第221話・変化・対面・呪術師とは(2)




「ダーリエ」


 聞こえて来たお兄様の声に私の意志とは別に体がビクンと震える。

 そんな私の反応を見てかクロイツの容赦ない笑い声が部屋に響く。

 クロイツのおかげで再び混ざり合った私? はさっきのお礼兼八つ当たりにデコピンを一発お見舞いする。

 何かクロイツが呻いていたけど知らないです。――笑われた仕返しではないですよ?

 どうせ此処で素直にお礼を言ってもきかないでしょう?

 だから同時に小さな声で「ありがと」と言った訳だけど、さて聞こえていたのかな?

 ま、どっちでもいいのだけれどね。

 何はともあれ、クロイツに意識が行っていたせいかお兄様が近づいていた事に全く気付かなかった。

 そんな気を抜いていた事もあってか体は素直に動いてしまったみたいだ。

 さっきの事は全く無かった事にした私は内心深呼吸をした後、ゆっくりと振り返ると、お兄様がとても心配していると言った表情で膝をついていた。

 まさかお兄様をこのままには出来ないから慌てて立とうとするけれど、どうも放出した魔力量は相当だったのか、体がちょっとだるくて素早く動けない。


 と、言うよりも、魔力が暴走した形だから、妙な形で体中を暴れ回った挙句の放出で魔力量の減りの割に体に負担が掛かった感じかな?


 何方にせよ、病み上がりのお兄様に膝をつかせておく事は出来ないけど、こんな所で座って下さいとも言えない。

 どうしよう?


「ダーリエ。大丈夫かい?」

「だ、大丈夫ですわ。お兄様こそ起きて来て大丈夫なんですか?」


 悩んでいる間にお兄様に安否を尋ねられて、思わずその体勢のまま答えを返してしまう。

 その後、少しだけ困って、キョロキョロしていると、お兄様にも動揺しているのが伝わってしまい苦笑されてしまった。

 うー、けど、本当にどうしよう。

 困ったまま見上げているとお兄様は立ち上がり、手を差し伸べてくれた。

 え? 病み上がりのお兄様に手を引かれて立ち上がるの?

 いや、このまま断る方が失礼なのは分かっているけど。

 内心困惑しながらもお兄様に恥をかかせるなんてどんでもない、と手を取って立ち上がる。

 うん、今すぐ戦闘は無理だけど普通に動くくらいは大丈夫みたいだ。

 それに……――


「――……温かい」


 お兄様の手は温かい。

 『あの子』とは違う。

 見上げると少しだけ顔色が悪いけど、何時もと変わらない穏やかな微笑みを浮かべるお兄様がいる。

 無理をしているわけではない、本当に大丈夫だと分かるお兄様がそこにいた。


「あ、あの」

「ん? どうしたんだい?」

「あの……抱き着いても構いませんか?」


 兄妹とはいえ、外でハグなんて本来なら良いとは言えないんだけど、私が真剣な顔をしていたからか、案外簡単にお兄様は許してくれた。

 何も聞かず妹の奇行を許してくれるお兄様に小さくお礼を言うと、私は負担が掛からないようにお兄様に抱き着く。

 お兄様の体は温かくて、そして心臓の音がトクトクと聞こえてくる。

 背中に回される手に支えられて私はゆっくりと目を閉じる。

 此処に確かに“いる”のだと、音や感触から伝わってくる。

 

 ああ、本当にお兄様は「生きている」のだ。


 心に巣食う不安が解けていく。

 此処が外でなければ泣いていただろう。

 けど、流石に其処までの失態を犯すわけにはいかない。

 ただでさえ、色々やらかしているのだから。

 零れ落ちそうな涙を必死に止めた後、私はお兄様から離れた。


「もう、大丈夫かい?」

「はい。有難う御座います」


 もう不安になる事は無い。

 

