巨乳美尻の女神が目の前に現れましまして、用意した寝床で参加者の貞操を優しくもらっていってくれるとされている。

 そんな夢みたいな都市伝説である。

 そんな夢みたいなことが起きるはずがない。起きるはずがないと思うと同時に、起きて欲しいと願っている。だから僕は強い欲望とかすかな希望を抱いて、十二月二十四日の夜に駿河大輝の部屋を訊ねた。

 駿河が住むアパートは京王線笹塚駅を降りて十五分ほど歩いた先の住宅街にある。獣じみた性欲を宿した人間が暮らすにはあまりそぐわない、ほとんど新築同然の小綺麗な四階建てだ。

 オートロックではないのでエレベーターで直接駿河の部屋がある三階へと向かう。

「よ、和泉。遅かったな」

 インターホンを鳴らすとクリスマス仕様の筋肉男が扉を開けて出てきた。頭にはギラギラと輝くモールを撒いたとんがり帽子を被っている。まるで陽キャのはしゃぎ具合である。

「買い物してたら遅くなった。上がらせてもらうぞ。あとこれ、差し入れだ」

 言いつつ僕は駿河にすぐそこのドラッグストアで買ってきたブツを渡す。クリスマスカラーで彩られた箱ティッシュの詰め合わせだ。

「おおっ、ありがとうな!」

 日本人の年間ティッシュ消費量に多大な貢献を果たしている駿河への、尊敬の念を込めたクリスマスプレゼントである。

「ほら、上がれ上がれ。ほかの二人ももう来てる」

「ほかの二人?」

 僕が聞いていた猥談百物語の参加者は僕と駿河と、それから中野だけだ。あと一人は誰だろうか。まさかじょ、女子じゃ。水よりも薄い期待に胸を膨らませて廊下の奥の部屋へ行くと、

「うーっす、和泉! 遅せえな」

 まさかの生田翔馬がにこやかに居座っていたので驚き、それと同時に女子じゃなかったことに肩を落とした。

「なんで生田がいんの? デートは?」

「なんか急にバイトが入ったらしい。昨日の夜に連絡が来た」

「バイトか」

「大変だよな、クリスマスイブにバイトなんて」

「そうだな」

 それはきっとドタキャンだと思うのだが僕は言わなかった。彼を傷つけないという意味もあったし、きっと彼がそれを頑なに認めようとしないと思ったからだ。

「よっしゃ、全員揃ったな。とりあえず飯にしようぜ、飯に」

 駿河が幾つものビニール袋を持って部屋に入ってきた。袋から出してテーブルの上に並べられたのはさまざまな丼ものと寿司とスーパーのお総菜。僕も道中に買ってきた酒類を出し、中野もお菓子の類を出した。生田だけが何も持たずに来たようだった。実に生田らしい。

「おい駿河よ」

 生田が牛丼を取りながら言った。

「今日はクリスマスイブだぞ?」

「おう! だから豪勢にしてみた! もちろん割り勘だぞ」

「じゃなくてよお」

 生田が口を尖らせてプラスチックの蓋を指でつつく

「イブに牛丼って、お前……せめて食い物だけはクリスマス気分になろうぜ。オードブルとか」

「牛丼美味いだろ! いいじゃねえか!」

 駿河は季節感というものを豪快な笑いで吹き飛ばし、自分用に親子丼を取った。僕は天丼を取り、それからクリスマスの気配をかろうじて感じさせる唐揚げの蓋を開けた。

「メリークリスマスイブ!」

 駿河の音頭で乾杯し、僕たちはクリスマスイブにチェーン店の丼ものを掻き込み始める。

「そういやささやかだけど、俺からお前たちにクリスマスプレゼントがある」

 と言って体育会系童貞が取りだしてきたのは、ガチャガチャ用の黒いカプセルだった。ドンキ・ホーテやアダルトショップなんかに置かれているエロガチャの景品だろう。

「何が入ってるか分かんねえから、開けてのお楽しみだ。全員で一斉に開けようぜ」

 これまた駿河の音頭で、僕たちはそれぞれが手にしたカプセルを一斉に開いた。

 駿河のカプセルに入っていたのほとんど紐みたいな黒いTバックで、僕と生田のカプセルに入っていたのはコンドーム。僕のが苺の香りで、生田のがチョコレートの香り。中野のは貫通式のオナホールだった。

