第216話・愚かだと知っていても、もはや何が正解だったのか。それを知る術を私は知らない【王国貴族】
壮麗な造りの教会
祭壇で神子の言葉を代弁する青年
熱心に話を聞き、自分達の良き未来を夢見る信徒達
教団としてこれほどないと言う程正しい姿
だが事実を知っている者から見れば、それは欺瞞と幻想の上に成り立つ悍ましき宴の場でしかない
私は滑稽で悍ましい宴の裏を知り観客ともなれず、だからと言って参加者ともなれない半端者
そんな私のこの先に未来が訪れる事は――
数年前とは見違えるほど教会らしくなった場所にあいつの朗々とした声が響き渡る。
密かに周囲を見回せば、あいつの信者となった人々が時に頷く、時に涙ぐみながらアイツの話に聞き入っている。
あいつ自身は聖獣様の声をお聞きする事が出来る神子の代弁者としての立場を崩さないが、実際信者となった人々にとって見れば、姿も見た事が無い神子様よりもアイツの言葉にこそ意味を見出しているはずだ。
カラクリを知っている私にとっては代弁者を気取っているあいつの言葉の全てが空々しく、空虚な代物にしか思えないとしても。
居もしない神子がさも居るように振る舞う様は滑稽としか言いようがない。
それでも、その事を知らずともこれだけの人間が聞き入っているのはあいつの人心掌握術によるものなのだろう。
あいつの語る、教えが終わり、人が教会から去っていき、残っているのは私のみなった教会は、その本性を露わにしたかのように寒々しく、そして虚ろだ。
総本山たる光闇教会から許可が降りなかった以上、此処も推定教会と言うしかなく、教団としては認められていない。
表だけを繕った紛い物の教会はがわが立派になればなるほど内側の空虚を明るみにしているようにしか思えない。
何もかもが虚しいと感じるのは、私自身がこの空虚さに気づきながらも何も出来ないためか、それとも虚を埋める事が出来ると信じて疑わないあいつ等のせいか……。
どんな理由だろうと分かる事は一つだ。
私達は決して途中で脱落する事は許されない所まで来てしまっている、という事実だけなのだ。
それなりに整備された廊下を歩く中、すれ違う人が少なくなり、ついに誰もいなくなってから暫くした場所にあいつの部屋は存在している。
代弁者と称する……最期には犯罪者としての道しか残されていないであろうあいつの部屋。
そう考えると扉の向こう側がとても悍ましいものに見えてくるのだから不思議なものだ。
そしてその部屋に入る私自身も……。
私は軽く頭を振るとノックもせずに扉を開ける。
部屋の中に入ると代弁者を名乗っている青年――ヴァーズィン――と護衛契約をしている右腕が使えぬ男が一瞬だけ私を見たが、直ぐに視線を逸らす。
彼等にとって私という存在は警戒する必要もない相手なのだ。……全てが失敗すれば共倒れする、良く言えば共犯者なのだから。
「今日はどうかしましたか?」
ヴァーズィンの穏やかな声が耳朶を打つ。
こいつの見た目は優し気であり、人に警戒心を抱かせにくい。
声もその容貌にあった穏やかなものだ。
だからこそこいつの語る言葉は真摯なものに聞こえ、人の心を掴む。
人の心の隙間にいともたやすく入っていく。
そんなこいつだからこそこの若さであり家格が低くとも王城で文官として中々上の所までいきやっていけていたのだから。
「何時もの“代物”だ」
私は机の上に魔石等を置く。
それを見てヴァーズィンが笑みを深める。
「今回も素晴らしいものですね」
魔石を掲げ笑うヴァーズィンの目の奥には狂気がちらついている。
浮かべている笑みもいびつなものに変化している。
信者には決して見せない狂気的な一面が一気に剥き出しになっている。
ヴァーズィンが昔からこうだったのか、今の私にはもう分からない。
昔から既知であるこの男にこんな狂気的な一面があるのを私はヴァーズィン自身が露わにするまで気づきもしなかったのだから。
いや、昔から少々盲目的な所がある奴だとは思っていたか。然程有名ではない論文だろうと気に入れば著書の事をくまなく調べる、なんて少々変わった部分はあったな。
だが、盲目さが狂気すら纏うものだとは気づかなかった。
そして気づいた時には全てが遅かった。
ヴァーズィンは狂気に身を任せ、破滅への道を歩みだし、気づいた時には既に止めるなんて事は出来ない程、計画は進んでいた。
これも言い訳、か。今からだとしても止める事は可能だと言うのに、その方法を取らない時点で私も“同罪”なのだからな。
計画を破綻させる事は実に簡単だ。
自身の罪の全てを陛下へと告げれば良いのだから。
罪が暴かれ罰が与えられる時、私もまた罪に問われ、処罰されるだろう。
だとしても王国の誇り高き貴族として、本来ならその道を選ぶべきなのだ。
ならばどうして私は未だにヴァーズィンとこうして顔を合わせて計画を止めずにいるのだろうか?