 けど、今回のような事がまたあるかもしれない。今度こそ護るため、お兄様に【護り】が付加された物を作れるようにならないと。


 今の私は見習いだけど錬金術師なのだから。

 ただ、そのためには【呪い】がどういったモノがもう少し詳しくなる必要がありそうなんだよねぇ。

 本当に調べなければいけない事がどんどん積みあがっていく。

 けど、此処で辞めてしまえば、お兄様達を守る事は出来ない。

 私は何よりも「次」がある事に感謝しなければいけない。

 私は誰にも知られる事無く、自分の出来る事をすると決意する。


「成程」


 私達のお話を待っていてくれたのか、私が離れたタイミングで先生の声が部屋に響いた。

 まさか居るとは思わず、慌てて振り向くと呆れた様子を隠さない先生が此方を見ていた。


「あっ。……も、申し訳御座いません」

「いんや。場所さえ考えなければ兄と妹の心温まる交流場面さね。ただまぁ……」


 先生は傷だらけの部屋を見回し、ため息をついた。


「まさか上級訓練場の結界がここまで軋むとはねぇ。いや、さっきまでの暴風を見ていれば分かっていた事かねぇ。しかも、あれだけ暴れていたのに理性さえ戻れば一瞬で消せる上、直ぐに動けるとは……その年でこれだと末恐ろしい娘さね」


 言葉は辛辣だが、私を見る目には特に恐怖などは宿っていなかった。

 隠している部分はあるだろうけど、少なくとも、それを此方に悟らせる程の恐怖心は抱いていないようである。

 まぁ、呪術師とは強靭な理性がなければなれない職種みたいなので、その理性で抑え込んでいるだけかもしれないけど。

 殿下達も私と似たような感想を抱いたのか、口を開いた。


「彼女を恐れる必要はありませんよ。彼女は大事な人に手を出されない限り、暴走する事はありませんからね」

「そうだな。それに今回はともかく、いつものキースダーリエならば、このような暴走はしない」

「……そうですか。では今回は何かあった、と?」


 殿下達のフォロー? の言葉に先生の私を見る目が探るモノに変わる。

 この場合、私は殿下達に感謝するべきなんでしょうか?

 後、何となく性格を把握されているようで居心地が悪いのですが。

 あ、クロイツ、今欠伸したでしょ?

 見えないけど分かるんだからね。

 あんに隠している事があるなら話せという圧に私は恐る恐る口を開く。


「そう、ですわね。確かに今回、取り乱したのには理由が御座います」

「それは何さね?」

「お教えする事はできかねます」


 私の答えに先生の片眉が跳ね上がった。

 気分を害する答えだという事は理解している。

 けれど、幾ら嫌いではない先生とは言え、彼女は初対面の人間だ。

 迷惑を掛けた事は幾らでも謝罪する。

 補填のために私の出来る事はしたいと思っている。

 けれど、その事が「私自身」の事を教えるという事ならば話は別だ。

 私が今回暴走したのは言うならば『過去のトラウマ』が原因である。

 つまり、全てを説明するとなると、私の身に【神々の気紛れ】が起こった事まで話さなければいけない。

 初対面の人間にそこまで説明しろと言われても『一昨日来やがれ』としか言えないのだ。――おっと御言葉が悪くなった。

 私はあえてニッコリと作っていると分かる微笑みを浮かべる。

 これはある種の警告だ。――これ以上近づくな、という。


「けれど、これではあまりに失礼ですわね。では一つだけ……ワタクシの心に関する事、とだけ」


 「これ以上は申し上げる事はできません」と言い切り頭を下げる私に、先生はもう一度深くため息をつくと「今は大丈夫なんだね?」とだけ言って、それ以上の追及をしなかった。

 本当に頭の良い方だと思った。

 そして、初対面の小娘を本当に心配してくれていたのに、可愛く無い返答しか出来ない事を申し訳なく思った。

 そんな考えが顔に出ていたのか先生は小さく笑い「子供は子供らしく周りを振り回せばいいのさね。アンタはまだ学園に入ってもいない雛なんだからねぇ」と言った。

 

 いや、本当にこの人良い人……と言うかカッコイイ人だな。


 思わず惚れてしまいそうです。

   

「落ち着いているなら、実行犯の顔を見て欲しいのだけれど。……大丈夫かい?」


 また暴走しないか? と聞かれているのだと分かった。

 先生の心配も尤もだ。

 私は実行犯が、その罪を認め逃げた瞬間から暴走していたのだから。

 大丈夫だと言っても、前科ある私の言葉を素直に信じる事は出来ないだろう。

 私は瞑目し一度大きく深呼吸をした。

 

 大丈夫。私はもう間違えない。私は『わたし』ではなく「キースダーリエ」なのだから。

 

 ゆっくりと瞼を開くと笑みを浮かべる。

 言葉はつけない。

 ただ微笑みだけで相手に伝える事は可能なのだから。

 そんな私に先生は喉で笑い、歩き出した。

 その後ろを見失わない程度のスピードでついていく。

 右隣には心配そうなお兄様。

 左隣には何故かヴァイディーウス様が、これまた心配そうな表情で並んだ。

 ……先程まで暴走していた私の隣に立っていて護衛は何も言わないのだろうか?