「うわぁあ! いらねえ!」

 駿河がTバックの両端をつまんで顔の前に広げ、嘆いた。

「おい、こんなの穿かせる相手がいなけりゃただの紐だぜ? そのくせ荷造りにだって使えない」

「自分で穿けば?」

 僕は唐揚げを頬ばりながら提案してみた。

「千切れるわ。俺のケツなめんじゃねえ──しゃあねえ、被るか」

 アホ丸出しの顔にクロッチを縦断させる筋肉へ生温かい視線を投げていると、

「あー、駿河くん、交換しようか?」 

 中野がちくわみたいな形のオナホールを手のひらに乗せ、駿河の方に差し出した。

「え? いいのか?」

 駿河はTバッグを被った顔を心優しき友人へ向ける。自慰狂いの彼にとっては願ってもない提案のようで、両目がミラーボールよろしく異様な輝きを放っていた。

「うん。僕は、使わないし、多分」

 中野は不健康そうな笑みを浮かべて言った。

「使わないのかよ。勿体ねえなあ! くれるならもらうぜ!」

 二人はTバックとオナホールを丁重に交換した。交渉の脇にいた僕と生田は互いの手の中にあるブツを見あったが、同時に首を横に振った。この材料では交渉は成り立たない。

「つーかお前オナホいくつ持ってんだよ」

 生田が本棚の方を見ながら言った。

「さあ? もう数えてない」

「数えてないって」

 駿河は立ち上がり、本棚の前面に掛かっている布を取ると、下段から通販のダンボール箱を取りだした。中にはぷにぷにした肌色の物体が大量に詰めこまれている。すべてオナホールだ。

 オナホールとはく男性向けの性具の一種である。シリコンや塩化ビニルなどの素材で膣が再現されており、挿入感を疑似体験させてくれる素晴らしい代物なのだ。ハンドホール一つ取っても色や形はさまざまで、中野のカプセルに入っていたちくわ型の貫通式や、ストレートタイプ、スパイラルタイプ、無次元加工タイプなどがある。またその他にも、

「うわ、これすげえな」

 ダンボール箱の底から生田が取りだしたのは女性の下半身を象ったものだった。これは大型とよばれている。上半身と両足が切断され、ちょうど腰と尻の辺りだけが残った、はた目には惨殺死体にしか見えないものである。

「すごいだろ、二万円くらいした」

「にまん!?」

 僕たちは三人とも思わず仰け反った。

「俺の性生活はこれで一変したね。買った日にはぶっ続けて十五回もやったんだ」

「十五回」

 僕なら死ぬ。

「それでも全然壊れないからすごいぜ」

 駿河は愛おしそうに尻型のそれを抱き上げ、頬をすり寄せた。

「さっきのTバックそれに穿かせればよかったんじゃない?」

「確かにな。生田が取り出したときに思い出したが、一度言ったことを自分都合で撤回するのも気が退けるしこのままでいい」

「もし使うなら僕は交換し直しても構わないよ、駿河くん」

 中野はそう提案したが、駿河はきっぱりと首を振った。

「いや、いい。童貞に二言はない」

 そんな下らない雑談で盛り上がりながら、クリスマスイブの夜は更けていく。駿河は丼もの三つをたいらげ、生田は五分に一回髪の毛を直し、中野は両手に持った箸を器用に操って総菜を食べ比べていた。

「相変わらずすごいなその箸捌き」

 僕はコンドームのパッケージをいじくりながら中野を見た。

「あはは、ありがとう。慣れたら便利でさ、これ」

「だろうな」

 中野は半年ほど前に右腕を骨折する大けがをした。階段から落ちたとのことだった。彼は骨がくっつくまでの三カ月ほど腕を吊った状態になり、利き手である右手が使えなかった。その間は左手で日常生活を送ることを余儀なくされ、文字を書くのもご飯を食べるのもイチモツに触るのも全部左手でこなした。その結果として彼は両利きに生まれ変わったのだった。

「そういや中野、またダメだったんだって? 小説」

 駿河が唐揚げを手づかみで口に放り込みながら言った。

「……うん」

 中野は鼻の頭に眼鏡をずり落としてしょんぼりと頷いた。

 中野幸多朗は官能小説作家を目指して日夜妄想をキーボードに吐き出している。僕も彼の小説を読んだことがあるが、童貞の理想と欲望が剥き出しで表現された良作だった。大人しく控えめな彼が紡ぎ出す化け物じみた変態性欲の世界にはいっそ畏怖の念さえ抱くほどである。とにかくとんでもない小説だった。文字を追いかけているうちに僕はいつの間にか自分のイチモツを握りしめていた。文章に興奮したのは生まれて初めての経験だった。しかし素人の僕がいくら褒め称えても、肝心の出版社の目は厳しく、何十作と賞に送り込んでいても彼は未だにデビュー出来ずにいるのだった。