幾度となく、自分に問いかけても答えなどではしない。
処罰されるのが怖いのか?
ヴァーズィンの変貌に気づけなかった罪悪感か?
計画の成功によって慌てふためくかの家の様子を見たいという復讐心からか?
どれもしっくりくるようでしっくり来ない。
だが分かる事もある。
結局、私は中途半端でしか無く、計画を終焉を見届けるまで動く事はないのだろう、という事だ。
目の前で狂気を孕んでいる眸で魔石を見ているヴァーズィンとは学園に入るより前からの知己だ。
幼い頃から自らの容貌が人にとって警戒心を抱かせない、という事を良く知るある意味で貴族らしい子供だった。
幼い頃から人心掌握の才能の片鱗を見せていたヴァーズィンは学園でその能力を磨き続け、ついには王城に文官として起用された。
その後もヴァーズィンは才能を遺憾なく発揮し、出世していった。
あっと言う間に出世街道を上っていくヴァーズィンに嫉妬心を抱かなかったわけではない。
だが、誰よりも彼の人心掌握術を間近見ていた、そしてその努力を見ていたあいつに妬く事程愚かしいと思う程度には私にも考える頭があった。
私は家の後を継ぐというヴァーズィンとは別の道が最初から決まっていた事も理由の一つかもしれない。
同じ土俵にいるならば、嫉妬心は決して消える事は無く、早々に関係は切れていたかもしれない。
――今となっては、その方が私にとっては幸福だったのかもしれないが。
人心掌握術に長けているという事は人の心の裏を見る事にも長けているという事。
ヴァーズィンは表向きは穏やかで人当たりの良い好青年であるが、実際は人があまり好きではない。
同時に自分とは違う方法で人心を掴む、カリスマを持った存在に傾倒する傾向が見られた。
そんなヴァーズィンの性質を危いと思いながらも、現国王陛下は人を惹きつけるカリスマ性をもった方であるがために、現陛下の治世であるうちは問題はないだろうと楽観していた。
まさかヴァーズィンが別の人間に盲目的にのめり込み、おかしな行動をとるのは思いもしなかったのだ。
切欠はあのおかしな謁見だった。
私も家格は低くとも領地持ちの貴族として召喚された、異例ともいえる謁見。
まだ社交界にも出ていない幼子が陛下へと拝謁する事態は大きな動揺と僅かな好奇心を皆に齎していた。
異例の謁見は終わりもまた異例だった事で、そんな好奇心は吹き飛んでしまったが。
――素直に認めよう。
確かに、あの時の“彼女”は普通とは言えなかった。
派閥の長たる家の当主の暴挙も血の気が引く思いがしたが、それ以上にそんな当主の恫喝を受けながらも微笑み、陛下と対等に話、遂には当主を鮮やかに退けた手法。
それをまだ幼い子供がこなしたというのだから、夢でも見ている気分になったのを今でも覚えている。
私は今でもあの時の光景を思い出すたびに恐怖が沸き上がる。
明らかにあの少女は「普通ではない」。
だが同時に生涯忘れる事は出来ない光景である事も事実なのだ。
ヴァーズィンもあの場に居た。……居てしまった。
そしてあいつは「少女」のその畏敬すら感じる姿に完全に魅入られてしまったのだ。
あれからヴァーズィンはいつの間にか王城を辞した後、怪しげな集団を作り上げていた。
私がヴァーズィンの異変に気づいた時にはあいつは妙な教団の教祖になっていた。
今、目の前で魔石を前にしようとも考えているのは「少女」の事なのだろう。
ヴァーズィンにとっての神子は「彼女」をおいて他にいない。