 ふと、そんな事を考えたが、すぐに問題ないかと納得する。

 殿下達の今の護衛が例の信号機トリオだったのだ。

 確かに、彼等ならば私が殿下達の隣を歩いても、無理に止めようとしないだろう。

 何故か、そういう意味では私は彼等に信用されているのだ。

 それを言葉や態度で示されるたびに嬉しいような、呆れるような微妙な心境になるけれど。

 嫌ではない事がまず問題なのかもしれない。

 思う所もあり、何やら微妙な気分のまま、先生の後ろをついていくと、とある部屋の前で先生が足を止めた。

 多分、この先に例の実行犯がいるのだろう。

 先生が後ろを振り向き、最後の確認のため私を見た。

 それにゆっくりと、だけどしっかりと頷くと先生が扉を開けた。

 

 さぁて、実行犯とのご対面だ。

 さっきまではお互い通常とは言い難い精神状態だったけど、今度はどうかな?

 これでも私は大分冷静になったと自負しているけど、其方はどうかな?

 今度こそお互いに堅実的なお話合いが出来ればいいんだけれどね?






 実行犯の少年の顔を見てしまえば、怒りが再び込み上げる。

 けれど、それは感情のままに動く程じゃ無く……違う。

 今まで通り、理性を残したまま「さて、どうしてやろうか?」という怒りに変わっていく。

 大丈夫。

 これなら先程のように感情のままにカタナを振るう事にはならない。

 自分が完全に混ざり合った事に内心安堵する。

 これなら建設的なお話合いも出来そうだ。


 と、思ったんだけどねぇ。


「<コレ、どーにかなんのか?>」

「<うーん? どうだろう?>」

「<ってかオマエのせいなんだから、オマエがどうにかしたら?>」

「<えー。やっぱりコレ私のせいなの?>」


 “私は”建設的なお話合いが出来るくらい怒りが制御出来ている……と思う。

 けど、相手はどうやらそうはいかないらしい。

 呪術を使えるらしい少年は目が闇に準じるモノだった。

 とはいえ、貴色ではないから呪術師として大成するのは難しいかもしれない。

 まぁお兄様に手を出した以上、今後学園に居られるかも分からないけど。

 そんな少年は私を見た途端、拘束を破り逃げようとしたのだ。

 その必死の形相に思わず「<私は魔王か、何かですか?>」と呟き、クロイツに笑われてしまった。

 けど、それくらい必死に逃げようとするものだから、私に向けられる視線が心なしか呆れたモノになっている気がします。

 いや、確かに、私も感情の制御がままならず、暴走しましたけどね?

 カタナで切りつけて髪をひと房頂きましたけどね?

 その時は殺意しか抱いてなかったから、相当酷い形相をしていたと思いますけどね?

 ですけどね?

 これでも私、見た目だけは美少女なんですよ?

 しかも一応学園入学前だし、分類は幼女なんですよ。

 ……そこまで必死の形相で逃げだそうとしなくとも良くありません?


「はぁ」


 思わず溜息も漏れるってもんですよ。

 しかもそれにすら反応して今度は固まるし。

 これはもしや恐怖の化身として君臨しろって事なんですかね?


「<オマエ。溜息ついてる割には相手を見る目が凍ってんぞ?>」

「<そりゃお兄様を害した人間ですし、怒りが冷めた訳じゃないですし?>」

「<そんなんだから対魔王対応されてんじゃねーの?>」

「<おやまぁ。それじゃあ仕方ないね>」

「<そこで諦めんのかよ>」


 諦めるよ?