「またおなじみの選評?」

 僕が訊くと、中野はもう一度頷いた。

「妄想は素晴らしい。しかしリアリティがない」

 中野は何度も読み返したのであろう選評シートの内容を暗唱するように言った。

「リアリティ、ね」

 童貞には酷な評価である。中野にはリアリティ溢れる描写をする腕はある。彼の小説を何作か読ませてもらっているから分かる。技量は申し分ない。しかしリアリティを追求したくともその機会をつかみ取れないのだ。腕があっても機会がない。現実は冷酷で容赦がなかった。 

「……なあ、風俗でも行ってみるか?」

 唐揚げを飲み下した駿河が、わずかに緊張を孕んだ声で言った。僕は生ぬるい唾を飲み、澄まし顔の生田も少しだけ視線が泳いでいた。

 風俗。それはお金さえ払えば好きな女性とくんずほぐれつできるという魔法の空間。

 条件反射で頭の中にけばけばしいネオンが光り輝き、黒服たちが闊歩する歓楽街の情景が濃密に立ち上がってくる。ピンサロ、おっパブ、デリヘル、ホテヘル、イメクラ、性感エステ、ソープランド。名前だけしか知らないそれらの内側を、確かめてみたいという願望はある。しかし童貞には金がなく、勇気もない。風俗で童貞を捨てるのは愚かだという下手なプライドだけがある。

「僕は、遠慮するよ」

 中野は呟くように言い、首を横に振った。僕と生田も同じような返事をした。

「そ、そうだよな! 風俗なんかな、やめたほうがいいわ! 病気になるかも知れないしな!」

 駿河は強がりのような残念がるような声で言い、話題を今日の本題である猥談百物語へとねじ変えた。

「そろそろ準備しようぜ」

 彼は立ち上がり、部屋の隅に置いてあったダンボール箱を引っ張り出してきた。

「なんだそれ?」

「決まってんだろ」

 ダンボールの中に詰まっていたのは個性豊かな形をした立派なイチモツ、否バイブレーターたちだった。猥談百物語用の『蝋燭』である。

「例のごとくバイト先で回収したやつだ」

 駿河のバイト先はラブホテルである。本来童貞が一人で跨ぐには敷居が高い場所だが、高校の部活の先輩に『ホテルバイト』と騙されて始めたらしい。「女の子と飲んで終電を逃してもホテルには詳しいから戸惑うことはない」と駿河は時々口にするが、シミュレーションから先に進んだことは未だかつてなかった。

 彼が働くホテルでは性玩具の販売もしており、購入物を忘れていく客がたまにいるのだという。彼はそれを大学の知り合いに売って小遣い稼ぎをしているが、今回は今日のためにかき集めてきたとのことだった。

 駿河はダンボール箱の中から茄子みたいな形のバイブレーターを一つ取り出し、スイッチを入れた。それは途端に夢の国のパレードフロートみたいに激しく光り、ブブブブブブブと振動を始めた。僕たちはその様子を見て笑いこけた。

「つーかこれ客の試用済みってことか」

 生田もバイブを取って言った。彼の手の中でフェイクイチモツが震え、光る。

「念入りに洗ってあるから気にすんな」

 駿河は自信たっぷりに言い、次から次へとダンボールからバイブレーターを取りだし始める。僕たちはそれを手分けして円形に並べていった。なんと彼は今日のために、バイブを自立させることができるスタンドまで自作していたのだった。

「全部で二十五本だ。さすがに一〇〇本は無理だったな。つーわけで一人一話ずつ語り終えて一周したら一本消すというルールでやっていくぞ」

 ちゃぶ台の上に出来上がったバイブレーターの円を見下ろし、駿河が言った。それから彼は部屋のキャビネットからDVDを一つ取りだして円の中心にそっと置いた。

『爆乳ロシア娘とねっとりハラショー! 8時間スペシャル』

 アダルトビデオである。

「なんだこれ」

「二五本目のバイブレーターを消した後にこんな巨乳美尻の女神が現れてくれたらいいなっていう願望を込めて、な」

「そういやお前洋物好きだったな」

「正確には北欧系だけどな」

 このご時世にわざわざパッケージ版を買う人間など絶滅危惧種と思われるだろうが、駿河の言い分としては「俺はパッケージまで余すところなく使いたい。ダウンロード版だと解像度が低いし使えない」からだそうだ。僕は自慰行為の求道者ではないのでよく分からない。

 とにかくこれで猥談百物語の準備が整った。

 時刻は午後八時四十五分を指している。間もなく、『性の六時間』が幕を開ける。十二月二十四日の午後九時から午前三時までの六時間は、一年で一番セックスをする人が多いそうだ。あの子もあいつも彼女も彼も

 そんな夜に、僕たちは童貞同士で寄り集まって思い思いの猥談を語り始めるのだ。

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