第220話・変化・対面・呪術師とは




 はぁはぁと自分の整う事の無い呼吸が耳朶を打つ。

 カタナを持つ手が汗で滑るのをぎゅっと握る事で落ちないように持ち直し、重くなった足を無理矢理動かし廊下を駆け抜ける。

 目的の場所も無く走ったせいか、今、自分が何処を走っているのか分からない。

 出来るだけ遠くへ。

 誰も居ない場所へ。

 そんな逸る気持ちを押さえつけながら、私はひたすら走っていた。

 

 それからどれだけ走っただろうか?

 突然、私の視界に「魔術訓練室」というプレートが飛び込む。

 自然と足は其処に向かってスピードを上げていた。

 偶然なのか、直前まで誰かが使っていたのか、訓練室は鍵が開いていた。

 部屋の中に飛び込み、中央に立った私は、そこでようやく足を止める事が出来た。

 整う事の無い荒い呼吸がとても耳障りだ。

 どれだけ走っていたのか足もガクガクいっている。

 カタナを杖のように立て、それに寄りかかる様にずり落ちるように座り込む姿はきっと無様としか言いようがない。

 けど、心はボロボロな体とは裏腹に落ち着いていて、安らぎすら感じていた。


 ここならば……“大丈夫”


 安堵の心と共に体内を渦巻いていた魔力が暴走し体外に放出される。

 氷混じりの風がまるで台風のように私の周りを渦巻いている。

 壁にぶつかるたびに壁に付加されているであろう防御魔術が発動して相殺している。

 このまま暴走に任せるままにしていれば魔力の枯渇を引き起こす。

 冷静な部分がそう言って警告を鳴らしているのは分かる。

 けど、どうしてもその警告に従う気になれない。

 体から力が抜けて、暴走に全てを任せたくなる。

 このままでは魔力の枯渇を通り越してしまうかもしれない。

 それは消極的な自殺に他ならない。

 「私」が一番忌む物だ。

 分かっている。

 分かっているのに、体が動かない。


 何処からか『自らを殺すなんて許されると思っているの?』という冷たい声が聞こえてくる。

 同時にさっき、お兄様を害した少年の言葉も蘇る。

 「貴様のような化け物が妹だから、お兄様はしなくても良い苦労をしてんのにな! 貴様こそがアイツを苦しめる元凶だろうが!」という言葉が。

 吐き捨てるような言葉は相手にとって然程意味など無かったのだろう。

 それでも「私」の心を苛むには充分だったのだが。

 そもそも少年の言い分は滅茶苦茶だった。

 支離滅裂で言い訳にもなっていなかったし、一体お兄様の何を見て、そんな事を考えたのか、全く分からなかった。

 子供の癇癪でも、もう少し筋が通っていると、呆れさえ感じた。

 お兄様が努力を続けるのは自分の意志なのだし、誰も強制などしていない。

 ヴァイディーウス様との出逢いだって偶然の産物であり、以降交流があるのはお兄様のお人柄あってこそだ。

 学園が休みの中領地に戻らず勉学に勤しむのは誰かの意見に左右される事も無く、お兄様が考えだした結果だ。

 その全てを恵まれた立場であると、家格を傘に来ているなどと、全く以て意味が分からない。

 多分逆恨みしたのだろうという事だけが辛うじて分かる少年の言い分。

 繋がらない言葉を何とかまとめると、そんな感じだったのだと思う。

 こんな、こんな幼児以下の輩にお兄様は理不尽に貶められ、殺されかけたのかと目の前が真っ赤に染まった。

 だからこそ私は躊躇う事無くカタナを抜いたのだ。

 結局、少年を殺す事は無かったけれど。

 ――そう。あのような輩、一思いに切り捨ててやればよかったのだ。

 心がそう叫んでいる。


 ああ、また、感情の制御が効かなくなっている。あの場に居れば、きっと私は心の赴くままに少年を殺していたはずだ。それが後程どれだけ面倒を引き起こすか分かっているはずなのに。