闇の貴色を纏う子供達すらヴァーズィンにとっては「彼女」が手に入るまでの代用品なのだ。
私はヴァーズィンから眼を離し、本棚の向こうにある隠し扉を見つめる。
あの扉の向こうにある魔法陣。
転移魔法の先で行われている悍ましき行為。
その全貌どころか何が行われているかを私は一切知らない。
だが、元々人嫌いであるあいつの事だ。
代用品でしかない存在の扱いなどいいはずがない。
それを止める人間がいないのなら猶更だ。
目を一度強く瞑り開くと、私はヴァーズィンの側に控える男に眼をやる。
右手の筋を切られ、利き手を失った男。
それでもその強さは他の類を見ない。
片腕だとしてもそこら辺の冒険者では敵わない強さを持った男だ。
ヴァーズィンと男の出逢いも今に至るまでの経緯も何も聞いてはいない。
だが、決して男はヴァーズィンに対して心酔しているわけではないのだろう。
むしろ男はヴァーズィンの神子に対して憎悪を抱いているようにも見えた。
私が分かるのは何かしらの契約の元二人の関係は成立しているのだろうという事だけだ。
今とて男は魔石を見て「少女」を思うヴァーズィンを苦々しく見ている。
あの男にとって忠誠を誓う先は陛下だ。
男もその事を隠す気は一切無い。
同時に男はどうやら「少女」となんらかの因縁があるらしい。
此方は隠してはいるが、時折ボロが出る事から分かった。
男もまたヴァーズィンと同じように狂気に侵されているのかもしれない。
だから隠していてもボロがでているのだろう。
だとしたらヴァーズィンはまだ隠している方なのかもしれない。
あいつは自身の計画の裏を知っている人間以外の前では完璧な存在なのだから。
とはいえ、こうして裏を知る存在の前では狂気を隠す事は無い。
だからこそ私が見ている光景は狂乱の場としか言いようがないし、そんなあいつしかここ最近見ていない。
狂った男達が契約の元に集いそれぞれの目的のために手を組み事件を起こしている。
……結局、この場に居る私にそれをどうこう言う資格は無い。私もまた狂乱の宴の当事者なのだから。
男は忌々しいという感情を隠したかと思うとヴァーズィンに話しかけた。
「例の「神子」が王都入りしたようです」
「……それは確かな話なのですか?」
「ええ。金を掴ませた小者に探らせました。更に殿下も何度かいらっしゃっているとの事です」
「それは重畳です。ちなみに情報元は?」
「既に話せない状態です」
「そうですか。なら良いです」
白々しい会話に私はもう一度瞑目する。
人の命など彼等の目的の前には平等に塵芥でしかない。
そう分かる会話に心がかき乱される。
たとえば、指摘したとしても彼等は罪悪感の一つも感じる事はないだろうか?
昔のあいつからは決して出てこない言葉だったと言うのに。
一部の貴族は平民を対等な「人」と認めていない。
ヴァーズィンは過去にそういった貴族を非難していた。
そんなあいつが今、こうして人の命に対して罪悪感すら浮かべなくなっている。
陛下にその盲目さを発揮していた時からなのか、それとも「少女」に心酔してからなのか。
後者ならば、私は「少女」を恨めばよいのだろうか?
いや、それは完全なる八つ当たりに過ぎない。
それが分かる程度には私は狂っていないのだ。――そう思いたいのだ。
いっその事、全てを狂気に委ねて、狂乱の宴を楽しめれば、と思った事もある。
だが、私が一欠けらの正気を手放したら私の愛する領民はどうなる?