 仕方ないよね。

 怒りは全く冷めていない。

 お兄様を害した人間を許す必要性すら感じない。

 ただ、怒りに身を任せて暴走するのを辞めただけですし。


「先生。ワタクシ達に聞きたい事とは一体何でしょうか?」


 相手は全く話にならなさそうなので、私は先生に話を流した。

 先生は未だ怯え、暴れる少年を見て盛大にため息をつき、私とお兄様に向き直った。


「彼の顔に見覚えは?」

「さぁ? ワタクシ、関心の無い方のお顔を覚えている程暇では御座いませんから」


 実際、関心も無いし、要職の御子息などと言う覚える必要がある場合ならともかく、他の有象無象の顔なんて一切覚えていない。

 学園に入り、社交界デビューすればそんな事を言っていられないのは理解している。

 けど、この悪癖は『前』からのモノであり、改善が難しいのも事実だ。

 結局、学園に入る頃には色々な情報と紐付けて頭に叩き込むしかないだろう。

 今から考えても憂鬱な事である。

 そんな他所事を考えながらお兄様に水を向けるとお兄様は苦笑なさって「ラーズシュタイン家とは派閥も違いますし、クラスも違います。僕も面識はないと思います」と答えた。

 制服からするとお兄様達と同学年ではなさそうだけど、どうなんだろう?


「彼は二年の生徒さね。面識が無くとも可笑しくはない。けどねぇ……そうなると動機が問題になるんだけどねぇ」


 未だに私を見て恐怖し暴れる少年に私と先生の溜息が重なる。

 此処で私が退室すればお話合いは出来る可能性はあるけど、私としてはお兄様を残して退室するつもりはない。

 更に言えば、実行犯……そう、この少年は多分実行犯なのだ。

 後ろで糸を引いている人間を引きずり出す必要があるし、それを私達は知る権利はあると思う。

 と、なるとこの少年には早急にお話合いの場についてもらう必要がある訳なんだけど。


「<ここまで暴れてて疲れねーのかね?>」

「<リミッターが外れてるんじゃない?>」

「<恐怖でか?>」

「<多分?>」


 後、口を開くとお兄様に対して暴言吐きそうなんだよな、この少年。

 もう暴走はしないだろうけど、凍らせるくらいなら問題ないかな? とか思っちゃうんだよねぇ。

 

「<うーん。いっそ逃げる気が失せるくらい脅す?>」

「<おい。そうなると今度は気絶するぞ>」

「<あー。それだと聞きたい事も聞けないからだめかぁ>」

「<清々しい程、相手はどーでもいいんだな、オマエ>」


 クロイツの呆れた言葉に私は内心首を傾げる。


「<どんな理由があれど、たとえ操られていようとお兄様を罵倒し害した人間に人権なんてあるとでも?>」

「<いや人権はあんだろ。……いや、あるよな?>」

「<さぁねぇ? 少なくとも私の中では一切無いけどねぇ>」


 家格を考えれば、王国的にも風前の灯火なんじゃないかな?

 別に家の権威を振りかざして偉ぶる気はないけど、ラーズシュタイン家が公爵家であり、お兄様が次期当主なのは事実な訳だし。

 正当な理由が存在して、お兄様に相当の非が無い限り、この少年の人権なんて認められないと思うけどね。

 うん、そんな相手とお兄様が同じ部屋に居るのは私の心の安静のためにもよくない。

 心の中で一人頷くと私はお兄様に退室するようにお願いする。

 お兄様は私と実行犯を暫く見て悩んでいたが、最終的には苦笑して部屋を出てくれた。

 良かった、良かった。

 これで心置きなくできますね。


「そろそろ諦めてはいかが?」


 まずは、と思った時、いい加減、無駄な努力をしている姿が見苦しいと感じた私は少年に言葉を投げかける。

 たった一言。

 それだけあっさり抵抗をやめる姿は本当に逃げる気があったのか、と思ってしまう。

 此方を見て酷く怯えているようだから、本気で逃げようとしていたのだとは思うけれどね?


