第187話・水の聖域・海中神殿




 心の中とはいえ宣言した通り目を瞑って通り抜けた先は神殿の入口らしいと素直に思える場所だった。

 うん。

 後ろを見ると明らかに水の中だという事を除けば普通の神殿だと思う。

 何時の間にか潜り抜けた扉がなくなってるのかなとか? どうして上へ上へと昇っていたのに扉を通ると海中なのかな? という疑問を考えなければ何の問題も無い。……ないはず。


「(海中なのに魔法も魔道具も使わず息が出来る事も突っ込んじゃいけないんだろうなぁ)」


 どれも聖獣様の御業であるという事で済まされてしまうだろうし。

 実際神殿の中は魔力とも違う【何かの力】に満ちている。

 祈りの間の神像からも感じた気配だ。

 だから一切合切無駄な思考は切り捨てて、ただ「ああ、神殿に無事入る事が出来た」と喜べばいいのだ。

 いいのだけれど……。


「<突っ込みしか浮かばないから素直に喜べないのですが?>」

「<……諦めろ>」


 クロイツの非情な一言に内心がっくりしながらも表面上は一切変わらぬ振りをして神殿の中へと歩みをすすめる。

 よくよく見てみると神殿は経年劣化が一切感じられなかった。

 白い石……『大理石』のようなもの? で造られているのではないかと思われる神殿は何処を見ても綺麗で、意匠が下品にならない程度に彫られた美しい建物だった。

 精霊もかなりの数舞飛んでいる。

 正直常時【精霊眼】を発動している身としては眩しくて仕方無い。


「(最近はお兄様や殿下達の御蔭で慣れてきたと思ったんだけどなぁ)


 【愛し子】であらせられる殿下方は勿論の事お兄様も精霊に愛され、周囲には常に数多の精霊が舞飛んでいる。

 そんな感じなものだから私の視界は常にチカチカと眩しいのだ。

 けど、それもどうやらまだまだ上があったらしい。

 流石聖域というべきか。

 神殿内は精霊が物凄い数存在している。

 幸いなのは水の聖獣様の聖域のために濃淡あれど青色である事だろうか?

 これで様々な色彩の海と化していたら一時的にでも【精霊眼】の発動を止める所だった。


「(身の危険が無い……とは思うんだけど。何の保険も無いのは怖いしなぁ)」


 これってある意味で帝国の方々をイマイチ信用していないって事になるのだろうか?

 

「(いや、下手するともっと不敬だな。聖獣様の御力を信じてないって事だしね)」


 口に出さないように気を付けよう……脳内で考えるのは止められないけど。

 心を読むスキルを持つ存在がいない事もついでに願っておこう。


 数多の精霊の輝きを気にしなければ神殿は意匠が素晴らしい見ごたえのある建築物だった。

 彫られた意匠は目を楽しませてくれる。

 ただ【満たされた力】の正体が何となく分かっているせいかクロイツの機嫌がおよろしくない。

 今も肩にいるんだけど、ブスっとした顔をしている。

 こうしてみると途端に猫らしくなると感じるから不思議なモノだ。


「(いや、普段の仕草が人臭すぎるんだけどさ)」


 まさかお腹抱えて笑う猫を見る日が来るとは思いもしなかったもんなぁ。

 本人に言えば「オレは猫じゃねぇ!」と怒られるだけだけど。

 確かに大きくなったクロイツは豹だし?

 本当なら子豹? とか言わないといけないかもしれないけど、云いずらいし。

 見た目完全に猫なんだし子猫でいいと思うんだけどね?

 アイデンティティの問題でもあるのだろうか?


「(いや、ただ子猫って言う弱い存在に例えられているのが気に食わないだけだろうけど)」


 本気で嫌がっていると言った風じゃなかったし。

 クロイツの場合本気で嫌がっていればそれが今の私にはダイレクトに伝わってくる。

 そうなれば私だってカラカイために何度も口に出したりはしない。


「(まぁ、だからと言って嫌がってないというわけじゃないんだけどねぇ)」


 嫌がってるのは本当だけど軽口叩ける程度?