最後には破綻し、私の身も破滅するだろう。
だが、欠片の正気を持ち、計画の全容を知る者としていなければ。
私の首一つだけで領民を守れるように最期の時まで正気でいなければ。
そこまで考えて私は軽く頭を振る。
ああ、なんて笑えるくらい滑稽な喜劇の宴なんだ。今すぐに破綻を齎す事が出来る癖に、私は領民を愛していると思い、領民の心配をし、良き領主であろうとしているのだから。
感情がグチャグチャに混ざり合い、もう自分が正気なのかさえあやふやになっている。
それでも私は未だ自身が正気であると定義する。
最期の時まで正気を貫くと決意した。
滑稽で悲惨な狂乱の宴を最後まで見届ける、と。
「「神子」をお迎えするのは良いのですが、「魔力源」が必要なのですがそちらは?」
「それは神子と共に解決するでしょう。きっと共にいる事になるでしょうから。殿下が訪ねるならば、共にいるはずです」
「成程。それは良かった。ならば神子をお迎えする方法を考えなければいけませんね」
「その事について一計があります」
男は口元を歪めて言葉を続ける。
「嘗て部下だった者の一人が神子と共に行動しています。あれならば、引き入れる事も可能でしょう。かりに引き込む事に失敗したとしても神子に話が通れば向こうから来るかと」
あれはその後、始末してしまえば良い事だと言う男。
嘗ての部下でさえ、今の男にとっては駒以下の扱いなのだと思い知らされる。
だが、そんな男の提案にあいつは微笑むのだ。
「そういえば、神子の近くにいる存在を使うと言ってましたね。……うまく行きそうなのですか?」
ヴァーズィンが私に進捗を聞いてきた。
私はそれに頷く事だけで返す。
今、口を開けば何を言ってしまうか分からないのだ。
「ならば、その後貴方が接触すれば問題なさそうですね。……此方からお迎えに上がりたかったのですが、無知な輩が多く、動く事もままなりませんからね。では時期が来た時、その時は手はず通り動いて下さい」
「分かりました」
男はヴァーズィンの命を聞くと歪んだ笑みを浮かべたまま部屋を出ていった。
その途中男と目があった。
その時、男の目に僅かながらの憐憫と慈しみが見えた気がしたのは気のせいだろうか?
もしかしたらあの男もまた狂気と正気の狭間を彷徨っているのかもしれない。
それは……きっと憐れな事なのだろう。
共感も、勿論同情などもする気はない。……出来る立場でもない。
結局、私もあの男も……ヴァーズィンですら未来を捨てた咎人なのだから。
ヴァーズィンは再び魔石を通して「神子」に思いを馳せている。
この姿を見てヴァーズィンが正気であると考える存在はいないだろう。
だがこいつは狂気を孕みながらも何処か正気の部分が残っていると感じる事がある。
昔の、国が今以上に良き国となるように語り合ったあの頃。
あの頃の少しばかり意地の悪い、だが濁りの無い眼差しで未来を語り合っていた時の真っすぐな双眸。
まるであの頃の残滓のような光が今のヴァーズィンの眸の奥ににちらつく事があるように感じるのは、私こそがあの頃を懐かしみ、戻れない事に後悔の念を抱いているからだろうか?
窓から外を見ると、この地区の人々が歩いているのが見える。
仕事の最中なのだろう。
皆忙しそうだ。
だが、決してその顔には悲壮感は無い。
この地区の人々は決して国に対して強い不満があるわけではないのだ。
そんな民が時折この教会を見て微笑む姿は私の胸をかき乱し、淀みとなって溜まっていく。
強く目を瞑り視界からの情報を遮断する。
その時に浮かぶのは何故か何時もあの謁見の時の光景だった。
ああ、本当にお前が神子だと言うならば。この盲目な信徒を救ってくれ。そしてこの愚かな身に相応の罰を与えたまえ。
「少女」が神子だとあいつが作り上げた虚像であると知りながらも、それに縋ってしまう惨めな自分に心の中で自らを嘲笑う。
謁見の前で陛下と対等に話、その後真っすぐと出ていった「少女」が此方を見る。
その顔に浮かぶのは救いでも断罪でもなく、ただの無だった。
作り上げた虚像ですら私達を救いも罰しもしない事に私を嘲笑う声が大きくなった気がした。
そんな滑稽な想像が頭を掠り、私はもう一度強く目を瞑ると頭を振り、全てを振り払う。
そのままあいつに声をかける事無く私は部屋を後にした。
身の内から聞こえる嘲笑は何時までも私の中に響き続けている。
それを振り払う術を私は知らない。
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