「ワタクシとしては貴方様が何処の何方でも、何を考えてこんな事をしでかしたのかも、どうでもよい事ですの」


 微笑みながら流れるように言葉を紡ぐ。


「ええ。先程言っていらした言葉とも思えない音の数々。あんな不協和音をもう一度聞きたいとは思いませんもの。ですから長々と問答をするつもりも御座いません。ただ答えて下さるだけ結構ですわ。それなら時間を取らせる事も御座いませんでしょう? お互いのためにもさっさと終わらせましょう? ……あら? 答えて下さる? それは良かったですわ。ああ、簡単な事ですからご心配なく。ワタクシが尋ねたい事はただ一つ……――」


 少年と視線を合わせて口角を持ち上げる。


「――……あの呪術がかけられた媒介。アレは一体何処で誰に頂きましたの?」


 驚き目を見開く少年。

 口を魚のようにパクパクと開いては閉じている。

 

「あれ、は……じぶんで「ありえませんわね」――なぜ?」


 言葉を遮り断言した私に少年は唖然とした表情をしていた。

 そんな顔をされる事が私にとっては心外だ。

 誰でも少し考えれば分かる事だというのに。


「対象者の魔力を吸い取り外部に排出する呪術。それに多少の眼くらましもあるのでは? そんな高度な呪術式と魔法陣が組み込まれた媒介。それを貴方程度の者が作り出せると? 冗談はよして下さいまし」


 嘲りを含ませた言葉に反応して怒りを見せる少年。

 先程まで私に感じていた怯えに対して怒りが勝っているのか、眸にも一切の怯えが見えなくなった。

 結局、少年は先程自分が殺されかけたのだと気づいていなかったのだ。

 だからこの程度の怒りに塗りつぶされる。

 本気で殺そうとした、という事実を知っている身としては滑稽とか言いようがない。

 この程度の小者にお兄様が害されたという事実に再び怒りが湧きあがるが、表面には出さないように抑える。

 此処で怯えられては話が再び中断されてしまう。

 それでは困る。

 さっさと終わらせてお兄様には体を休めて頂きたいのだから。


「呪術師とは繊細な魔力操作と強靭な理性を持つ者がなれる職。心の内にある獣を飼い慣らす事も出来ず、策を弄する事も無く、あっさり馬脚を現した小者が名乗れる訳がありませんわ。それに優れたる呪術師であられる先生が才能ある生徒を知らないはずもありませんしね?」


 声が掛からなかった時点で貴方などその程度であるか、才能など無いという事なのでしょう? と嘲りを隠さず相手に畳みかける。

 後ろで息をのむ声が聞こえたが、誰だか分からないし、口を挟む事はないだろうから気にしない。


「呪術師ではなく、呪術の才能すらないか、あっても未熟。そんな貴方様があの媒介を作成したなどありませんわ。さぁ教えてくださいまし。――……」


 うっそりと笑いカタナを出すと鞘を付けたまま少年の首に突き付ける。


「……――お兄様を害した媒介を作り、貴方様に渡した愚かな存在の事を」


 カタナを見た事で先程の恐怖が蘇ったのか少年の目に再び恐怖が宿る。

 けれど、そんな事はもはやどうでも良い。

 

 さぁ、さっさと話して下さいね? 私はそこまで気は長くないので。


 沈黙の中、少年の整う事の無い呼吸だけが響いている。

 殺気を纏う事無く、ただカタナを突き付けただけだというのに、この体たらく。

 本当にこの少年は実行犯……しかも踊らされた駒でしかない事が分かる。

 これでは情報もどれだけ持っているか。

 あまり期待は出来ないだろう。

 さて、どうやって情報を吐かせるかと考えた時、少年が口を開いた。


「あれはおれがつくったんだ。……きさまらのようなみぶんだけでうえにいるようなやつらをはいじょするために! おまえらなんてたまたまこうしゃくけにうまれただけのくせに! いつだっておれのほしいものをうばっていく! だからあれはおれがつくったんだ!」


 少年の掠れ割れた雑音が耳朶を打つ。

 憎しみの眸は真っすぐ私を見ていたが、憎悪と呼ぶには生温く、殺意というのは鈍い。

 逆恨みの上の八つ当たりならこの程度か、とあたりを付けて私は溜息をつく。


「ええ。ええ。人ですもの。嫉妬の心は当然ありますわ。ワタクシとてお兄様の才能を羨ましいと感じた事も御座いますし。嫉妬が一概に悪い感情だとはいいません。嫉妬心が無ければ向上心も生まれませんしね?」