 纏まらない思考と溢れてくる殺意に再びあの少年の所に行きたくなる気持ちをぐっと堪える。

 幾ら罪があろうとも、私が狙われた訳でもなく、攻撃された訳でもない以上、私が相手を殺す事は許されない。

 私はカタナを握りしめる。

 少年の口から吐き出されるお兄様に向けられた悪意に塗れた言葉の数々。

 吐き気のするそれに私はカタナを抜いた。

 完全に理性を本能が押し込めてしまっていたのだ。

 少年の髪を切り捨てたのは怒りで手元が少し狂っただけの事。

 あの時、私は迷わず少年を殺すつもりだった。

 学園の生徒を、幾ら罪があるとはいえ弁解の暇も与えず殺す事しか考えられなかった。

 お兄様がそんな事望んでいないのは分かっている。

 家に迷惑が掛かると理解している。

 なのに、私はあの瞬間、そんな事一切思い浮かばず相手を殺すために動いた。

 怒りに全てを支配され、理性は完全に心の奥底に押し込められてしまっていた。

 今までだって怒りに我を忘れる事はあった。

 其の度に漏れ出た魔力が周囲の温度を下げ、時には持っているモノを凍らせたりもした。

 けれど、それでも怒りのまま相手を殺そうとした事は無い。

 今更人殺しの罪咎を考える程、私の手は白くはない。

 だからと言って、あんな支離滅裂な言い訳ともとれない言葉に我を忘れて殺意のままに動くなんて今まで無かった。

 咎める言葉が自分の中から湧き上がる。

 けど、それ以上に『あのまま殺してしまえば良かったのに』という意志が意識を支配しようとする。

 私の意識が“自分に”浸食されて溺れてしまいそうだった。


 ――『あの時』わたしには相手を殺すだけの力がなかった。けれど今の私にはそれが出来るだけの力がある。

 いや、そんな事はしてはいけない。相手の罪を精査しなければいけないのだから。

 ――そんな悠長な事を言っていて『二の舞を演じる』つもりなの?

 ……私が私のまま振る舞えば最終的に家族に迷惑がかかってしまうのに?

 ――だからと言って、あの自分のした事の最悪の事態を把握も出来ない餓鬼がまたやらないとも限らないのに?

 …………それは。

 ――『あの時』は何も出来なかった。けど今の私なら出来るよね?


 何処までも冷たい。

 海底から聞こえてくるような恐ろしい声で聞こえてくる、けれど何処までも魅力的な提案に心が水の中に沈んでいくように何も考えらなくなっていく。

 けど、次の瞬間には頭をふって意識を強く持つように自身を叱責する。


 駄目。そんな事になるくらいならこのまま朽ち果てた方が良い。

 ――自殺なんて絶対に許されない。

 分かっている。私だって自殺なんてする気は毛頭無い。

 ――それでもこのまま朽ちたいと?

 ……相手の言い分も聞かずに殺したとなれば、家の恥にしかならない。そうならないためならば「キースダーリエ」を殺す事ぐらい問題無い。


 そうだ。

 まだ私は社交界デビューもしていない子供。

 幸いにも顔も知られていない。

 今なら療養という名目で領地に戻り、そこで病死した事にすれば表面上「キースダーリエ」を殺す事は出来る。

 家族を家族と呼べなくなる事に大きな悲しみを感じても、直接手助けできる事は無いとしても。

 私が最悪の事をしでかしてしまったならば、そうした方が余程良い。

 

 ――確かに。それなら自殺とはならないね。じゃあ、今から殺しに行く?

 そ、れは……違う。私は……『わたし』は……。

 「………………ノ!」

 ――どうして?感情のまま動いたって、その後家族を守る方法があるなら躊躇う必要なんてないじゃない?

 た、しかに?

 「い…………ろ!」

 ――じゃあいこっか。あの調子ならまだ中庭で震えているんじゃない?

 ……そうね。

 「おい!」


 ガツン!!!