 うん、自分で言っておいてなんだけど、分かりずらいな。

 と、あさってな事を考えてつつも建物内部の意匠を見ていると、何とも言えない違和感を感じた。


「(あれ? あの意匠さっき見たような?)」


 統一化されている神殿内部なのだから同じような意匠が続くのは分からない事もない。

 けど、配置と良い、大きさと良い、全く同じ意匠に見えるのだけれど。


「(あと、何と言うか。歩きすぎじゃない?)」


 この際、神殿内部の異常な広さに突っ込まないとしても、此処まで神殿の最奥にいくために歩かなければいけないモノなんだろうか?

 今の所息切れをしている人間はいないけど、普段鍛えていない人ならばそろそろ弱音を吐きたくなるぐらいは歩いた気がしないでもない。

 永遠と階段を上がっていた分も含めれば大分体力は削られているはずだ。

 それとも【神力】はそういった疲労すらも感じさせないモノなのだろうか?


「(うん。ないな)」


 実際精神的とは言え、私も疲労感を感じている。

 では一体どういう事なんだろうか?


「(気になる事がもう一つ。精霊の動きが少し変と言えば良いのか、何と言えば良いのか。これも何とも言えない違和感の要因な気がするんだよねぇ)」


 精霊に明確な感情は存在しない。

 とは言え多少伝えてくるモノがないわけでもない。

 さっきから私達の周りを舞飛んでいる精霊から感じるのは「喜び」と「困った感じ」なのだ。

 言うならば悪戯っ子が悪戯を仕掛けてきているような?


「(んん?)」


 私は再び見かけた「同じに見える意匠」の前で足を止めた。


「キースダーリエ様? どうかなさいましたか?」


 最後尾に近い所を歩いていた私が急に足を止めた事が分かったのだろう。

 先頭を歩いていたアーリュルリス様が近づいてきた。


「いえ。……最奥の間に行くまでに随分歩くのだな、と」

「そう言われてみれば? そうですね。今の今まで気にも来ませんでしたが。確かにそれなりに歩いた気がいたします」


 アーリュルリス様が首を傾げ言った言葉に周囲の人間もようやく自分達が随分歩いている事に気づいたらしい。

 もしかしたら疲労云々よりも現状を気にしないような方向に思考が向くようにされていたのかもしれない。

 この際【神力】だから何でもありと考えてもいいだろう。

 なら何かしらの仕掛けがこの神殿にあると考えてもいいのかもしれない。

 

「ダーリエ?」

「お兄様。……ここにある意匠ですが、少なくともワタクシは「三度」、同じモノを認識しておりますの」


 全員の視線が柱と柱の間の壁に集まる。

 そこには大きく何かの意匠が施されている。

 よくよく見ると此処にも『ルーン文字』が彫られている気がする。

 なんの文字が確認しようとした時、私達の周囲を舞い飛んでいた精霊がその壁に次々と吸い込まれていくのがはっきりと視えた。


「(まさか)」


 私は自説を確認するために壁に近づくと意匠を見上げる。

 見れば見る程、その意匠はまるで扉に施されているような位置付けと大きさだと感じた。

 まるで此処に見えない扉が存在して、その前に立っているような、そんな錯覚に襲われる。

 私の考えが正しく、此処が扉だとすれば、どうすれば開くだろうか?

 やっぱり「祈り」なのだろうか?

 そうなると本当ならば跪き祈りを捧げる事が正解なのかもしれない。

 だが私は巫女ではないし、この国の人間ですらない。

 中身のない祈りはそれこそ相手の気分を害してしまう気がしないでもない。

 