 そこで首に添えていたカタナを更に強く首に押し付ける。

 多少呼吸に問題が出ているようだが、話せない程度ではないから問題ないだろう。


「ですが、それはその心を飼い慣らす事が出来る理性があるから言える事。貴方様のように獣に主導権を奪われた者など無様としかいいようが御座いませんわ。先程も言ったように呪術師とは強靭な理性を持つ者の事。その様で名乗れる程安いモノではありませんのよ? 不愉快ですから、そろそろ本当の事をお話して下さいまし」


 恨み言など聞いてどうしろと云うのか。

 私は少年の恨みに共感などしないし、敵に同情する程優しくはない。

 むしろこのまま恨み言しか言わないのならば、この場に居る意味すらなくなるので、さっさと帰りたいぐらいだ。

 暗いともいえる眼差しで私を睨む少年。

 だが、その程度で私が動じる訳がない。

 私の心を動かすには何もかもが足りなさすぎる。

 少年はそんな全く動じない私に気づいたのか「化け物」と呟いた。

 だが、それですら甘い。


「それで?」


 敵対している相手に何を言われようが傷一つつくことはない。

 私はにっこりと笑いカタナを押し付ける手に力をこめる。

 ここまでくれば流石に息苦しさを感じるのだろう。

 少年の顔が歪んだ。


「き、さまのような! ばけも、の……をころすためにおれがつくったんだ!!」


 首を振りカタナを振り払うと少年は絶叫した。

 少年を抑えている護衛の方々が顔を顰めている。

 けど、私にしてみれば標的がいつの間にかお兄様から私に移っている事に呆れ、もはやため息もでなかった。


「洗脳されているのか、感情を煽られているのか。どんな理由にせよ、貴方様の口から答えが出る事はなさそうですわね。捨て駒風情が自分を幾ら大きく見せようとも見苦しいだけですわよ?」


 私はカタナをしまうと少年を拘束している護衛の方々にカーテシーをすると踵を返す。

 少年を正攻法で口を割らせる事は出来ない。

 後は本業に任せるべきだろう。

 むしろ此処まで自由にさせてもらった事じたいが大分見逃されているのだ。

 穏便にすむならばその方が都合が良かったからかもしれないが。

 あっさりと話を切り上げた事に後ろから少年の驚いた声が聞こえた。

 私は首だけで振り向くと肩を竦める。


「貴方様は自分で自分を救う道を絶ちました。ならばこの後起こる事も自己責任ですわよね?」


 最後まで自分がやったと言い張り「私を殺すため」とまで言ったのだ。

 私が公爵家の人間だと知っていると言うのに。

 ならばこの後どれだけ苛烈な取り調べが行われようとも、本人と家の末路がどうなろうとも自分で責任をとらなければいけない。

 

 まぁ、その事に欠片も気づいていない事は最初から分かっていたけれどね。私もそれを教えてあげる義理はないし。全部自業自得でしょう?


 何故か驚いた顔をしている少年を他所に私は扉に手をかける。

 ああ、そう言えば、まだ言いたい事があったんだ。


「ああ。そうでしたわ。最後にもう一つ」


 私は振り返る事無く、扉を開けながら少年に言葉を投げかける。


「先程。髪を切り落としたのは、偶然。そう偶然ですわ」


 後ろから安堵の声が聞こえる。

 それは少年だったのか、それとも拘束している護衛からだったのか。

 何方にしろ全くもって安心するのが早すぎる。

 ちょっと笑ってしまいそうだ。


「だって、ワタクシ――本当に首を切るつもりでしたもの」


 一瞬の沈黙の後、後ろから短い悲鳴が響いた。


「本当にうっかりしましたわ。頭と体に泣き別れをしてもらうつもりでしたのに。けれどその方が幸せだったかもれませんわね。だって今後の貴方様の未来に光など一筋とて降り注がないのですから」


 お先真っ暗な事を仄めかす。

 少年も貴族らしいから気づくのではないだろうか?

 まぁ気づかずとも何方でも構わないが。


「では、ご機嫌よう――永久に」


 最後の挨拶をすると私は扉を閉めた。

 その直後部屋の中から響く金切声も私には一切関係無い。

 だって、少年はこの時をもって完全に私と無関係になったのだから。



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