「っ!?」

「いっってぇぇ!!」


 『声』に完全にシンクロしていた「私」は物凄い痛みのせいでカタナを放り出し痛い部分――額――を抑える。

 と、共に『声』が聞こえなくなり、目の前が急に開けた。

 けど、今度は痛みで目の前が滲んで、何が起こった全く把握できない。

 けれど、目の前で同じように額を抑えている黒い物体が誰なのかだけは分かった。

 そして、彼が何をしたのかも。


「すっげぇいってーんだけど!!」

「それはこっちの台詞だよね!? アンタ、子猫の癖にドンだけ石頭なのよ!」

「っるせー! オレは猫じゃねー!! いくら声かけても気づかねーオマエが悪い!」

「だからって頭突きってどんだけ物理的なのよ!」


 怒鳴り合う内に涙が引いて視界が広がっていく。

 すると、私と怒鳴りあっているクロイツが怒りながらも、何処か私を心配している事が分かり、判断力も徐々に戻りつつある事に気づく。

 

「アンタ……どうやってこの中に入って来たわけ? アンタ、影の外に出ていたはずだけど?」


 周囲には風と氷が吹きすさんでいる。

 この中に入り込むのは至難の業のはずだ。


「影を通ったにきまってんだろ」

「どうやって?」

「オマエのオニーサマの影から入って、オマエの影から飛び出た」

「っ!? アンタ、なんて無茶な事を!」


 確かに影と影の間を移動する事は出来る。

 けれど、影とは個人個人の空間を形成している上、影の中の空間というのは中々複雑な構造をしているらしく、他人の空間に移る事は、云う程簡単な事ではない。

 今回は多分お兄様という私に近しい血縁の人間だからこそできた荒業と言える。

 それでも危険はあっただろう。


 そこまでしてもクロイツは私の元に駆けつけたっての? 嘘でしょう?


 いくら使い魔契約をしていても対等であるクロイツが?

 あまりの事に呆然としている私にクロイツは盛大にため息をついた。


「アンタ。わたしのために、何で其処まで?」

「大半は借りを返すためだ。――んで? オマエ、誰だ?」

「は?」

「だからオマエは誰だって言ってんだよ」

「何言ってんのよ。わたしは……」


 何故か言葉に詰まる。

 はっきり言えばいいのに……「私はキースダーリエだと」

 口ごもった私にクロイツは厳しい視線を向けて来た。……まるで嘗て、そうやって私と対峙した“フェルシュルグ”のように。


「オレは――フェルシュルグになったのは、アイツの本来の持ち主の心が死んじまった時だ。んで、最期まで「寂しい」と言って死んでいった餓鬼を思ったままフェルシュルグは死んだ。そんなアイツから生まれたのがオレだ」


 初めて聞いたフェルシュルグとクロイツの話。

 けど、今此処でその話をする理由が分からない。

 思考が回っていない事に気づいたのかクロイツに溜息をつかれた。


「オマエは確か最終的に混ざり合ったんだったな?」

「え、うん。そう、だけど?」

「だからまぁ、性格の大半は『前』に引きずられるのは分かる。『前』の方が無駄に年とってたんだろーしな」

「一言を多いんだけど」

「うるせー。けど、オマエは根幹が同じだからこそ混ざり合った。オマエにとっちゃ『前』も【今】も混ざり合ったが今、目の前に居るオマエのはずだ」

「ごめん。何が言いたいか分かんないんだけど?」

「オマエ、何で今、話し方が崩れてんだよ」


 切り込むような疑問に『わたし』は気圧された。

 『わたし』の怯む隙をクロイツは見逃さない。


「オレと二人、それかあのメイドがいる、しかもそれ以外の奴はぜってーいない時。そん時しかオマエはそんな話し方はしねーんじゃなかったのか? 今、此処が何処だかわかってんだろ?」

 

 畳み掛けるようなクロイツの追及に何故か段々息苦しくなっていく。

 何を言っているの? と一蹴する事だって出来るはずなのに。

 クロイツの言葉が何かを揺るがしていく。

 『わたし』は……私は誰?