「(言い訳と言われれば言い訳だけど……)」


 流石にこれから何が起こるか分からない。

 そんな状態で誰かに証明を頼むのは気が引けた。

 ならば自分が確かめるしかない。

 私は若干の恐怖を感じながらも恐る恐る壁に触れる。

 ひんやりとした感覚に手が埋もれる心配はないのだと安心したその瞬間。

 身体の奥底から何かが引き出されるような強い衝動を襲われた。

 その圧に思わず触れていない方の手で胸を抑える。


「ダーリエ!!?」「<リーノ!?>「キースダーリエ様!?」「「キースダーリエ嬢!?」」


 後ろで私を心配した声が近づいてくる気配を感じる。

 けど、理性が心の中で叫んだ。……今は近づいてはダメだ、と。


「近づかないでくださいまし! どうやら魔力を引き出されているようなのです! 今、ワタクシに触れては皆さまの魔力も引き出されてしまいます!」


 叫ぶような声になった私の言葉にそれぞれの従者の方が主たる皆様を引き留めているのがぼんやりと見えた。

 その間にも引きずり出された魔力が目の前の壁に注がれていく。

 目を瞑ると衝動に対して身を任せるように力を抜くが、無理矢理引き出されている感覚に歯を食いしばる。


「(魔力の奉納が必要なのかもしれないけれど、どれだけもっていくつもり!?)」


 幸いにも衝動の割には大量ではない。

 これならば枯渇する事はないだろう。

 だが、それでも正直いい気はしない。

 いっその事手を外してしまおうかと思った時、両肩、そして壁に触れている手に温もりを感じた。

 驚き目を開けると片方の肩にクロイツが乗り、空いている肩にお兄様が手を添えていた。

 なにより壁に触れている手に重ねるようにヴァイディーウス様が手をそえていらっしゃったのだ。


「ヴァ、ヴァイディーウス様! お兄様! 直ぐにお離れ下さい。未だに魔力は注がれております!」

「妹だけにまかせるほどボクは薄情じゃないよ?」

「それにあの神像に魔力が注がれたとき、私も同じ状態になったのだから。これならばキースダーリエ嬢の負担も減るはずですよね?」

「<此処でオレの名前を言わないのは正解だったな。まぁ言われても離れる気はねぇが>」


 驚き言葉を失っていると再び温もりを感じた。

 ぎこちない動作で其方をみるとロアベーツィア様、アーリュルリス様、そしてエッシェルトール様までもが私に触れていたのだ。

 確かに御蔭で引きずり出される感覚は薄れている。

 けれど、その代わりに大なり小なり皆様も光輝き、そして違和感を感じていらっしゃるように見えた。


「これでは率先して触れた意味が御座いませんわね。……これでも少しは格好を付けたかったのですが?」

「それは失礼したかな? けれどダーリエはこういった場面でかっこつけようと思うような性格ではなかったと思うけれど?」

「……お兄様。こういう時は分かっていても言わないモノですわよ?」


 少しばかり憎まれ口を叩くけれど、お兄様という私の理解者がいてはそれも不発に終わってしまう。

 簡単に論破されてしまい私はもはや苦笑する事しか出来なかった。


 私達の細やかな会話の間にも魔力はどんどん壁に注がれていっている。

 量が大した事ではない事と一人一人の負担が減った事で魔力の枯渇で倒れる心配は完全になくなったけれど、それにしても何時までも注がれていく魔力に少々うんざりする。


 魔力が注がれた壁はいつの間にか、その様相を変貌させていた。

 大きな意匠にまるで水が流れ込むように輝く線を引き、更に意匠を中心に広がっていく。

 天井につかんばかりの光の線はそこから分かたれ大きく円を描くように下へと落ちていった。

 

「扉、か?」


 後ろで囁かれた言葉に私も内心頷く。

 どうやら魔力によって現れる扉が此処に隠されていたらしい。

 光の線が地面までついたその時、扉らしき箇所全てが閃光を放った……のだと思う。

 行き成り目の前が光輝いたかと思い目を隠す事無くモロに食らった私は視界が一瞬でホワイトアウトしてしまったのだ。

 しかも誰かは分からないけれど、肩事後ろに引っ張られてよろけてしまう。

 流石にどなたかに支えてもらったのか倒れる事はなかったけれど。


「(多分、お兄様だよね?)」


 それかマクシノーエさんか。

 とは言え、大人に支えられた割には私を腰元を支える腕が低い気がするのだけれど。

 だからきっとお兄様よね?