「混ざり合っている以上。『前』の性格が強いのは当たり前だ。形成された性格がど真ん中になるのもな。けど、異世界の同一人物とやらであるオマエは、だからこそ無意識以外で分ける必要は無く、混ざり合っているはずだ」


 そう。

 『わたし』の側面がどうしても強くなってしまうのは仕方無い。

 産まれて生きた年数が違いすぎる。

 けれど、この世界で生きた【キースダーリエ】と前の世界を生きた『名前も忘れたわたし』は異世界の同一人物。

 だからこそ綺麗に混ざり合い「私」になる事が出来た。

 

「だってのによー。今のオマエは何だ? 学園に来てから……ちげーな。医務室に入ってからだ。オマエはそん時から妙にブレてやがる」


 クロイツの眸がわたしを真っすぐ射抜く。

 フェルシュルグの時には考えられない程真っすぐに強く。

 怖いくらいの眼差しでクロイツは『わたし』にトドメの一言を発した。


「オマエ、オニーサマを通して“誰”の事みてんだよ」

「ぁ」


 喉が締め付けられたように声が出ない。


 誰を? 私は一体誰を見ていたの?

 ――だって『あの子』が寝ている。血の気の引いた真っ青な顔で。

 違う。医務室に寝ていたのはお兄様だ。

 ――わたしのせいで『あの子』は傷つき、最期には……。

 確かにお兄様は私のせいで苦労しているかもしれない。けれど、決してあんな輩の言葉に惑わされる必要なんてない。

 ――白い部屋。光は小さな窓から入る差し込む陽の光だけ。そんな部屋の中央で『あの子』は……。

 医務室は白い部屋かもしれない。けど、窓は沢山あるし、日差しに照らされていた。


「わ、たしは……」

「いやまぁ、一体誰だ? ってのには大体想像つくんだけどな? オレは『前』のオマエの事なんざしらねーし? けどよー」


 クロイツはそこでまた鋭い視線を「私」に向けた。


「混ざり合うのはかまわねー。『前』が基礎におかれんのもだ。――けどな。全部を浸食されんのは我慢ならねーんだよ!」

「く、ろいつ?」

「オレを……フェルシュルグが『同じ』と認めたのは混ざり合った「キースダーリエ」って女だ。片方に浸食されてるテメェじゃねぇ!」

「『わたし』は――わ、たしは」

「さぁ、答えろ。――オマエは一体誰だ!?」


 水の中を沈んだと思っていた心が水面に上がろうと足掻く。

 冷たく響いていた声――『前のわたし』の言葉が波の騒めきに変わっていく。

 浸食……そう、医務室で横たわっているお兄様を見てから分かれ、浸食してきた『心』の騒めきが収まり、再び混ざり合っていく。

 ――まさか。又出てくる事になるとは思わなかったわ。こんな事最後にしてよね? ま、責め立てて悪かったわね。

 冷たくはない、けれど何処か呆れた声が聞こえた。

 ――責め立てていたのはアンタの心なんだけどね。人に代弁させんじゃないわよ。

 そんな最後の言葉を残して『わたし』の声は聞こえなくなった。

 

「わたしは……私は……ワタクシは……――」


 強い眼差しで此方を見据えているクロイツに負けないように「私」もしっかりとクロイツを見据える。


「――……ワタクシはキースダーリエ。ラーズシュタイン家の令嬢であり【闇の愛し子】。そして【神々の気紛れ】により『地球』での記憶を持つ者、ですわ」

「――それでこそオレの『同胞』だ」


 既に魔力の暴走は止まっている。

 魔力の風と氷で滅茶苦茶になった部屋の中心で私とクロイツは笑う。

 もう「私」は自分を見失う事はないだろう。

 けれど、もし見失ったとしても引き留めてくれる『同胞』がいる。

 その事がとても照れくさくて、少しだけ嬉しかった。

 ……素直に言っても聞いてくれない、クロイツ相手だと素直に言うのは照れ臭い私は心の中でだけクロイツに「ありがとう」と呟いた。



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