「有難う御座います、おに……ヴァイディーウス様!?」


 お兄様だと思い後ろを振り向いたら、其処に居たのはヴァイディーウス様でした。

 ……声が思わずひっくり返ってしまっても仕方無いと思う。


「(まさかヴァイディーウス様が支えて下っていたなんて……ってこの体勢まずくないですか?!)」


 まさか自国の殿下に支えてもらっているというのはいかがなモノだろうか?

 自分の体勢のまずさに内心青ざめつつ私は出来るだけ優雅に微笑む。

 思い切り素に戻っていた自覚があるだけに全力で猫を引き戻す。


「(さっきの忘れてくれないかなぁ)」


 はい、無理ですよね。

 ええ、問題ありません。

 令嬢らしくない姿が一つ増えただけです。

 今更殿下方は私が「模範的な令嬢」なんて欠片も思ってないでしょうから。

 せめて今後猫を被った時に笑わない事だけはお願い致します。

 何とも言えない心の内のままヴァイディーウス様にお礼を言うとそっと離れる。……そこで追及されなくて安心しました。

 微笑んでいらっしゃるヴァイディーウス様の方を向くのは何となくバツが悪くて横を見ると何故かマクシノーエさんと帝国の護衛の方達が跪き頭を垂れていた。


「本来なら守らねばならぬ方々を御守りする事ができず本当に申し訳ございません。処分はいかようにも」

「貴方方を罰する資格はワタクシには御座いませんが?」


 どうして私の方を見て頭を下げるのかな、皆さん?


「あの紋章に触れる際、何か問題があっては困りますし、ワタクシが最適だったと思いますわ。まさか王族の方、皇族の方、公爵家の嫡男に何かあっては困りますもの」

「キースダーリエ様も尊き、守られるべき身で御座います。そのような方を危険に晒したのです。処罰は当然の事です」


 そうは言われてもなぁ。

 私が触れたのは精霊が壁に吸い込まれたのを見たからだ。

 理由と言えばそれしかない。

 むしろ皆の足を止めて壁に触れてくれなんて、理由も言えずにやってくれとは言いづらい。

 だから証拠を示すためにも自分で動いただけなんだけど。

 けれど、周囲から見れば、そんな私の言動は献身的? という風に映るらしい。

 私に似合わない言葉に驚きを隠せない。


「ダーリエは時折自分をかくしたあつかいするからね。けれど公爵家の次代はきまってないことを自覚した方がいいよ?」

「何をおっしゃるのですか、お兄様。ラーズシュタインの次期公爵はお兄様に決まっているではございませんか。……もしもお兄様が他の道を選びたいと強く願うならば吝かでも御座いませんが、そうではない以上、ワタクシはそんなお兄様も御守りしお手伝いするつもりしかございませんのに」

「うん。気持ちはうれしいけど、ボクにも妹をまもらせてほしいんだよ。それだけは忘れないでね」

「卑怯ですわよ、お兄様? お兄様にそんな事を言われてしまっては罪悪感を感じてしまうではございませんか」


 それからしばらくお兄様と会話をしたのだけれど、会話を聞いていた全員に何故か苦笑された。

 意味が分からずお兄様と一緒に首を傾げいていると今度はそこに微笑ましいモノまで混ざってしまい非常に居たたまれない。


「<オマエとニーサンの会話が恋人どーしっぽいからだよ。いい加減にしろブラコン、シスコン兄妹>」


 心底呆れた様子のクロイツに突っ込まれてようやく理解したけど、私は一瞬で諦める。

 だってどうしようもないものね。


「<ブラコンと言われても誉め言葉としか思えませんけど?>」

「<少しは自重しろ!>」

「<無理!>」

「<即答か!>」


 【念話】でクロイツと漫才をしている間に現れた扉の検分は終わったらしい。

 ちなみに跪いていた皆さんだけど、私とお兄様の会話の途中で立ち上がっていた。

 別に謝罪なんていらないし、それで良いんだけど、理由に納得いかない。……だからと言って再び跪けなんて言うつもりもないけど。


「扉に細工はないとの事です。それでは行きましょうか」


 アーリュルリス様の言葉に全員が頷くとゆっくりと扉を開いた。


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